忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくに往く


先日、妹が久々に近況を書いていて、いろいろ思うところはあったのだが、いつの間にか時が過ぎた。弟がこの世を去って半年以上が過ぎ、9月に納骨も終わり、公式の場所で弟のことを話題に出す機会もなくなってきた。こうなってくると、事情を知らない方に僕がその話題を持ち出すことはもちろん、知っている方もあえてその話題はさけるようになるので、家族で集まったときぐらいしか、弟のことは話題に出なくなりそうだ。

最初のころは、そうやって現世の速いスピードから取り残され、忘れ去られていく弟のことを悲しんでいたのだけれども、現世での取り扱いなんて、今の弟にとって、実はどうもいいことなのかもしれないという気持ちになってきた。

人間は死後のことにやたらと執着するが、生前の自分という人格がどこにいたのかっていうことも、同じように疑問を持っていいはずなのに、僕らはあまり気にしないし、そのことに疑問を持たない。以前、茂木健一郎さんがそんなことを書いていた。1975年に弟が生まれ、我が家にやってきたのだけど、そもそもどこからやってきたのか。たしかに考えたことはなかった。

最近若山牧水の下のような言葉を見つけた。この心境が理解できるようになった、ようやく。

リンク: 若山牧水 -Official Web Site-.

私は常に思っている。人生は旅である。我等は忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくに往ってしまう。その間の一歩一歩の歩みは、実にその時の一歩々々で、一度往いては再びかえらない。私は私の歌をもって、私の旅のその一歩々々のひびきであると思いなしている。言いかえれば、私の歌はその時々の、私の命の砕片である。
(第二歌集「独り歌へる」自序より)

弟は、「忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくに往ってしま」った。僕も、僕の家族も親戚も友人も、みんないつか、「無窮のおくに」帰っていく。ただそれだけだ。それはおそらく、なんとなくわかっていたことなのだと思うが、今年はそのことばかりを考え続けていた。

そのぼんやりとした心境を、どうにかこうにかやりすごし、どうにかこうにかプラスのエネルギーに転化させよう。繰り返し繰り返し、いきつもどりつ、8ヶ月間が過ぎ去った。とにかくできることをやろう。夏休み明けからは、東京と新潟を往復しながら、新しい活動の可能性を探り続けた。おかげさまで、糸口は見えてきた、かな。「忽然として無窮のおくに往」くまでのかりそめの戦いだが、覚悟を決めて、来年も走ろう。

少し早いが、2007年(2008年から訂正)のまとめ。

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