少し前にアメリカ在住の友人からメールをもらった。僕がブログで紹介した「バブルへGo!」という映画を見て、彼女は泣いたという。
「バブルへGo!!」は涙するような映画ではないのだが、取り戻せない時間というのを実感させられるという意味では、たしかに「泣ける」映画だ。とくに、80年代の終わりから90年代初頭に就職した世代には、それぞれが現在おかれた立場にもよるのだろうが、なんともいえない、切なさを感じる作品になっている。
同じような意味で僕が最近ハマっているのが、森高千里だ。
美脚で知られた彼女のファンだった同世代は多いが、僕は彼女のファンだったことはない。カラオケで女性が歌っていたという記憶もなく、テレビや街角で聞いていただけなのだろうか。しかしく改めて聞いてみると、いろんな曲が、記憶に残っている。
特に、「渡良瀬橋」「雨」といった曲が、なぜだか今になって心に突き刺さるようで、ときどき夜になって一人でYoutubeで見ている。
追記:「私がオバさんになっても」は、「ほんとにオバさんになったら歌えない歌だよなあ」と当時思っていたわけだが、最近テレビに出てきた姿もYoutubeに残っていて、当時思っていたのとは逆の意味で、つまり、なんら「オバさん」化してなくて、この歌は歌えないだろうなと思った。
iTunesでみても、やはり「渡良瀬橋」が断然ダウンロードされているようだ。「あの頃を忘れられず生きて」いたり、神社で「あなたのこと祈」ったり、まるで40代にさしかかった当時のファンが、今になって聞き返すべくあらかじめ設定されていたかのような歌詞だ。
「床屋のそばの公衆電話」で受話器をとりかかるっていうのが、ここまで古めかしい響きになるとは、当時予想できなかっただろうけど。
「渡良瀬橋」は松浦亜弥バージョンもあり、「公衆電話」を歌うあややに違和感を感じつつも、なかなか良かった。
渡良瀬橋も八雲神社も地元の観光スポットでして、ちょうど渡良瀬橋が流行っていたころに、父親に渡良瀬橋周辺に連れて行かれたのを覚えています。
渡良瀬橋、いいですね。後ろ髪を引くほうの女心になぜかぐっと来てしまいます。学生時代に森高のCDを聞きまくっていた世代としては、彼女の歌を聴くと、当時の思い出がよみがえります、特に高校のころの思い出。。。実は野呂先生で検索し、こちらのブログにたどり着きました。私も弘前高校時代、先生から3年間英語を教わり、文集にも感謝の意を載せるほど影響させられた恩師でもありました。不覚にも訃報を知らず、このサイトで知り、ただただ驚いています。感謝の気持ちをどうにかして伝えたかったのにと、悔やまれてならない気持ちで今はいっぱいです。