昨日、MiAUシンポジウムにいってきた。会場にいた誰よりも早く、ustreamで見ていたという日本違法サイト協会から、まとめのエントリーがアップされている。また、ITmediaの岡田有花さんのレポートも出ている。
- 緊急シンポジウム「ダウンロード違法化の是非を問う」の様子 – 日本違法サイト協会 ブログ.
- 「『ダウンロード違法化』阻止、まだチャンスある」――MIAUがシンポジウム (1/2) – ITmedia News
というわけで、まとめはもういいだろうということで、雑駁な感想を書いてみる。
昨日の集会は、はっきり党派性を帯びた集まりになっていたので、反対意見の出る余地はなかった。稚内時代に、同僚の誘いもあって、あるリベラル系の「反対集会」を聞きにいったのだけど、そのときの雰囲気を思い出した。最後にこぶしをふりあげて、○○集会の「宣言」っていうのをみんなでまとめるという段取りがあらかじめ決まっていて、当時かなりの違和感を感じた。MiAUのシンポで「こぶしをふりあげてシュプレヒコール」というのはさすがにはなかったけれども、しかしベクトルの決まった人たちで集まって話をしたけれど、「確認」以上のメリットはなかったような気はする。実際、昨日のパネリストは、ほとんどがブログなどで意見を表明していたので、それらを読んでいる人にとっては、(斉藤先生のプレゼンを除くと)あまり新しい発見はなかった。
もちろん、集まって「確認」することは大事なのだが、その意味で行くとあの集まり具合をどう評価するかという問題もある。「このはさっし : ダウンロード違法化に対するMIAUの緊急シンポジウムに行ってきた。」では、若い20代ほとんどいなかったと絶望が表明されている。僕は20代がもっといたように見えたけれども、錯覚だろうか。でもShort Noticeだったことを差し引いても、もう少し集まってもよかったんじゃないの?という気はたしかにする。
小倉先生や津田さんの議論は、ダウンローダーとアップローダーを峻別し、すでに違法化されている「アップローダーをたたけばいいじゃないか」という理屈の立て方になっている。しかしそれがかえって、「違法なコンテンツをダウンロードすることを正当化する」ように響いてしまっているような気がしてきた。昨日の議論では、池田先生の主張は明らかに、アップロードも含めたネット上の情報共有それ自体の社会的メリットを語っていたし、斉藤先生もダウンロードの問題だけに立論の基礎を置いていないように感じた。
アップロードといっても、デッドコピーのアップロード、改変を加えた二次的著作物のアップロード等々(フィードによる強制全文配信の問題も含まれるだろう)、いろいろなケースがあり、権利者から非難される度合いも異なるだろう。現行のアップローダに対する公衆送信権の行使を完全に否定するべきとも思わないが、もう少し権利者のコントロールの度合いを緩められるようにしたほうがいいのは確かだ。
しかし、どのような情報共有を社会的に許容し、「リミックス」による文化の発展を肯定するのか、もう一度考え直したほうがいい。ダウンロードだけに問題を限定して語っていると、世論の支持を得るのはかえって難しいだろう。今の政治情勢からすると、法案が国会で動き出すには少し時間がありそうだし、その間にユーザの立場から、問題を考え直したいところだ。