三条市の国定勇人市長が、これまで活発に発言してきたTwitterでの発言をストップした。
ところで…
突然ですが…
ツイッターを止めにしようと思っています。
積極的に止める動機もないのですが、何となく“チェックしなければっ!!!”という強迫観念に駆られてしまう自分がいまして…
そして、私自身への呟きだけでなく、ツイッター全体に漂っている、必要最低限の“節度を守る”“初対面の相手に対する配慮をする”といった、社会人として当然の、ごくごく常識的なことのルールから逸脱する傾向が強すぎるような感じがしまして…
そういう風潮に、敢えて、自分自身が屹然と立ち続ける価値を見出しきれなくなりまして…
そんな様々な思いから、止めることにしました。
でも、拙ブログは続けていくつもりですし、拙ブログの更新のお知らせを自動的に配信できる価値そのものはあると思っていますので、厳密に言えば、“呟きそのもの”を止めにしたいと思います。
今後Twitterは、ブログの更新情報を流す「ボット」として利用するということのようだ。
「社会人として当然の、ごくごく常識的なことのルールから逸脱する傾向」がTwitterに広がっているという点については、強く同意する。かつてのTwitterに残っていた、アカウント名を背負った責任感のようなものは、東日本大震災を契機にしてすっかり消えさった。こうした個人を背負ったコミュニケーションは、実名制という、より強い抑制を働かせたFacebookに移行し、かつてTwitterで主として発言していた人たちもFacebookに移行した結果、Twitter空間では、匿名での「叫び」や「義憤の表明」の割合がさらに増えているようにも感じる。
政治の世界にある人々にとってTwitterは、マスメディアのフィルターを通すことなく、自らの主張を人々に届けられるソーシャルメディアの一つ。しかし皮肉なことに、Twitterが普及して選挙区の人々に声を届けられる程度にTwitterがパワーを持ち始めると、Twitter空間が変貌し「節度を守」らない人々が増え始め、節度のない発言だけが目立つようになってしまった。国定市長のTwitter空間からの決別、タイミングとしては少し遅いぐらいかもしれない。