2月頃に、留学生と雑談していたときに、大連の話題が出た。大連にかつて、「新潟ホテル」というのがあったという。調べてみるとどうやらホテルではなく、新潟県の物産館、いまの表参道のネスパスのようなものが、大連にあったようだ。
「大連盤城町日活館前」というタイトルになっている。
学習院大学の研究プロジェクトが、昨日学生に見せてもらった絵葉書写真をたよりに、現地を訪ねていた(残念ながら新潟物産館を調べているわけではない)。
「磐城町の通りの東側、新潟物産紹介所の隣に大連日活館があった。これは1929年10月に竣工した映画館で、日活本社と浪速館の長氏との提携によってできたものであった。当時としては最新式の発声装置を備えた映画館であり、トーキー映画を上映した。1945年10月、いったんソ連に接収された後、虹霓電影院として営業した。1994年1月5日に閉館し、取り壊されるまで、大連市民に親しまれた。現在は大型のショッピングモールが建ち、当時の面影はない。」
この研究プロジェクトが収集した絵葉書は、ほかもなかなか興味深いものが多い。以下の地図からもたどっていくことができる。
東アジアの都市における歴史遺産の保護と破壊――古写真と旅行記が語る近代――
「虹霓電影院」をBaiduで検索してみたところ、一件だけ、かつての建物の姿を撮影した写真が出てきた。激しい変化を経験してきた現代中国/大連では、「虹霓電影院」のこともすでに、過去の失われた記憶になりつつあるだろう。
現在大連には、新潟県の大連経済事務所があるが、新潟空港からの直行便はない。かつての新潟と大連のつながりについては、もう少し調べてみたい。