今日は「Newslabおおつち」のイベントを見に行くため、地下鉄早稲田駅を利用した。新宿からのバスルートを忘れてしまい、ホテル近くの停留所に行ってみると、そこからは「練馬車庫行き」しかでていなかった。練馬車庫行きは山吹町あたりを通るのだが、若干遠いので、引き返して、都営新宿線で九段下に向かい、東西線で早稲田へ。
ちょっと遅れそうだなと思いつつ、ホームの真ん中を見たところで、一枚写真を撮った。

上京してすぐに暮らしたのは、落合のアパート。通学には自転車も使った(東西線の終電を逃してから歩くのは大変なので、夜中にダンキンやミスドで話し込む日には自転車を使った。ちなみどちらのドーナツ屋も、今はもうない)けれど、主な交通手段は東西線だった。東京に住んでいた頃は、就職してからも、時間は過去と「連続」していたので、薄汚れた東西線のホームに立ったところで、特に感慨はなかった。しかし、北海道、新潟と渡り歩くようになってからは、東西線のホームにたつと、かつての東西線の風景やその頃の気持ちにときどき引き戻されるようになった。
薄汚れたホームに、なんとも言えない不安感を煽られ、「こんな場所で生きていけるのだろうか」と思ったのは最初の一ヶ月ぐらいだっただろうか。そのうち東京での生活が「標準」となり、そのまま11年過ごした。東京を離れてみると、東京人がいかに自分の生活が当たり前と思い、東京以外の生活環境を理解していないか、いやなにより自分自身が、いつのまにかそのような「東京人」になっていたことに、驚かされた。したがって、思い出すのは受験生の頃の早稲田駅や、入学直後の早稲田駅の風景と、そのころの自分の気持ちだ。
リマインド効果をもたらす東西線だが、今日も九段下の柱は薄汚れていた。改札は自動改札になって、何年たったのだろう。カチカチというハサミの音が途切れなく鳴っている、地下鉄の音風景もまた、とても懐かしい。
カチカチという音がなる風景は見つからなかったが、80年台の地下鉄の映像を見つけた。
「こんな場所で生きていけるのだろうか」と思ってから、かなりの時間が過ぎた。大学に職を得た自分は、毎年、その頃の自分と同じように、期待と不安を抱く若い世代と接するようになった。今の現役学生の殆どは、薄汚れた柱を自分が見ていた時代には、まだ生まれていなかった人たちだ。でも期待と不安の気持ちはたぶん同じはずで、その現れ方が違うだけではないかと思う。彼らの気持ちに自分なりの立場でよりそいつつ、自分自身は、かつて抱いていた気持ちを思い出して、またチャレンジを続けていこう。
いろいろ調べていたら、葛西に地下鉄博物館というのがあるらしい。東京にいると見向きもしなかった気もするけれど、ちょっと行ってみたくなった。