上の妹が、今回の弟直哉の死について、mixiに書いたものを読んだ。
思い出した。そう、今回も、闘病中から葬儀が終わるまでずっと、みんな、悲しいのに毎日何かをネタにして笑っていた。
葬式での笑いといえば、うちの家族の中で必ず話題になるのが、母方の祖母の葬儀の際の、「先行ってくれや」事件(1984年)。
お経の間に足がしびれてしまった、叔母の義理の父が、焼香の際に立ち上がれず、「先行ってくれや」といいながら、ひっくりかえって悶絶した事件だ。この様子を、向かい側で見ていた喪主である祖父や故人の実子である母ら兄弟姉妹、僕ら孫たち、皆が連鎖的に笑ってしまい、収拾がつかなくなりかけた。祖母の実姉が、「不謹慎な。。」とぼやいていたらしい。
今回も、家族がそんな不謹慎に笑ってていいのかと、傍からいわれてもおかしくないくらい、常にシリアスでありながら、一方で常に笑おうとしていたように思う。何がネタになったのか、いちいち思い出せないが、またそのうち家族で集まるうちに、それぞれの記憶が持ち寄られ、増幅されて、エピソードとして定着していくことだろう。下の写真は、喪服に、迷彩色のズボンとカラフルなソックスを合わせてみせる、末の妹。弟の顔を見てはぼろぼら泣いていたかと思うと、こうして歯を見せて笑っていた。

僕は弘前に戻ってから、両親の周遊券の払い戻しのため、一緒に弘前駅まで行ってきた。払戻し手数料を取られたため、周遊券で割り引かれた金額が、ちょうどチャラになり、通常通りに切符を買ったのと同じ額がかかることになった。両親は「全部直哉のせいだ」といって、笑った。
こうして僕らはずっと、家族の中で最初に退場してしまった弟のことを、事あるごとに思い出し、笑いながら生きていくのではないかという気がしている。
僕が、葬儀や死のことをブログで話題にしたり、写真をFlickrにアップしたり、ということを多少ためらいつつ結局やってしまうというのも、悲しいときこそ笑おうという、一家のある種の確信を、僕なりに継承している結果なのかもしれない。