今度は、Tsuyuguchiさんの奥さんの2uさん(これも「つゆ」ってことか)による、僕の弟直哉に関するエントリー。
リンク: 地に足がついている日記 � 爆発的な感情を行動に起こす前に適正な言葉で表現する能力.
2uさんのみるところ、大人になった弟にも「爆発的な感情」が秘められていたけれども、その感情に基く行動を「適正な言葉」で論理的に説明しようとつとめていた、という趣旨。非常に納得させられる。
まあ、家族の中ではもしかしたら畳の上で寝ころんで手足をバタバタさせ「僕はトンカツよりもカツ丼がいい!!よくわかんないけどどうしてもっ!」と言って
いた過去があるのかもしれないが・・・(というかそんな過去があれば是非教えて欲しい)。たぶん今ならカツ丼への熱い衝動を適正な表現で語ってくれるであ
ろうと、予想。
このくだりで「過去」について真っ先に思い出したのは、もやそば事件。おそらく80年代初頭のできごとだ。
青森市の郊外に、雲谷(現在はモヤヒルズと呼ばれている)という山がある。冬はスキーができ、夏は市民が家族連れで気軽に遊びに行けるようなところ
だ。このエリアに家族ででかけて、新しくオープンしたレストランに立ち寄ったときのこと。店内は、開店をききつけてたくさんの客でごったがえし、青森では
珍しく席に案内されるまでずいぶん待たされた。久しぶりの外での食事だというので、子供たちは何を食べようか、サンプルを見ながら思いをめぐらせて席に着
いた。
しかし店からは、子供たちの期待を打ち砕く、残酷な宣告があった。開店したばかりで厨房の対応ができてないので、今日は「もやそば」しか作れないとのこと。たしかに周りのテーブルでも、みんなもやそばを食べている。
やむをえず、全員もやそばを注文することになった。僕はもともと、こういうとき「ものわかりのいい子」になるし、もういいかげん大きくなっていたの
で、こんなことでごねることはないのだが、問題は弟であった。子供向けの魅惑のメニューに胸をふくらませて、あっという間にその夢を奪われると、こういう
場面で子供がごねるのは無理もないことだ。しかし弟は、ただごねるのではなく、こう連呼した。
「もやそばしか食べられないようにしてるんだ。」
どうしてもお子様ランチを食べさせろ、と直接的には騒がなかった。それが無理だというのはわかったようだ。しかしこの間のやり取りを彼なりに分析し
た結果、全員がもやそばを食べさせられるというのは、決して開店直後で訓練が行き届いていないというようなもっともらしい理由によるのではなく、すべて店
の陰謀なのだと断定した。しかもそれを念仏のように、うらみがましく連呼した。
僕としてはそれを受け流すことができなかった。というのも、もやそばは、そのレストランのメニューではもっとも値段の安いものであった。どうせ陰謀
をめぐらせるならば、もっと客単価の高いメニューにみんなを誘導しなければ意味がないだろう。そう考えて、弟の陰謀説を否定し、思いなおしておとなしくも
やそばを食べるように説得した(この辺が兄の大人気ないところだ)。しかし兄の説得にも屈せず、弟は最後まで陰謀説を捨てることなく、「念仏」をとなえな
がらしぶしぶもやそばを食べて、レストランを後にした。
結局彼の爆発的感情は、子供の頃はもっと露骨に表明されていたが、家族関係の中で、しだいに「適切な表現」による、ある種の冷静さをまとうように
なっていった。そしてさらに上京してからの社会的関係の中で、それらはより洗練されていくようになっていったのかもしれない。そしてなにより、彼の奥さん
の存在が、彼の心にもっとも冷静さをもたらしたのだと思う。
追記:もやそばは、そば粉100%で、地元でとれた蕎麦を使っているようだ。そういうことを僕らは知らなくて、ただたんに子供にとってはあまり魅力的でない食べ物としての位置づけだった。いまとなっては、断然「もやそば」がいいけど。
はじめまして。露口の妻の方です。
このエントリで他者から見た直哉の人となりが何となく把握でき、補完できてきた気がします。「もやそばしか食べられないようにしてるんだ。」これはまさに彼の人となりを表した一言であると思います。
私たちとの付き合いでは、私がやたら「もやそば以外のものを食べさせろ!もしくは全員グランド10周走ってこい!!」と叫んでる横で「もやそばしか食べられないようにしてるんだよきっと。」と言っているのが直哉で、「もやそばも美味しいよ?香織ちゃんも食べれば?」と言っていたのが私の夫で、「もやそば以外を食べる方法は無いかしら?」と考えているのが直哉の奥さんだった気がしますね、4人の会話はそんな感じだったと思います。
そう思うと「彼の奥さんの存在が、彼の心にもっとも冷静さをもたらしたのだと思う。」というのは本当に正しいですね。私も彼女と会話すると自分の考えが明文化されるようなクリアな感触を得ることができる感じがして。