時間の流れ


弟直哉のブログが最後に更新されてから、すでに一ヶ月が過ぎた。しかしいまだに実感はわかない。もともと離れて暮らしていたし、意識不明になってから病院に行った僕は、臨終の会話に相当するものも、なんら交わしていない。病院と葬儀までの出来事を思い出して、それが現実だということを、自分にいいきかせるより方法がない。子供の頃、くも膜下出血で急逝した祖父の「最後の言葉」はなんだったのか、家族で話題になったことがある。祖父は「頭が痛い」(の津軽弁)と言って、倒れ、そのまま病院で亡くなったという。「頭が痛い」が最後の言葉なのか、と僕はそれがすごく切なかったし、そのことを弟とも話したような気がする。

今回弟の最後の言葉がなんだったのか、僕は聞いていないが、たぶん「頭が痛い」か、別のたわいもない一言だったんじゃないかと思う。その一言を聞いていれば、それはそれで切ない気持ちになっていると思うが、事実をもう少し受け入れやすくなっていたかもしれない。

たぶん2004年に父の版画展.があったころだと思う。父の版画が老後の小遣い稼ぎぐらいになるよう、ネットで販売する方法を考えようという話をしていたことがある。父の作品は超ローカルな、中高年の津軽人のノスタルジーに訴えようという作品なので、東奥日報の広告欄を使うとか、僕は当時色々考えてみていた。弟もその可能性を否定しなかったが、一方で父自身がキャッチアップできないだろうという見通しを示した。「お父さんは、今の時代の時間の流れについていくつもりがないと思うよ。」と彼は言った。

そういいながら彼は、父にHPの写真専用プリンタをプレゼントしていた。実際父は今も、写真専用プリンタに、デジカメのデータが入ったSDカードを差し込んで、そのまま印刷している。父が「時代の流れ」についていくつもりがあるのかどうか、まだよくわからないが、それほど見通しは外れていなかったかもしれない。

彼がIT業界で感じていた、「時間の流れ」は、たしかに早いものだった。僕のはてなブックマークでも、彼が入院してからだけで200件以上ある。そのうち一週間以上が、病院と葬式で費やされているので、約20日でこの数字だ。彼がこの世で見ることの無かった新しいサービスも、いろいろ出てきている(当初Twitterを見ることなく、彼はこの世を去ったと思っていたが、ちゃんと4月中旬まで彼はTwitterを使っていた。でもたとえば、AboutmeやWired Visionについては知らないわけだ)。彼はその真っ只中にいて、10年間格闘しつづけた。

速い「時間の流れ」から抜け出した弟は、いきなり永遠に止まった時間に旅立った。誰しもいつかはそうなるのだ。でも、彼の止まってしまった「過去」をつづる一方で、今の時代の「時間の流れ」で、さまざまな事象について同時平行でブログを書いていると、彼が今そのギャップに戸惑っているのではないかとか、この先の時代に向けた次の挑戦ができなかったことや、時代に取り残されていってしまうことを、無念に思っているのではないかとか、いろいろ考えてしまう。

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