6月28日に湯川鶴章さんが上智で講演するというので、その告知が出ているのだが、湯川さんの前書きがなかなか面白い。
リンク: 湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: 6/28(土)上智大で講演します.
最近学生さんたちと話す機会があるたびに思うのは、びっくりするくらい世の中のことを知らないということ。就職活動には非常に熱心なのはいいのだが、その前提となるべき情報をあまりにも持っていない。
これから工業化社会から情報化社会へ移行するのだということも、はっきりと理解していないのではないだろうか。せっかくこれまで一生懸命勉強してきた真面目な学生でも、何も考えずに斜陽産業の有名企業に就職を希望したりしている。
イベント告知は以下のリンクから。
リンク: LabIT 公開セミナー情報.
大学生は危なっかしいので「無菌室」においとけっていう話もあり、僕のようなそそっかしい教員は、いろいろ学生をたきつけた結果、彼らがmixiやらブログやらで変なことをやらかさないか、ひやひやしている(実際には、やらかすほどの「発信力」を彼らは発揮してくれない)。
大学生といったって、文章能力やら考えていることやら、人それぞれだ。平成生まれの学生のブログだって、僕なんかよりもよっぽどすばらしい文章を書いているものもある。その能力の格差は、「お砂場」にいたままでは、永遠に解消されることはない。
就職活動をしていた頃の自分が、はたして分別のある学生だったのか、あまり自信はない。でも、今自分が有しているのと同じ情報環境と情報収集能力を与えられていたならば、当時よりも分別のある行動を取れたのではないかという気はしている。たぶん大人たちが思うほど、多くの学生たちは「環境」をいかしきれていない。
総じて大学というのは、大学の中とか、あるいは大学の外に出ても学生同士とか、なんらかの同世代空間の中に彼らを閉じ込めて、その空間の中ではある程度の自由を与えている(この自由も昨今徐々に侵食されてきているが)。だからといって、「工業化社会から情報化社会」への移行を学生が認識できないということにはならないが、従来型の同世代空間にとどまっている学生たちは、社会変動を「耳学問」以上のリアリティで感じ取ることができないのではないのではないかと感じることはある。ネット空間の急速な変化というのも、中にいない人にはちっとも理解できないものであり、「砂場」や「携帯の中」に閉じ込められていた学生たちも、実は案外取り残されているのかもしれない。
にもかかわらず、大学の中にいる大人は、結構な割合で取り残されていて、事態の変化を理解している人がほんとうに少ない。