1982年の反戦広告


天野祐吉さんのブログから。「広告批評」1982年6月号に掲載されたものだそう。

 

とにかく死ぬのヤだもんね:天野祐吉のあんころじい:So-netブログ

それにしても、こういう広告をつくるのはむずかしい。これにくらべたら、戦争を進める広告をつくるのは簡単です。恐怖心や敵愾心を煽ればいいんですから。「戦争を売るのはやさしいが、平和を売るのはむずかしい」と、亡くなった哲学者の久野収さんも、よく言っていました。

このコピーは、糸井重里さんが作ったもの。糸井さんがこの時つくったもう一つのコピーが、「とにかく死ぬのヤだもんね」。「まず、総理から前線へ。」に比べるとややパンチにかけるが、「お前が先に死ね」というどぎついいメッセージよりも、かなりマイルドな表現になっていて、それでいて説得力がある。

これに対するエピソードがまた面白い。

もっとも、人はそれぞれで、当時このコピーを見た社会党のある人は、こう言いました。
「面白いけど、“とにかく”というのにひっかかりますね。これだと、病気で死ぬのも交通事故で死ぬのも含まれちゃう。やっぱり、“戦争で死ぬのはいやだ”と、はっきり限定すべきでしょう」
人はそれぞれとは言え、これには驚きましたね。とかく政治家には、頭がいいのに、表現というものがわからない人が多い。このコピーのいいところは、「とにかく」という一語にあるんですね。「病気や交通事故で死ぬのはいいけど、戦争で死ぬのはいやだ」なんて、フツーの人は死因を分けてなんか考えない。分けて考えるのはリクツってもんでしょう。とにかく、死ぬのはヤなんです。当然、「戦争」で死ぬのもその中に含まれる。それでいいじゃないですか。だいたい、反戦で頭がいっぱいになっている人には、こういう広告は必要ない。こういう広告を見てほしいのは、フツーの人たちなんですから。

国際関係の変化の中で、やや劣勢に立たされつつある日本人は、国内の様々な意思決定において、「いやなものはいやだ」という論理を、突き通しにくい環境に置かれつつある。今回の選挙でのリベラル勢力の「敗北」は、この言い方が通じなくなってきているという風にも、読み取ることができそうだ。その意味で言うと、今の状況下では、また別のメッセージが必要なような気もするが、ともあれ、「とにかく」を取ったら意味が無いというのは全くその通りだと思う。

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