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クリエイターら、著作権保護期間延長の議論を呼びかける国民会議発足

<p>リンク: <a title="クリエイターら、著作権保護期間延長の議論を呼びかける国民会議発足" href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/11/08/13870.html">クリエイターら、著作権保護期間延長の議論を呼びかける国民会議発足</a>.</p>

<p><a title="asahi.com:著作権の保護期間延長に慎重論議を 別役実氏ら申し入れ�-�文化芸能" href="http://www.asahi.com/culture/update/1108/018.html?ref=rss">asahi.com</a>にも出ているが、上のインターネットウォッチのほうが詳細で正確だろう。基本的には、「もっとよく考えろ」というのがこの会議の趣旨だ。</p>

<p>とはいえ、山形浩生氏の以下の発言が、この会議の方向をあらわしているのかもしれない(朝日はそうとっている)。</p><blockquote dir="ltr" style="margin-right: 0px;"><p>延長に反対する立場だ。死後の保護期間の延長であるという認識が正確に伝わっていないように思う。たとえば、僕の書いたものは、死後50年の現在、平均寿命程度生きたら2100年近くまで延びる。それがさらに伸びたら、著作権者の著作意欲が出るのか疑問だ。</p></blockquote><p dir="ltr" style="margin-right: 0px;">ただ、城処先生の以下のコメントにも留意すべきだろう。</p><blockquote dir="ltr" style="margin-right: 0px;"><p dir="ltr" style="margin-right: 0px;">米国で「著作権延長法」(CTEA)は別名「ミッキーマウス保護法」と言われるように、ミッキーマウスが最初に登場した映画の著作権が2003年に切れるのを見越して、その直前に延長されたが、その他にもヨーロッパではすでに70年に延長されていたという背景もある。欧米ではすでに70年になっている以上、単純に考えて日本が50年では不利なので、その点からは延長に賛成だ。</p></blockquote><p dir="ltr" style="margin-right: 0px;">別に欧米にあわせなくてもいいだろ、とはいうものの、ということだ。ただ、基本は保護期間に関する原則は、「短いほうにあわせる」という形の相互主義なので、日本の著作物の保護期間だけ、アメリカで死後50年でいいっていうのであれば、そんなに不利にはならないのかもしれない。</p>

<p dir="ltr" style="margin-right: 0px;">著作物の流通に関する制度が、現実の技術的発展に全くついていけていない、今の時期に、延長問題を議論していることがそもそも問題だということだろう。正当な利益を持つことが明確な人だけが、著作者の死後70年まで利益を得る、それ以外の権利は消尽させる、という仕掛けになってくれれば、問題は解消するように思える。そういうだけなら簡単だが。</p>

<p>追記:IT Mediaにも関連記事が出た。<br />リンク: <a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/08/news103.html" title="ITmedia News:「著作権保護期間の延長、議論を尽くせ」――クリエイターや弁護士が団体発足">ITmedia
News:「著作権保護期間の延長、議論を尽くせ」――クリエイターや弁護士が団体発足</a>.</p>

BBC NEWS | UK | Call for legal copying of own CDs

こうやってブログを書き始めると、自分の勉強不足を自覚する。
それはそれでいいことなのだろう。

リンク: BBC NEWS | UK | Call for legal copying of own CDs.

自己所有のCDやDVDを複製することを、法的に承認すること。著作権の保護期間を延長しないこと。がこのレポートの趣旨。

前者について、英国では、私的使用のための複製(そういう書き方ではないと思うが)が認められていないということだろうか?この記事によると、日々英国民の多くが著作権侵害を繰り返している、そうなのだが。こちらをみたほうが良さそうだ。

http://www.ippr.org.uk/pressreleases/?id=2404

Current intellectual property law provides the owner of copyright in a
work with the exclusive right to copy it ‘in any material form’. While
exceptions to copyright do exist, for example copying for the purposes
of research, reporting or parody, these apply only in special
circumstances and only where a ‘reasonable proportion’ of the work is
copied. What constitutes a reasonable proportion is not defined;
however, it is not taken to cover copying a work in its entirety. The
UK’s exceptions to copyright – so called ‘fair dealing’ provisions – do
not include a private right to copy.

(中略)

The EU Copyright Directive gives scope to introduce a private right to
copy: Article (38) Member States should be allowed to provide for an
exception or limitation to the reproduction right for certain types of
reproduction of audio, visual and audiovisual material for private use,
accompanied by fair compensation.

というわけで、英国著作権法では、著作物を丸ごとコピーするのは、私的使用のための複製として許容されないということになる。英国発のLast FMは、自分でCDからコピーしたか、あるいはダウンロードした音楽ファイルのプレイリストを、みんなに晒してシェアしている。自分で買ったものかどうかはバレないの?という項目がFAQにあったが、自分で買ってても、このレポートにしたがうなら、UKでは法的に許容されないということになる。

なので、「private right to copyを著作権法に含めろ」と、話としては納得だが、ほんとにそうなっていたのか。ノーマークだったのでちょっとびっくりでがっくり。UKがそうだとすると、コモンウェルスの他の国もそうなっているのだろう。

追記:日本語にフォロー記事がITmediaに出た。

リンク: ITmedia
News:「私的利用目的での複製を合法化せよ」――英シンクタンクが主張
.

“ママ、クリーニング小野寺よ”

店の名前が台詞形式になっているクリーニング屋。市内の何箇所かで見かけた。新潟の人は変わったネーミングをするんだなあ、と思ったが、どうやら本社は鶴岡のようだ。

http://onoderacleaning.co.jp/kimono/

リンク先下のほうの子供のキャラクタをクリックすると、「ママ、クリーニング小野寺よ」の肉声が聞ける。またビューティフルライフを連呼する、古めかしいCMソングもある。

進化するフィッシングの手口-IMを悪用- | 情報セキュリティブログ | 日立システムアンドサービス

リンク: 進化するフィッシングの手口-IMを悪用- | 情報セキュリティブログ | 日立システムアンドサービス.

このサイトのIT駄洒落大賞は、どうかと思うが、「添付ファイルを実行しなければ大丈夫」というような、古いセキュリティ感の人には、いろいろ勉強になることも多い。

知らない人にIMで話しかけられて、それでだまされることなんてあるか?と思ったが、なるほど、他人のアカウントを乗っ取ってからなりすましをやるわけだ。

Bistro de またのり (続き)

見逃せないのが、生牡蠣の通年提供。東京ではオイスターバーが何店舗もしのぎをけずっているが、新潟にはその手の店はまだない。夏場限定の岩がきは、最高なんだが。

実はまたのりの生牡蠣は、ワシントン州からの空輸品。そんなことは書いてないので、誰も気がついてないような気がする。Maimonなら、値段、倍以上しますよ。ひそかなお買い得。

ネパール料理・インド料理

Gタムが上京して、3日ほど我が家を訪れた。
その間、うちの近くのネパール料理、インド料理の各店を訪問、どれもなかなかおいしい店であることがわかった。
1.Himalayan Moon Cafe
2.Nawab
3.ネパールのお座敷DINING tika
Himalayan Moon Cafeは、ネパール・インド料理の店。マネージャとおぼしき人は、シェルパ族の人だったので、おそらくネパール料理がメインなんだけど、インドも、っていう感じ。夜もディナーバイキングをやっていて、定額でいろいろネパールのおつまみを試すことができる。
Nawabはインド料理。パキスタン人のオーナーで、ネパール人がウェイターをしている。ここはネパール料理はなく、インド料理(パキスタン料理?)。ダルバートはやらないらしい。去年ネパールの学生たちを東京に連れてきたときにも、内田洋行さんにここの食事を用意していただいた。稚内でネパールの味から離れていた学生たちはほっとした顔をしていたのを覚えている。ランチも結構なボリュームであった。
tikaは東京駅八重洲口の繁華街にあり、なかなかいい立地なのだが、なにぶん看板がわかりにくかった。ここはカトマンズのツーリストエリアであるタメル地区でいうと、FullmoonとかLhasaのような、お座敷タイプの店。なんでネパール料理なのにお座敷?と思ったが、行ってみて意味がわかった。ここが一番ネパールっぽい雰囲気だった。ネパールのお酒も、エベレストビールだけじゃなく、ククリラム、ロキシ(品切れだったけど)、チャーが用意されていた。ちなみにエベレストビールなのに、日本のは瓶が小さい。ネパールでは大瓶がデフォルトなんだけど。
Gタムが一緒だったので、どこの店でも店員さんと親しく話をすることができ、気軽に一人でも立ち寄れそうだ。ちなみにどこへ行っても、ネパール人たちは出身地から会話を始めていた。そういえば、ネパールでは結構一般的な慣行のような気がする。

グーグル検索おそるべし–ウェブでの小論文公開が名誉毀損裁判に – CNET Japan

グーグル検索おそるべし–ウェブでの小論文公開が名誉毀損裁判に – CNET Japan
Matimulogからたどった。
僕が担当している4年生の一人が、キュッシュの著作権問題について卒論を書いている。
キャッシュのような「一時的蓄積」については、一部の態様について複製権の対象とするべきだという点で国際的に一致を見ているが、「一時的蓄積」が「複製」に含まれると解した上で権利制限を設けることでバランスをとろうとするアプローチと、「一時的蓄積」の中にも「複製」に含まれるものと含まれないものもあるとするアプローチがある、というところまではたどりついた。さて、ここから先どんな結論が出てくるか、楽しみだ。
立ち戻ってこの記事。
Googleのキュッシュは、もはや「一時的」蓄積というようなものではない。
この記事でははっきりしないが、論文を削除した後も検索すれば「出てきて」しまう状態だったという。Googleのキュッシュなのか、話題になったのですでにあちこちに情報として転載されてしまったのか。
もちろん、最初に掲載した者の名誉毀損の成否が、このGoogleキャッシュの存在によって成立する方に傾いたと単純にいうことはできないし、公開した者が一次的責任を負うべきかどうかという問題の設定自体に変わりはない。
しかし、「取り返しのつかない」事態が発生するかもしれないキャッシュの問題について、著作権法の解釈としては、「複製」に当たる場合もあるしあたらない場合もあるという程度の整理で、問題ないのだろうか。もう少し類型的な整理をして、予見可能性を高めるべきではないのか。制定法がどこまで新しい技術に対応して「親切な」制度を設計するべきなのかについても、考えさせられること大である。
ついでに。
前に白田先生のWEBで知ったもの。
Wayback Machine
数年前のWEBページの内容が保存してあります。
これもまた「ありがたい」サービスではあるのだけれども、90年代に軽い気持ちで公開してしまった過去の過ちが、容易に出てきてしまうわけだ。
この便益を社会が享受するためには、人々がそれなりの知識、見識、覚悟を持って、ネット社会で活動するようにならなければならないということだろう。しかし、「学生時代に法学を専攻し」、「名誉毀損を教えている」人も、この「ついうっかり」をやってしまったというわけだ。

Inspired by Yukimi’s Blog

「探究心」問題で、T先生からトラックバックがあった。同じ問題に対して、若干違う立場からのコメントだと思う。
地方の研究者には、同じ専門で議論のできる同僚がいない。
まさにその通りで、僕もその状態を4年半も続けている。
巷間言われているところでは、地方の研究者というのは、だんだん専門的な研究から遠ざかってむしろ「広く浅い」研究を志向したり、「地方の名士」となってあちこちに顔を出して自分を満足させたり、「学内政治」にうつつを抜かしたりするものらしい。僕も振り返ってみれば、それらしきことはみんなやっているような気がするのだが、まだこの三分野で満足感を得られる境地にはなっていないので、引き返せるようにはしているつもり。
おそらく「文系」に関しては、学部内で「軸」をもっと明瞭に作っていく必要があったのだろう。それは当初からあったはずだ。
しかし実態は、諸学の集合体にしかなりえていない。そもそもメディア系の文系学部や研究所は、おそらくどこも「寄せ集め」なのだが、基本はこの世界はミーハーというか、変わり身の早い人が多いのだろう、だいたい社会での流行が全体のパースペクティブを形成し、求心力となるようだ。携帯電話やP2Pやブロードバンドを軸にして、諸学が結集できる枠組ということだ。おそらくそこから先は、相互の領域には「不干渉」なのだろうけど、本を作ったり、紀要で特集をやったりして、利害関係がある種の求心力を形成していくのだろう。
僕がそういうことを企画してもいいのだけど、パースペクティブの形成においては、どうも「軸」の部分に法学が置かれることはないようだ。法学者ながらに教養があってそういう役割を果たせる人もいると思うのだが、そこまでの能力も腕力もない。
さて、じゃあ学生を育てて議論の相手に、という話だが、それは求める程度による。
たしかに「ミーハー」な僕は、ある程度は学生も関心を持つようなことを研究テーマにしているので、「最近はこういうのを研究しててさ。。。」という話はできる。
が、そこから先、専門家と話すのと同じ議論ができるかというと、それは無理というものだろう。
大学院時代、タイの大学院に留学していた人がいて、その話を聞いたことがあった。
タイでは特定の問題について、オープンマインドで、細かい論点についての解釈を議論することは少なく、どちらかというと、「知識」程度の浅い議論しかなかったという。本当のところはわからないが、今となってはなんとなくその気分はわかる気がしてきた。
去年から学生に、ビジネス著作権検定と知的財産検定の勉強をさせているのだが、これらに学生たちは非常に熱心に取り組んでいる。
検定試験の勉強をしていると、実際にはさらに追求していきたくなる問題がどうしても出てくるのだが、そこから先はオープンマインド、つまり「教わる」「覚える」という客観的知識を習得する以上の関心がなければならない。学生たちは、なかなかそこから先に進もうという雰囲気にはならないし、検定への最短コースに導こうと考える自分も、「まあそこから先はいろいろあるんだけどね。」という話で幕引きをする。
自分の学部時代のゼミでは、外交官試験を目指す学生が多かった。なので、似たような雰囲気は確かにあった。
しかし先生は、非常に豊富な引き出しから、さまざまな質問を繰り出して下さった。当時学生の何割がその話についてきたかはわからないが、僕自身が大学院に進もうと思ったのは、あのときのゼミでの議論がバックグラウンドにあるように思う。ただ、それは社会生活で必要な態度であったのかは、いまでもよくわからない。
昨今の大学教育の「実学化」は、おそらく「研究」の本質的な視点を学部教育から排斥する方向に進むだろう。
「そこから先」に進むよりは、「次の大事なポイント」に移ることを教師に要求するだろう。
それは僕が目にしている「現実」からすれば、いいことなのかもしれない。
しかし「振り返って役に立つ」ということもある。僕にとって学部時代のゼミでの議論は、「振り返って役に立つ」ことなのだが、それは僕がこの世界に進んだからこそ。
当時ゼミで学んだ仲間は、望みどおり外交官になった者もいるし、それ以外も多くは大手企業に就職した。彼らがいま、あの頃勉強したことをどう思っているのか。そこにきっと、この問題の答えの一部があると思う。
もう一点、一日あたりの学費、という話。
これはその通りなのだけど、僕も大学にちゃんと行っていなかったので、人のことは言えない。
ただ。
稚内では「学生と教員の距離が近い」という。たしかにそうだ。
しかし、そのことがそのまま「学生にとって教員が身近な存在である」と言い換えられるかというと、それはよくわからない。
ただたんに、「口の利き方」がわかっていない場合もあるし、親しげに話しかけてくる学生の後ろに、人と話すことが自体にしんどさを感じている学生もいる。
僕も感覚がおかしくなっているのだろう。妙に「恐縮」されて驚くことも少なくない。たぶんあれが平均的な学生像なのだ。
たぶん自分たちが思っている以上に、教員は学生を「支配」している。
なので、いくら「高い学費を払っているんだから」といったって、たぶん学生はそういう問題ではなく、面前にある「気後れ」のほうが勝ってしまうのだ。