今朝母から、野呂馨先生が亡くなったという連絡があった。71歳。
伝聞なので少し慎重に書こうと思ったが、弘前高校で高3のときに担任だった野呂先生のことで間違いなかろう。板柳高校の校長を最後に退職されたという。
穏やかでいい先生だった。センター受験から早々にドロップアウトした僕らのことも、暖かく見守ってくれた。ホームルームの時間、受験のことで悩む生徒たちに向かって、慎重な言い回しながら、「親には苦労をかけるものだと思う」と断言されたのを、なぜかよく覚えている。
数年前に同窓会でお会いしたのが最後になった。弟の死の教訓は、会える人には会っておいたほうがいいというものなのだが、結局今回も、「反省するだけ」になってしまった。
# 同期のmixiコミュにも、nonveyから情報提供がされていた。
大変お世話になりました。
ご冥福をお祈りいたします。
# 追記:
野呂先生は大学時代から歌をやられていて、英語の先生なんだけど、よく教室で美声を披露されていた。弘前高校の校歌の冒頭、「あおぐもたかく つがるのあけて」のところを、「あおぐぅー」と「ぐぅー」を力強く歌われるのが特徴で、みんなよく真似していた。
哀悼の意。ありがとうございます。
故人馨の長男の是といいます。
本日、何の気なしにgoogleで父の名前を入れてみたら一戸さんの記事がトップに表示され驚いている所です。
父は教職にあった頃より糖尿病を患っていて、慢性腎不全になり透析を続けて来ました。
しかし徐々に体力が衰えていった所に、腹膜炎を患い、医師や看護士の懸命の治療の甲斐もなく力尽き、去る6月21日午前1時7分、永眠するに至りました。
長い間、病と闘いながらも、多くの皆様との暖かい交わりを頂いて、精一杯生きた71年だったと思います。
優しく、やりたいことがたくさんあった人でした。もう少し生きていてほしいと願っていましたがかなわず、今はただ父への感謝の気持ちで一杯です。
当日は病院からの連絡が上手くいかず、私の方に連絡が
来た時には既に死去した後となり、死に目に会えなかったのが母も私も心残りとなっています…。
会える時には会っておくべきですよね…。
今は三七日・忌明けも過ぎ、墓地を決めるなどして、ようやく落ち着いてきている所です。ついこの間までは病院に行けば父に会えそうな感じがしていましたが、そろそろやっと父の死を認められそうな感じです。
一戸さんもお体には気をつけてください。
乱筆、乱文、お許し下さい。
あらためてお悔やみ申し上げます。葬儀にうかがうこともできず、申し訳ございません。
私も検索してみました。東奥日報にこんな風に出たのは、ご本人にはなにより名誉なことだったかもしれないですね。
>60-80年代に県内外で活動し75年度県芸術文化奨励賞に輝いた、男声四重唱団「ブルービーバーズ」のリードテナーとしても活躍した。
死後人がどこに行くのか。私もGWに弟を亡くしたので、よくこのことを考えるのですが。故人を覚えている人の中に、故人を生かし続けられるかどうか。この世でできること・確認できることは、それに尽きるように思います。ご子息、奥様、ご家族の中には、もちろん先生は生き続けることと思いますが、それとはまた別の形で、僕たち歴代の教え子たちの中にも、先生は生きつづけます。教わったことは、継承されます。