ITmedia D LifeStyle:ネットから長文が消えたいくつかの理由 (1/3)


なぜネットには長文がないのか。以前からぼんやりと考えていたことを、小寺信良さんが書いている。

心理的要因もあり、ウェブ、パソコンなど、ツールの仕様にも原因があるのかもしれない。もともと長文がかける人なんて、ごくわずかだった、という指摘もある。

リンク: ITmedia  D LifeStyle:ネットから長文が消えたいくつかの理由 (1/3).

最後のほうにはてなブックマーク(つまりソーシャルブックマーク)の話が出てくる。

 記事に対してブックマークするということは、関心があるという表れに違いない。だがその反応の詳細は、明らかになることがない。良いことか悪いことかわからないが、とにかくなんらかの反応があったということがわかるという、出席簿みたいなものである。

 これが2年前であれば、同じブログでも文章でリアクションが帰ってきた。だから多くの人がひとつの問題に対してどのように感じたのかがわかったし、多くの意見を吸収することができた。ある意味、知識のエコシステムが動作していたわけである。

 「はてな」のユーザーは、このブックマーク機能の登場により、いちいち文章をつむぐ必要がなくなった。ブログを始めたはいいが何を書いていいかわからない、という人にとっては、敷居を下げる効果はあっただろう。

はてなブックマークとブログの話が混在しているが、たしかに現象は一つのつながりで見ることができる。ブログも自分で長文を書く人は減っていて、むしろはてぶ的なリンクだけでほぼ終わっているものが多いのかもしれない。読者側も長いのはあまり読まなくなってきているので、この傾向は読者側からも助長されている。

 文章を書くのが苦手という人は少なくない。だがあなたが何かモノを考えるときには、なんらかの言葉が脳内で鳴り響いているはずである。人間は言葉なしに、考えることはできない。またこれができるから、人間は動物から袂を別って進化したのである。

(中略)

つまり人間が何かモノを考えて、その場で判断なり結論が出せるということは、言葉を紡ぐ能力があるということである。文章を書くのが苦手なのは、考えるスピードに対して書くスピードが追いつかないとか、文章というフォーマットを意識しすぎるからではないだろうか。

大学で教え始めた頃、文章で答案やレポートは書けないけど、イラストでだったら書ける、っていう学生がいた。頭の中に去来したものを文章という形に落とし込むというのは、結構高度な処理を伴っているのだと思うが、それと彼の言っていたイラストとは、どういう関係に立つのだろうかと、ときどき思い出す。

ただ「出席簿」みたいなはてなブックマークは、よく見ていると、長文のおしゃべりはできない、サイレントマジョリティに属する人々の声を、現しているのかもなあと感じることもある。最近学生たちと話していて思うのは、このサイレントマジョリティとしての参加権ですら、それを欲している学生は、実は多くないということ。「ゆとり第一世代」の今年度入学の学生たちは、結局、そのほとんどが「指示待ち」だけの独創性の乏しい人たちだ。「ゆとり」で何かが達成された感じは全くない。

ひょっとすると、先生がなんていおうと、私たちは「お勉強」の世界の勝者じゃないので、こんな知的な活動への参加資格はないんだと思っているのかもしれない。その一方で、いわゆる「資格・検定」に関心のある学生は少なくない。

今日は午後から、新潟市内の高校で出前授業。
コンテンツの作り手となる参加権は、みんなに平等にあり、WEBの世界でそれらは平等に評価されるんだ。これからきっと、ますますその仕掛けは洗練されていく。努力を怠らないでいこう。
そういう話がどこまで通じるか、やってみます。

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