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Nepal: Summer School, Inaugural Ceremony

20050817_020
ずっと遊んでいたみたいに見えるので、まじめなのも一つ。
今回の訪問目的は、写真の通りのSummer School in Kathmanduにスタッフとして参加することであった。これは東海地区の小中高の先生の情報教育に関する研究会が、ネパールのComputer Associationと協力して、現地の高校生に日本語とITを教えようという企画である。WAKHOKからは、3名の学生がスタッフとして派遣され、僕が引率役でついていったというわけ。写真は開会式の写真で、ホテルアンナプルナで盛大に開催された。学生の英語力は正直言って不安だったが、学生たちは非常によく働き、ネパールの高校生からも信頼された。
僕もこの中で一日分の授業を担当したけれど、主要な任務は現地Collegeとの交渉。完全な校務である。こちらもいろいろ成果があったのだけど、まあそれはおいおい。

英語の需要と要求と供給

プレゼンテーションのための英語表現を学ぶ勉強会を始めた。
場面ごとに必要な表現方法を学び、実際にプレゼンテーションを行うための作文を自ら行ってみた。参加した学生は2名。僕と留学生のGタムがコメントをつけた。まわりで聞いていた学生たちは、すごいことやってると感心している風だったが、別にたいしたことはやってない。こういうのは、むしろ授業に積極的に取り入れて、「要求」をつきつけたほうがいいように思う。
WAKHOKの英語学習に対する僕の考え方は、学生の現在の平均的英語レベルにあわせて授業を行うのではなく、専門教育に必要な英語をそれぞれの場面で、要求してしまえばいいというもの。少々荒っぽいのかもしれないが、そこはやり方でカバーできるように思う。学生の平均的レベル、あるいは苦手な学生のレベルに合わせて、限りなくレベルを下げて文法の確認をするよりも、案外いいのではないかと思う。「まず苦手意識を克服しよう」という狙いに反して、高校までの「トラウマ」に引き戻される学生もいるだろう。逆に、幸いにして苦手意識を克服したとしても、そこで得られる能力は、とても実用に耐えうるものにはならないだろう。まずは具体的な到達目標を決めて、そのために必要なパーツをそろえながら文法も確認していくというのはどうなのだろうか?
僕は、英語学習においては、「必要に迫られて」学ぶこと、「背伸びをして」学ぶこと、これを繰り返してきた。帰国子女の英語力に圧倒されたり、仕事で「英語ができない」とはいえない状況に追い込まれたり、そういう場面で「背伸び」を繰り返しながら、少しずつ必要な表現を学んできた。僕の弱点は、そうした場当たり的に学ぶ時間だけではなく、本格的に強い自覚を持って学ぶ時間を十分確保していないということにあるが、こうした経験が自分に学習の必要性を自覚していることは確かである。自分自身最短の道を通ってきたかどうかはわからないが、「必要は改善の母」になるだろう。
学生たちは、「必要」を自覚していない。あるいは自覚することから逃避できるようになっている。ここでも、WAKHOKの一点突破主義は、免罪符を与えている。IT専門教育から入って、そこで英語を含む他分野の必要性に気づかせ、基礎教養への関心に戻してやるというプロセスは、果たして機能しているのか。ここでもやはり、教員がもっと議論すべきは、専門教育の先進性の追求ではなく(少なくともそれだけではなく)、教養を含む全体的カリキュラムの有機的連携のあり方だということになる。しかも、そこでの有機的連携の議論は、あまり大上段に構えた話から入るのではなく、学生たちがITをコアにして学ぶということを前提に、英語力、プレゼンテーション能力、コミュニケーションスキルといったトータルな能力の必要性をいかに自覚させ、身につけさせるかということから出発すべきだろう。大学教員は、自分の専門性を発揮することをまず第一に守るべき利益と考えるので、そうした利益と全体目標がずれた場合、結局どこまで教員が自覚的に自分の権益を譲り渡すか、ということになる。教員はお互い相手の立場をわかっているので、教員組織がこの話を議論しても、たいていはさんざん議論したあげく、現状維持に落ち着いて終わってしまう(ここは事務組織やトップの出番なんだと思う)。
SFC CLIP「English Service Centerがオープン -授業外の英語学習をサポート」.という記事を読んだ。こういう体制作りの話になると、たいてい「うちは小さな大学なので、ここまでの体制は取れない」という話になる。そうだろうか。極端な話、基本的な文法などの英語学習はどんどんWBTにしてしまえばいい。そういう仕掛けはいまいくらでもある。残るのはサポートだけ。その分英語の教員は、あるいは別の専門教員も含めて、「英語で○○をする」というレベルに、取組みの中心をシフトさせたらいいことではないのだろうか?
「IT一点突破主義」のWAKHOKの教育は、国際的場面で評価を勝ち取る潜在性を持っていると思う。本気でそのための準備をすれば、「田舎」にあることなんて吹き飛ぶぐらい、大きく脱皮できるはずだ。
でもそのための足場を作る段階で、極端な「IT一点突破」に走ってはいけない。学生の立場にたって、彼らの将来像を見据えながら、「ITプラスの数点突破」ぐらいに目標を置くのがいいだろう。教員にはそれぞれの研究という守るべきドメインがある。僕にもある。だから、教員組織が、この作業で改革するための力を発揮するのは難しい。では誰が発揮するのか。自明である。

ネパール2日目まで

カトマンズ三日目が終了した。
異変:携帯の電源が入らなくなった。こちらで携帯がつながらないと書いたが、さらに事態は悪化。帰国後のために充電したまま外出したのだが、帰ってきたら電源が入らない。こちらは電圧も不安定のようで、その関係かもしれない。帰国後修理しなければならないかも。
こちらは夜が早い。いまこちらの時間で11時半。薄暗い中をびびりながら、10時半過ぎにタメルという繁華街まで行ってみたが、ほとんどがクローズ。開いている一軒のバーに入ってみたが、11時半で閉まるという。これも治安維持のためなのか。享楽的な東南アジアとはまったく雰囲気が異なる。
食べ物は気がつくとダルバートという、カレー数種とおかずとごはんの入ったプレートを食べている。いろんな味のダルバートがあるようだが、あまり違いがわからない。昼間に入ったタイ料理は、いまいち。札幌の店のほうがまだいいかな。
WAKHOKを卒業したばかりで、今回の旅に同行しているGタムは、いきいきしている。3年ぶりの帰国で大変な歓迎ぶり。一族がみなカトマンズに戻ってきて、なかなか彼をホテルに帰してくれない。
25日:私立高校の校長先生を訪問。いろいろアドバイスをもらう。ネパールの大学の仕組みはなかなか複雑で、CollegeとUniversityが違うとか、Collegeにも二種類あるとか、そのほかにinstituteがあったり、いまだによくわからない。どうもこの先生はなかなかのやり手のようだ。学校の建物の上の階に住んでいる。
26日:朝早く目が覚めたので、一人で散歩。道に迷う。信号がなく、看板もなく、大きな建物もないので、非常に迷いやすい。ダルバート広場で「外国人は金を払え」といわれて、逆にこちらから道を聞く。親切に教えてくれた。Gタムの親戚の別のGタム(以下:Gタム2)が現れる。Gタム2も、Gタムの後を追ってWAKHOKにくる予定だったが、日本語力が追いつかず、断念した経緯がある。今はNGO活動に取り組んでいて、なかなか話してみると鋭い人だった。その後Gタム2が学んだ日本語学校の先生に会う。カトマンズでは数少ない日本人の先生。ネパールの日本語教育事情について非常に丁寧に教えてくれた。状況はなかなか難しい。日本語の先生の層は相当に薄く、日本人の有資格者は一桁。日本語検定3級程度のネパール人が日本語の先生をやっているケースもあるらしい。しかもネパール語と日本語は実は親和性があって、ネパール人は漢字を使わない会話体の習得が早い。「仕事で使う日本語」としてはこれで十分だという。大学留学に必要な2級相当の力をつけるために、ここからさらに漢字を勉強するというのは、いろいろな意味で相当ハードルが高い。だから英語で教えればいいんだよー。
午後は、モンキーテンプルに行った後、Gタムたっての希望で、彼の親戚のうちへ。ポカラから息子に会いに来た彼の両親や親戚に会った。お母さんが我々の額に赤いぽちっとした色を塗ってくれる。縁起物らしい。お兄さんからはネパールの帽子をいただく。そのままの格好でホテルに戻り、この日は前日の校長先生のところで夕食。校長先生は名刺にSingerと書いてあって、あちこちでコンサートもやっているようだった。さらに最近は自分でビデオをとってプレミアで編集するのにハマっていて、自分の旅行とか学校の行事を撮影して、なかなか凝った編集をしていた。まだまだ見せたいビデオがあるようだったが、翌日のプレゼンがあるので、我々は退散。そこからは、Gタムも交えて4人でプレゼンの用意。相談した結果、僕の出番はなくなったので、途中でダウン。二人のGタムは夜中まで格闘したようだった。
(つづく)

ユーミーの「卒業生の言葉」

今年の卒業式が終わった。「決意表明」の通り、ユーミーの「卒業生の言葉」は見事に大ヒット。丸山学長や来賓の稚内市長まで笑わせることができた。単に笑わせるだけでなく、彼女が4年間取り組んできたマルチな活動や卒業生みんなが共有できるエピソードを織り交ぜて、「泣ける」内容でもあった。なにより、「心の128単位」をはじめ「くさいセリフ」をちりばめたスピーチが、一戸ゼミの5年間の歴史を象徴していた。うれしかった。貴重な映像資料が残っているので、近日どこかで公開したい。帰省していた在校生たちにも、ぜひ見てほしい。
彼女の言うとおり、このスピーチは彼女の大学生活4年間の集大成であった。卒業研究ではなく、スピーチが集大成となってしまうところがまた、一戸ゼミらしい。「何を学ぶかじゃない。誰と学ぶかだ。」。ソフトウェア研究が主流を占める学部で傍流にある自分たちを、半ば自虐的に形容したこの言葉。そういいながら、なぜかIT産業で働くことになってしまった現在のOBが、2001年ごろに言い出したものだ。最初は笑ってやりすごしていたけれども、今にして思えば、その通りだった。ゼミという集団が、18歳で大人ばかりの1426研究室をノックした彼女を、ここまでの「大女優」に育て上げたのだと思う。
決して僕が彼女を育てたとは思わない。
彼女が入学した頃、僕はまだ駆け出し教員で、正直右も左もわからないような状態だった。慣れない土地での生活に、まだ僕自身が不安を抱えていたかもしれない。ほとんど僕と同世代の社会人入学軍団が、勝手にゼミを「仕切り」はじめていたので、僕がやったことといえば彼らの暴走を適宜止める程度で(止めてないと非難されたこともあったが)あったように思う。しかしその結果、かえって集団はまとまり、自律的な集団として、次第に力を発揮していくようになった。
こうした地盤ができた頃に入学してきたのが、彼女たちである。一風変わった「大人集団」が多くの18歳の子供たちに敬遠される中、札幌の同じ高校を卒業した元気な三人組が、「体験入学でカレーを一緒に食べた」先生のゼミを、のぞきに来てくれた。そのうちの一人がユーミーだった。こういうと彼女のその後の努力を認めていないことになるが、そのときから彼女の成長は約束されていたのかもしれない。彼女たちは、上の世代の「いいところ」を吸収してくれた。もともと彼女の中にあったチャレンジ精神を、大人たちと接する中でさらに発展させ、後輩たちに伝えてくれた。ここでも僕は、「そうだそうだ」とうなづくだけだった。唯一上の世代と違うのは、彼女はよく勉強し、成果を残したことか。
いつも笑顔を絶やさずに、常に笑いを追い求め、楽しく語りあい、互いの成長を確かめ合う。この雰囲気の中で、下の世代の学生たちも、徐々に育ってきている。
結局、僕自身の成果というより、最初に礎を作ってくれた先輩たちの力が、ユーミーの成長をもたらしたのだ。というわけで、これなかったOBの皆さんも、ぜひ彼女の「卒業生の言葉」を見てください。皆さんのおかげで、ユーミーは立派に成長しました。そして、その姿を見ながら、結局僕もゼミの学生たちに育てられてきたんだと再確認しました。
来年から一戸ゼミは、他分野とのコラボレーションに挑戦する予定だ(この道筋作りにも、ユーミーが一役買っている)。
「ゼミが人を育てる」という一戸ゼミの伝統は、徐々に他のゼミにも伝染していくことだろう。一方研究面でも、他流試合の中でもまれて、これまで以上にすばらしい成果が生み出されていくことだろう。緩やかな連携の中で、これまでの専門の壁を取っ払い、「人を育てる」すばらしい集団がさらに拡大・発展していってほしい。
そういう構想がまとまりつつある中、偶然にも彼女の力が最後の大舞台で発揮され、卒業生たちの心に、たくさんの勇気と思い出を与えた。
大きな波がやってくる「前兆」だと思いたい。

バツの悪い再会代行SNS

どうもGREEよりもmixiのほうが、元気ができてたようだ。
レイアウトが整理されていないせいで、ついつい余計な情報まで見えてしまうGREEが、かえって個人的には好きだったのだけど。がんばって整理してしまったせいで、特性が失われてしまったような気がする。
高校の同期とか昔WEBチャット草創期の知り合いと、最近mixiで再会している。
この前口頭試問をやった別のゼミの学生が、チャットには、日常生活とは異なる「一期一会」があると書いていた。
街で再会しても「ああまた会った」という程度にしか思わないのに対して、匿名のインターネット上では、再会の感動が非常に大きいのだそうだ。あ、二度会ってるから「一期一会」じゃないか。
僕が思ったのは、それって「稚内」感覚だなってこと。昔の友達と新宿駅ですれちがったことは何度かあって、そういう時には少なからぬ感動があった。稚内だとたしかにそれはない。店でばったり会っても、またすぐ会いそうだしね。いや、でも普通の勤め人には、稚内でも同じような現象が起こってるのかもしれない。
さて話を戻して。
この「新宿駅での再会」で困るのは、お互いの記憶の度合いが必ずしも一致しないこと。
記憶があいまいでも、結構仲がよかったというならばまだいい。友達というより知り合いというのが妥当な関係であった場合には、特に大変だ。「えーと、お名前は。。。」とぎこちない会話になり、相手が明確に覚えていたりするとこちらの立場が。。。ということになる。
SNSはこの「微妙な知り合い」との再会にはすごく適している(mixiで再会した人がみな「微妙な知り合い」というわけではないです)。間接的で、しかも白々しい「ひさしぶりー」といった会話を交わすこともなく、「足あと」だけが残っているってこともありうるわけだ。もちろん「足あと」が残っているということに、「どういう気持ちで無言で足跡だけ残したんだ?」という不安感が生じる可能性もある。でも、彼/彼女も元気でやってるんだなあという生存確認ができて、多少過去の良かったり悪かったりする記憶が呼び戻されるという時間を、それぞれすごすことができる。
もう一人、「バーチャルコミュニティ」を研究したこれまた別のゼミの学生は、SNSを会員制の「ムラ」社会と称し、機能分化した、その場限りで都合よく選ばれたネットコミュニケーションのひとつとして、とりあげていた。たしかに、会員制という意味ではそうなんだけど、内側にいる10万人のユーザが感じているものは、全く違うものではないかと思う。
友達と一緒にいて、その友達の別の友達が現れて、彼らの話している会話に立ち入らないけど中身が微妙に聞こえちゃう状況。そんなに興味なかったんだけど、電車の向かいの席に座っている人の本のタイトルが見えちゃったり、ヘッドホンからもれる音が聞こえちゃったりして、妙に気になってしまう状況。
そこそこ素性を明かしながら、微妙に連なるネットワークだというのがポイントになるんじゃないかと思う。
「袖触れ合い」ネットワーキング、というのが、正直な実感。

InTheSpiral: キーワード広告が区別できない人々:キーワード広告が別にイヤじゃない人々?

InTheSpiral: キーワード広告が区別できない人々:キーワード広告が別にイヤじゃない人々?
また弟の後追い。
趣味趣向も違うし、性格も違うし、東京にいる間もめったに会うことのなかった弟なのだが、ことネット関連や韓国関係での関心事項は、なぜか似ているように思う。もちろん、拾ってきたネタについての考え方まで完全に同じわけではないけれど。
キーワード広告を広告として認識していない人がこれほど多いとは思わなかった。しかし、広告であっても役立つ情報ならば別にかまわないと思っている人は多いだろう。Googleさんにお願いして、Googleさんが自分のほしい情報をくれるならば、それがGoogleさんのサーチエンジンが探したものであれ、Googleさんのアドワーズさんが「これが欲しいんじゃないの?」と(実は)クライアントさんに言わされているものであれ、ユーザは「裏事情」に関心ないということかな。
実は大学の広告も、アドワーズでやってみたら?という意見を以前言ったことがある。レアなITコア層(高校生では本当にレアな人たちだ)への訴求を狙っている稚内の場合には、一般的な受験雑誌に高い金を払って掲載してもあんまり効果がないので、ニッチというかレアな高校生の「検索行動」に合わせたアドワーズをやってみたらどうか、という話だ。いまいち、関係者の反応がよくなかったのは、ひょっとしたらこの仕組みがどのように動いていて、どのようにひっそり我々の「検索行動」に影響しているのか、関係者の皆さんもあまり自覚していないということかもしれない。
アドワーズは日本人のアイデアではないと思うが、日本人の性格にマッチしているような気もしている。
日本のサイトでは、派手な広告は嫌われ、おとなしくつつましやかな広告が好まれるように思う。
控えめになるように努力している業界関係者がいるからそうなっている、というのがうちの弟の分析だが。
各国のYahooサイトを順に開いていってもらうとわかるが、アジアの他のYahooでは、トップで「飛び出す」広告を多用している。欧米は日本と同じく割とおとなしい。中国や韓国の場合には、飛び出す広告が画面全体に飛び回って、ポータルなのにしばらくおとなしく見てないとその先に進めない、というものも多い。
これは、各国のクライアントの発言力の違い(つまり日本の場合は業界関係者が努力して、サイト内の「秩序」(?)を保っている)なのか、ユーザの嗜好の違いなのか。両方なのか。

稚内の観光と市民生活

Kentからトラックバックがあった。「父の版画展」の後半部分は、ためらいながら書いていたので、わかりにくかったかもしれない。
稚内についてこの話をあてはめると、実はなかなか悩ましい問題になる。
稚内は観光地であるが、「ぶらり散歩」には向かない街である。そもそも気候が「ぶらり散歩」に適していないので、街の人は「ぶらり散歩」をしない。なので、あまり「ぶらり」系の街並みができていない。また、街自体が宗谷湾沿いに横長に伸びていて、その中でも観光地はあまりアクセスのよくない山の上や端っこに位置している。稚内駅から宗谷岬までは30キロもある。しかも宗谷岬が長時間滞在に向いているようなインフラを持つわけでもないし、まして、市民に親しまれるような空間が用意されているわけでもない。
で、観光客に対してはどうしているか。観光バスに乗せて、点在する観光地をまわっている。これは年寄りには向いているかもしれないが、「ぶらり散歩」ならではの旅先での発見を促進する仕組みにはなっていない。だからさしたる「発見」がないので、「宗谷岬に行った。寒かった。」ということで、観光客は満足し、「リピーター」にはならない。夏のライダー層は、それなりに稚内にくるまでのプロセスでリピーターになる人もいるようだが。稚内の冬季観光促進策として、今年は「リピーター」登録というのをやっていて、夏に来た人が冬にまた来ると、数千円相当のおみやげをあげることにしたようだ。リピートしたいと思っていない人を、モノで釣るわけだが、しかしリピートして楽しめるインフラを整えないで、リピートさせたところで、あまり意味はないだろう。そういう意味で、この制度もちょっとおかしい。
話を戻そう。こういう状態がよくない状態であると仮定すると、何が必要か。
まず、交通網の整備。どこでもバスで気軽に行って気軽に戻ってこれるようにする。弘前には100円で中心街を回れる循環バスが走っているが、そういうことはできるだろうか?あるいは、ワンデーパスで乗り放題というのを作ったらどうか。おそらくリピートした人たちも楽しめるだろう。エコビレッジなんか楽しそうよ。大学も訪れてみようかしら。サロベツファームに行って、ソーセージ作りでもしてみようかな。
ということになるが、観光需要にこたえられても、バス会社はつぶれてしまうだろう。町の人はバスをあんまり使わないし、まして宗谷岬までバスでいく用事は、宗谷岬に住んでいる高校生でもない限り、そうそうない。町の人の需要と観光客の需要にはギャップがある。
じゃあ観光需要にこたえる商店街・繁華街はどうか。飲食店はいけそうだ。「いい店、うまい店」系は、多少地元民と観光客の間にギャップがあるとはいえ、そこそこ同じメニューで両方の需要にこたえることはできるだろう。では、海鮮市場はどうか。市場は稚内に限らず、釧路や小樽や函館にある観光市場の場合、あまり市民からの関心をひかないかもしれない。少なくとも見栄えのする施設を作っても、投資を回収するだけの利益を見込むのは難しいかもしれない。中央商店街を「ぶらり」旅向きの趣のある店ばかりの街並みにしたらどうだろう?たぶん街の人はそういう「趣」にあんまり関心がないので、おそらく商売にならない。
あと、抜本的に何か、という意味では「カジノ」はどうだろう、という以前からのひそかな持論があるのだが、それは今日のところはやめておこう。
東京から飛んでくる飛行機に乗って、観光客のしゃべっていることに耳を澄ましていると、いろいろなことがわかってくる。基本的に彼らは自分たちの先入観で稚内を消費しようとしていて、その需要にすべて答えようとすると、おそらく稚内の街そのものが崩壊するだろう。でも観光の街を作ろうとしているのであれば、それにある程度おつきあいすることも必要だ。今は「全部送迎つきだからいいだろう」ということで、郊外の、どこにも車なしではいけないようなホテルに泊まらせているケースをよく見るが、あれはむちゃくちゃである。
「おつきあい」のために血税が使われるのもある程度は仕方がない。問題は使い方や覚悟、構えの問題である。稚内の人にその「覚悟」は感じられない。覚悟をするためには、関係者すべてが、相手の需要を理解し、それ以上の満足を与えるために何が必要かを考えなければならない。さらにもうひとつ、そのために使われる血税が、自分たちの生活にもかかわりがなく、直接的利益として還元されない場合に、どこまでそうした公共投資を受容するのかということも考えなければなるまい。つまり「関係者」は広義では、稚内市民すべてである。
ぼろぼろの施設を改造した「サハリン館」や、何も新たな魅力を提供せずモノで釣ろうという「リピーター」制度は、おそらくこうした市民の覚悟に支えられていない観光関係者が、なけなしの予算の中から苦しみながら生み出したものなのだと思う。そういう苦労に冷や水をかけたいというわけではないが、客観的・第三者的に見れば、それらの取り組みが「競争力」を生み出すようにはとてもみえないというのが、正直な感想である。
弘前に話をもどすと、弘前市内には道の駅が一つ、青森空港に向かう途中にも一つある。また隣町に、岩木山に向かう道中、地元農協がやっている同じような店がもう一つある。どこも観光需要にも答え、地元の人も安く買い物ができるのでよく来ているようだ。稚内の場合に難しいのは、こうした複眼的な思考に基づく設計、つまり市民にも観光客にもウケル施設がつくりにくいということだろう。弘前の町は「おつきあい」の施設を作っても、それなりに市民にも親しまれている。さくらまつりの期間、弘前公園への入場料を取りはじめたことは、市民に親しまれた公園を引き離したので、市民にはきわめて不評だったようだ。それはつまり、観光資源が単に観光資源であるだけでなく、市民にも親しまれているということだろう。今宗谷岬の駐車場を有料化して、市民は怒るだろうか?
観光と市民生活のギャップは、二つを複眼的に考えさせることがないので、それは結果として、市民に観光のことをまじめに考えるきっかけも与えない。子供を大学に進学させることであまり大したメリットがない(と勝手に考えている)ので、地元に大学があることのメリットもあまり考えないのと同じようなことだろう。

稚内北星、秋葉原移転の意義

東京のG大学の学生から、稚内北星の「秋葉原クロスフィールド」進出について、大学宛に質問が来た。
秋葉原の街づくり戦略について、ゼミで研究しているようだ。
誰も答えてないようなので、授業の準備をさぼって、答えておいた。
以下その回答。

稚内北星学園大学の教員をしております、一戸と申します。
以下の件、もしまだ本学からの回答がないようであれば、私のほうから回答させていただきます。この件については、学長の丸山不二夫がもっとも熟知しておりますが、なにぶん学長という立場上非常に多忙でありまして、ご質問への回答を書く余裕はおそらくないだろうと思います。とりあえず可能な範囲で私のほうからお答えしましょう。
> 私今ゼミで、秋葉原の街づくり戦略(ITビジネス等)について研究しています。
> 調べていく上で、稚内北星大学が秋葉原に進出することを知り、
> 詳しくお話を聞かせていただけないかと思いメールいたしました。
まず前提として、秋葉原の街づくり戦略そのものについて、本学が深くかかわっているわけではありません。したがいまして、ご期待に沿える回答になるかどうかはあまり確信がないです。あくまでこの計画に参加するものとしての考えです。
> 具体的な質問内容として、
> ・「秋葉原クロスフィールド」 計画への参加要請を受けた理由とはなにか。
秋葉原におけるIT産業の集積をすすめるにあたって、その一部として本学の取り組みがふさわしいと評価されたものと考えています。従来から稚内を拠点に地道につみあげてきた、Java,Unix,ネットワークを中核とする本学のIT教育が、今春開校した東京のサテライト校でも高い評価となって現れ、さらにそれが「秋葉原クロスフィールド」への参加要請につながったものと考えています。
本当の参加「要請」の理由は、要請する側に別途あるのかもしれませんが、要請された側の推測では、以上のようになります。
> ・秋葉原に進出することによるメリット、デメリットはなんだと思うか。
当方のサテライト校は現在、市ヶ谷にあります。本拠地を東京においていない本学が、東京でプレゼンスを高めるために「秋葉原クロスフィールド」のような知名度の高い取組に加わることは、非常に大きな意味を持つだろうと考えました。
つまり、東京の中で「IT産業集積地」となる場所に拠点を置くことにメリットがあると考えましたわけで、その意味では「秋葉原」というのが必須条件だったというわけではありません。
では秋葉原が今後「IT産業集積地」となるのかどうか、その点は期待を持ってはいますけれども、絶対的な確信があるというわけではありません。90年代終わりに渋谷に「ビットバレー」というある種のムーブメントがあったのをご存知かと思いますが、それと比較してどうかということになれば、立地条件で有利な面、不利な面、いろいろあるでしょう。
本学は、東京サテライト校を単なる連絡オフィスとしてではなく、主として社会人を対象とした教育活動を行う拠点として、設置しております。したがって通ってくる学生の利便性という意味では、市ヶ谷と秋葉原を比較して、今回の「進出」がメリットとなるのかデメリットとなるのかという問題はあります。単純に考えれば、東京の西側からのアクセスという点では、市ヶ谷に若干の分がありましょう。一方東京の東側、あるいは千葉やつくば方面からのアクセスは、秋葉原のほうがいいわけで、必ずしもこの点がデメリットになるとも考えていません。
街のイメージとしては、いまそんなに秋葉原がよいイメージをもたれていると私個人は思っていませんが、明らかにある種の「ブランド」ではあると思います。ただ六本木ヒルズが六本木のイメージを大きく変えたように、このプロジェクト
が「秋葉原」のイメージを変える可能性はあると思います。六本木ヒルズと同様の高い集客効果を持つわけではないでしょうが、またそれとは違う形で(電気街を進化させた形で)「IT産業集積地」に育てていければいいのではないでしょうか。
> ・「大学連携パーク」、「産官学連携パーク」とはどのようなものなのか、
>   具体的にはなにをするのか。
この点は参加する我々の側にも、必ずしも全体像が見えているわけではありません。全体として「何をするのか」は、全体のオーガナイザーに問うていただくよりほかないと思います。
ただ一点だけいえることは、本学の取組が、他大学や企業から正当に評価される素地にはなるだろうと思います。
これまで本学が取り組んできた教育研究活動については、古くからある大学のほとんどが実現できなかった新しいITを大学教育に積極的に取り入れるものとして、稚内という首都東京から遠く離れた場所にありながら、IT業界や他大学から高い評価を得てきました。この点は、本学が企業と協力して行ってきた、東京での各種セミナーの講師陣とその内容のレベル、さらに毎年夏に行っているサマースクールに参加する層(先端的IT技術教育を必要とする社会人やいわゆる有名大学の学生、院生)やそこで展開される教育のレベルついて、本学ウェブサイトで確認していただければ、おわかりいただけるものと考えています。
遠くにいても良きパートナーがいると思ってもらえるならば、訪ねてくる人はいたわけですが、隣にいたらもっと頻繁に訪ねてきてもらえるわけですし、深く知ってもらえるきっかけにもなります。したがって、さまざまな企業との連携や大学間連携の可能性には、実は大きな期待を抱いています。
おそらくは、単純なオフィス街ではなく、人と人、団体と団体をつなげる仕掛けが必要でしょうね。IT業界はまだまだ成熟しきってはいませんから、大企業中心の旧来型の企業間連携とは違って、人と人のつながりが大きな意味を持つはずです。私の知っている限りでも、非常にフットワークの軽い人たちが多いですから、会ってすぐに動き必要に応じてまたすぐに会えるという環境が整えば、大きなシナジー効果を生むと考えています。
> ・どのような生徒を狙っているのか。
3年次に編入する制度ですので、「生徒」=高校生は対象ではありません。
当初の想定では、通常の業務の中で新しいITの必要性を感じている、IT業界の社会人をターゲットとして考えました。この層に対する本学の訴求力については、すでにサマースクールや東京でのセミナーによって、ある程度の確信を持っていました。技術が急速に進歩する中にあっても、陳腐化した技術を用いたシステム開発や保守運用といった業務がすぐに消え去るわけではなく、実はそのタイムラグが、働く人たちへのしわよせとなって現れます。つまり、日常業務におわれる中で、気がついてみたら自分が働く中で培った技術は社会の中で陳腐化し、自らの労働市場における価値が低下してしまっていた、ということが起こるわけです。「使い捨て」ですね。これに対して、大学として真摯に向き合っていこうというのが、基本的な考え方でした。予想通り、「wakhokの教育を東京で受けられる」として、大きな反響がありました。
ITという、情報といい、多くの大学が学部を設置しています。しかし、実はこうした基本的な需要にこたえる技術教育は、大学ではすっぽり抜け落ちていることが多いです。これには、高校や受験界の文系・理系のような旧来型の仕切り方も影響していると思います。高校の情報教育もあまりうまくいっていませんので、相変わらず「雰囲気」だけでよく考えずに「情報系」学部に進む学生が多いのでしょう。したがって、現役学生の層、すなわち、短大、高専、専門学校、大学を卒業したての人たちについては、編入学の資格を満たすものの、「社会でどのような技術が必要とされているか」をご存じないので、あまり大きな反響はないだろうと考えていました。ところがそうではありませんでした。
○○さんの先輩の中にも、SEとしてIT業界に就職して、ほとんど一から技術を学んでいるという方がきっといらっしゃると思います。大学は「情報」や「IT」を掲げていてもほとんどなにもしていないところが多いですし、企業側もそれに
対応する形で、手厚い研修制度をおいて「入社後」の教育に力を入れてきました。つまり大学卒の「即戦力」というのは、ほとんど期待されていなかったわけです。ところが昨今は、中国やインドでの「オフショア開発」が流行してくるなど、「日本のIT開発でも、これを担う人材は必ずしも日本人でなくてよい」という時代が訪れつつあります。研修コストもその後の人件費も高い日本人の新卒が、IT業界でそんなに重宝される時代ではありません。
こういった背景もあるのでしょう。本学への3年次編入を希望する若い層は、増えてきています。本学としては、こうした背景を踏まえて、高い意識をもって学ぶ学生ならば、社会での経験が必ずしも十分ではなくとも、積極的に受け入れていこうと思っていますし、それがすなわち日本のIT産業の底上げになるものと考えています。
以上、基本的に私個人の考えを書いたつもりですが、本学全体の意思としてもそんなに外れてはいないと思います。さらにご質問がございましたら、どうぞご遠慮なく。良い研究成果が出ますことをお祈りいたします。

「郷土愛」の弊害

かつて僕が高校生だった頃、青森の地元紙では、県内のどこの高校の誰がどの大学に合格したか、合格発表を受けてその情報が新聞に載った。早稲田大学に合格して自信満々だった僕は、ぜひ新聞に載せてほしかったが、早稲田は個人情報を新聞に流すようなことはなかった。今思えば当たり前のことだが、当時の個人情報に関する意識は、その程度だったのだろう。
その情報欄と同じものだったかどうか定かではないが、地元弘前大学や青森大学については、県内の高校だけでなく、全国のどこの高校から地元の大学に合格したかも掲載されていた。沖縄からも青森の大学に進学している人がいて、「こんな寒いところに沖縄からやってきて、生きていけるのかなあ。よく決心したなあ。」と思った。北大出身の母親は、「案外暑いのところの人の中には、雪が降る街がロマンティックだとあこがれる人もいるんだよ。」と言った。なるほどそうかもなあと思った。
月日は流れ、そんなのんきなことを言っていた僕は、青森よりさらに北の稚内にきて、「こんな寒いところにある大学」で仕事をしている。大学経営をめぐる環境の厳しさは、僕が子供の頃と比べるまでもない。厳しい環境にあって、「こんな寒いところにある大学」をどのようにプロモーションしていくのか。
1.こんな寒いところにあるけどすごい大学
2.寒いけど素敵な自然に囲まれた北海道の大学
3.寒いけど素敵な自然に囲まれた北海道にあって、なおかつすごい大学
むろん3が一番いいのだが、実は「素敵な自然に囲まれた」というのは、北海道の外には訴求できても、道内の人の心にはほとんど響かない。なにせ、札幌の人ですら、基本的にはみんな「自然に囲まれ」て暮らしているのである。そうするといきおい、力点は1の「すごい」の部分に置かれることになる。
市内某所では、現在大学に対する今後の支援内容について、議論が行われている。僕は議論の対象になっている組織の人間であるが、そこに参加している人間ではないし、それに影響を及ぼすつもりもない。ただ、個人的に思うことをささやかに書いているだけである。といっても、多少奥歯にものがはさまったような言い方になるかもしれない。
稚内という街が魅力的であることは、稚内北星学園大学の学生にとって望ましい状態であることはいうまでもない。理想はYale大学のあるNewheavenにあった。アメリカ北部にあるこの街も、NYから一時間程度であったが、小さな街であった。冬には結構雪も降るようだ。大学のキャンパスは街の中にあって、その周辺には学生向けの書店、コーヒーショップなどともに、大学付属の美術館、劇場などがあった。市民向けの商店街は別にあったのかもしれないが、少なくとも学生たちはほとんどそこで完結して生活しているようだった。よく考えてみると、なんでもそろう街という感じではなかったが、文化が生み出される雰囲気は漂っていた。ちょっと違うが、早稲田大学周辺の町並みにも、もう少し世俗的ながらそういう雰囲気は感じられる。
むろん理想は理想である。単科大学の稚内北星の規模で、学生だけを相手にした商売がそうそう簡単に成り立つとは思わない。しかし大学のある富岡地区をいかに発展させ、大学を中心とした街づくりをするのか、何か皆さん考えていただいたことはあるのでしょうか?富岡地区は勝手に住宅地として拡張を続けているが、そこにはトータルな街づくりプランが反映されているのでしょうか?
「一見さんお断り」の京都の町でも、外から来た大学生は大事にされる、とよくいう。本当のところはどうなのかわからないけれども、観光の街京都では、学生を長期滞在の「お客様」として、大事に扱うという所作動作ができているということではないのだろうか。観光リピーターキャンペーンをやっている稚内も、長期滞在の潜在的「観光大使」である学生たちに対して、同様のホスピタリティを発揮してなんら問題ないはずである。たとえ大学周辺を「大学城下町」として育てるのが無理であっても、じゃあ中心街に学生が集えるような交通手段は、十分に確保されているのでしょうか?みんな車ですよ。「イチオシWAK」という大学ウェブページ上の企画で、学生たちが市内の飲食店を取材しているのだが、どうも中央地区の飲食店に学生たちがあんまり出入りしていないようだ。交通手段がなかったらそうなるだろう。そんな大げさなことをやらなくたっていい。この小さな街で、毎年入ってくる大学生がいることの経済効果を考えてみたらどうだろうか。結構学生たちは、コンビニでものすごいポイントをためてますよ。コンビニ一人勝ちは、街の人も買っている当の学生も、あんまりうれしくないはず。
大学を街づくりにどのように位置づけるのかという問題が、今の議論には欠けている。といっても、市民講座のようなもので短期的な成果だけを求めると、企画した人だけが「やったような気」になるだけで、あんまり意味がないだろう。一番大きいのは街の人の意識と大学の意識のずれである。大学の企画する「高尚」な企画を今のところ市民は歓迎していないし、逆にあまりに世俗的な市民のニーズに大学がこたえる用意もない。「文化のにおい」が出てくるような街づくりがなければ、結局何も成果をもたらさない。といってもそんなに高尚なことじゃなくてもいい。学生が街に出て活動しやすくすること。端的にはこれだけだ。一部の興味ある学生や教員が、市民と交流するのではない。でもどこかの大学のように、地域対策で教員をみんなお祭りに強制参加させるのも意味がない。自然に人の交流が生まれるためには、小さな勉強会がいつもどこかで開かれていて、その情報がいろんなネットワークを通じて参加していない人にも流れていて、そこに対するアクセスが容易であること。まずその辺を側面支援することから始めたらいいのではないか。この面でも市民の大学へのアクセス手段が限られていることについて、もう少し考えがあったほうがいい。
今話題に出ている「カンフル剤」(地元の人は地元紙参照)はほとんど意味がないだろう。実態がどうあれ、「さいほくの街」というのは、外から見れば「住みたい街」の上位にくることは決してないところだ。谷村志穂にいわせれば「色のない街」である。この街が、上に見たような「大学を活かしたまちづくり」を展開するか、大都会に突然変異をしない限り、ほとんど意味がない。地元の人たちの「郷土愛」は、自分たちの街の客観的な立場を見る視点を曇らせている。たしかに稚内は外の人がイメージするほど大変なところではない。しかし外からどう見られているのか、よく考えてみれば、観光にせよ大学対策にせよ、「やったような気になる」だけの施策では、根本的な解決にはならないし、短期的にも大して効果を生まないだろう。「対策」の対象たる大学の側としては、そうした外枠での施策に抜本的な改善の兆しが見られないのであれば、自らの経営改善を第一に考えて、「街の魅力」よりも「大学の魅力」に頼らざるをえない。
たぶん解決策はある。ひとつの考え方は、ネットワーク。情報ネットワーク利用の質的向上と動機付けか。今の稚内市民には、街での生活にメリットある情報が、ネットワーク上に転がっていない。まずそうした情報の提供を促すために、民間セクター(具体的には市民のよくいく店)の情報をネットワークを通じて流し、なおかつネットワーク経由の情報にはありがたみがあるようにする。それと交通ネットワークの整備、それからこのネットワークは、観光客にとっても有益なものにすること。大学ではソーシャルネットワーキングが動き始めた。この動きは、市民のネットワーク作り、シームレスにつながる市民と大学のネットワーク作りに、確実に一役買うはずである。