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探究心の源泉

学生時代に勉強していたとはいえないけれど、好奇心や批判的精神は、稚拙ながらも持っていたように思う。
いつも「何か面白いことはないか?」という、かかとが上がった状態で、いつも過ごしていた。もちろん、「そんなの下らん」という理由をつけて、消極的になっていたことはあったと思うし、興味本位で無鉄砲に行動して失敗したこともあっただろうけど。
その「面白いこと」というのが、ITの分野で、しかもテクノロジーそれ自体の習得とは離れて、法律やビジネスの世界に転がっている。それを伝えるのが、この5年間の僕に課された仕事であった。
ときどき、この作業に関する「中間自己評価」を一人行うのだが、だいたい絶望的な気分になる。学生に探究心が生まれないのは、きっと以下のようないかんともしがたい事情によるのだろう。
1)日本語ができない
最近大学生の日本語力低下についての記事が出ていたが、全国平均と比較して稚内の学生がそれほどひどいとは思わない。しかし絶対的にひどいのはひどい。文章が書けないというのは、自分も人のことはいえないし、仕方がないかなあとは思うが、口語でも、正確に自分の言いたいことを伝える能力がない。なんとも気の毒だ。
そして日本語を操る能力が欠如している結果、テキストの読解力が低下し、友達と議論するときの言葉も正確さを欠き、結果として面白いはずのものを面白いと感じることができなくなってしまっている。
「インプット-アウトプット」の基本動作ができないのは、誰のせいなのか。誰のせいでもいいか。大学に来て、いまさらながら漢字の書き取りもいやだろうけど、そうでもしないと、面白いものが発見できない悲しい4年間が待っているのだから仕方がない。
2)外国語ができない
日本語ができないのに英語ができるはずもないのだけど、英語を使う意欲すら欠いている学生は多い。
中学英語すらあやふやになってしまっているせいなのか、それとも中高で打ちのめされたトラウマなのか。
自動翻訳がこれだけ普及し、和英対照文で読むことができる現代においても、日本語と英語のそれぞれの対応関係すら理解できなければ、ほとんどお手上げということになるのだろう。
そしてこうも窓を閉ざしてしまうことは、すでにして「情報弱者」なのだということに、多くの学生は気がついていない。
学生はネットワーク環境に慣れしたしんでおり、新しいことをやろうとするけれど、新しいことに取り組むということは、少なからず外国語に接する必要があるということだ。P2Pであれ、パブリシティ権であれ、結局は日本語の文献を読むだけでは解決不可能な部分が出てくる。外国で読む意欲を失ってしまっているということがどれだけの損失なのか、散々言っているつもりだけど、どうもやっぱり伝わらない。
3)情報摂取能力
上の二つとも少なからず関係するが、言語の運用能力が足りなければ、文字から得られる情報は少なくなる。
都会にはたくさんの情報がシャワーのようにあふれていて、秋葉原といわず、東京のあちこちを歩き回っているだけで、非言語の情報、短いフレーズでのコピーなど、たいした言語能力がなくとも受動的に情報が入ってくる。それはそれで、商業主義にだまされる危険も増すわけだが、とにかく能動的な行動を必要としない情報摂取活動が保障されている。
田舎ではそうはいかない。それなりの能動的な情報摂取を続ける意思と能力がなければ、たちまち感覚が鈍ってしまう。2)はおろか、1)すらもない学生たちは、情報摂取への意思を持つための能力すら欠いているものもいるのだ。
僕が学生指導のために与えられた時間はごくわずかであり、そこには「単位」という強制装置が働いているがゆえの意識の減退がある。とりあえず出席だけはしておこうという状態。日本語と英語の能力を高めること、新しい問題についてもの情報提供、ブレーンストーミング、これらに検定試験で意欲を持たせる取り組み、卒業研究を仕上げさせる取り組みを加えると、もはや時間外労働にも限界が見える。
大学の機能が破綻しそうなのは、こうやってどんどん敷居を下げていくことにあるのだろうと思うのだが。
「大学では、教師は学生を大人として扱う」ということを、前早稲田総長の奥島先生が言っていたのをよく覚えている。そういうスタンスで7年前にスタートした僕の大学教員生活は、すでに破綻しかかっているわけだ。敷居を下げつづけて、僕に与えられたミッションは、日々不明瞭なものになり続けている。
期待していた今年の4年生が、卒論で惨憺たる状況にあるのを見て、また「中間自己評価」をやってしまった。
「いつまでそこでレベルの低さと格闘してるつもり?」
とは書いていなかったが、NYからのメールには、明らかにそういうニュアンスが含まれていた。
彼が今学んでいること、アメリカで感じていることには、僕がこの場所にいては感じ取れないものが多数含まれており、しかも僕に必要な刺激が多数含まれている。そして、そこに回帰していくために使うべきエネルギーを確保することは、学生のために敷居を下げ、格闘する努力を縮減させることと、決して無関係ではない。しかも最終的には、自分自身の「意思と能力」の問題と、直面せざるを得ない。

音楽は国境を越える?

以前、指宿先生のブログで、Musicmatchというサービスを知り、それ以来愛用している。
今年の4年生が音楽配信について研究しているので、日本のサービスも含めて、音楽配信の事情についてちらちらと見ているのだが、国ごとに区切られたサービスの障壁は、非常に厚い。
日本では、レーベルゲートの音楽ダウンロードが、Windows Media Playerの中にも取り込まれたが、全曲視聴はもちろんできないし、ジュークボックス機能(ランダムな「ラジオ」放送」)もない。一方Musicmatchでは、ランダムな「ラジオ」機能は日本でも利用可能だが、Ondemand型の自分用にアレンジしたジュークボックス作りやCD購入ですら、日本では利用できない。今日、韓国のm.netものぞいてみたが、これもまた韓国国内でしか利用できないようだ。
ソフトパワーの重要性とか、コンテンツ振興とか、日本でもずいぶんいわれるようになってきたけれども、互いの他国からの利用をこうも制限していては、伝わるものも伝わらない。
ちなみに、ミーハーな僕は、Musicmatchではずっと「Top Hits」ばかりを聞いていたのだが、「Worldbeat」にしてみたら、フランス発のアルジェリアンポップとか、自分ではなかなか気がつかないところで、気に入った曲がずいぶんでてきた。
昨日学生とレッシグの「Code」を読んでいたら、MP3やP2Pの音楽ファイルの交換は、従来の「ヘビーローテーション」による「作られた流行」に対するアンチテーゼを提供したというところに、著作権侵害訴訟の回避以上の意義があった、というくだりがあった。たしかにイノベーションだな。SNSのノイズ型の情報交換(そんなに興味を共有しているわけではないけど、友達の趣味でそれとなく推薦がある)も案外重要だと思うけど。

台頭する「冬ソナ」系韓国ファンと歌舞伎町の変容

95年に大学院入学時、韓国から留学してきた友人に連れて行かれた歌舞伎町のコリアタウンは、当時自分が歌舞伎町の奥座敷など知るはずもない貧乏学生だったということを差し引いたとしても、今とは比べ物にならないほど近寄りがたい独特の雰囲気が漂っていた。日本語のメニューなど用意されていない店も多かったし、連れて行かれた店も、たいてい一見さんが入れないようなスナックタイプの店舗だった。
2002年ワールドカップで韓国が日本を上回る成績でベスト4に進出したころ、すでに自国チームが敗退した日本人は、歌舞伎町で韓国人たちと韓国の応援をした。ワールドカップと前後して、韓国人街の店には、明確に日本人もターゲットにしたような店が増えた。以前の雑な価格設定の店は次第に姿を消し、少しずつ日本人OLグループにも利用しやすくなっていった。
今回の東京滞在は、ずっと歌舞伎町を拠点にし、久々に昼間のコリアタウンを歩いてみて驚いた。明らかに今までとは違う客層、つまり「冬ソナ」系と思しき40代以上の主婦層が、昼間のコリアタウンで韓国料理を食べている。昼間はあまり客のいない界隈で、ぽつぽつと入っているグループの大半が、日本人女性グループになった。肖像権・パブリシティ権にはまったく配慮されていない、ヨン様グッズが街にあふれ、食堂はもちろん、今までまったく日本人を相手にしていなかった韓国人向けの美容室も、店先に「韓流」グッズコーナーを設けている。
日本人の韓国に対するイメージは大幅に改善された。内閣府が行っている外交に関する世論調査でも、ここ数年で韓国の好感度はぐぐっと上がっている。ミーハーの力は、戦後50年、変わることがなかった日韓関係に、大きな改善をもたらした。もちろん、ミーハーの力が爆発するための素地ができてきていたということもあるけれども。
石原東京都知事の陣頭指揮により、不法残留外国人の歌舞伎町での一斉摘発が進んでいる、という。しかし実際問題なのは不法残留を行う外国人というよりも、「専門性のある外国人」だけを入国させるという、いまの入国政策にあるように思えて仕方がない。

稚内北星、秋葉原移転の意義

東京のG大学の学生から、稚内北星の「秋葉原クロスフィールド」進出について、大学宛に質問が来た。
秋葉原の街づくり戦略について、ゼミで研究しているようだ。
誰も答えてないようなので、授業の準備をさぼって、答えておいた。
以下その回答。

稚内北星学園大学の教員をしております、一戸と申します。
以下の件、もしまだ本学からの回答がないようであれば、私のほうから回答させていただきます。この件については、学長の丸山不二夫がもっとも熟知しておりますが、なにぶん学長という立場上非常に多忙でありまして、ご質問への回答を書く余裕はおそらくないだろうと思います。とりあえず可能な範囲で私のほうからお答えしましょう。
> 私今ゼミで、秋葉原の街づくり戦略(ITビジネス等)について研究しています。
> 調べていく上で、稚内北星大学が秋葉原に進出することを知り、
> 詳しくお話を聞かせていただけないかと思いメールいたしました。
まず前提として、秋葉原の街づくり戦略そのものについて、本学が深くかかわっているわけではありません。したがいまして、ご期待に沿える回答になるかどうかはあまり確信がないです。あくまでこの計画に参加するものとしての考えです。
> 具体的な質問内容として、
> ・「秋葉原クロスフィールド」 計画への参加要請を受けた理由とはなにか。
秋葉原におけるIT産業の集積をすすめるにあたって、その一部として本学の取り組みがふさわしいと評価されたものと考えています。従来から稚内を拠点に地道につみあげてきた、Java,Unix,ネットワークを中核とする本学のIT教育が、今春開校した東京のサテライト校でも高い評価となって現れ、さらにそれが「秋葉原クロスフィールド」への参加要請につながったものと考えています。
本当の参加「要請」の理由は、要請する側に別途あるのかもしれませんが、要請された側の推測では、以上のようになります。
> ・秋葉原に進出することによるメリット、デメリットはなんだと思うか。
当方のサテライト校は現在、市ヶ谷にあります。本拠地を東京においていない本学が、東京でプレゼンスを高めるために「秋葉原クロスフィールド」のような知名度の高い取組に加わることは、非常に大きな意味を持つだろうと考えました。
つまり、東京の中で「IT産業集積地」となる場所に拠点を置くことにメリットがあると考えましたわけで、その意味では「秋葉原」というのが必須条件だったというわけではありません。
では秋葉原が今後「IT産業集積地」となるのかどうか、その点は期待を持ってはいますけれども、絶対的な確信があるというわけではありません。90年代終わりに渋谷に「ビットバレー」というある種のムーブメントがあったのをご存知かと思いますが、それと比較してどうかということになれば、立地条件で有利な面、不利な面、いろいろあるでしょう。
本学は、東京サテライト校を単なる連絡オフィスとしてではなく、主として社会人を対象とした教育活動を行う拠点として、設置しております。したがって通ってくる学生の利便性という意味では、市ヶ谷と秋葉原を比較して、今回の「進出」がメリットとなるのかデメリットとなるのかという問題はあります。単純に考えれば、東京の西側からのアクセスという点では、市ヶ谷に若干の分がありましょう。一方東京の東側、あるいは千葉やつくば方面からのアクセスは、秋葉原のほうがいいわけで、必ずしもこの点がデメリットになるとも考えていません。
街のイメージとしては、いまそんなに秋葉原がよいイメージをもたれていると私個人は思っていませんが、明らかにある種の「ブランド」ではあると思います。ただ六本木ヒルズが六本木のイメージを大きく変えたように、このプロジェクト
が「秋葉原」のイメージを変える可能性はあると思います。六本木ヒルズと同様の高い集客効果を持つわけではないでしょうが、またそれとは違う形で(電気街を進化させた形で)「IT産業集積地」に育てていければいいのではないでしょうか。
> ・「大学連携パーク」、「産官学連携パーク」とはどのようなものなのか、
>   具体的にはなにをするのか。
この点は参加する我々の側にも、必ずしも全体像が見えているわけではありません。全体として「何をするのか」は、全体のオーガナイザーに問うていただくよりほかないと思います。
ただ一点だけいえることは、本学の取組が、他大学や企業から正当に評価される素地にはなるだろうと思います。
これまで本学が取り組んできた教育研究活動については、古くからある大学のほとんどが実現できなかった新しいITを大学教育に積極的に取り入れるものとして、稚内という首都東京から遠く離れた場所にありながら、IT業界や他大学から高い評価を得てきました。この点は、本学が企業と協力して行ってきた、東京での各種セミナーの講師陣とその内容のレベル、さらに毎年夏に行っているサマースクールに参加する層(先端的IT技術教育を必要とする社会人やいわゆる有名大学の学生、院生)やそこで展開される教育のレベルついて、本学ウェブサイトで確認していただければ、おわかりいただけるものと考えています。
遠くにいても良きパートナーがいると思ってもらえるならば、訪ねてくる人はいたわけですが、隣にいたらもっと頻繁に訪ねてきてもらえるわけですし、深く知ってもらえるきっかけにもなります。したがって、さまざまな企業との連携や大学間連携の可能性には、実は大きな期待を抱いています。
おそらくは、単純なオフィス街ではなく、人と人、団体と団体をつなげる仕掛けが必要でしょうね。IT業界はまだまだ成熟しきってはいませんから、大企業中心の旧来型の企業間連携とは違って、人と人のつながりが大きな意味を持つはずです。私の知っている限りでも、非常にフットワークの軽い人たちが多いですから、会ってすぐに動き必要に応じてまたすぐに会えるという環境が整えば、大きなシナジー効果を生むと考えています。
> ・どのような生徒を狙っているのか。
3年次に編入する制度ですので、「生徒」=高校生は対象ではありません。
当初の想定では、通常の業務の中で新しいITの必要性を感じている、IT業界の社会人をターゲットとして考えました。この層に対する本学の訴求力については、すでにサマースクールや東京でのセミナーによって、ある程度の確信を持っていました。技術が急速に進歩する中にあっても、陳腐化した技術を用いたシステム開発や保守運用といった業務がすぐに消え去るわけではなく、実はそのタイムラグが、働く人たちへのしわよせとなって現れます。つまり、日常業務におわれる中で、気がついてみたら自分が働く中で培った技術は社会の中で陳腐化し、自らの労働市場における価値が低下してしまっていた、ということが起こるわけです。「使い捨て」ですね。これに対して、大学として真摯に向き合っていこうというのが、基本的な考え方でした。予想通り、「wakhokの教育を東京で受けられる」として、大きな反響がありました。
ITという、情報といい、多くの大学が学部を設置しています。しかし、実はこうした基本的な需要にこたえる技術教育は、大学ではすっぽり抜け落ちていることが多いです。これには、高校や受験界の文系・理系のような旧来型の仕切り方も影響していると思います。高校の情報教育もあまりうまくいっていませんので、相変わらず「雰囲気」だけでよく考えずに「情報系」学部に進む学生が多いのでしょう。したがって、現役学生の層、すなわち、短大、高専、専門学校、大学を卒業したての人たちについては、編入学の資格を満たすものの、「社会でどのような技術が必要とされているか」をご存じないので、あまり大きな反響はないだろうと考えていました。ところがそうではありませんでした。
○○さんの先輩の中にも、SEとしてIT業界に就職して、ほとんど一から技術を学んでいるという方がきっといらっしゃると思います。大学は「情報」や「IT」を掲げていてもほとんどなにもしていないところが多いですし、企業側もそれに
対応する形で、手厚い研修制度をおいて「入社後」の教育に力を入れてきました。つまり大学卒の「即戦力」というのは、ほとんど期待されていなかったわけです。ところが昨今は、中国やインドでの「オフショア開発」が流行してくるなど、「日本のIT開発でも、これを担う人材は必ずしも日本人でなくてよい」という時代が訪れつつあります。研修コストもその後の人件費も高い日本人の新卒が、IT業界でそんなに重宝される時代ではありません。
こういった背景もあるのでしょう。本学への3年次編入を希望する若い層は、増えてきています。本学としては、こうした背景を踏まえて、高い意識をもって学ぶ学生ならば、社会での経験が必ずしも十分ではなくとも、積極的に受け入れていこうと思っていますし、それがすなわち日本のIT産業の底上げになるものと考えています。
以上、基本的に私個人の考えを書いたつもりですが、本学全体の意思としてもそんなに外れてはいないと思います。さらにご質問がございましたら、どうぞご遠慮なく。良い研究成果が出ますことをお祈りいたします。

成都の風景8

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回転寿司式火鍋。自由に具材を取って鍋に入れる。
鍋は紅白二つのスープに仕切られている。
赤いほうは唐辛子がたっぷり入っていて、むせるほど辛かった。
二色の火鍋はあちこちでトライしたが、赤いスープの辛さはさすが本場四川、であった。
たぶん成都で一番新しいおしゃれな店の一つなのだと思うが、学長と私の評価としては、「普通の四川料理のほうがいい」。二人とも基本的に辛さには強く、普通の日本人なら投げ出しそうな本場四川の猛烈な辛さにも平然としていたし、今回は冷静に複数の店の味を比較することもできた。
ちなみにそのとき店では、オリンピックのバレーボール女子「日本-中国」をテレビで放映していたが、その場にいた日本人の立場が危うくなるというようなことはなかった。バレーとサッカーではぜんぜん違うようだ。

Koyote

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GREEのグループはいつまでたっても二人のまま。
「ヨン様」ブームもこちらにはあまり波及効果がないようだ。
というわけで、少しずつ韓国のみならずアジア音楽の紹介もしていこう。
ちなみに、アジアのCDや洋書は、GREEのおすすめには掲載できない。アマゾンのデータベースに入っていないようだ。
最近再度のマイブームが訪れたKoyoteは、一戸ゼミ生で僕の車に乗ったことがある人なら、「歌手名は知らないけど曲は知っている」というアーティストだ。一戸車からときどき爆音が出ているアレです。非常に韓国的な古典的なメロディを時折取り込んだダンスミュージック。男女混声ユニットで、メインボーカルのシンジ(女性)の伸びやかなボーカルが印象的。ソウルの街角や歌舞伎町で耳にしたことがある人も多いだろう。
興味をもたれた方は、公式サイトまで。韓国語がわからなくとも、「Video Clip」のリンクを上から適当にクリックすれば曲が出てきます。
また日本語での詳しい情報は、Turbo Clubにて。丹念な日本語訳にはいつもながら頭が下がる。

規制緩和

カテゴリに迷うが、「学問」というほどのものではないかな。
「約束のトラックバック」になるかどうかわからないけど。
いろいろ世の中について考えはじめた人(たち)へ。
卒業していった皆さんがどうしても読んでくれなかった、レッシグ先生の「コモンズ」を今ゼミで読んでます。昨日読んだところに、リソースのコントロール方法についての記述がありました。リソースのコントロールの方法には、法や規範、市場、技術という種類があると述べられているいうことはおさえておこう、卒業生諸君。彼の議論は、非競合的なリソース(誰かとわけあっても減らないっていうこと)である知的財産の保護方法として、法が適切な機能を果たしているのかにここから向けられていくのだけど、ちょっとそれは置いておきます。ここで取り出したいのは、市場が世の中をコントロールするという考え方について。この本では、「前提」になる部分です。
「何でもかんでも国が勝手に決め付けすぎ」ということについて、考え始めたようですね。そうやってまずいろいろ考えてみることが大事です。
大まかには、そういうことを「規制緩和」というテーマで、世間では議論してます。
一般市民、一般企業の商売を国が邪魔すべきではない、というのは、まず原則として今の社会の基本原則です。憲法上も、営業の自由が保障されています。これは市場(しじょう)がバランスを取ってくれるという考え方に基づいています。つまり。高過ぎるものは売れないし安いものは売れる。売れたらちょっと値段上げてもいいかなと売るほうは考える。また、値段だけじゃなくて、品質のいいものは売れるし、悪いものは売れない。そうやって、世の中というのは、競争を促すことによってだいたいバランスがとれるもんだという考え方が、基本にあるわけです。この基本を貫くならば、人の商売に政府が口出しするのはけしからん話なのです。問題はその先。
でも「いいもの」ってなにかわかりますか?世の中、自分の商品やサービスを売りつけるために、いろんなうそをつく人もいるわけです。それを見抜くことは、我々消費者にできますか?たとえば電気屋さんに行って、店員のパソコンについての適当な説明をきいたときに、「ああこういう適当なトークにだまされて買う人もいるんだなあ」と思うことはありませんか?あるいは自分もよくわからないで口車に乗せられたりする人もいるかもしれません。肉の産地が偽装されていたり、BSE感染していたり。これは普通見抜けないよね。
それから、それを売り買いすることが社会的に望ましくないものもあるでしょう。麻薬とか銃とか。これも「いいものは売れるし、悪いものは売れない」という仕組みでは、排除できません。
それとここから先はもう少し複雑ですが。たとえば、先日市内のある本屋が突然閉店しました。どうやら新しく進出してきたビデオ店に併設された書店に、だいぶ客を取られていたようです。それが「競争」だといえばそれまでです。でも、そうやって地元の店が駆逐された後に、やっぱりここじゃ商売にならないからやめるわ、といって、外から進出してきた店も撤退してしまったらどうなるでしょう?どっちも人の商売だからほうっておいていいのだろうか。
どれについても答えをここで書くつもりはありません。でも、国が何も決めなかったらそれはそれで困りそうですよね。今のこの国のムードとしては「国がなんでも規制しすぎる」という雰囲気があります。おおむね僕もそれには賛成です。ただできれば、これをきっかけに、上にあるような問題について、もう少し考えてみてくれるとうれしいですね。
ああなるほどと思った人、もし日本国憲法のテキストを捨ててしまっていなければ、経済的自由に関する記述のところをもう一度眺めてみて。「あー、あいつの講義では何のことやらさっぱりだったけど、そういうことか」と少しは理解してもらえるような気がします。
大学って、「振り返ればそういうことも勉強したかも」っていうことが多いと思います。