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新発田に行ってみよう「新発田の最大の人材は高校生」

僕が所属する敬和学園大学は、新潟県新発田市というところにあるが、僕自身は新潟市に住んでいる上、大学自体が新発田市のはずれの、もっとも新潟市に近いところにあるので、新発田市内に行くことは少ない。

新発田市の商業施設も、新発田駅を中心とする中心市街地からどんどん郊外に移行してきている。新発田市のまちづくりについて、敬和学園大学の教員として発言することは、どれくらいデリケートかというと、たぶんこれから広がっていくであろう大学外のお付き合いを想定すると、多少ためらいがある、ぐらい。ただ、中心市街地が寂れてきていること自体は、全国共通の現象であるばかりか、大学自体は「周辺」の新興エリアに含まれているので、大学の利益に反することはなさそうだ。

で、以下の記事。文面から地元経済界の方と思われるので、発言は慎重にしつつも。。。

リンク: Yahoo!ブログ – 新発田に行ってみよう「新発田の最大の人材は高校生」

敬和学園大学がまちなかで「新発田学」を構築しつつありますが、高校生の能力をもっと活用するすべを検討してはいかがでしょうか。

 勉強もせず、赤点科目数を競っている一部の学生だって、十二分に能力はあります。勉強が嫌いなだけで、興味・関心があれば、おそろしいくらいに能力を発揮します。
 その最たるものが、携帯電話の利用とメール送信。飽きることなく、継続してやっています。
 好きなら継続力・忍耐力は申し分ないくらいにありますね。

 そんな能力を地域の発展のために生かすため、例えば、土日、おじいちゃんおばあちゃん相手の携帯電話・メール送信教室の開催、振り込め詐欺防止教室、商店の新商品の展示情報の送信、バーチャル商店の構築、新発田市内への観光客の誘致PR、などなど。

 アルバイト感覚で仕事ができるような配慮を、商店主の皆さんがお考えになれば、だいぶ変わってくると思うのですが、いかがでしょうか。

なるほど、通学してくる高校生がただ家に帰してどうするのよ!ってことだ。その発想はよく分かるが、ネット系の活動に高校生を引き込むのは、現状では絶望的だと思う。私の印象であるが、高校の情報教育はそもそも情報科目を「履修漏れ」の対象にしていたわけだし、「なんらのスキルも持たない」で進学してくる大学生が大多数だ。

上にあがっている活動で言えば、「商店の新商品の展示情報の送信」「バーチャル商店の構築」は無理だ。「振り込め詐欺防止教室」はよくわからないが、フィッシング詐欺なんかに引っかかりそうな生徒はたくさんいる。「おじいちゃんおばあちゃん相手の携帯電話・メール送信教室の開催」は、いいかもしれない。絵文字連発の彼らの語法に、おじいちゃんおばあちゃんは面食らいそうだけど。

つまり、現状は相当厳しい。まず第一に、こういうことに高校側が関心を持って、意識的に取り組むことが必要だし(そういう機運はほとんど感じられない)、地域からもそのような働きかけが必要だろう。大学にも(といっても僕だけになりそうだが)、なにかあったらお声かけください。

ブログと大学広報

ときどき「ICHINOHE Blog: 敬和学園大学.」を見ている人がいて(原因はなんとなく予想がついている)、あまり役立つ情報も提供できず、また非常勤講師として勤めていた時期の記述が表に出ていたりして、それもまた好ましくないので、「敬和学園大学」のカテゴリでたまには文章を書いてみたい。

2月5日付の新潟日報に「県内私大『ブログ』続々 日記風にキャンパス発信」という記事が出た。新潟日報のウェブにはこの記事が載ってないので、ご紹介できないが、そこで紹介された新潟経営大学のブログをご覧いただければ、だいたい趣旨は理解してもらえるだろう。新潟日報の記事は、なんとも能天気というか、時代の流れを全く理解してない内容で、せつなかった。書いた人が、もし読者の平均的理解度を忖度したんだとすれば、ある意味しょうがないけど。

新潟経営大学は、全教職員がブログを書くことを決意したようだが、まだ出揃っておらず、広報的なブログが先行して動いている。ブログはYahoo!ブログを使っていて、コメント欄、トラックバック欄が開放されているようだ。なので、炎上の恐れはあるが、幸か不幸かそこまで注目を浴びる事態にはまだ至っていない。

新聞記事の中身を正確に覚えていないが、「ブログにすると親しみやすくなって注目度があがる」というのは、明らかに間違った考え方だ。実際には、「情報発信主体に全く関心をもっていなかった人に、個別のトピックを突破口にして、関心を持ってもらえる(かもしれない)」といったところではなかろうか。

たとえば、早慶上智のようないわゆる名門大学であっても、その大学それ自体の動静とか広報内容について関心を持つのは、よっぽど愛校心のあるOBか思い入れのある受験生ぐらいのものであろう。ブログで口語体に近い書き方になったぐらいでは、注目度はあがらない。しかしたとえば個別のトピックのうち、一般の人々も興味を持つようなものがあれば、それ自体は注目される可能性はある。またさらにそこから、「へえこんな大学あるんだね。意外といいかもね。」と思ってもらえる可能性はある。そこまでいく確率はかなり低いが。

いずれにせよ、そこで問題になるのは「一般の人々も興味を持つ」という部分だ。新潟の私大のほとんどがそうなのだが、基本は「地域密着」で、あまり全国区の話題づくりや全国からの学生募集に関心を持って取り組んでいるようには見えない。そうなると自然に、「地域の人にしか関心をもたれない」超ドメスティックな話題ばかりが、ブログに現れてくることになる。いや、超ドメスティックでも、全国的に話題にならないとは必ずしもいえないのだが、そういう意識を持っていなければ、ローカルスタンダードで話題性を判断し、極端な話「地元紙が取り上げてくれるか」という視点で広報を考えてしまう。それでは別のブログで話題になって、学校の知名度がじりじりとあがってくるような効果は現れてこない。一つの記事がソーシャルブックマークで話題になり、他のブログに書かれ、SNSの中でも話題になり、さらに一般メディアでも記事になり、という連鎖が生まれるようでなければ、結局ブログにしてもそんなに意味はないだろう。しいていうならば、自分たちが忘れていた過去記事が、なにかの拍子で注目されるようになるかもしれない、というメリットはあるかもしれない(確率はそんなに高くない)。

大学広報で、ブログ界でそれなりの話題性をもたらすことができるようになったら、それは大したものだが、万が一そうなったら、次は「炎上」対策だ。大学広報は、あまりネガティブなリアクションをしない、高校生や一般の人々を相手に組み立てられているところがあり、ブロガーの批判に耐えられるような、ある種の「注意深さ」があるとは思えない。今のところ誰も「大学広報」なんて注目してくれないが、何かの拍子で火がついたら、恐らく多くの大学の危機管理体制では、とても対応しきれないだろう。もっとも、以前ノースアジア大学のエントリーで書いたが、実のところ、そこまで話題を作れれば「御の字」と考える私学経営者もいるかもしれない。

結局、ブログは魔法の杖ではない。全国区では何のウリもない状態の大学を、ブログは救ってくれないと思う。地方にあるために、見落とされがちだけど、実は(全国レベルで見ても)いい学校、というのがもし存在するとすれば、そういう学校は工夫次第で注目される可能性がある、ということになる。したがってまずは、「実はいい学校」といえるかどうか、検証することが必要で、入試広報のセクションに責任を押し付けず、自分たちの長所短所をきちんと認識できる大学でなければ、「正直マーケティング」の時代を勝ち抜く術はない、ということになりそうだ。ただし、大学の評価を口コミで、といっても、2ちゃんねるでの偏差値談義を超えるような、ネットでの口コミの力は、今のところ存在しないと考えるべきだろうなあ。あんまり過信しちゃあいけない。

「敬和学園大学」のカテゴリにしちゃったんだけど、あんまり関係ないか。

新年始動いたします

青森の実家では、ネット接続がきわめて不安定な状態にあり、事実上の「活動中止」となった。そのおかげで読書に集中することはできた。

昨年は稚内-東京-新潟とめまぐるしく動き回り、10月に敬和学園大学に移籍。ようやくここでの動き方、課題が(ほんの少しだけ)わかってきたところだ。学校法人稚内北星学園に対しての仕事は、まだもう少し続きそうだ。これはこれで、つとめを果たしたい。

というわけで、かなり出遅れましたが、皆様あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

国別ドメイン「.日本」使用可能に・2008年にも、米団体方針�インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

リンク: 国別ドメイン「.日本」使用可能に・2008年にも、米団体方針�インターネット-最新ニュース:IT-PLUS.

世界中のインターネットの住所に当たるドメイン名を管理する米民間機関「ICANN」は1日、「.jp」などの国別ドメインについて、2008年にもアルファベット以外の文字の使用を認める方針を示した。「.日本」「.中国」といった漢字名も可能になる。さまざまな文字を使えるようにして、英語ができない人々にもインターネットを活用する機会を広げたいという途上国などの要請に対応する。

初心者の学生たちと接して半年。どうしても徹底できないのが、全角/半角の区別だ。「先生、なんか送れないんですけど」とか「エラーになるんですけど」という場合、かなりの確率で全角でアドレスを打ち込んでいる。

というわけで、「敬和学園大学.日本」が使用できても、「敬和学園大学。日本」でもいいようにしてくれなければ、あんまり意味なさそう。

新潟に引っ越します

9月30日付で、6年半を過ごした稚内北星学園大学を退職し、敬和学園大学人文学部に移籍することとなった。これに伴い、半年間の東京生活も今週で終了、新潟に引っ越すことになる。6年間、稚内で多くの方々のお世話になったが、こうして遠隔地からひっそりと「稚内」を離れることとなる。お一人お一人にゆっくりご挨拶することができず、なんとも心苦しい。が、これからも稚内のために仕事をすることにはなるだろう。またいつか。

一度東京に戻ってから再度地方に出るというのは、なかなか複雑な気分だ。田舎生まれ田舎育ちではあるが、実は一番長い期間を過ごした場所は東京だし、今回半年間を過ごした新川という街も、今までほとんど縁がなかったが、非常にいいところだった。結構去りがたい思いがあるというのが正直なところ。東京でもまた、この半年でいろいろな方にお世話になった。

新川を中心に東京で見つけた新しいお店や場所については、近いうちにまとめておきたい。東京駅から近いので、新幹線に乗る前にいくこともできそうだ。

新潟、新発田でも、新しい環境になじめるよう、努力していきたい。ここでもまた、新しい人々のお世話になることだろう。どうぞよろしく。

新発田の学生達

4月から新潟県新発田市にある、敬和学園大学で非常勤講師をやることになった。
東京駅から新潟まで、新幹線で2時間ちょっと。敬和学園までは、そこから電車で30分(プラス駅から学バス)ほどかかる。稚内から札幌まで、5時間の旅を何度もしていた立場から言うと、たいしたことはないのだが、まあそれなりに往復移動で体力を吸い取られそうだ。
今回は車で移動したのだが、関越トンネルを抜けると、本当に「雪国」になった。
今週はガイダンスで、ゼミ所属の学生たちと履修相談をした。驚いたことに、学生たちのPC使用率は異様に低い。学内施設は45台のPCだけで、しかもそれらもあまり使われている形跡がない。学生に聞いてみると、重たいのでノートPCはあまり持ち歩かないそうだ。教員も学生もPC依存症にどっぷりつかっているWAKHOKを当たり前だと思っていたけれども、世間の常識っていうのはそんなもんなのか。。。
敬和はキリスト教主義に基づいて、しっかりした教養教育を行うというコンセプトの学校だ。実学とか即戦力とか、そういう発想には、少なくとも理念的には立っていない。ゆるぎない教養人であれば、卒業後仕事に必要な「スキル」はすぐに習得できる。そういう前提に立っているように見える。
そう、WAKHOKの考え方と全く正反対だ。WAKHOKは、形式的な教養が学生をスポイルしてしまうという考え方だと思う。常に実践的かつ先進的であることを志向している。
いずれにせよ、そうした「哲学」は、おおむね大学サイドの都合によって作り上げられている面があり、必ずしも学生の将来にどのように作用しているか、あるいは少なくとも、学生にどのように受け止められているかを、きちんと評価した上で作り上げられているわけではないように思う。ネパールやバングラディシュの学校と話していると、彼らがいかに市場競争力と教育の質の向上に取り組んでいるかがよくわかる。彼らは、学生の需要にどのように答えるべきかという出発点に立っている。実際には学生に対する管理は結構徹底していて、別に学生にこびへつらうわけではないのだけれど、マーケティング戦略は非常によく考えられていて、いい意味での「顧客満足」が追求されている。日本の大学はその点、供給サイドの都合でやり方が決まっていて、あまり市場志向的ではない。大学全入時代の激しい競争を勝ち抜くために、というお題目はよく唱えられていて、そのためにみんな努力しなければという掛け声はあるのだけれど、結局どんな手を繰り出すかは、学校や構成員の都合(プラス財力)が非常に大きな制約条件としてのさばってしまっているので、実際には中途半端な改革にとどまってしまっていることが多い。
敬和の学生たちは、このカリキュラムで学んで、どんな将来展望を持つのかが非常に不明瞭であるように思えた。WAKHOKの学生たちにもその傾向はあるが、それはITの領域で自信を持てないからに過ぎず、実はWAKHOKでの「そこそこ」は世の中では「結構すごい」ぐらいにはなるんだという気持ちを、持てばいいだけなのであろう。そうした自信創出の仕掛けが、WAKHOKには欠けている。そうした点を補うのが、敬和学園のいうような「人間教育」「教養教育」なのかどうか、それはよくわからないが、両者の「哲学」は何か相互補完的であるように感じている。敬和の学生は、大学の掲げる旗印の意味を、おそらくほとんど理解していないだろう。少なくとも学びのプロセスの前に掲げられるものとしては、ちょっと難しすぎるかな。卒業した後、じわじわ効いてくるのかもしれない。
留学生たちは、もっとはっきりした専門性、あるいは世の中で通用する「実学」を求めているように感じた。「日本の大学」を卒業しましたというだけではほとんど評価されない、という彼らの意見は、もっともだと思った。また新しい宿題を抱えたような気分になった。
新潟なのに、帰りの新幹線で、富山のますずしを食べた。