2005年3月に、このブログのコメント欄で、弟がこんなことを書いていた。僕はこの後どんどんwakhokの国際部門の仕事に引き込まれていって、彼と似たような経験をどんどん積み重ねていくことになる。
リンク: ICHINOHE Blog: Japan Day 2 – SOA Seminar in Japanese!.
とにかく苦労したのは、英語が聞きとれる・話せる人にコミュニケーションが集中してしまうことで、しかもそ
の人が必ずしもその企業のビジネスのコンテクストとエンジニアリングのコンテクストを両方持っているわけではないので、話がとっちらかってしょうがない。
さらに、英語が苦手な人というのは自分が聞き取れない・わからないということにあたふたするだけで精一杯で、相手が何がわからないかも想像力を働かせるこ
とができない。そんなわけでパートナー企業が小さなことから大きなことまでとんちんかんなことを言いそうになるのを交通整理するのに必死でした。僕のロー
ルではよくあることではあるのですが、ちょっと久しぶりだったのでくたくたになりましたよ。外国語が話せるってことと相手の思惑を推し量るってことは別のスキルだと僕は思うのですが、得てして外国語をまじえたコミュニケーションはその両方
が必要なことが多いと思います。でも、そのどちらかができる人はもう一方が出来なくてもそれを補完できるはずではないでしょうか。まあ、どうしても話す・
聞くほうが先にたってしまって、そこであたふたしてしまうのはわからなくはないんですが、慣れは必要かもしれないけど話せないなら話せないなりの気遣いの
あり方ってのがあるんじゃないかと僕は思います。それは英語圏の人に対しても思うし、日本語を話す日本人に対しても思います。
ビジネスもエンジニアリングもわからないけど、英語だけ上手な人っていうのはたしかにいて、その人だけを窓口にしようとするととんでもないことになってし
まう。でも、英語に自信がない人は、どうしても腰が引け目になってしまって、必要なコンテキストにあわせて話の進め方をコントロールするというのができな
い。
「外国語が話せるってことと相手の思惑を推し量るってことは別のスキル」なんだけど、両者は相互補完的でもある。前者だけのスキルでぺらぺらしゃべるけど、相手の思惑が全然見えていない人は多い。逆に、相手の思惑を読むというのは、基本的には語学力それ自体とは別物なんだけど、でもやはり、言葉から情報をつかめるかどうかというのは、「読み」の正確さを左右する要素の一つではある。