稚内の観光と市民生活


Kentからトラックバックがあった。「父の版画展」の後半部分は、ためらいながら書いていたので、わかりにくかったかもしれない。
稚内についてこの話をあてはめると、実はなかなか悩ましい問題になる。
稚内は観光地であるが、「ぶらり散歩」には向かない街である。そもそも気候が「ぶらり散歩」に適していないので、街の人は「ぶらり散歩」をしない。なので、あまり「ぶらり」系の街並みができていない。また、街自体が宗谷湾沿いに横長に伸びていて、その中でも観光地はあまりアクセスのよくない山の上や端っこに位置している。稚内駅から宗谷岬までは30キロもある。しかも宗谷岬が長時間滞在に向いているようなインフラを持つわけでもないし、まして、市民に親しまれるような空間が用意されているわけでもない。
で、観光客に対してはどうしているか。観光バスに乗せて、点在する観光地をまわっている。これは年寄りには向いているかもしれないが、「ぶらり散歩」ならではの旅先での発見を促進する仕組みにはなっていない。だからさしたる「発見」がないので、「宗谷岬に行った。寒かった。」ということで、観光客は満足し、「リピーター」にはならない。夏のライダー層は、それなりに稚内にくるまでのプロセスでリピーターになる人もいるようだが。稚内の冬季観光促進策として、今年は「リピーター」登録というのをやっていて、夏に来た人が冬にまた来ると、数千円相当のおみやげをあげることにしたようだ。リピートしたいと思っていない人を、モノで釣るわけだが、しかしリピートして楽しめるインフラを整えないで、リピートさせたところで、あまり意味はないだろう。そういう意味で、この制度もちょっとおかしい。
話を戻そう。こういう状態がよくない状態であると仮定すると、何が必要か。
まず、交通網の整備。どこでもバスで気軽に行って気軽に戻ってこれるようにする。弘前には100円で中心街を回れる循環バスが走っているが、そういうことはできるだろうか?あるいは、ワンデーパスで乗り放題というのを作ったらどうか。おそらくリピートした人たちも楽しめるだろう。エコビレッジなんか楽しそうよ。大学も訪れてみようかしら。サロベツファームに行って、ソーセージ作りでもしてみようかな。
ということになるが、観光需要にこたえられても、バス会社はつぶれてしまうだろう。町の人はバスをあんまり使わないし、まして宗谷岬までバスでいく用事は、宗谷岬に住んでいる高校生でもない限り、そうそうない。町の人の需要と観光客の需要にはギャップがある。
じゃあ観光需要にこたえる商店街・繁華街はどうか。飲食店はいけそうだ。「いい店、うまい店」系は、多少地元民と観光客の間にギャップがあるとはいえ、そこそこ同じメニューで両方の需要にこたえることはできるだろう。では、海鮮市場はどうか。市場は稚内に限らず、釧路や小樽や函館にある観光市場の場合、あまり市民からの関心をひかないかもしれない。少なくとも見栄えのする施設を作っても、投資を回収するだけの利益を見込むのは難しいかもしれない。中央商店街を「ぶらり」旅向きの趣のある店ばかりの街並みにしたらどうだろう?たぶん街の人はそういう「趣」にあんまり関心がないので、おそらく商売にならない。
あと、抜本的に何か、という意味では「カジノ」はどうだろう、という以前からのひそかな持論があるのだが、それは今日のところはやめておこう。
東京から飛んでくる飛行機に乗って、観光客のしゃべっていることに耳を澄ましていると、いろいろなことがわかってくる。基本的に彼らは自分たちの先入観で稚内を消費しようとしていて、その需要にすべて答えようとすると、おそらく稚内の街そのものが崩壊するだろう。でも観光の街を作ろうとしているのであれば、それにある程度おつきあいすることも必要だ。今は「全部送迎つきだからいいだろう」ということで、郊外の、どこにも車なしではいけないようなホテルに泊まらせているケースをよく見るが、あれはむちゃくちゃである。
「おつきあい」のために血税が使われるのもある程度は仕方がない。問題は使い方や覚悟、構えの問題である。稚内の人にその「覚悟」は感じられない。覚悟をするためには、関係者すべてが、相手の需要を理解し、それ以上の満足を与えるために何が必要かを考えなければならない。さらにもうひとつ、そのために使われる血税が、自分たちの生活にもかかわりがなく、直接的利益として還元されない場合に、どこまでそうした公共投資を受容するのかということも考えなければなるまい。つまり「関係者」は広義では、稚内市民すべてである。
ぼろぼろの施設を改造した「サハリン館」や、何も新たな魅力を提供せずモノで釣ろうという「リピーター」制度は、おそらくこうした市民の覚悟に支えられていない観光関係者が、なけなしの予算の中から苦しみながら生み出したものなのだと思う。そういう苦労に冷や水をかけたいというわけではないが、客観的・第三者的に見れば、それらの取り組みが「競争力」を生み出すようにはとてもみえないというのが、正直な感想である。
弘前に話をもどすと、弘前市内には道の駅が一つ、青森空港に向かう途中にも一つある。また隣町に、岩木山に向かう道中、地元農協がやっている同じような店がもう一つある。どこも観光需要にも答え、地元の人も安く買い物ができるのでよく来ているようだ。稚内の場合に難しいのは、こうした複眼的な思考に基づく設計、つまり市民にも観光客にもウケル施設がつくりにくいということだろう。弘前の町は「おつきあい」の施設を作っても、それなりに市民にも親しまれている。さくらまつりの期間、弘前公園への入場料を取りはじめたことは、市民に親しまれた公園を引き離したので、市民にはきわめて不評だったようだ。それはつまり、観光資源が単に観光資源であるだけでなく、市民にも親しまれているということだろう。今宗谷岬の駐車場を有料化して、市民は怒るだろうか?
観光と市民生活のギャップは、二つを複眼的に考えさせることがないので、それは結果として、市民に観光のことをまじめに考えるきっかけも与えない。子供を大学に進学させることであまり大したメリットがない(と勝手に考えている)ので、地元に大学があることのメリットもあまり考えないのと同じようなことだろう。

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