先日、今年から僕のゼミに所属することになった学生に、出身地が「ぶんすい」だといわれて、どこにあるのかわからなかった僕だが、今日は「分水」で行われる「分水おいらん道中」を見に行ってきた(実際には学生にいわれる前に、新聞でこのイベントのことを知っていので、「分水」のことも知らなかったわけではないけれど)。
「分水」というのは、少し前まで分水町だったところで、現在は燕市になっている。
Oiran Parade by shinyai on Zooomr
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なぜこの町で、「おいらん道中」なのか。観光協会のホームページでは、こんな感じの説明になっている。
おいらん道中は大正13年頃から花の時期に催されていた地元の有志による仮装行列が起源とされています。昭和9年には「分水路花の会」が発足、昭和11年
からは花にちなんだ行事を考案し「おいらん道中」が計画されました。途中、戦争の影響による中断、大火・雨天による2回の中止の他は毎年行われ、平成18
年には第65回を迎えました。
今日僕が見たのは前半の河原の道を歩くコースで、すでにほぼ終わっていたが、沿道には桜が咲いている。桜を愛でるイベントの一部として、昭和初期に始まったというのが定説のようだ。ただ、新潟日報によると、他の説もあるようだ。僕は展示を見に行くのを忘れたので、その4つが何かを確認できなかったが。
一般的には1934年に、全国にPRしようと「分水路花の会」が発足したことがきっかけとされているが、町史などをひもとくと計4つの説があることも紹介されている。
遊女として売られてしまうかどうかという人生の分かれ道、売られた先で「おいらん」として出世できるかどうかの人生の分かれ道、などなど、人生には多くの「分水嶺」がある。ということと、「分水」という地名をかけているのかとか、一瞬そういうことも考えたが、違ったようだ。
小さなローカルイベントと思っていたら、実は大きなイベントのようで、カメラを持った人々も多数。観光バスでやってきて、その後寺泊で魚を買って帰るという日帰りコースになっているようだった。
行列に参加するおいらんは、信濃太夫、桜太夫、分水太夫の三人。これにプラスして、観光客との記念撮影に応える染井吉野太夫がいる(今日僕は、記念撮影コーナーにはいかなかったので、染井吉野太夫にはお目にかかれなかった)。このおいらんの一般公募には、毎回100人以上の応募があるそうだ。おいらんに選ばれることがスターへの登竜門となっているのかどうかは、厚い白塗りだということもあり、よくわからない。
ちなみに、いくつかの記事で、今年のおいらんの皆さんの素顔が写っている。一日交通安全課長でばっちり「顔出し」になっている、平原希さんは、「染井吉野太夫」役なので、僕はお会いしていない(下の新潟ラーメン日記の記事に、今日の姿が出ている)。
- 分水おいらん道中のおいらん役に選ばれた4人が歩き方を練習 (2009.4.3)
- 分水おいらん道中のおいらん役も参加して燕市分水地区で交通安全街頭指導、近くで玉突き事故のハプニングも (2009.4.8)
他のブログ記事:
分水おいらん道中2009
おいらん道中。