昨日は2年生、3年生向けの就職ガイダンスがあり、今年から就職委員になったので、出席してきた。1時間強の時間の中で、結局大事なのは、基本的な常識であり、コミュニケーション能力であり、という話が繰り返された。僕は情報戦の話を一般的に。それはそれで、主催側の人間として、説得力のある構成であると思ったが、座学だけで学生にこのことを伝えるのはかなり難しいと感じた。「手を動かす」「討論する」というようなプロセスを取り入れたらいいのかもしれない。「勉強」「講義」という受け身の感覚を持った途端、彼らのモチベーションはかなりさがってしまう。
そう思っていたところ、WAKHOKの卒業生であるCrasherが、こんなことを書いていた。
リンク: 真夜中の烏龍茶::そんなに勉強はしていないのです。.
僕は、月に2冊ほどは(分厚いハードカバーなんかだと月に1冊になることもあるけど)本を読みます。本の中には、雑誌は含んでいないので、他に今だと日経
ビジネスを読んでいます。(日経ビジネスを定期購読しようと思っています。日経ネットワークも定期購読したい。。。)本のジャンルは、数学、経済学、経
営、小説、自伝、などなどざっくばらんです。他に、毎日、CNetなどなどをみるわけで、ニュースなんかも見ますよ。
でも、ぜーんぶ、趣味か生活サイクルの一つでしかない。
なぜか、「勉強だ」とか「何かのために」とかって思ってしまった瞬間に、やりたくなくなってしまうから。
だから、僕が何かをしていて、勉強をしていますって自ら言ったときは、ものすごく嫌々やっているんです。
「勉強」というカテゴリーに入らなくても、普段から本を読んだり、ネットで情報を得たり、というごく当たり前の「情報収集活動」を、心の赴くままにおこなっていればいいんだよ。と僕も思うのだが、アンテナが出てない学生たちは、どこにどんなアンテナを向けていいかわからないので、「心の赴くままに」知的活動に向かっていくことができないんではないか、という気がする。
そういう自然に行われるべき知的活動のことを、僕は「情報収集活動」と呼び、学生たちにもそれを要求し、それができてもごく当たり前のこととして、ほめたりすることは一切なかった。が、Crasherをはじめ、そういう「嗅覚」を持っている人たちというのは、ある意味で「ほめられる」べき存在なのかもしれない、と最近思う。