弘前高校時代の無二の友人が、そのお父さんの謎の死に接したことを知った。
リンク: 蒔苗・弘前市議が急死 経営会社で7日に /青森 – 毎日jp(毎日新聞).
亡くなったお父さんについて、友はその経営手腕を誇ることはなかったし、青森の中ではきわめて特殊な進学校にあって、地元の企業の社長の息子であることを、とりたてて自慢するようなこともなかった。前途の明るさをなにも疑わなかった僕にとって、「岡本信人」と同級生であったという彼のお父さんのエピソードは、津軽人のわずかな経験をもとにした自慢話にしか、きこえなかった。
大学を卒業し、僕はヤクザな大学業界に出て、彼は役所の世界へ。それから15年が過ぎた。
僕と彼がどこに向かうのか、それはよくわからない。でも、彼のお父さんがやろうとしたことを、彼はきっとなんらかの形で、将来につないでいくだろう。僕はまた、青森から遠く離れた場所で、自分なりの立場で、郷土のための働きをすることになる。
蒔苗宏さんの死について、何か語っていいものかどうか、実はよくわからない。でも僕は友が接している苦境を思い、それを引き受けねばなるまい。
父のことについて触れて頂き、ありがとうございます。
そうでしたね「岡本信人」。今となっては懐かしい話です(笑)
あまりに突然のことでまだ気持ちの整理はついていませんし、僕も父のことをどう評したらいいのかわからないのが現実です。
ただ、僕にとって父は本当に誇りでした。
そのうちゆっくりお話ししましょう。
弘前で、待ってます。
正確には「友が接している苦境」を「引き受ける」ことはできないけど、共感はできると思う。それが限界だろうね。
「岡本信人」話になぜなったのか、思い出せないけれど、20年もたっているのにまっさきにその話が思い浮かぶというのも、不謹慎ですが、滑稽ですね。