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1964年の新聞の存在感を感じさせる「地震のなかの新潟日報」

新潟市立中央図書館で発見した、1965年発行の本「地震のなかの新潟日報」。Amazonでは古書としても購入できない。最初のところを少しだけ読んでみた。

目次
序文
– 新聞はこうして続けられた
– 原始との戦いー震災当日の本社
– 本社の被害は?ー同四支社
– 読者への使命感ー震災二日目
– 紙面不足に泣くー震災三日目
– 製作、ほぼ軌道へー同四日目
– 県紙の主導性ー二十日以後の活動
– 孤立と戦うー下越八支局の動き
– 焦燥に暮れる日々ー同上、中越十二支局
– 評価と教訓
編集後記

1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震の際に、新潟日報がどのように新聞を発行したかを淡々と報告している。この地震では、新潟市内は液状化で大きな被害が発生、建物の多くも倒壊している。信濃川沿いの集合住宅が倒れている様子、できたばかりの昭和大橋が崩れている様子が、よく紹介される。また、昭和石油新潟製油所から発生した火災で、黒煙がもうもうとまいあがる様子もまたよく知られている。火災の黒煙が市内全域を多い、煙と油のにおいにつつまれたという。

新潟日報では、「電力、電話、交通の途絶、活字のウマは倒れ、ガス、水道さえ出ない」という状況の中で、被災者に最新のニュースを届けるべく奮闘したという。地震発生直後、正面玄関に集まった社員を前にして、社長がPRカーの上から「いかなる困難をも克服して新聞を発行すべきであり、それが新聞に課せられた最高の使命」と述べた後、中野取締役が「天災地変に際してこそ新聞発行の意義は重大である。人心安定、秩序維持の役割りを果たすものは新聞をおいてないではないか。」と呼びかけている。

現在においても新聞社の人々は「人心安定、秩序維持の役割りを果たすものは新聞をおいてない」と思っているかもしれないが、実際のところ、今は「人身安定、秩序維持」に寄与するものは他にもたくさんあり、「人心安定」にはまずは新聞だと思っている人は多くないだろう。もちろん、「人身安定、秩序維持」を不安定にする情報も多数あるので、マスメディアがきちんと検証した情報を送り出すことが大事ではある。新潟地震でも、さまざまな流言飛語が飛び交っていたところ、それを新聞が打ち消したということはあるようだ。その意味では今も昔も、マスメディアが果たすべき役割りは本質的には変わらない。ただ当時の新潟日報の人々が負っていた責任というのは、今とは比べ物にならないほど、大きなものだったといってよいだろう。当時の新聞の社会的存在感の大きさを感じさせるフレーズであった。

当日のラジオがどのように実況していたか、録音した人がアップしているが、ここでは、以下の毎日映画社が掲載しているニュース映像を紹介しておく。

6月16日午後1時2分、新潟沖を中心とするマグニチュード7.5の大地震が発生。液状化現象で県営アパートや昭和大橋が壊れ、昭和石油新潟製油所のタンクが爆発し、燃え続けるなど、壊滅的な被害を与えた。※ナレーションでは「マグニチュード(M)7.7」とありますが、その後「M7.5」と発表されました。

マラッカの魅力を手堅くまとめたExpediaの映像「Melaka Historical City – City Video Guide」

旅行サイトのExpediaのYoutubeアカウントには、世界各国の観光地のガイド映像が掲載されている。大ヒットするようなおもしろ映像が撮れているわけではないのだが、どれも観光地の特徴をとらえた映像と説明で手堅くまとめており、学生の映像制作を指導する立場から見ても、大変参考になる。

以下はマラッカの映像で、「穴場」は出てこないけれども、スタダイス、セントポール教会、マラッカ側、ジョンカーストリートなど、典型的な場所をきちんとつないでいて、落ち着いてみることができる。

マレーシアの他の都市の映像も見てみたけれども、Google Earthから入るやり方など、ある程度フォーマットができていて、量産されているという印象だ。

Prepare to walk back through the centuries on your visit to Melaka Historical City, located on the west coast of Peninsular Malaysia.

A Melaka Historical City tour will take you back through centuries of different rulers. Always a busy trading hub, Melaka Historical City has been ruled by the Portuguese, the Dutch, and the English over the last several hundred years. Each empire left its own stamp on the city, from architectural styles to cuisine. Spend an afternoon exploring the ruins of A Famosa, a fort that at one time was an emblem of Portuguese power. On the same day, spend the evening in the shadow of colorful Dutch buildings, some of which date back to the 1650s.

No matter what else you do during your Melaka Historical City sightseeing, don’t miss out on the Jonker Walk. This tour encompasses Jonker Street and the area around it, and includes the Cheng Hoon Teng Temple, a 17th-century structure believed to be the oldest Buddhist temple in the country. Additionally, if you’re visiting on a Friday or Saturday evening, the Jonker Walk Night Market is the perfect place to score a bargain on local food and artwork, as well as watch talented street performers.

What was your favorite part of Melaka Historical City?

Visit our Melaka Historical City travel page for more information or to plan your next vacation!

中国女性の性格は、南北でかなり違うらしいという動画

上海発の「馬馬虎虎」という動画シリーズ。制作はTMD Productionとなっている。

中国でいろいろな人と話していると、標準語の中にも地域ごとの方言が混じりやすい地域があったり、そもそも考え方が違ったり、地域差があるという話をきくことがある。標準語である普通話が浸透する一方、全く違う言語だといういわゆる「方言」は、出身者の間でしか通じないともいう。日本人「方言」の感覚と、中国のそれはやや異なるのではないかと感じるが、いまだにうまく整理がつかない。

ともあれ、典型的な人間像が南北で違うというのもあるようで、女性の性格がどのように違うか、ステレオタイプとしての南北女性の違いを示しているのが以下の動画。英語の字幕もついているが、あまり読まなくても、趣旨は伝わるだろう。

気が強く、お酒も強いのが北の女性というイメージのようで、非常に興味深い。日本でも北のほうが、お酒が強いイメージがあるけれども、女性の気が強いというイメージはあまりないような。

モッツァレラ星人につられてつい口ずさんでしまう「モッツァレラさき歌」

この数ヶ月、ムスメを中心に我が家で流行っている、東京ハイジというユニットの、オリジナル作品。今回は、明治の「さいておいしいモッツァレラ」のCMソング(といってもテレビでは流れず、Youtube上なのだろう)。チーズを「さいて食べる」というのは、そんなに新しいという気もしないのだけど、映像を見ているうちにだんだんハマってきて、すぐにムスメとスーパーに行って買ってきてしまった。

4月15日に公開されてまだ1週間だが、再生回数は3万回を超えている。さほど記事などで紹介されているようには思えないが、着実に再生数がのびているのは、うちのような子育て中の家庭に、東京ハイジが広く支持されているからだろう。

東京ハイジの一人ササキトモコさんが、この作品ができるまでを記事で紹介している。

ごらトモ 明治の「さいておいしいモッツァレラ」さき歌誕生!

この製品がパッケージで提案している「さき方」の一つとして、「モッツァレラ星人」があり、これをメインに据えて作品にすることになったのだそう。東京ハイジが提案して作られた「さき方」ではないよう。最初はたんなるチーズスティックなのだが、これが「モッツァレラ星人」になったあとから、映像はエスカレート。「ミラーボールにゴーゴーダンサー」「怪しいキノコなコスモパニック」といった展開になっていく。「精神攻撃をしかけるタイプの宇宙人」なのだそう。たしかに精神攻撃に負けて、繰り返し再生しようとするムスメとともにだんだんモッツァレラの歌が頭のなかから離れなくなり、昨日はじめて見たにも関わらず、このチーズを買ってきてしまった。

これまでムスメはチーズをほとんど食べなかったのだけど、歌の力に見事にやられた結果、昨晩はチーズを一本、楽しく完食した。実はスーパーで並んでいる他のモッツァレラチーズと比較すると、ちょっと高めの価格設定。1パック4本なので、調子に乗って家族で「さきまくる」と、すぐになくなってしまうので注意が必要だ。

明治 さいておいしいモッツァレラ
価格:248円(税込、送料別)

がんばりすぎるマレーシアのガードマンの動画

マレーシアのコンドミニアムには、24時間常駐のガードマンがいて、「セキュリティも万全」というのをウリにしていることが多い。マラッカのように、一戸建てやリンクハウスが結構ある場合でも、新しく開発されたエリアでは、区画内に車で入るためにあらかじめ登録するか、居住者から許可証を発行してもらう仕組みになっているところがあった。一度大学の同僚の家におじゃました際には、居住者本人にかけあってもらったがダメだった。

こうしたガードマンが犯罪者と通じていて、彼らが強盗を敷地内に手引きするケースもあると、「安全情報」などには書かれていて、それだけ彼らが信用できるかどうかは安心して暮らせるかどうかの重要な基準となる。ただその一方で、ガードマンたちもまた、マレーシア特有の緩やかさの中で暮らしているわけで、あまりに厳格にルールを適用すると、滑稽な現象が起きる。

この動画は、最初の勤務日に、杓子定規にルールを適用してしまうガードマンのコント。

たしかにマレーシアの「撮影禁止」は、あまりまじめに取り締まられていないし、逆にルールの妥当性もあまり検討されていないような気がする。にもかかわらず、ルールを厳格に適用すると、何が起こるか、というもの。

おそらく英語がわからなくても、何をやっているのかはだいたいわかると思う。

スプーンたん

80年代アイドル風子どもの好き嫌いをなくす歌「スプーンたん」

マレーシアから帰国して半年、ムスメがどんどん日本語を解するようになり、子供向けの動画をYouTubeで再生する機会が増えた。マレーシア時代は、弘前ねぷたを見たり、K-POPの動画を見たり、つまり内容が理解できないものでもよかったのだが、言葉が理解できるようになった今は、子どもでも理解できるような内容がよいということになった。
その結果、Youtubeの「あなたへのおすすめ」も子ども向け動画にうめつくされている。

Youtube発のコンテンツで、ムスメがハマったのが「東京ハイジ」シリーズ。子供向け動画としては結構前から人気だったようだが、我が家ではこの半年で一気に人気となった。最初に偶然見たのは、「はみがきの歌」。はみがきをやめてくれと懇願するバイキンさんの懇願を一蹴して、口の中からバイキンを追放するという斬新な内容で、すでに4000万回再生されている大ヒット動画だ。

この動画を契機に、我が家では東京ハイジの動画をすべてチェック済み。どれもムスメに人気があるのだが、我々大人の間では「スプーンたん」という歌の評価が高い。スプーンを擬人化し、スプーンたんが子どもたちの嫌いな食べ物をおいしく食べさせてあげるという歌。80年代のアイドルソングを思わせる曲調に、私たち夫婦も親近感を覚えた。

スプーンによって味が変わるというのは、燕の小林工業で、異なるスプーンでアイスクリームの味を食べ比べ(?)るという体験をしたことを思い出した。いいスプーンを使うと、たしかに味もよくなった(ように感じられた)。

LUCKYWOOD|小林工業株式会社

東京ハイジは2月にCD・DVDのセットを発売していて、初回版にはトートバッグがついてきた。こちらも購入し、CDはムスメが乗っている時に車内で常時再生、トートバッグもときどきお出かけの際にムスメが持ち歩いている。

Keiwa Lunch2015年度卒業制作「みんなの4年間」

3月18日、敬和学園大学では卒業式が行われた。
半年間の私自身の在外研究があったため、4年ゼミに最後残ったメンバーは4名に減ってしまったが、みんな無事に卒業することができた。またKeiwa Lunchに出演していた学生たちも5名が卒業となった。

2013年度のゼミ生が、4年間の敬和での経験について、同期の学生たちにインタビューした映像を制作し、「敬和 ひとりひとりの4年間」として公開している。

敬和学園大学での4年間を振り返る「敬和ひとりひとりの4年間」、卒業式に合わせて公開 | ICHINOHE Blog

これを見た今年のKeiwa Lunchのメンバーも「自分たちも作りたい」として企画し、インタビューを撮影し、編集してきた。今回出来上がった映像も、前回同様卒業記念パーティで上映させてもらった。

前回のときにも感じたが、学生たちが大学4年間をどうすごしたか、それは同時に、自分たち教職員が、彼ら彼女らをどのように支えることができたか、という意味でもあろう。この映像には両方がよく表れているように思う。
完成度については、いろいろ言いたいことはあるのだけど、素人っぽさがまた、内容にリアリティを加えているようにも思う。

今回はかなり多くの学生にインタビューしていたようだが、うまく工夫して、(インタビューに応じてくれた)全員が出てくるようにしたときいている。あまり饒舌とは思えない学生たちからも、うまくホンネを引き出すことができたのは、聞き手となったKeiwa Lunchチームの力だろう。

半年間大学をあけている間も、自分たちで企画をして番組を続けてきてくれたKeiwa Lunchの4年生達。比較的長いつきあいとなった学生たちが多く、外での活動でもかなり活躍してくれた。卒業後もそれぞれの場所で、元気に道を切り開いていってほしい。

Gemas War Memorial

日本人の忘れた戦地:グマス近くSungai Kelamahの記念碑

マレーシア南部の交通の要衝グマスをめぐる戦いについて、マレーシアに来る前の自分は、何も知らなかった。マレー侵攻作戦についても、あまり詳しいことはしらなかったというのが正直なところだ。マレー半島を南下して、シンガポールを陥落させた頃は、日本軍も日本国民も「まだまだいける」と戦意が高かったという印象がある程度だ。

グマスの戦いについては、日本語ウェブにもあまり情報がない。戦記物の本から転載したのかなあという文章で、「マレー侵攻作戦」についてのウェブサイトがいくつかあり、グマスのことがちょっと出てくることはあるが、非常に短くでている程度。

Youtubeに、1971年放映のアニメンタリー「決断」の「マレー突進作戦」の回があったので、見てみたが、ここでもグマスの話は出てこない。

アニメンタリー 決断 – Wikipedia

マレー侵攻は、日本海軍が英国海軍を破って制海権を握り、ジョホールバルからシンガポールを陥落させて、最終的に英国を降伏させるというあたりが(日本人にとっての)クライマックス。途中で苦戦したグマスの話は、端折られがちな情報なのだろう。

しかし英語版のウィキペディアには、グマスの項目のところに、日本とオーストラリアの戦いについて書かれているし、Battle of Gemasという項目もある。調べてみると、この戦いをめぐる戦跡に、記念碑(慰霊碑?)が建っているという。

Gemas – Wikipedia, the free encyclopedia

Battle of Gemas – Wikipedia, the free encyclopedia

グマス駅前で検索してみると、グマスの戦いの跡は、グマスから11キロ離れたSungai Kelamahというところにあり、ナビアプリで戦跡は出てこなかったが、この集落のモスクが出てきた。マラッカからグマス駅に向かう途中で、通り過ぎてきたらしい。戻って探してみることにした。

走ってみると、Sungai Kelamahの表示のあたりで、幹線沿いに記念碑のようなものが見つかった。行ってみると入り口に鍵がかかっていたが、横から入っていけるようになっていた。

Kelamah River War Memorial

元日本軍の関係者も、ここを訪れるとウェブにはあったが、記念碑には、オーストラリア軍視点で記述がなされていた。1942年1月14−15日の2日間、日本軍のグマスへの進軍を防ぐべく、オーストラリア軍が激しい攻撃をしかけた。

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

マレーシア(あるいは州?)が用意した多言語で説明文の書かれた碑に、かろうじて日本語が書かれているが、内容は要領を得ない。

Kelamah River War Memorial

記念碑の奥には、川に降りていくことができる階段があり、そこには橋の跡のようなものが残っている。この橋のところで、オーストラリア軍が日本軍を待ち伏せしていて、橋を爆破、奇襲攻撃をしかけたという。この残骸はそのとき爆破された橋なのだろうか。

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

爆破された橋はGemencheh Bridgeといわれている。今の地名と一致しないが、その関係はよくわからない。帰りに通った隣町の名前がGemenchehであった。

Wikipediaでは、グマスの戦いでの日本側の犠牲者(死傷者)は1000、オーストラリア側は81と、日本側の犠牲が大きかったとある。現場には川の中に入って両軍入り乱れて戦っている様子が、絵に書かれている。

Kelamah River War Memorial

この状態で1000人もの日本兵が死傷したということか。もちろん話が端折られるぐらいなので、その後日本軍は序盤の苦戦を挽回、最終的にオーストラリア軍を破り、ジョホールバルへ進軍している。

オーストラリアは、マレーシアへの観光客も多いところで、自分もマレーシアにいる間に一度オーストラリアに行きたいと思っていた。だが調べてみると、マレーシアからの所要時間は、日本までとあまり変わらない。母国を遠く離れた、日本とオーストラリアの人々が、マレーシアの川の上で戦いを繰り広げたということになる。

日本を遠く離れ、故郷を思いながら亡くなった兵士は無数にいる。南方の島々のジャングルをさまよった兵士も多い。それに比べると、グマスでの戦いには、そこまでの悲惨さはない。しかし多くの兵士が、(Wikipediaにある通り)ここですでに亡くなっているのだとすれば、それにもかかわらず、そのことが現代日本において、ほとんど顧みられないというのは、なんだかひどい話のように感じられた。

いやそれをいうなら、あっちにもこっちにも、たくさんの兵士が亡くなったにもかかわらず、顧みられていない場所はあるはずだ。さらにいえば、そうやって日本人が顧みるべき場所は、日本人が亡くなった場所だけなのかといわれれば、さらにその範囲は広がる。

ただ、原爆や空襲、その他日本国内で起きたさまざまな出来事は、今でも共有されていることは多いけれども、それに比べて、日本の外で起こった出来事については、圧倒的に語られることが少ない。日本軍のマレー侵攻後にマレーシアやシンガポールでどんなことがあったのかも、あまり知られていない。こちらにいる間に、できるかぎり学び、行けるところには行ってみたいと思っている。

(追記) 日本側の「犠牲者」というのは、1000 casualities、「死傷者」数であるので、表記を一部訂正しました(2017年9月26日)。

Only in Malaysia

「Boss!」が大好きマレーシア人:だいたいわかるようになった「Only in Malaysia」


数年前にYoutubeで見つけて、一度記事にしたことがある動画「Only in Malaysia」。こんなのマレーシアだけだよね、という、「マレーシアあるある」をまとめた動画。当時もある程度は理解できたけれども、3ヶ月暮らしてみて、さらに膝を打つことが増えてきた。

マレーシア人の慣習をコミカルに表現「ONLY IN MALAYSIA」 | ICHINOHE Blog

こちらにきてからより理解できたところを、いくつか紹介してみよう。

0:35 ジャケットを逆向きに着る
バイクに乗る人達が、ジャケットの前後を逆にして着て、風よけにしている。マレーシアで運転し始めてすぐに気がついたが、バイクに乗る人がかなりの割合でこうしている。寒いとは思えないので、なぜなのか不明。

Reversible Jacket

1:35 手で合図
主に車に乗っている時が多いのだけど、手であいさつをすることが非常に多い。駐車場に入って行く時に、どういう場合は停車を求められ、フリーパスの時はどうなるのか、実はいまいちわかっていないので、小心者は私はついつい止まってしまうのだが、実は平然と右手を上げて挨拶すると、「関係者と思われてどこでも入っていけるような気がするくらい。
というわけで、大学のゲートを潜るときに私も、ガードマンの皆さんに手を挙げている。

Hand

2:12 Instagram
彼女の話を手で制した場合には、(なんでも手で挨拶する)ハンドパワーはきかない、というネタのところ。うわのそらで話を聞いていた男性は、ずっとInstagramにいいねを連打している。2012年の段階で、Instagramがかなり浸透していたのだろう。今マレーシアでは、TwitterやFacebookと同等ないしそれ以上に浸透している。昨日見たハリラヤソングの映像では、次々に出てくる歌手のInstagramアカウントが表示されていた。

2:15 誰でも「Boss」「Uncle」「Auntie」
日本でいうと「すみません」という呼びかけであったり、「そうなんですよ、お客様」のような「お客様」に相当するだろうか。日本人に「シャチョー」と呼びかけたりする国もあると思うが、あれにも似ているか。

Only in Malaysia

お店で「Boss」と言われることは多い。「◯◯は置いてますか?」「いや、ないんですよ、ボス」こんな感じ。語尾に「お客様」をつけて、やわらげているようなケースか。もちろん、単純に客引きで「ボス」と呼びかけているときもある。
大学近くには、「Hi’ Boss」という床屋がある。マレーシアの人たちも、「Boss」を多用していることに、たぶん気がついているのだろう。

Hi' Boss

ちなみにこの映像を作ったJinny Boy TVは、マレーシアに関連するコメディタッチの動画をいくつも公開している。

JinnyboyTV | Youtuber

写真に眠る街の記憶と現代を生きる学生をつなぐ:「写真の町シバタ」プロジェクト

8/11、新潟県新発田市にて、「写真の町シバタ」プロジェクトの活動に、敬和学園大学の学生たちと参加してきました。このプロジェクトについては、以前に新潟日報モアのブログでとりあげたことがあるのですが、具体的な活動に参加するのは私も初めてです。

写真の町シバタ
「写真の町シバタ」:新発田の歴史と未来を「写真」で引き出す|ソーシャル編集委員 一戸信哉「新潟ソーシャル時評」|モアブログ|新潟日報モア

このプロジェクトでは、商店街の皆さんに古いアルバムに眠る写真から、城下町新発田の歴史や人々の記憶を掘り起こしています。

店頭展示の風景

商店街の方からとっておきの一枚を選んでいただき、これを引き伸ばしてきれいに額装し、店先に展示してもらうという活動のうち、今回は最初の写真の選定作業に学生たちが参加、その様子を映像取材させてもらいました(後日Youtubeで公開するほか、プロジェクトの紹介映像としても利用される予定です)。

竹内旅館

竹内旅館でお話
[[image:image02|center|竹内旅館でお話]]

出演してくれた学生メンバーは全員新発田出身なのですが、これまで商店街との接点は少なかったようです。これも地方都市新発田が抱える現実でしょう。とはいえ、学生たちにとっては、自分の住む新発田市の街の人々に出会い、写真を通じてその歴史を知るなど、さまざまな発見をする機会となったかと思います。

田中時計店
田中時計店で写真選び

学生たちは10−20代。プロジェクトのメンバーや自分は30−40代。訪問先でアルバムを引っ張りだしてくれる人は、若い方もいるのですが、写真自体は明らかに60代以上の人々のもの。この世代間ギャップを埋めるのはつくづく大変だなと感じました。写真で語られている内容を理解するには、新発田のまちなかで暮らしている人たちが共有しているコンテキストを理解する必要があり、世代間ギャップも超える必要があります。プロジェクトに関わっている、私と同世代のメンバーが、「翻訳」をしてくれる場面もあり、同世代の役割の重要性も非常に感じました。

新発田市は城下町であり、その後も軍都として栄えた歴史があります。こうした街にはさまざまな歴史的な記録、繁栄の記録が残っています。残念ながらそれをそのまま取り戻すのは非常に困難ですが、今を生きる学生たちが、新発田が繁栄していた時代を知り、それを別の形で継承していくために、写真を通じてバトンを受け取ることはできるような気はします。若者のライフスタイルと記録の中に残っている「繁栄」の間にある、ギャップは大きいのですが、豊かな文化があったということを知ること、さらにはその時代を知る人達とつながることで、学生たちの地元新発田に対する見方を、少しは変化させられたのではないかという気がします。

撮影の最後には、ちょうどお盆前ということで、市内で開催されていた、お盆前の伝統的な市「花市」を見学。これまた新発田出身の学生たちにとって、全員初めての「花市」体験となりました。さらに「花市」に出ていたちんどん屋についても、「あれは何ですか?」と学生たちにきかれて、説明することに。なるほど、自分ももう10数年とちんどん屋をみた記憶がなかったわけで、学生たちが知らないのも無理ないのかもしれません。

花市
ちんどん屋

実は私も最近まで、この新発田の「花市」のことは知りませんでした。かつては花屋などの露天が道を埋め尽くしていたようですが、今はポツポツと間が空き、静かなローカルイベントになっていますが、これはこれでよい雰囲気の、風情あるイベントでした。タイの郊外で見かけた観光化されていないナイトマーケットを思い出しました。ここにはまだ、写真だけでなく、現実のイベントとして残っている、街の記憶がありました。

花市/にいがた観光ナビ

写真に眠る街の記憶と現代を生きる学生をつなぎ、その先に何があるのか。実はまだよく見えないのですが、古い写真を媒介にして、地域の人々が世代を超えてつながることはできるのではないか。充実感あふれる学生たちの表情から、少し期待感を持ちました。

【追記】当日の様子をまとめた短い動画をYoutubeにアップしています。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)