むつ市と斗南藩史跡観光

斗南藩上陸の地

青森県むつ市の宮下宗一郎市長が、9月22日からの4連休の間、市内の21観光施設を閉鎖すると発表しました。先の会見で、宮下さんは、「大々的にキャンペーンとして人を動かして感染拡大につながれば人災だ」と、政府のGo Toトラベルキャンペーンを批判していました。

【プレスリリース】市有観光・レクリエーション施設の閉鎖について – むつ市

対象21施設
釜臥山展望台(かまふせパノラマライン中間ゲートから釜臥山展望台までの道路を含む)
早掛レイクサイドヒルキャンプ場
むつ来さまい館
下北観光物産館
観光案内所
北の防人大湊安渡館
北の防人大湊海望館
みどりのさきもり館
北の防人大湊弐番館
ふれあい温泉川内
湯野川温泉濃々園
野平高原交流センター
奥薬研修景公園
薬研温泉露天風呂
薬研野営場
老人福祉センター(かっぱふれあいの湯)
コミュニティセントー脇野沢温泉
脇野沢野猿公苑
わきのさわ鯛島の館
脇野沢野営場
脇野沢リフレッシュセンター鱈の里

むつ市が連休前に21の施設を閉鎖へ 市長が「Go To」巡る政府の対応を批判 – ライブドアニュース

むつ市は「斗南藩150年」の記念行事を計画していた

先日、会津藩が戊辰戦争後に移住した「斗南藩」のことを少し調べていました。斗南藩は、現在の青森県の三戸、上北、下北のあたりにまだらに領地を与えられて形成され、再興を期した場所です。廃藩置県により、1年間で幕を閉じました。当時この地域は寒いだけでなく、作物も育たない地域で、会津の人々は飢えに苦しんだといいます。実は今年むつ市は、「斗南藩150年」の記念行事を予定していました。残念ながらほとんどの事業は中止され、来年度に延期されています。来年度はぜひ、斗南藩史跡観光が盛り上がって欲しいところです。

戊辰戦争で敗れ消滅した会津藩が、現在の青森県下北郡と上北郡、そして三戸郡にまたがる領地を与えられ、「斗南藩」として新たな出発をしました。

令和2年度は、明治4年2月に田名部の円通寺に藩庁を移してから150年という大きな節目の年となります。

この記念すべき年を、市民の皆さまや、多くの関係者の方々と盛り上げるべく、様々な行事、イベントをご用意しております。

中止事業
※すべてのイベントについては、令和3年度へ延期予定。
令和2年6月27日(土曜日)
柴五郎翁顕彰碑除幕式 環境整備事業
斗南ヶ丘史跡整備事業テープカット
御当主妙見神社御参詣
斗南藩150周年記念シンポジウム
斗南藩150周年記念レセプション
令和2年6月28日(日曜日)

斗南藩150周年献霊祭(法要)
令和2年8月中旬

時代行列(藩公行列)
会津塾の招請

先ほどの連休中の閉鎖施設の一覧に、斗南藩に関わるものはほとんど見当たらず、ということはつまり、下北観光/むつ観光と斗南藩は、ほとんど結びついていなかったように思います。つまりそれを組み立て直すタイミングが、2020年の「150周年」ということだったのでしょうが、出鼻をくじかれた形です。

斗南藩史跡観光はまだ「穴場」

「青森歴史街道探訪」というYouTubeチャンネルが、「斗南藩」についてまとめた短い映像を公開しています。これを見ると、以下のような場所が、すでに史跡として存在しています。

以下、簡単に映像の内容をまとめてみました。

斗南藩上陸の地記念碑:鶴ヶ城の石が使われている。
円通寺:斗南藩庁が置かれた場所。会津藩士の招魂碑がある
斗南ヶ丘:200世帯の町並みを作ろうとするが頓挫した。「会津藩史跡地」という看板が立っている。
旧斗南藩士の墓:作物が育たず、多くの人たちが命を落とした。

つまり閉鎖しなければならないほど観光地になっていない状態で、斗南藩の史跡は残っています。青森の人たちが日帰りで出かけていくのには、よい場所かもしれません。まだ「穴場」だといっていいでしょう。県外の人たちも少し落ち着いたら、割と気軽に訪ねていける場所になりそうです。

さらに詳しい情報は、郷土史家の三浦順一郎氏による講演(2020年5月)に、さまざま情報が出てきます。

むつの「夜の街」は「ドキュメント72時間」でとりあげられた

いまさかんに問題になっている「夜の街」は、ますますハードルが上がりますが、むつ市の「神社横丁」をNHKのドキュメント72時間が撮っています。

読む72時間  「青森・下北半島 “ワケあり”横丁」|NHK1.5ch(NHK1.5チャンネル)

「何もないところ」と皆が口を揃えて言う。ここは青森県むつ市、飲み屋が200軒以上ひしめく横丁。外は氷点下、極寒の師走に撮影開始。

「ワケありが多いから」と男性店主は言うものの、会う女性たちはことごとく陽気だ。10年前に夫を亡くし、母の代から続く店を継いだママ。「店があるから沈まないでやっていけた。北国の女性は強いですよ。底力がある」と話す。「どういうの撮りたいかによって合わせるべな」と同行を快諾してくれた雪国美人。水商売を引退し、難病の息子のためにNPOを立ち上げた。「ママが笑ってないとダメだよ」と息子に言われ、自分が笑っていなかったと気づく。いつもと変わらない日常、そこに幸せが宿る。

「何もない」や「ワケありが多い」というのは、稚内でもよく聞いた話なので、個人的にはがぜん興味がわく回でした。こちらもあわせて訪ねてみたいので、やはりもう少し時期をあらためてということにならざるをえないですね。

斗南藩史跡観光に注目が集まる日が来てほしい

むつは、青森県の中でも他の都市と離れているので、観光地としてのハンデがあります。私も青森の高校を卒業して東京に出るまで、下北を訪れる機会はありませんでした(父は転勤族でしたが、下北にいくことはなかったです)。しかし戊辰戦争と青森という視点でみたときには、津軽藩や南部藩がどう動いたかという話とは別に、苦しい立場に追い込まれた会津の人々がどう青森を行きたかというのもまた、大事な視点になるでしょう。むつではなく三沢ですが、洋式牧場「開牧社」を作った会津藩士広沢安任の史跡も、会津藩が青森に残した足跡を確かめる場所になるでしょう。「斗南」に関する観光は、「地味」さはぬぐえませんが、たくさんの人々が集まって「密」になる観光にはならず、むしろ「ニューノーマル」に適した形が作れるでしょう。

少し状況が落ち着いてきたところで、むつの斗南藩史跡観光に再度光があたって、多くの人々が、といっても、適度な人数の人々が、むつを訪れるような日が、戻ってきてほしいと思います。

会津藩/斗南藩に関する著作は、元福島中央テレビ報道制作局長の星亮一さんが、近年、多くの著作を発表されています。

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