「不安の種子」の連鎖:山の湯旅館の生卵


上の妹も、mixiの外に出て、Blogに書くことにしたそうだ。

リンク: 手先口先 : しょっぱなからこんなん。.

次兄の肉体は無くなってしまったが、彼の人格や言行は人々の記憶に残っており、今も彼らに影響を与えることができる。そのことが、私の心を慰めてくれる。不安の種子の発芽と闘う人生だったとしても、彼は幸せな、意義ある暮らしの中に生きていたんだと思わせてくれる。

私の悲しみは、誰よりそのことを伝えてあげたい次兄と、この世では語り合えないということだ。

一戸家の運営形態は、もう一度やり直しても、「この世では語り合えない」ものをたくさん残すような気がする。それは今とても悲しいことであり、そうならないよう、これから家族のコミュニケーションはより密になるのかもしれないが、でもやはり、「悲しいこと」は今後も残ることだろう。どこの家でもそんなもんなんじゃないかっていう気もする。

妹は「不安の種子」という言葉をよく使う。その意味が僕にはまだよく分からないけれども、なんとなく思い出したのは、生卵割り連続失敗事件。これも
母方の祖母の葬式のときのことだ。1984年長野県飯山市。母の兄弟姉妹は合わせて6人、それぞれ子供も多かったので、祖父母の家に孫たち10数名を全員収容する
ことができず、ほとんどが近くの山の湯旅館というところに、親戚の叔父の引率のもと、宿泊した。一戸家からも僕と弟直哉と上の妹、3人がこの「合宿」に参加し
た。このとき僕が13歳、弟直哉が9歳、上の妹が5歳(下の妹はまだ生まれていない)。一戸家はそもそも一番遠くからの参加で、親戚の間でも比較的おとな
しいので、なにかと気後れしがちだった。引率の叔父も、母の長姉のご主人なので、年齢的にも結構上だし、そんなによく会う間柄でもなかった。

山の湯旅館は、温泉があるのだろうか、朝は温泉風に、全員が大広間に集まって、お膳に載せられた朝食が用意された。そしてお膳には、一人一つずつ、
生卵が入っていた。我が家では生卵はごく普通に食べられていたので、子供たちにとってとくに抵抗は無かったが、一人一つずつの生卵を割り振られ、自分で
割って食べるという習慣がなかった。したがって、葬式前の神妙かつあわただしい雰囲気を感じ取りながら、不安を胸に一人一人が自ら、生卵に手をつけた。し
かし案の定、まず、妹が生卵割りに失敗、お膳か畳か忘れたが、生卵をこぼしてしまう。叔父が「あー、だいじょうぶか。」と汚れた服をふいてくれた。妹は当
時まだ5歳。失敗もやむをえない。
そしてしばらくまたやや緊張した空気が流れる中、続いて挑戦した弟もまた、この卵割りに失敗してしまう。

「ああ、直哉、お前もやっちゃったか。」

「も」の含まれた叔父の一言に、直哉のプライドが傷つけられたのは間違いないだろう。が、そうなることを恐れることが、かえって手元を狂わせたのかもしれない。

あの事件は、その「不安の種子」が連鎖的に作用した例なんじゃないかと、僕は思っている。

山の湯旅館:

長野県飯山市大字飯山奈良沢8989

TEL:0269-62-2423

1 個のコメント

  • カリメロ

    何だか兄妹で往復書簡みたいになっている。
    醒めた兄妹だから、次兄について言いうることを言い尽くしたら、多分また落ち着いた関係に戻っていくだろう。
    不安の種子という言葉は長兄には分かりにくかったようだ。
    種子と言ったのは、発芽しないとそれが何なのか分からないという意味でもある。逆に言えば、何だか分かってないのに怖がっているという弱さでもある。何なのかよく分からない、それなのに恐ろしい、それだから恐ろしい。外界に対する恐れ、他者への恐れ。生きることそのものへの不安。自分自身への不安。
    私と次…

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