昨朝、実家からメールがあり、横須賀在住の伯母武村浩子が亡くなったことを知った。「はとこ」からのメールについてエントリーを書き、Nancyさんから「新しく暮らす土地に親族がいる心強さ」について、コメントをいただいた直後であった。武村の伯母は、僕が大学在学中にもっとも世話になった親族の一人だ。
近々一度会いに行こうと思っていた矢先、という思い、またしてもである。
伯母は母の姉にあたり、長野県飯山市から東京芸大の声楽科に進学し、その後声楽家として活動した。昨日調べてみたら、洗足学園音楽大学のウェブにプロフィールが載っていた。洗足ではかなり長く講師をつとめていたように記憶している。

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以前書いたように、伯母は芸大で知り合った画家の武村次郎と結婚し、横須賀の伯父の実家にアトリエ、レッスン室を構えて、自宅でもそれぞれ芸術
活動や後進の指導に励んだ。僕が大学に在学していた頃は、二人とも元気だった。いつも三崎のまぐろを用意してくれて、伯父の酒と語りに延々とつきあった。
時々静養のために長期滞在する祖父もまた、この輪の中にいたし、僕の弟もたびたび一緒に参加したし、ほかにも友人がよく訪ねてくるにぎやかな家だった。
活動や後進の指導に励んだ。僕が大学に在学していた頃は、二人とも元気だった。いつも三崎のまぐろを用意してくれて、伯父の酒と語りに延々とつきあった。
時々静養のために長期滞在する祖父もまた、この輪の中にいたし、僕の弟もたびたび一緒に参加したし、ほかにも友人がよく訪ねてくるにぎやかな家だった。
ここ数年体調を崩していた伯母だが、今回の訃報は突然であった。これで、伯父、祖父、弟、伯母と、あの頃のにぎやかなメンバーがほとんどいなくなってしまった。思い出が箱の中に、完全に封印されてしまったような気分だ。
今日横須賀に行き、葬儀の準備を手伝うなかで、伯母のプロフィールをまとめる作業をした。いろいろなコンサートの際に使われたプロフィールを編集して平易にしたものだ。
1943(昭和18)年
長野県飯山市北海道室蘭市生まれ
1967(昭和42)年 東京藝術大学声楽科卒業
1969(昭和44)年 東京藝術大学大学院オペラ科修了「第九交響曲」や「メサイア」のソリストとして、また、カンタータ、モテット等でオーケストラと共演。「春琴抄」「三人の女」「葵の上」「袈裟と盛遠(もりとお)」等日本オペラ協会の公演に出演。その他「泥棒とオールドミス」、「ボッカチオ」、「ラ・ボエーム」、「フィガロの結婚」、「小さな煙突掃除やさん」などに出演。その他数多くのコンサートに取り組んできた。
二期会会員、日本オペラ協会会員、横浜シティオペラ会員、洗足学園音楽大学講師、三浦高校音楽講師。R・リッチ 、佐々木成子、岡部多喜子各氏に師事。1999年文化庁在外研修員としてミラノに派遣され 、帰国後は帰国リサイタルや文化庁芸術家在学研修制度35周年記 念「アートフェスティバル21」ガラコンサートに出演 、すばらしい美声で聴衆を魅了し、多くの優秀な後進を育てた。
ステージでの写真が、伯母の部屋に何枚か飾られていた。

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