リンク: CNET Japan Blog – Lessig Blog (JP):議論に資することのないレトリック.
LessigのFTへの寄稿をきっかけにした論争。彼は、ネットワークの中立性は保たれなければならず、それはつまり途中の「土管」の部分はクリアーなパイプとしての存在で、中立性が保たれるべきだといっているように見える。
これに対する反論として、「それは、ポータルがお金を払った人をトップページに持っていくことや、テレビ局がお金を払った候補者の選挙広告をより多く流すのと、何が違うのか?」という例が出されている。これに対するレッシグの答えは、「だから、それは『末端』の話で、私の行っている「土管」の中立性とは関係ない話だ」と。そういうことのようだ。
つまりここでの文脈は、言論空間の中立性、ではなく、ネットワークアーキテクチャの中立性とそれによる技術革新の促進、の話だということになるのだろう。ただ、反論者が述べるような例は、たしかにレッシグの定義で言うならば「末端」だけれども、それは「土管」の中立性に本当に影響を与えないのだろうか?
と、日本語で読んで、いろいろ日本語で考えて、いろいろ日本語でブログに書いても、議論には参加できないのだけれど、とりあえず思ったことのメモ。