SNSと恋愛:大学生や卒業生の話から探ってみた

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昨日卒業生に教えてもらった話を忘れないうちに書き留めてみます。久しぶりに会った卒業生たちから、思いがけず、「SNS時代の恋愛」について思い出話を聞くことになりました。少し前に、在学生からきいた「質問箱」の話とあわせて、書いてみます。

現役学生たちの語る「質問箱」×「ストーリー」

まず先に、先日現役学生に教えてもらった「質問箱」の話を、私から卒業生たちにしてみました。こんな内容です。

質問箱をInstagramにはりつけて、匿名の質問を受け付けるというのが、近年の事例として、最近学校関係者から話題に出ます。学校の先生が見ている現象としては、心ないdisりが匿名で寄せられて傷ついてトラブルになる事例で、まあ大人からみれば「なんでそんなリスクのある行為をするのか」(顔と名前が分かる人とだけつきあっていればそんな危険もないのに)ということになるのですが、数週間前に現役学生にこういった現象について聞いてみたところ、学生たちの見方は少し違っていました。質問箱のこうしたトラブルは、レアケースであり、多くの場合、恋愛における一プロセスとして、割と一般的に質問箱が使われているという話でした。

どういうことか。まず、こういうことをするのはだいたい、自分に自信のある人で、自分を傷つけるようなことを書いてくるとは想定していません(だから予想外にdisられると困惑するのか)。こうした人達は、どちらかというと、「密かな思い」が匿名で寄せられてくるのではないかと期待して、質問箱を設置するのだそう。あわよくば、意中の人とわかるような質問がくると期待しているか、あるいはそこまでいたらなくとも、自分の人気が確認できるということなのでしょう。質問箱とInstagramの間は、質問受付のキャプチャ画像のあと、質問の上に回答を書き加えたキャプチャ画像を繰り返しストーリーに投稿するというパターンが多いようでした。そういう面倒なことをやりながら、匿名投稿を受け付ける「自分劇場」をやって、自分のことを思っている人、自分を支持してくれる人などを確認している。現在新潟で大学生をしている人たちが、数年前に見ていた光景は、こんな感じでした。

理解を示す卒業生たち

この話について、昨日会った数年前に卒業した人たちもまた、おおむね理解を示しました。彼・彼女たちの一連の行動への解釈は、「劇場」的な空間(たぶん上でいうと、質問箱やストーリー)に広く投稿を投げかけて、意中の人の反応を探るという活動だというもので、自分たちも似たようなことに情熱を傾けていたといいます(当時からだいぶ時間がたって、自分たちの行動をある程度客観的に見て、話してくれたように思います)。この日話をしてくれたのは男性1女性2、実は1人は韓国で高校に通っていた人なのですが、ほぼ同じ解釈でした。日本と韓国では、おそらく使っているツールは違うのでしょうが、ある程度の普遍性はあるように感じました。

パブリックな場所で感触を探り、プライベートに持ち込む

かつて高校時代に使っていた具体的な手順もおしえてくれました。この日は、古くさかのぼって、プロフとかミクシーの話も出たのですが、その後にもInstagramストーリーやTwitterでも同じようなことが起きていると予想できますし、そんな前提で話が進みました(プロフはおそらく、「みんなが使っている」場所ゆえに、面倒な手順をふみながら使っていたはずで、その点は、現代における質問箱×ストーリーと似ているのかもしれません)。最初はパブリックな場所で、同じ学校の人だけがわかるような投稿をして、意中の人が反応してくるかを探りを入れていくところから始まります。ある程度人気のある人であれば、その意中の人「以外」からも反応があり、それに対する対応をしつつ(があまり長引かないように適当に切り上げる)、狙いの人からの反応を待ちます。首尾よく反応がかえってきた場合には、ベストケースだとさらにDMでのやりとりがはじまり、そこから親密な関係に発展して(させて)いくこともあるようです。

「足あと」の駆け引き

一方、こうした投稿を見て反応する側も、オーディエンスでありつつ、どのように間合いを詰めていくかを考えて行動します。いわゆる「踏み逃げ」と似たような文脈なのですが、ここでもまた、あちょっと違う考え方を教えてもらいました。たとえばミクシーの「足あと」のような「踏む」ものについては、あまりに頻繁に踏みすぎると、「前のめり」すぎる印象を与えるので、毎日は見ないようにしていたという話でした。たぶんこれは、今のストーリーでも同じようなことが起こるのでしょう。どのタイミングで、見ている側が積極的に「見ている」ことをアピールして、「攻め」に転じていくでしょうね。そこは今回聞きそびれてしまいましたが、マラソンで終盤抜け出そうするタイミングをはかるというようなもので、その「仕掛け」が成功することもあれば、そうならないこともあるのでしょう。

リアルでの匂わせ合戦

運良くDMのやりとりに成功したケースでも、しばらくリアル空間、たとえば教室などで、互いに目配せをするような関係が続き、自分たちだけで通じる会話、周りの友達ぐらいまで通じる会話というようなものが積み上げていくことも多いようです。少しずつ間合いを詰めていくというのは、ネットのない時代に高校生活を送った自分にも理解可能ですが、大きく違うのは、自宅にかえっても、24時間体制で、「恋愛戦線」がつづいていくところ。大人たちはSNS疲れや健康への影響を心配して、ときに21時にやめさせようとしたりもしますが、「恋愛戦線」のただ中にいる「戦士」たちからみればとんでもない話で、「かけひき」を続ける以外の選択肢はないのでしょう。

なるほど、教室と手紙と家電だけでいきていた世代とは、「戦力」が違いすぎますね。こういった感覚は、「ポケベル」全盛期を生きたアラフォーの人たちにも、ある程度は共有できるのかどうか、そこも興味深いところではあります(ポケベル時代は利用者が少なかったのかもしれない)。

「つきあう」タイミングは誰が決める?

ネットとリアルでさまざまなシグナルを出し合って、互いの気持ちを確かめあった人たちは、どこで「つきあい」はじめるのか。実は自分たちでそれを決めるとは限らないのだそう。グラデーションのごとく徐々に親密さがましていった末に、まわりが「もうつきあってるよね」というような事実上の「交際認定」にいたり、そこから「じゃあつきあうか」みたいになるケースもあるのだとか。まあ「つきあう」とはなにかという深遠なテーマのような気もしますが、少なくとも「ねるとん紅鯨団」のような「お願いします」「ごめんなさい」と白黒つけるようなことは、あまりないのかもしれないです(ここはもう少しきいてみないとわからない)。ただもう一つ、女性の側から出てきたのは、男性の側に「言わせる」ということがとても大事で、特にDM/個別チャットに入ってからは、テキストコミュニケーションの技術(?)を総動員して、男性側に言わせるように仕向けていたというお話もききました。ここはちょっと「ねるとん」っぽい「お約束」に近いものを感じます。男女の関係性が変化する中で、2021年の高校生もそうなのかはわかりませんが。

敷居が低そうに見えるが、誰でも参加できるわけではない(?)

一連の話は、SNSがさまざまな人々に恋愛に向かっていく機会を提供していて、いい面もあるように感じられました。「恋愛強者」以外にはあまりチャンスのなかった昔と比較すれば、「小出し」の投稿に対する反応を見ながら、自分に関心を持ってくれる相手を見つけることができるわけで、より広い層の若者たちが「参戦」できるように思ったからです。ところが現代でも「恋愛戦線」に参加できる層というのは、少なくとも学校では、一定程度限られているという話になりました。線引きははっきりしないけれども、「気が弱い」「線が細い」「目立たない」といった属性の人たちや、携帯を持っていない人たちは、この空間に参加することから「降りる」ことになっているようです。降りているのか降ろされているのか。状況は変化しているように思ったのですが、必ずしもそうとはいえず、クラスにおける「序列」のようなものが、相変わらず若者たちの行動をしばっているのでしょうか。ひょっとするとここが、「恋愛テクノロジー」が参入すべき領域なのかもしれないですね。

手紙と家電(いえでん)とリアルの組み合わせで、高校時代を生きた世代からすると、すっかり様変わりしたようにも見えつつ、本質は変わっていないようにも感じました。いずれにしても、「SNSトラブル」に関わる自分のような立場の人間は、トラブル事例だけでなく、通常の利用実態、そこにおける機微をより深く分け入って理解しておくべきだと、あらためて感じたところです。

(noteにも同じ内容を投稿しています)

https://note.com/shinyai/n/n476c3b6ec228

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