タマホームの「1 more Baby応援団」というキャンペーン。「ふたりめ」を生むことを推奨、とまではいってないけれど、その意義を考えようという提案だろう。
「家族会議」の動画は、ドラマなのだけれど、それぞれが自分の家族のことに重ねて、さまざまな思いを抱くであろう映像であった。子どもがいるいないにかかわらず、それぞれの立場で、心に響くものがあるはず。
自分の場合には、世間とは周回遅れで子どもを授かり、数ヶ月が経ったところ。
この動画に出てくる子どものように、娘はまだ主張してくれない。そうではあるけれども、このまま娘をひとりっ子で育てていくことが、彼女の人生に何をもたらしていくのか、いろいろ思うところがあるわけで、その思いにこの動画は、うまくシンクロしてきた。
一方、自分自身の兄弟姉妹は、4人でにぎやかであった。むしろずっとうるさかった。両親は自分が生まれてから、下の妹が大学を卒業するまで、36年間、子育てをしていたことになる。その歴史は、青森県内各地に刻まれていて、一つの家だけにあるわけではないけれども、今両親が住む家にはやはり、いろいろなものが残っている(自分自身は今の実家には住んでいないので、妹達とはちょっと事情が違うのだが)。
弟がこの世を去って、まもなく7年になる。弟はいつまでも若いおじさんとして、娘や甥っ子に写真で存在しつづける。彼が上京するまでの歴史もまた、弘前の家に蓄積されている。今は静かに父と母が二人で暮らす家には、兄弟姉妹がそれぞれの時代を過ごし、いろんな手をわずらわせた歴史が、たしかに詰まっている。映像の後半には、それも重なった。
子を育てることへの価値観は、人によりさまざまだ。子どもに恵まれなかった人もいるし、子どもを望まない人もいるだろう。それぞれの事情や心の内は、なかなかうかがえるものではない。自分自身、これまでは、「自分のことで精一杯」と考え、子どもを持つことにあまり積極的ではなかった。その自分の気持も、周りの人たちにはわかりにくく、立ち入りにくいものであったと思う(にもかかわらず、ほんのちょっと入ってきてくださった何人かの方の言葉で、娘を迎えた今があるような気がしている)。今も「自分のことで精一杯」なのは変わらないが、余裕のなさを抱えながらも、何とかエネルギーを子どもに振り向けて、この4ヶ月、充実した時間を過ごしている。一方、自分の子どものことを話す時、聞いている相手にはどんな風に響くのか、子どもがいることがはっきりわかっている人以外が相手の場合には、いつもちょっと気になる。立ち入り方は、いつも難しい。
実家の母は新潟で孫に対面して、「おめぐみ」という言葉を使った。娘はまだ何もしゃべらないけれども、無力な父と母をある意味励ましてくれる、まさに「おめぐみ」なのだろう。「おめぐみ」としてやってきた子どもは、やがて自らの意思を持って独立していく。それまでの時間を、ともに充実した時間を過ごせるよう、責任感を持ちつつも、おだやかに過ごしていこうと思う。