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卒業生たちの結婚式で乾杯前あいさつをしてきた

2017年9月16日、2014年までKeiwa LunchのMCをしていた、まるりさんが結婚式を挙げた。私は、まるりさんと同期のゼミ生たちとともに、結婚式に出席、披露宴では乾杯の担当をさせていただき、少しお話をさせていただいた。2人とも敬和の卒業生なので、たくさんの卒業生に会うことができた。

護国神社での式を終えたところ。

Keiwa LunchのMC3人が、かつてのアイコンの並びで。

ゼミメンバー(と会社の先輩)で、集合写真。このポーズの意味は不明。

まるりさんの結婚相手は、彼女より一個上の卒業生徳太郎くんで、2人の接点を作ったのは、映像制作の授業「現代メディア論」だった。そのことをスピーチで述べた。

披露宴のオープニング映像では、最近大学で撮影したと思われる映像が上映された。敬和が縁で結ばれた二人が、あらためてキャンパスで映像を撮って、自分たちで編集したようだ。大学関係者として、とてもうれしかった。

 

卒業生に支持される大学であることは大事だし、そのためのコミュニティをきちんと維持していくべきだと思うが、個人ですぐにできることには限界がある。まずは自分のゼミのメンバーと、細くともきちんとつながり続けていこうと思った。

以下はあいさつのために用意した原稿。実際には話し始めてから、一部表現を変えている。

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徳太郎君、るり子さん、ご結婚おめでとうございます。 心よりお祝い申し上げます。
ただいまご紹介に預かりました、敬和学園大学で教員をしております一戸です。
僣越ではございますがご指名により、乾杯の音頭をとらせて頂きます。

今日ご結婚されるお二人は、いずれも私達の大学の卒業生で、敬和が二人を結びつけたことになりますので、大学で働くものの一人として、とてもうれしく思います。

実はお二人ともそれぞれ違う学科の所属で、ふたりともわたしの所属する国際文化学科の卒業生でもないのですが、なぜかいろいろと私との接点がありました。るり子さんは、在学中、福祉系の共生社会学科から、私の情報メディアゼミに参加してくれて、いつの間にかゼミのリーダー役まとめ役になってくれました。思い出に残る、またゼミの歴史に残る卒業生の1人です。徳太郎くんは、英語文化コミュニケーション学科の活発な学生の一人で、いろんなサークルでも活躍していて、つまりはとてもいそがしくて、うちのゼミには来てくれませんでしたが、最後の頃は卒業記念パーティで上映する映像をかなりの時間をかけて作っていたので、その頃うちのゼミのメンバーと、かなりの時間一緒に活動していました。学生時代、二人が交際していたのかどうか、私はよく知らないのですが、そのころから息の合った似合いの二人だったと、いま振り返ると思います。

私が関わる映像制作の授業で、グループに分かれ、地域のさまざまな事象、文化を映像ドキュメンタリーにするものがあります。4年前、私が引率して、酒蔵に取材に行ったときのメンバーに、徳太郎くんとるり子さんがいたのですが、実はこの時がお二人の最初の接点だったと、最近聞きました。できあがった映像作品は、これまでの名作の一つとして、今も大学のYouTubeにのっています。映像には、まだ飲んだことのない飲み物「日本酒」に挑戦する、初々しいレポーターの、るり子さんしか出てきませんが、カメラの後ろのメンバーの一人に、徳太郎くんがいて、密かに将来の伴侶を見つめていたことになります。そう思いながら見ると、ただひたすら初々しい、あるいは、たどたどしい、るり子さんの「日本酒」体験レポートも、何か違ったものに見えてきます。この映像、るり子さんの今のお立場を考えると、あまり大きな声では言えないのですが、「金升酒造の日本酒」というタイトルでYoutubeにのっています。機会あれば、初々しいるり子さん、映ってないけどカメラの後ろから気配を出す徳太郎くんを、ぜひご覧ください。

そこから4年の間に、どこでどのように、二人の距離が縮まって、今日この日に至ったのか。私も必ずしも存じ上げませんが、ゆっくりと、信頼関係を築いていった、強い絆を、最近のお二人に感じているところです。

徳太郎くん、るり子さん、これからはふたりで力を合わせ、互いを尊敬しあって、幸せな家庭を築いて下さい。私たちも、できる限りで、お二人のあゆみを応援したいと思います。

それでは皆様、乾杯のご唱和をお願い致します。

ご両家の益々のご繁栄と徳太郎くん、るり子さんの末永いご幸福を祈念致しまして、 乾杯したいと思います。乾杯!

ロックサンに試食会に行ったら結婚祝賀サプライズパーティだった

昨日、新メニューの試食会があるというので、新潟古町のロックサンにうかがったのだが、実は行ってみたら自分たちの結婚を祝うパーティだった。本当にびっくりした。

実行委員長あいさつ。企画、どうもありがとうございます。

 

新潟駅に行く途中に、店長から「準備に手間取っているので7時半ちょうどに来てほしい」という連絡をもらった。新メニューの準備だから大変なんだなと思う一方、別に早く着いて待っているのでも全く問題ないのだが、となんとなく変な気がしたのだが、この段階でも何も疑いを持っていなかった。

妻は職場から直接向かっていたので、バラバラの到着になりそうだったが、新潟駅で追いつけそうだったので、連絡をとりあって、一緒にバスに乗ることにした(ここで合流していなければ、計画は破綻していた)。古町まで着くもまだ時間が早いので、少しぶらぶらと散歩して、お店に。お店の前には携帯で話している女性がいて、「あー、この人も招待者で、時間調整しているのかな?」と思った。全くハズレ。

中に入ったらクラッカーと「おめでとう」の嵐。すぐにティアラとプラスチックの大きなボータイをつけられた。よく見ると、NSMCや湯沢WSに関係した、学生や卒業生たちの姿もあり、「あー、これは大きな極秘プロジェクトだったな」と、状況を悟った。就職したばかりの卒業生たちは、まだ職場にもなれない中、無理をして出てきてくれた。本当にどうもありがとう。

何人もの方から、「二人のおかげで、こんなにたくさんの人達とつながることができた」と言っていただいた。たしかに、自分がというよりも、新潟ソーシャルメディアクラブ(NSMC)が、新潟のアーリーアダプタたちをつなげて、コミュニティを定着させてきたんだなと、あらためて理解した。

準備期間がどれくらいあったのかわからないが、Facebookグループがかなり盛り上がったと聞いた。まさかロックサンを貸しきるほどの人が、自分たちのことを祝うために集まってくれるとは。プレゼン、ゲーム等もたくさん用意されていて、とても楽しいイベントだった。準備にもかなり時間がかかっただろうと思う。

二人のイラストを、ささきとしさんに描いていただいた。としさんは越後線を擬人化したイラストを描いてくれた人だが、本来は結婚式などで使う似顔絵を描くのが本業だ。実は弘前での結婚式にあわせて描いてもらおうかなとも思ったのだけど、思いついたのが間際だったし、あきらめたという経緯があった。今回のパーティにあわせて、寝る時間を削って用意してくれた。その他にもたくさんのプレゼントをいただいた。皆さん本当にどうもありがとうございます。

Bottle

平日夜にもかかわらず、たくさんの方々に囲まれて、あらためて結婚を祝ってもらった。かなり前に入籍していたので、こそばゆいところもあるのだけど、入籍時にはまだ形ができていなかった新潟のコミュニティが、この2年半で形となり、そのコミュニティの皆さんから、改めて祝っていただく形となった。今後ともどうぞよろしくお願いします。

完全なサプライズパーティだったので、予想外に帰りが遅くなり、今朝は眠い目をこすりながらの東京への移動となった。

shinyai's wedding

弘前昇天教会で聖婚式

4月14日、実家のある弘前の、弘前昇天教会で、聖婚式を行なってきた。青森聖アンデレ教会の八戸功司祭が司式をして下さり、弘前昇天教会に常駐する聖職候補生佐々木康一郎さんや教会の皆さんに多大なご支援をいただいた結果、素晴らしい式となった。新潟ではすでに2年以上夫婦で活動し、初めから二人セットでお付き合いいただいている方も多いのだが、改めて、自分たちの立ち位置を確認して歩み出す、良い機会になりました。どうもありがとうございました。

shinyai's wedding

妻の着たドレスは、妹たちと同様に、母が作ってくれた。二人共実家で着替えて一緒に車に乗り、そのまま教会に移動した。

式は家族、親戚、お手伝い下さった教会の関係者だけで行ったのだが、指輪を作ってくれた友人、Karen JewelのKarenが香港から指輪を運んできてくれて、そのまま参加してくれた(なので、弘前にいる間、会話の半分ぐらいは英語だった)。カタカナ以外は読めるので、礼拝の流れにはついていけたそうだ。

Our Rings

当日の午前中に突如、Facebookに「報告」を書き込んだところ、大量の「いいね」とコメントをいただいた。こちらもまた、どうもありがとうございます。

弟がこの教会で式を行ったのが2004年で、自分の式が4人の兄弟姉妹で最後となったが、結局全員が弘前昇天教会で式を挙げることとなった。今回Karenが実家にも遊びに来てくれたので、父が過去の写真を取り出してきて、いろいろな話をした。Karenに質問を受けて気づいたが、両親も70年に弘前昇天教会で式を挙げているので、これでうちの家族全員が同じ教会で式を行った形になる。両親が結婚した時には、礼拝堂の隣に幼稚園があり、幼稚園のホールで、お茶会を行なっているが、礼拝堂はその時と基本的に変わっていない。祖父母も弘前昇天教会に連なっていたので、教会で何らかの式をあげたのかもしれない。祖父母や親族は、弘前の教会で葬送され、墓地に葬られている。弟の葬送式は東京で行ったが、彼は祖父母たちと同じく教会の墓地に葬られ、礼拝堂の中にも名前が刻まれている。家族それぞれの、教会との距離感は微妙に異なるのだけれども、弘前昇天教会がベースとなって、自分たちの人生の要所には、ずっと弘前の教会がある、ということになる。

弘前昇天教会は、昨今観光名所の一つとなり、よく観光客が見学に訪れている。その割にはKarenの乗ったタクシーは、教会の場所を知らず、だいぶ迷ってたどり着いたようで、必ずしも市民には認知されていないのかもしれないが。

Hirosaki Shoten Church, Hirosaki, Aomori / 弘前昇天教会(青森県弘前市)

えきねっと(JR東日本)|弘前昇天教会(青森県)

式の後は、妹たちの時と同じように、親族が各地から持ち寄ったお菓子でお茶会。妻が新潟から買っていった、中身がさまざまの笹団子は話題となった。特にあらめやきんぴら入の笹団子はしょっぱいので、その意外性が好評であったようだ。夕方は家族・親族等、さらに少人数でシェ・タテヤマに行き食事。弘前の洗練されたフランス料理店の一つで、なごやかな雰囲気の中で、皆さんと親しくお話ができた。

弘前市にあるフランス料理のレストラン『シェ・タテヤマ』|レストランウェディング/結婚式/デザート/カフェ

翌日15日は、Karenを連れて3人で弘前市内を観光。弘前城天守閣やねぷた村へ。弘前公園の桜はまだつぼみも膨らんでいない状態で、桜好きのKarenには申し訳なかったが、まあ次の機会にということで。自分たち夫婦は、GWにまた戻ってきて、ベストタイミングで桜を見ることができそうだ。

弘前城の天守閣からは、岩木山が頂上まではっきり見えた。前日父がKarenに自分の版画を披露していたが、多くの作品の背景にある岩木山が、弘前の人々にどれだけの存在感を示しているものなのか、よくわかってもらえただろう。

Mt. Iwaki

ねぷた村の中にも、久しぶりに入った。香港人から見ると、なんで青森の祭りに三国志や水滸伝の絵が出てくるのか、よくわからないようだった。たしかにその通りではある。しかし、竹森節堂が葛飾北斎の画風に習って、現在の三国志・水滸伝をベースとする弘前ねぷたの鏡絵の形態を確立したことも、ちゃんと説明されていた。他にも、こぎん、津軽塗、駒など、津軽地方の伝統工芸品が制作工程を含めて展示されていて、あらためてよい施設だと思った(残念ながら日曜日なのにお客さんは少なかった。オフシーズンはあんなもんなのか)。

津軽藩ねぷた村ホームページ

その後、東京に戻るKarenを見送りに新青森駅へ。1Fのお店を一通り見たが、新しいけれども、青森駅とさして変わらないサイズで、欲張らず身の丈にあったサイズといったところ。駅周辺の開発はまだまだこれから、なのだが、すぐに函館への延伸が見えているだけに、行く末がちょっと心配ではある。

その後日本海側を一路新潟へ。往路では見逃したが、帰りは鶴岡からあつみ温泉の間も、日本海東北自動車道を利用した。あつみ温泉ICの入口は、ちょっと奥まったところにあるので、気をつけていないとまた往路では見逃しそう。ともあれ、あつみ温泉も鶴岡市なのだが、鶴岡ーあつみ温泉の間もかなり距離があり、高速道路ができたことで30分ぐらい短縮された(ような気がする)。