「営所通」:新潟を去った軍隊に由来する地名

新潟県知事公舎
Photo by 1円切手 on Flickr

新潟市中央区の中心市街地に隣接する町名に「営所通」(えいしょどおり)という場所があります。地図でいう以下のようなエリアで、寄居町と入り組んでいてわかりにくいですが、新潟県知事公舎は、営所通に立地しています。2020年8月1日現在、マンションの建設が進んでいます。

さて、この営所通の由来について、あまり考えたことがなかったのですが、開港150年記念で作られた『みなとまち新潟の社会史』(新潟日報事業社)という本に、吉田律人さんが「新潟の軍事拠点ー営所通の由来」というコラムを書かれていて、ちょっと読んでみました。

営所という言葉、私自身は普段使うことはなかったのですが、調べてみると軍隊に関する用語なんですね。

営所(えいしょ)の意味 – goo国語辞書

えい‐しょ【営所】 の解説
兵が居住している所。兵営。

新潟県で軍都として知られているのは、新発田、高田(現上越市)、村松(現五泉市)あたりで、新潟市はあまり軍都という印象はありません。しかし実は、明治維新後の短い期間、新潟に政府直轄軍を配置していたのだそうです。以下吉田さんのコラムから引用します。

「…明治維新の混乱期に開講した新潟には、港の警備と居留外国人の保護のため、新発田藩などの藩兵が配置されました。」

その後明治政府は、1871年に地方の軍事拠点として全国4箇所に「鎮台」を設置し、新潟には東京鎮台の下の「第一分営」が設置されました。当初、新発田、米沢、庄内、富山の旧藩兵からなる8番大隊が入営します。

…城下町に設置された他の分営と異なり、港町の新潟には、城郭など兵力を収容する施設はありませんでした。そのため新たに弊社を造影する必要があり、第一分営は一部の兵力を新潟に残しつつ、しばらくの間、新発田城に移ることになりました。(中略)

最初新発田に間借りしていた部隊は、1872年11月に新しくできた寄居の新兵舎に移りました。翌年には徴兵制が始まり、第8大隊にも訓練の必要な新兵が増えていったため、練兵場や射的場が営所付近に整備されています。ところが、1974年10月には新潟営所は廃止が決まり、第8大隊は高崎に移転したそうです。背景として、

1.脚気患者の続出で新潟が不衛生の土地と考えられたこと
2.東京潟営所の連絡が不便なこと
3.暴風で施設が大破したこと鎮台と新

があったといいいます(元の記述は、防衛研究所所蔵『大日記』)。その後第8大隊のほとんどは高崎に、一部は新発田に移転します。新潟に残った「営所」は、その後新潟県に払い下げられて消滅、「営所通」という地名だけが残ったといいます。

営所通周辺には、オギノ式避妊法で知られる荻野久作氏にちなんだ「オギノ通り」「オギノ公園」があったり、カトリックやプロテスタントの教会も多く立地していて、中心市街地の古町から近いのですが、閑静な住宅街でもあります(別に売出し中のマンションの回し者ではありませんが)。

営所通という地名は、全国各地に残っているのかもしれませんが、新潟県でいうと、五泉市村松にも、地名として残っているようです。

軍都村松 – 新潟の戦争遺跡・戦跡 ~先人たちの足跡~

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