写真展中止をめぐって、写真家とニコンで法廷での争いが続く中、ニコンサロンでの写真展をのぞいてきた。
この写真展は、名古屋市在住の安世鴻さんが、中国に残された元慰安婦と接触し、撮影した写真を展示するもの。開催にあたっては右翼団体が抗議行動にやってくるなどして、かなり揉めたようだ。実は個人的にはあまり事態を把握しておらず、Google+経由で(しかも英語で)、このイベントのことを教えてもらっただけだった。行く前に調べて少し事情がわかった。
新宿エルタワーからの眺望は非常にすばらしかった。
会場のニコンサロンでは、日大芸術学部の学生たちの写真展と、安世鴻の写真展で、半分ずつのスペースを使っていたが、外には安世鴻写真展の表示は出ていなかった。裁判所の仮処分に基づいて、安世鴻写真展に会場を使わせているというのが、おそらくニコンの立ち位置で、しかも異議申立てをしている最中でもあったので、このような消極的な対応になったのであろう。
一方入り口でのセキュリティチェックは、金属探知機を導入する物々しさで、この展覧会をめぐっていかに抗議が殺到していたかがわかった。
写真の内容は、正直そんなに衝撃的な内容ではなかった。中国のいずれかの町で、ひっそりと暮らす女性たちの日常を、(やや悲しさを強調する形で)撮影している。写真に対する説明には、日本統治時代の朝鮮半島から「慰安婦」として中国に渡ることとなり、そのまま残留することを余儀なくされた女性たちの深い悲しみが、述べられていた。
写真は、カメラマンと被写体が作る一つのストーリーであり、キャプションには、カメラマンあるいは出展者の意図が含まれる。これは普通のことだ。元「慰安婦」を撮影するという意思を持って中国に通い、被写体と信頼関係を作りながら、タイミングをはかって写真をとったと、説明には書かれていた。つまり撮影する際に、安氏は元「慰安婦」の現在を撮るという目的を持っていたわけで、そこに特定の意図が反映されるのは当然のことであろう。
もちろんこの写真展での展示内容に、違和感を覚える日本人がいてもいいだろう。しかしこうした取材モノの写真展はおそらくつねに、このような撮影者の意図を含んでいるわけだから、それぞれの判断で、この安氏の写真を読み解けばよい。
個人的には、中国の町でひっそり暮らす女性たちの姿を撮った写真としては、非常にリアリティのある写真だと感じた。しかしながら、この写真それ自体から、元「慰安婦」についての何かをすっと感じ取ることは、正直難しかった。
今日になって、ニコンの異議申立ては退けられた。案内板は出るようになっただろうか。
従軍慰安婦写真展:中止通告のニコン 異議認められず- 毎日jp(毎日新聞)
安世鴻 Ahn Sehong (ahnsehong) は Twitter を利用しています
photographer AHN SEHONG 写真家 安世鴻
Youtubeで検索すると、この写真展をめぐる動きやネットでの番組がいろいろ出てくる。
ニコニコ生放送「当事者に聞く」。6月25日の放送。
こちらは、Fotgazet通信。