ネパール帰国前の再会

Summer School in Kathmandu 2005

前任校の仕事で、ネパールに行っていた頃に知り合った「友人」が、近く帰国するというので、赤坂で会ってきた。

「友人」と、今ではそのように形容するしかないが、最初会った時に彼女はネパールの高校生であった。お父さんがネパール人、お母さんが日本人。当時から、日本語とネパール語と英語を話していた。東海スクールネット研究会が主催する、ネパールの高校生を集めたイベント「Summer School」で、彼女に出会ったのが最初であった。研究会の教員の皆さんはネパール渡航歴の長い人たちだったが、日本語ができる彼女は、参加者でありながらある種特別な存在で、イベントの成功に、大きな力となった。当時から、話の仕方もとても落ち着いていて、安心感、安定感があった。

2005年、Summer Schoolの開会式。
Summer School in Kathmandu 2005

しばらくした後、ネパールで彼女のお母さんと、彼女の進学についてお話ししたりしていたのだが、最終的に彼女は、早稲田大学に進学することになった。またこれも、いつどのような経緯で話したのか忘れたけれど、入学後彼女は、一戸が大学1年の頃参加していた国際交流のサークルのメンバーとなり、そこでも充実した時間を過ごしたようだ。ただ大学に在籍している間、彼女に会うことはほとんどなく、SNSでときどき近況を知る程度。あっという間に大学を卒業、その後南アジア圏でビジネスを展開する企業で活躍した。

という彼女、日本人の男性と結婚し、二人で「実家」のネパールに帰国する。お相手はてっきり大学の同級生なのかなと思ったがそうではなく、しかし出会いのきっかけは、自分もよく知っている場所で、とても親近感がわくなれそめであった。ネパールに共に渡るお相手の男性は、新しい環境に苦労すると思うが、落ち着いた彼女の様子を見ていると、なんとかなるんじゃないかなあという気になってくるのも、よくわかる。ほかにも、日本での仕事の話、日本とネパールの社会の違い、教育の違い、ネパールの電力事情、いろいろな話をした。彼女の日本での仕事は順調で、将来の幹部候補生として期待されていたことがうかがわれた。それだけに、今回の決断は傍目には思い切ったものに見えるが、おそらく彼女の頭の中では、いずれ帰国するというシナリオが、できていたのではないかと思う。

2時間ほど楽しくお話しして、赤坂駅前で別れた。次に会う場所はたぶん、アンナプルナ連峰の麓であろう。帰国後に行われる結婚式にうかがってお皿をプレゼントする(という慣例らしい)ことはできないと思うが、いずれまたネパールに行き、ご家族に会える日がくればと思う。

ネパール稲門会ってあるのかな?

彼女の進学が決まった時にも、一度記事を書いていた。
早稲田のネパール人留学生 | ICHINOHE Blog

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