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高井瑛子さん、坂元楓さん、2人の敬和卒業生が新潟の主要番組に登場

2017年4月から、敬和学園大学卒業生2人が、新潟の主要番組に登場した。登場したのは、2013年卒業の高井瑛子さんと2016年卒業の坂元楓さん。2人とも在学中からテレビにレポーターとして出演し、経験を積み上げていて、満を持してというところもある。

高井瑛子さんは、UX新潟テレビ21の土曜朝の番組「まるどりっ!」に出演。やまだみつるさんの人気コーナー「旅してちょーない」の5代目パートナーとなった。

まるどりっ! » 2017年4月1日放送 400万円つぎこんだ宝の山 ~長岡市~

高井瑛子さん

高井さんは大学卒業後、岩手朝日テレビのアナウンサーとして、岩手県で活躍。新潟のテレビ番組で見ることはほとんどなかったが、高校野球地方予選の番組を担当するなど、人気アナウンサーとして活躍していた。4年間の岩手での経験をへて、地元新潟に戻ってきた。「旅ちょ」1回目から「大食いキャラ」ぶりを発揮していたよう。「旅ちょ」も長らく続けてきて、ネタ切れになりかねないところがあるように思うが、やまだ・高井の新コンビで、新潟県の町から新たな話題を提供してほしい。

坂元楓さんは、NHK新潟放送局の「新潟ニュース610」に出演。4/3に外からのレポーターとして登場したようだ。今後キャスターとして登場するものと思われる。

NHK新潟放送局 | アナウンサー・キャスター | 坂元 楓 (さかもと かえで)

坂元楓さん

坂元さんは、大学卒業後、湯沢町の第54代ミス駒子として活動しながら、民放局の番組に出演していた。情報セキュリティワークショップ in 越後湯沢で、越後湯沢から新潟に戻ってきた新幹線で、ばったり会ったこともある。あきらめずに粘り強くがんばったことで、ローカルニュースの「大役」の座をつかんだ。NHKのニュースキャスターは、原稿読みを含めて、言葉遣いの正確さを、かなり厳しい目で見られている。これまでの経験を活かして、がんばってほしい。

卒業生二人の活躍について、自分がとりたてて何かをしたわけではなく、幾つかの授業を担当しただけだが、大学の情報メディア教育を担当するものとして、素直にうれしい。女子アナの任期は短いのだが、二人にはまずは今の場所で活躍し、そのまま息の長い活動を続けていってほしい。

ちなみに在学中に2人共、Keiwa Lunchに出演してくれたことがある。今となっては本人には「黒歴史」かもしれない(そうでないことを願っている)が、検索して見に来ている人がいるのだろう、どちらの動画も、Keiwa Lunchのアーカイブとしては、それなりの再生回数になっている。

Keiwa Lunch – Keiwa Lunch:毎週水曜日のお昼休み、敬和学園大学の学食から放送中

高校野球青森大会で、母校弘前高校が準優勝:優勝した弘前学院聖愛は初優勝

今日行われた、第95回全国高校野球青森県大会決勝は、弘前の高校同士の対戦。自分の母校である弘前高校と弘前学院聖愛高校が対戦した。どちらも勝てば初優勝。弘前高校はかつて選抜大会に出場したことがあるが、聖愛高校は初めての甲子園ということになる。白熱するゲーム展開(といっても新潟ではテレビ中継がないので、もっぱらTWitterで見ていただけだが)だったが、7回に勝ち越した聖愛高校が勝利した。

弘 前|102 000 000|3
聖 愛|120 000 10×|4

聖愛高校は、2年連続の決勝進出で、ついに優勝を勝ち取った(2年連続ということは、最近知った)。聖愛高校は、弘前の歴史あるキリスト教学校で、もともとは女子校であった。2000年に共学化し、その後野球部が創部して、10数年で甲子園にたどり着いた。今回は八戸学院光星(元光星学院)、青森山田という、青森県の強豪私立を破っての堂々の優勝だ。
前任校稚内北星時代には、サマースクールに来てくださる先生がいた縁もあり、何度か聖愛高校にうかがったことがある。共学化に踏み切ったところで、新しいイメージ作りに取り組んでいる様子が、非常に印象的だった。同じ学校法人が設置している弘前学院大学との関係を明確にするため、「弘前学院聖愛」と弘前学院という名前をつけるようになったようだ。

弘前高校は、弘前では進学校なのだが、たしか昭和40年代に一度、選抜大会に出場している。「文武両道」をうたっているので、野球部も上位に勝ち進んでいた時代はあり、自分が青森にいたころにはまだ新聞で、「古豪」というキャッチフレーズが使われていたのだが、今回はほんとうに久しぶりの上位進出。ノーシードから勝ち上がり、決勝までのぼりつめた。久しぶりの母校の活躍は、県内の卒業生はもちろん、自分のような県外の卒業生の耳にも、ソーシャルメディアを通じて、広く届いた。

弘前高校は7月の学校祭「弘高祭」の前夜祭で、クラスごとに作ったねぷたを街中で運行する「弘高ねぷた」を行なっている。ねぷた自体をクラスごとに作るので、7月はみんなこの作業に集中する(ので、3年生もこの時期、あんまり受験勉強をしない。というか、できない)。この校内が盛り上がる時期に、野球部は毎年、県予選を迎える。みんなが盛り上がる「弘高ねぷた」にもあまり参加できず、ストイックに野球に取り組んでいるのが、弘前高校野球部ということになる。そう考えると、40年近く、なかなかチャンスをめぐってこなかったストイック集団には、なんとか甲子園にたどりついてほしかったというところ。実際、こうした歴史を積み上げた野球部OBの興奮はかなりのものだっただろう。

試合終了後

ただ、弘前高校平川投手の試合後のコメントには、負けた悔しさはあるものの、ある種の充実感は感じられる。

弘前初出場まであと1歩で涙/青森大会 – 高校野球ニュース : nikkansports.com

それでも今大会全6試合に登板し、この日も125球を投げきった平川は「青森は私学が甲子園に出ることが決まりきった感じになっていた。県立高がここまでやれることを示せて良かった」と充実感をにじませた。

青森県は長らく、高校野球の弱い地域で、かつて三沢高校が甲子園で準優勝して以後は、長らく低迷時代が続いていた。「あの三沢高校以来の悲願の初勝利を目指して」というフレーズがよく使われていた。その後、青森山田、光星学院の二校が積極的な選手の勧誘もあって、頭角をあらわし、県大会優勝の常連校となっただけではなく、今や甲子園でも常に上位をうかがう強豪校と目されるまでになった。県外から積極的に選手を受け入れる一部の私立高校が力をつけてきて、しのぎを削るようになると、もはやその他の私立高校や、まして公立高校が甲子園に行ける可能性はほとんどなくなっていった。こういう経緯の中で、弘前高校などに対しても、まだちょっとだけ可能性があるかのような「古豪」という言葉を使うようなことも、おそらくなくなっていたのではないかと思う。

また、青森山田は青森市、八戸学院光星は八戸市の学校なので、長らく弘前市の学校にもチャンスはめぐってこなかった。弘前の高校が夏の甲子園に出場したのは、96年の弘前実が最後で、それ以後は青森山田、八戸学院光星が代表を争う時代が続いてきた(何回か八戸工大一が出場している)。以下の様なTweetがたくさんRTされるわけだ。今回の決勝、弘前市内数カ所では、パブリックビューイングも行われたそうだ。

聖愛高校のキャプテンは一戸選手。二本柱のピッチャーの一人でもあり、クリーンナップの一角でもあり、チームの大黒柱のようだ。別に親戚ではないのだが、ぜひとも活躍してほしい。

ひょっとして弘前高校が勝ったら、どうにかして甲子園に見に行きたいと思っていたが、その心配はなくなった。聖愛高校の活躍を、新潟で応援しようと思う。

仙台にJ初の双子コーチが誕生 – サッカーニュース : nikkansports.com

キャプテン翼の立花兄弟のモデルだったのは知らなかった。

リンク: 仙台にJ初の双子コーチが誕生 – サッカーニュース : nikkansports.com.

手倉森兄弟は、僕が中学生の頃だったか、五戸高校サッカー部の選手で、高校サッカーで活躍した双子の兄弟だ。当時青森県は、まだ、高校野球もサッカーも、弱くてどうしようもなかった。そういう時期だったので、この双子の兄弟を中心にして、五戸高校が勝ちあがっていく様子は、かなりの注目を浴びていたように思う。

プロ選手としてはあまり注目されることはなかったが、指導者としては着実に実績を積み上げているようだ。

ミクシーの反応を見る限り、彼らの活躍を覚えている人は、あまりいないみたいだ。まあそりゃそうか。20年以上前だし、青森県民限定だし。

道都熱狂 響く「シンジテタ」 ビルの窓、沿道びっしり

リンク: 北海道新聞 道都熱狂 響く「シンジテタ」 ビルの窓、沿道びっしり

いかに札幌初の出来事とはいえ、ここまで人が集まるとは。。。

新潟の人はアルビレックスへの愛着が強いようだ。

青森で育った僕にとっては、地元球団が存在する街は立派な都会だった。当時青森県の高校野球は、10何年も甲子園で勝つことができずにいたので、高校野球の強い県は、結構都会だと思っていた。したがって、当時の僕にとって、四国は、東京・大阪と同じとはいわないまでも、結構な都会なのであった。

札幌の人は、毎年のジャイアンツの円山遠征もあったりして、少し感覚が違うのかもしれないが、それでもあれだけ寒いところで「地元球団」ができるとは夢にも思っていなかっただろう。だからこそのこの熱狂、なのかもしれない。