敬和学園大学新発田学研究センター主催の文学賞、「阿賀北ロマン賞」の募集要項が発表された。
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リンク: 阿賀北ロマン賞.
個人的には、「携帯小説」なども可としてできる限り表現媒体を解放し、「地域」のコンテキストから少し距離を置いた、斬新な作品が出てきても面白いと思っている。しかしそれをやるとつまり、「阿賀北地域を県内と県外にアピールする」というような、本来の趣旨からずれていくということであろう。
偶然にも、8月10日の文化系トークラジオLifeが「地方を考える」をテーマにするという。チャーリーこと鈴木謙介さんの予告文では、こんなことが言われている。
次回8月10日「地方を考える」予告編 (文化系トークラジオ Life)
その一方で、サブカルチャーの分野では、東京に出てくることなく、地元で音楽活動を続けながら全国的なヒットを出すアーティストや、ケータイ小説のよう
に、固有の地域名を欠いた風景描写が広く受け入れられるといった現象が見られます。もしかすると「東京は文化的に進んでいる」「地方は数年遅れで東京の後
追いをする」という前提から疑ってかからないといけない時代になっているのかもしれません。予告編でも喋りましたが、ABC(青山ブックセンター)的な
「輝ける東京文化」はCCC(カルチャー・コンビニエンス・クラブ)のような「地元に密着した消費文化」に飲み込まれていくのかも、なんて思います。
「固有の地域名を欠いた風景描写が広く受け入れられるといった現象」が見逃せない。これはひょっとすると、東京が情報の発信地としての地位を失っただけでなく、ハブとなるような場所は、物理的にもうどこにも存在しなくなったということなのかもしれない。つまりその場合には、東京も大阪も新潟も関係ないし、下越も阿賀北だって、生まれ育って、住んでいる場所としての意味づけしか持たない。もちろんこれは極端に書いているのではあるのだが、実際新発田の学生たちはイオン(しばじゃす)に集うのであり、それは全国共通の風景だ。地域特性といっても、どんな店に行くのか(どんなチェーンが近所にあるのか)、ぐらいの違いでしかない。果たして今の僕たちに、ここでなければならないもの、って、何なのだろう。
それに対してあえて「地域しばり」の文学賞を設けて、どんな切り口が出てくるか見てみようというのが、阿賀北ロマン賞の趣旨、ということになるだろうか。締切は11月14日。まだ時間はある。阿賀北にいる人はもちろん、阿賀北を離れて久しい人からも、たくさんの応募があることを期待したい。