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CGTN

南京事件80周年報道と山本武「一兵士の従軍記録」

2017年12月13日は、南京大虐殺から80年。中国の英語チャンネル「CGTN」でも、南京大虐殺特集が組まれていて、南京事件当時の現地の様子を映像に記録したジョン・マギー氏の孫が登場したほか、南京大虐殺が起きた背景に関する専門家へのインタビューなどが放映されていた。

ジョン・マギー – Wikipedia

日本では、「習近平氏は、自ら演説しなかった」という点に着目、日中関係に配慮したのではないかという憶測/分析が流れた。

習主席、出席も演説せず=南京事件80年、対日配慮か-中国:時事ドットコム

日本人の動きについては、あまり記事をみなかった(もっとも当日の日本メディアをちゃんとチェックしていないのだが。)が、中日新聞が、福井県から南京での法要(仏教式なので、おそらく政府主催のものとは別)に参加した男性のことを報じている。

南京大虐殺、現地法要に福井の男性参列:福井:中日新聞(CHUNICHI Web)

1937(昭和12)年の南京大虐殺から80年の13日、父親が南京攻略戦に従軍した元鯖江歩兵第三六連隊兵士だった福井市の男性が、中国・南京で営まれた平和法要に参列した。日中韓の僧侶と共に追悼した男性は「これで許してもらえるとは思わない。これからも戦争をするなという父の言葉を伝えなければ」と話した。

山本富士夫さんの父、山本武さんは、南京事件の際にも従軍しており、そのときの記録を自費出版しているそう。

調べてみると、山本武「一兵士の従軍記録」という本で、自費出版であることもあり、入手は困難なようだ。福井県立図書館、福井市立図書館には所蔵されている。

山本武の「陣中日記」を読みたい。県立図書館や福井市立図書館で読めるとインターネットに書いてあった。 | レファレンス協同データベース

このほか、おそらくほぼ同じ内容の「翻刻版」として、隼田嘉彦「山本武の『陣中日記』」が、福井大学教育学部紀要に掲載されている。

CiNii 論文 –  山本武の「陣中日記」-上-

Gemas War Memorial

日本人の忘れた戦地:グマス近くSungai Kelamahの記念碑

マレーシア南部の交通の要衝グマスをめぐる戦いについて、マレーシアに来る前の自分は、何も知らなかった。マレー侵攻作戦についても、あまり詳しいことはしらなかったというのが正直なところだ。マレー半島を南下して、シンガポールを陥落させた頃は、日本軍も日本国民も「まだまだいける」と戦意が高かったという印象がある程度だ。

グマスの戦いについては、日本語ウェブにもあまり情報がない。戦記物の本から転載したのかなあという文章で、「マレー侵攻作戦」についてのウェブサイトがいくつかあり、グマスのことがちょっと出てくることはあるが、非常に短くでている程度。

Youtubeに、1971年放映のアニメンタリー「決断」の「マレー突進作戦」の回があったので、見てみたが、ここでもグマスの話は出てこない。

アニメンタリー 決断 – Wikipedia

マレー侵攻は、日本海軍が英国海軍を破って制海権を握り、ジョホールバルからシンガポールを陥落させて、最終的に英国を降伏させるというあたりが(日本人にとっての)クライマックス。途中で苦戦したグマスの話は、端折られがちな情報なのだろう。

しかし英語版のウィキペディアには、グマスの項目のところに、日本とオーストラリアの戦いについて書かれているし、Battle of Gemasという項目もある。調べてみると、この戦いをめぐる戦跡に、記念碑(慰霊碑?)が建っているという。

Gemas – Wikipedia, the free encyclopedia

Battle of Gemas – Wikipedia, the free encyclopedia

グマス駅前で検索してみると、グマスの戦いの跡は、グマスから11キロ離れたSungai Kelamahというところにあり、ナビアプリで戦跡は出てこなかったが、この集落のモスクが出てきた。マラッカからグマス駅に向かう途中で、通り過ぎてきたらしい。戻って探してみることにした。

走ってみると、Sungai Kelamahの表示のあたりで、幹線沿いに記念碑のようなものが見つかった。行ってみると入り口に鍵がかかっていたが、横から入っていけるようになっていた。

Kelamah River War Memorial

元日本軍の関係者も、ここを訪れるとウェブにはあったが、記念碑には、オーストラリア軍視点で記述がなされていた。1942年1月14−15日の2日間、日本軍のグマスへの進軍を防ぐべく、オーストラリア軍が激しい攻撃をしかけた。

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

マレーシア(あるいは州?)が用意した多言語で説明文の書かれた碑に、かろうじて日本語が書かれているが、内容は要領を得ない。

Kelamah River War Memorial

記念碑の奥には、川に降りていくことができる階段があり、そこには橋の跡のようなものが残っている。この橋のところで、オーストラリア軍が日本軍を待ち伏せしていて、橋を爆破、奇襲攻撃をしかけたという。この残骸はそのとき爆破された橋なのだろうか。

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

Kelamah River War Memorial

爆破された橋はGemencheh Bridgeといわれている。今の地名と一致しないが、その関係はよくわからない。帰りに通った隣町の名前がGemenchehであった。

Wikipediaでは、グマスの戦いでの日本側の犠牲者(死傷者)は1000、オーストラリア側は81と、日本側の犠牲が大きかったとある。現場には川の中に入って両軍入り乱れて戦っている様子が、絵に書かれている。

Kelamah River War Memorial

この状態で1000人もの日本兵が死傷したということか。もちろん話が端折られるぐらいなので、その後日本軍は序盤の苦戦を挽回、最終的にオーストラリア軍を破り、ジョホールバルへ進軍している。

オーストラリアは、マレーシアへの観光客も多いところで、自分もマレーシアにいる間に一度オーストラリアに行きたいと思っていた。だが調べてみると、マレーシアからの所要時間は、日本までとあまり変わらない。母国を遠く離れた、日本とオーストラリアの人々が、マレーシアの川の上で戦いを繰り広げたということになる。

日本を遠く離れ、故郷を思いながら亡くなった兵士は無数にいる。南方の島々のジャングルをさまよった兵士も多い。それに比べると、グマスでの戦いには、そこまでの悲惨さはない。しかし多くの兵士が、(Wikipediaにある通り)ここですでに亡くなっているのだとすれば、それにもかかわらず、そのことが現代日本において、ほとんど顧みられないというのは、なんだかひどい話のように感じられた。

いやそれをいうなら、あっちにもこっちにも、たくさんの兵士が亡くなったにもかかわらず、顧みられていない場所はあるはずだ。さらにいえば、そうやって日本人が顧みるべき場所は、日本人が亡くなった場所だけなのかといわれれば、さらにその範囲は広がる。

ただ、原爆や空襲、その他日本国内で起きたさまざまな出来事は、今でも共有されていることは多いけれども、それに比べて、日本の外で起こった出来事については、圧倒的に語られることが少ない。日本軍のマレー侵攻後にマレーシアやシンガポールでどんなことがあったのかも、あまり知られていない。こちらにいる間に、できるかぎり学び、行けるところには行ってみたいと思っている。

(追記) 日本側の「犠牲者」というのは、1000 casualities、「死傷者」数であるので、表記を一部訂正しました(2017年9月26日)。

旧グマス駅

マレー鉄道が交わるGemas / グマス駅をたずねた

マレーシア南部、マラッカから数十キロの内陸部に、グマスという街がある。マラッカに来て車にのるようになり、初めて東海岸まで車で行った際、道中にやたらと出てきたGemas(最初は「ゲマス」と読んでいた)という表示が気になった。あとで調べてみたら、第二次世界大戦で、日本とオーストラリアが激戦を繰り広げた場所であった。

ハリラヤ休暇の今、混雑を避けて、あまり人が集まっていないだろう(?)、グマスを訪ねてみた。

グマスはヌグリ・スンビラン州に属する小さな町で、人口は3万人弱。駅前の様子を見る限りは、これといった特徴はないのだが、東海岸と西海岸をそれぞれ縦断するマレー鉄道が合流して、ジョホールバルへ連なっていく「交通の要衝」といってよい場所だ。東海岸から来た人たちが、ここで一泊ということもあるのだろう(今でもあるのか?)、駅前には歴史を感じさせるホテルがあった。

グマス駅前旅館

マラッカは鉄道の路線から外れているので、特にそう感じるのかもしれないが、マレーシアは鉄道よりも車の利用率が高い。かつて多くの乗客を運んでいたマレー鉄道は、都市間の移動手段としての存在感は、あまり高いようには見えない。日本の小さな町でも、「駅前旅館」がどんどん消えていっているように、グマスの駅前ホテルもまた、歴史的な役割を終えようとしているように見えた。

グマス駅を訪ねてみると、人影がほとんどなく、薄汚れている。

旧グマス駅

ハリラヤ休暇だからか、売店もあいていない。マレー鉄道もあまり本数は多くないようなので、こんなもんかなあ、でもチケットカウンターに人もいない。ホームにはゴミが落ちている。

旧グマス駅

旧グマス駅

旧グマス駅

思いながらカメラを持って中に入って行くと、なんと線路がなくなっている。日本最北端で、線路が終わっている、稚内駅のようだ。なぜ?東西の路線が一度ホームに入り、後ろ向きに出ていって、ジョホールバルに向かうのか?

旧グマス駅

と思ってよく見たところ、向こう側に線路と新しい建物が。

実は駅舎と線路が新しいものに切り替わっていた。新しい駅舎は、特に特徴はない新しい建物。あとで、マラッカに一番近い駅タンピン駅(Pulau Sebang駅)にも行ってみたら、全く同じ構造の駅舎であった。

グマス駅

グマス駅

このグマスをめぐり、シンガポールを目指して南下する日本軍と、これを食い止めようとするオーストラリア軍が、激戦を繰り広げた。

実は日本語では、検索した程度では、あまり詳しい情報は出てこない。日本が快進撃を続けた「マレー侵攻作戦」の文脈で、グマスのことがちょっと出てくることもあるが、その程度だ。マレー侵攻は、日本海軍が英国海軍を破って制海権を握り、ジョホールバルからシンガポールを陥落させて、最終的に英国を降伏させるというあたりが(日本人にとっての)クライマックス。途中で苦戦したグマスの話は、ウェブではあまり情報が出てこない、端折られた情報なのだろう。しかし英語版のウィキペディアには、グマスの項目のところに、日本とオーストラリアの戦いについて書かれているし、Battle of Gemasという項目もある。調べてみると、この戦いをめぐる戦跡に、記念碑(慰霊碑?)が建っているという。

Gemas – Wikipedia, the free encyclopedia

Battle of Gemas – Wikipedia, the free encyclopedia

グマス駅前で検索してみると、グマスの戦いの跡は、グマスから11キロ離れたSungai Kelamahというところにあり、ナビアプリでは戦跡は出てこなかったが、この集落のモスクが出てきた。マラッカからグマス駅に向かう途中で、通り過ぎてきたらしい。戻って探してみることにした。

(長くなったので、戦跡訪問は別項目で)。

「まちあるき」から一歩進んで、コンテンツを生み出す「フォトウォーク」を始めよう

昨今ニュースでも、「まちあるき」という言葉を聞くことが増えました。今や全国各地で「まちあるき」の取り組みが生まれ、これに関するニュースを聞かない日はないといってもいいぐらいでしょう。今回はこの「まちあるき」と、私が取り組んでいる「フォトウォーク」の違いについて、書いてみたいと思います。

「まちあるき」は、「定番」となった観光資源でなくとも、さまざまな地域の資源を「磨き上げ」ていこうという文脈で、注目されているように感じます。まちの「お宝」を再発見する「まちあるき」を推進するため、ガイドブックも多数作成されています。私の勤務校敬和学園大学のある新潟県新発田市でも、「新発田市歩く旅のまちづくり推進協議会」が最近、市内の寺院を巡るためのガイドブック「巡る。」を作成し、ニュースになっていました。

新発田市が中心となってつくる「新発田市歩く旅のまちづくり推進協議会」は、市内の寺院14か所とその周辺を案内するガイドブック「巡る。」を発行した。寺院を回りながら町歩きの楽しさを知ってもらうのが狙い。大型連休中に同市を訪れた観光客らに好評で、担当者は「寺という切り口から、新発田の魅力を見つけてもらえれば」と話している。

新発田の寺巡る冊子 市街地活性化狙い発行 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
[http://www.city.shibata.niigata.jp/view.rbz?cd=14919 寺町等寺院専門ガイドブック「巡る。~御城下新発田寺巡り~」好評配布中です。 | 新発田市ホームページ]

新発田でいうならば、新発田城や月岡温泉はいわば「定番」なのですが、全国の「定番」同士の競争は激しく、個人客もどんどん来るようなブランド化や個性化が見られなければ、客足は伸びません。カスタマイズされた、ひとりひとりの「発見」をサポートするのが、こうした新しい切り口のガイドブックであり、これによる「まちあるき」観光ということになるのでしょう。また、一方で地域の人々に、「こんなの別に特徴なんてないし、、、。」と思っているものを再評価してもらい、「磨き上げ」につなげていくのが、地元の人達により「まちあるき」です。

これに関連して、私自身が2009年から新潟で続けている類似の活動が、フォトウォークです。フォトウォークは、同じように「まちあるき」をするのですが、参加者はみなカメラを持ち、風景や出会った人々、あるいは参加者同士を撮影します。

新潟フォトウォーク| Niigata Social Media Club / 新潟ソーシャルメディアクラブ

フォトウォークは、日本ではまだ認知されていない言葉ですが、英語版のWikipediaには「Photowalking」という項目があり、世界のフォトウォークのスケジュールをまとめているサイトも有ります。

Photowalking – Wikipedia, the free encyclopedia

Scott Kelby’s Annual | Worldwide Photo Walk

国内では、2008年ごろから関東圏でフォトウォークを開催しているグループ「テクテクパチリ!」がありますし、Google+の中に、関東圏でフォトウォークを行っているコミュニティができているようです。

テクテクパチリ!

私が企画に関わっている新潟フォトウォークは、すでに21回目。5月10日に南魚沼で開催しました。今回は南魚沼市観光協会さんに協力をいただいて、清酒八海山の八海醸造さんが運営する雪室のある「魚沼の里」、「まちあるき」でも最近注目されている塩沢地区の牧之通り、雪室を利用してワインを作っている越後ワイナリーを訪問、撮影を行いました。新潟県の場合、市街地以外をめぐって撮影をする場合、途中の移動を徒歩だけでなく、車を利用することになりがちで、今回もバスを使って移動する時間が長くなりました。

魚沼の里
牧之通りで集合写真
牧之通り
越後三山

フォトウォークの特徴は、写真コンテンツの共有と蓄積、それとコミュニティ形成です。「まちあるき」の場合には、個人であれば歩いて終わりですが、イベントの場合だと「ふりかえり」があります。フォトウォークはここからさらにもう一歩進んで、コンテンツの共有をしています。たとえば、今回の南魚沼でのフォトウォークでは、Flickrでのタグを「npw20140510」とし、Instagramでは「#npw20140510」としました。これは毎回の慣行なのですが、必ずやらなければならないというものではないですし、まして、誰かがみんな写真データを集めて一つの場所に集積するというものではありません。参加者が当日の打ち合わせにしたがい、それぞれがアップロードする際に、自主的につけたタグがつながり、その日の成果が自然に共有されるというものです。

ちなみに、5月10日のフォトウォークで撮影されたもののうち、Flickrで共有された写真。このようにいろいろなユーザの写真が、自然につながって見えるようになっています。

Flickr: “npw20140510”

Instagramで共有された写真。

#npw20140510 | listagram

Facebookでも共有されています。

#npw20140510

現在、写真共有の標準的なサービスが定まらないので、どのサービスで写真を共有するかを指定するのはなかなか難しいのですが、それでも毎回かなりの枚数が、それぞれのサービスで共有されます。参加者は、帰宅した後で、それぞれが撮った写真を見ながら「異なる撮り方」「異なる視点」を実感しますし、もちろん撮影テクニックも学びます。同じコースを歩いているのに視点が違えばこんなに違うのか、あるいは、この態勢で撮影していたのはこういうアングルをねらっていたのかなど、毎回学ぶことは多いです。

寝撮り

またこうしてゆるやかにタグでつながった成果は、ネット上に蓄積され、地域の写真データとなります。新潟のような地方では特に、農村部にカメラが入っていって撮影し、アップロードしている人が少ないので、将来に向かって貴重な資料が蓄積されていくのではないかと思います。

「まちあるき」の成果を個人の中に埋没させるのではなく、みんなで共有しようとはいうものの、成果物をまとめて発表するというのは大変です。その点フォトウォークは、成果をまとめる必要はさほどありません。オンライン上でアップロードされたものが自然につながって、蓄積されていきます(もちろん、いいまとめ役がいて成果物としてまとめていくと、もっといいとは思いますが)。私のように一向に腕の上がらないユーザも、プロはだしのカメラマンも、みんな同じ方法で写真を共有し、それらに対する「いいね」などの「ソーシャル」な評価で、秀作が浮かび上がってくる仕組みになっています。

さらにフォトウォークでは、コミュニティもスムーズに形成されます。もちろんフォトウォーク当日に、参加している皆さん同士でお話をするのはもちろんですが、その後もアップロードされた写真を通じてコミュニケーションが続き、また次のフォトウォークで再会するというサイクルができます。オンラインとオフラインを行き来した、「ソーシャルメディア」的なコミュニティが、スムーズに形成されていくと思います。

ソーシャルに蓄積されていく成果と、形成されていくコミュニティ。特に前者の仕組みが理解しにくいために、フォトウォークは、「カメラ好きのまちあるき」という評価にとどまりがちです。しかし本来「まちあるき」を推進している人たちが目指している要素は、フォトウォークにすべて含まれています。もちろん同じことは、映像撮影でもできると思います。重要なことは、コンテンツが共有され、自然に蓄積されていくという営みが、自然に実現されていくという点です。プロの作るコンテンツがものの見方を定めるのではなく、アマの視点の集積により、意外な視点があぶりだされます。これこそ、手詰まり感のある地方の人たちが、待っているコンテンツではないでしょうか。

(ひょっとすると、保守的なコミュニティでは、コンテンツが「自然に蓄積されていく」という、ハプニングを許容する性質を許容できないために、フォトウォークやこれに類するものが定着していかないのかもしれません)

「まちあるき」に取り組む地域の皆さんにも、ぜひ「フォトウォーク」を始めてみてほしいと思います。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

ニューヨーク・タイムズ記者のビザ更新問題で中国政府が見解

中国政府が、ニューヨーク・タイムズの記者のビザ更新を拒否した問題で、中国外務省がコメントを発表している。温家宝首相一族の蓄財問題を、昨年10月、ニューヨーク・タイムズ紙が報じており、この件との関連が指摘されている。

Chinese flag

米紙記者のビザ申請「規定に合わず」 中国報道官、正当と主張 – MSN産経ニュース

米紙ニューヨーク・タイムズのクリス・バックリー記者が中国で報道ビザの更新を受けられなかった問題で、中国外務省の華春瑩報道官は4日の定例記者会見で、手続き上の問題からバックリー氏のビザ申請は「中国の規定に合致しない」と述べ、ビザを延長しなかったことは正当だと主張した。

 報道官は「バックリー氏はほかの外国メディアの記者証を所持しており、雇い主がどの報道機関なのか分からない」と説明。このため、バックリー氏のニューヨーク・タイムズ紙記者としてのビザ申請は規定に合わないとしている。

日本の報道では、「中国の規定」としか言っておらず、正確な法令についての言及はなさそうだ。これだけの懸念が表明されている以上、具体的な事実関係を、可能な限り明らかにしたほうが、中国政府にとっても国際的信用を失わずによいように思われるのだが(と、日本語で書いても仕方がない)。

全く本題と関係ないけれど。いろいろ情報を調べていてわかったのだが、、Wikipedia日本語版に書かれている情報によると、華春瑩報道官は同世代の人であった。

青函連絡船の時代を知る一冊:金丸大作「写真集 青函連絡船」

実家の本棚から引っ張りだしてみたら、予想外に面白かった一冊。1984年出版なので、廃止される前に出版された本。実家にいた時代にもパラパラめくってみていたはずだが、あまり印象に残っていない。

写真は昭和30年代を中心に掲載されており、青森と函館を往来する人々の姿、船を運行に関わる船員その他の表情などをリアルに伝えている。個人的最も興味深かったのは、景福丸。「景福」といって思い出されるのは、ソウルの「景福宮」なので、韓国と何か関係が?と思ったら、その通り。関釜航路から、青函航路にうつってきた船だそうだ。空襲で、青函航路の船の多くが被害を受け、他の航路から船を確保したそうで、稚泊航路からも「宗谷」が応援に入ったという記述もあった。

景福丸は戦後引退し、函館港に係留され、日本で唯一の船上旅館としてしばらく営業していたという。景福丸が解体後も函館ハーバービューホテルの一角に、船上旅館を運営していた鉄道弘済会によるお土産店「景福」がしばらく残っていたそうだ。

 

「函館市史」通説編4 7編1章コラム14

景福丸 – Wikipedia

景福丸 – 函館鉄道写真館 – Yahoo!ブログ

1984年に出版されたものと同じ写真で再度2006年に出版されたのが、「青函連絡船の記録」だそうだ。

日中の首脳が困難を乗り越えた様子がよくわかるドキュメンタリー「1972年“北京の五日間”こうして中国は日本と握手した」

田中角栄総理と大平正芳外相が訪中し、周恩来総理、姫鵬飛外交部長と厳しい交渉の末日中共同声明を出すまでの5日間について、関係者へのインタビューを中心に構成したドキュメンタリー。日中国交正常化40周年記念で放映され、中国各地でデモ・暴動が起こる中で放送された。

NHKオンデマンド | BS1スペシャル 「1972年“北京の五日間”こうして中国は日本と握手した」(前編)

1972年に「日中共同声明」が締結されて40年。北京での5日間の交渉で、田中角栄、大平正芳、毛沢東、周恩来という“名優”が、いかに困難を乗り越え調印に至ったのか。米中和解と日中国交正常化を中国が相次いで求めた動機は何だったのか。中国側当事者と共産党中央党史研究室へのインタビュー、残された会談記録や回顧録から解き明かしていく。(前編)

現在も日本の世論は対中強硬派が主流。中国側も表面的にはそのように見える。40年前の両国の力関係は、現在と異なるけれども、日中それぞれの代表者が、それぞれ脆弱な国内基盤を懸念しつつも、合意できる突破口を探し、決断していった様子が非常によく理解できた。もちろん、「ご迷惑」発言が波紋を広げるなど、日中の思わぬ行き違いには、日中の立場の違いを理解する難しさも感じさせられる。

添了麻煩 – Wikipedia

日本側を代表した田中・大平両氏が、難しい状況をどのように突破し、現場で決断したのか、その決断力・胆力を覗きみることができる。国内だけで勇ましいことをいうだけでなく、相手の立場を踏まえて、外交で突破口を見つけるというのも、政治家の大事な能力であろう。このご時世の中でとりわけ、強く感じるところだ。

後半では、中ソ対立の中で追い込まれていた中国の立場が、文革の様子とともに、詳細に紹介されていて、これまた面白い。

朗読を担当した林丹丹さんは、オスカープロモーション所属の女優で、お父さんが日本人、お母さんが中国人とのこと。日本語、中国語、英語での朗読をそつなくこなし、北京の街かどや日中の交渉に使われた場所を訪問していた。全体のストーリー展開を邪魔することなく、非常に自然に番組の中に溶け込んでいて、好感を持った。

 

林丹丹オフィシャルブログ&プロフィール Powered by beamie

【可愛い】林丹丹の画像【美人】 – NAVER まとめ

Katong Laksa #singapore

カトンラクサは、今まで食べたラクサとはまるで違った

今回のシンガポールでは、シンガポールの定番と言われる料理を、ほとんど食べることができた。「ラクサ」には、マレーシアであまりいい印象がなかったのだが、シンガポールのラクサはちょっと違うというので食べてみた。シンガポールのカトン地区が発祥のカトンラクサ。今回はホランド地区のお店だったが。

Katong Laksa #singapore

以前食べたのはおそらくペナンラクサ(サラワクのラクサも食べたような気がする)で、酸味と魚の出汁が同居しているため、日本人の評判はイマイチ。自分も食べられないことはないが、率先しては食べようとは思わなかった。

カトンラクサは、酸味はなく、カレー味でややクリーミーと、日本人にも食べやすい。本当は赤貝のような貝が入るらしいのだが、妻が警戒したので、除いてもらった。カトンラクサの麺は、プチプチと細かく切れていて、箸は使わずにフォークだけで食べるらしい。プチプチきれるといえば、弘前の津軽そばだが、津軽そばとも異なり、最初から短く切れていた。

どうやら一緒に食べるらしいのが、オタオタ(Otakotak)。オタクオタクと読める綴りのようだ。葉の中に、魚のミンチを固めたものが入っている。見た目はさつま揚げのようだが、実際にはやわらかかった。

Otakotak, Singapore

Otak Otak, Singapore

そうか、ラクサというのは地域によっていろいろ違うんだなと思い、調べてみたところ、英語版Wikipediaでは、10数種類のラクサに分類されていた。非常に奥が深い。今回食べたカトンラクサと同系統のカレーラクサには、ニョニャラクサ、クランタン、トレンガヌ、ケダなどのラクサムといったラクサがあるようだ。

Laksa – Wikipedia, the free encyclopedia

The old train @ Sado

「A列車で行こう9」で、新潟市中心部を走っていた新潟交通電車線を再現

「A列車で行こう」というのは、Windows用ゲームソフトのよう。これを使って、1999年に廃止された新潟交通電車線を、ときめき駅まで再現した映像がYoutubeにアップされていた。

The old train @ Sado

Photo by woinary

始発駅はもともと白山前駅で、その後東関屋駅からに短縮されたようだが、この動画では新潟駅から地下を走って万代橋を渡り、7号線沿いに白山前まで接続するようになっている。そこからときめき駅まで。新潟駅から「バスセンター駅」までは、地下を走っている。こんな電車が走っていたら便利に違いないと思う、新潟市民も多いだろう。

電車が地上に出て万代橋を渡り、礎町駅につくあたりは壮観だが、実は万代橋は拡幅のため壊されている(という設定)。

旅人の視点で考えれば、市内中心部を貫く交通が、このように分かりやすく整備されていることは非常に重要だと思う。

「新潟シモフルのおんぼろビルに暮らす」でも、同じ動画が話題にのぼっていた。

人口減と空き家と公共交通 :: 新潟シモフルのおんぼろビルに暮らす

新潟交通電車線 – Wikipedia

平和博『朝日新聞記者のネット情報活用術』(朝日新書)

朝日新聞編集委員の平和博さんの新刊。『月間ジャーナリスト』という雑誌で連載された「新人記者のためのネット取材講座」の現行が元になっていて、いわば新人記者に向けたネット利用指南なのだが、「デジタルネイティブ」ではあるものの「発信者」としては未熟な大学生、あるいは一般のネットユーザに対しても、非常に示唆のある内容となっている。

本書では、梅棹忠夫『知的生産の技術』を始めとする「情報の扱い方」についての過去の著作を例にとりつつ、本格的なネット時代でにあわせてこれらノウハウにもアップデートや新しい基礎知識が必要になってきたとし、その新たな能力を総称して「ネット力」と称している。その上で「ネット力」を、「収集」「保存」「確認」「編集」「発信」「共有」「安全」の7項目に分けて説明している。

普段から、ソーシャルメディアを含むネットを使いこんでいるユーザであれば、さほど新しい情報は出てこないのだが、大学で教えている立場からすると、整理の仕方は非常に参考になる。その中でも、Wikipediaを含む「ネット情報」の確かめ方に関する「確認」の項目は、学生はもちろんのこと、普段何気なく使っている大人にも役立つノウハウである。さらに、情報のまとめ方(編集)には、新人新聞記者を意識して、ウェブと紙の違いを踏まえた文章の書き方が書かれている。

全体的には、コグレさん・するぷさんの「プロブロガー」とは異なり、どちらかというと、藤代さん「発信力」に近い内容かもしれない。情報を収集・発信・共有といった全プロセスについて、網羅的にカバーしているのは、この平さんの本だろうか。いずれにしても、ソーシャルメディアやブログ、いやもう少し広く、メディアの世界に関心をもつ大学生は、この三冊、是非読んでみるべきだろう。