なんで暇人なのだろう


現役学生たちとも次第に年齢差がでてきた昨今、彼らの考えていることや悩んでいることを、過去の自分に重ね合わせてみることができるようになってきている。「あのときああしておけば。。。」という「苦い思い出」が、学生たちの言動や行動から引き出されてくるということでもある。非常に歯がゆいし、過去の自分をしかっているようで、あまりいい気分でもない。
卒業して稚内を去ることになった彼に僕がいったことは、
1.逃避していた就職活動にきちんと取り組むこと
2.そのためには、今の自分にどんな特徴があって、それをどのように売り込めばいいか考えること
3.足りないと思う部分については、さぼらずに勉強をつづけて、少しずつでも自分を向上させること
こうやって書き出してみると、いささか具体的すぎたかもしれないが、彼にどうしても伝えたいことをできるだけ具体的に整理して伝えたつもりだ。覚えていますか?
もしその言葉が彼に伝わっていたとするならば、彼が今公然と「暇人」を名乗ることは考えにくいし、ましてや友人から連絡が来ないという自分をひたすら憂うだけの言動を繰り返すとは思えない。
勉強よりも人間関係、という一戸ゼミのモットーは、勉強するなという意味ではなく、互いのことを気に掛け合い励ましあう中で、自分の目標を見つけて力強く進んでいこうということだ。でも結局それは「ぬるま湯」を作っただけで、もともとあった本人の自覚のレベルを引き上げる方向には作用しなかったということなのだろうか。
昔稚内に来る前に、新任の先生が東京で集まったことがあった。そのとき、すでに他界された宮前先生が、「僕は今の学生にはまず箸の上げ下ろしから教えるつもりです」といったことをよく覚えている。つまり学生を大人として突き放して扱うのではなく、いわば半人前として基本的な生活態度から正していくということだったのだろう。当時の僕はそれに違和感を覚えた。大学生を大人として扱うというのは、僕の中では大学教育の大前提だった。たぶん今僕がやっていることも、その延長線上にあると思う。がしかし。。。
彼を大人として扱うのではなく、それこそ「箸の上げ下ろし」から教えていたらどうだったろうか?
前向きになれないときはある。惰性で時をやりすごしたいときもある。
でも少なくとも、そこから発生する事態は、自己責任で受け止めるべきだと思うよ。今の状態を脱するためにどんな努力をしましたか?どれだけ勉強しましたか?
努力していないのだすれば、その結果が自分に返ってきているのだとしてあきらめよう。努力しているのだとすれば、どんなに小さくてもその成果を他人に伝えてみよう。伝わらなかったら、なぜ伝わらなかったかを考えて、足りない部分を補うためにまた勉強しよう。そういうプロセスにある人を、僕も一戸ゼミも、見捨てることはないです。自分を卑下せず、おごることもなく。
それと、同じような悩みを、たぶん友達も抱えているはず。そういう話が引き出せるようになれば、たぶん自分の考えも伝わるようになっていると思うよ。引き出せた分しか、他人にも自分の話を引き出してもらえないと考えたらいいんじゃないかな。

1 個のコメント

  • Kと私と

    耳に痛いお話で。
    Kと私はとても似ていて、思っていることが手に取るようにわかる。わかりすぎてムカつく。
    文句や言い訳をぐだぐだ聞かされる周りは、ほんっとに嫌…

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