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あいかわらず「利用者不在」の新幹線駅名:「奥津軽いまべつ」「新函館北斗」

北海道新幹線の北海道北斗市までの駅名が決定しました。新青森からの先は「奥津軽いまべつ」「木古内」「新函館北斗」になります。

JR北海道は11日、北海道北斗市で建設が進む北海道新幹線の新駅名を「新函館北斗」、青森県今別町の新駅名を「奥津軽いまべつ」にすると発表した。札幌市の本社で記者会見した島田修社長は「多くの人に愛され、使ってもらえる駅になってほしい」と述べた。

 新函館北斗は「新函館」との仮称だったため北斗市側が反発。函館市との協議もまとまらず、両市はJR北海道に一任していた。禍根を残すことを恐れた同社は道に意見を求め、道は新函館の仮称がなじんでいるとする一方、立地する北斗市への配慮も求めていた。

 島田氏は「新函館北斗なら新幹線が函館行きであり、駅が北斗市にあることも分かる」と命名理由を説明した。

北海道新幹線新駅名は新函館北斗、奥津軽いまべつ  :日本経済新聞

北海道側の、駅の所在地である北斗市に配慮しつつも、おそらくメインの訪問地となる函館市の玄関口としての機能を重視して「新函館北斗」という名前になったということでしょう。たしかに北斗市のイメージはあまりないので、駅名に入ることにより、北斗とはどんなところなのか、想起してもらえる効果はあるように思います。

青森側の最北の駅「奥津軽いまべつ」の決定の経緯もまた、なかなかややこしいです。現在の駅が「津軽今別」で、新駅は「奥津軽」という駅名が当初予定されていましたが、今別町の提案に沿う形で「奥津軽いまべつ」に落ち着いたということです。

函館の集客力を前にすれば、現在の終着駅である青森ですら存在がかすみ、「通過駅」の存在になってしまう懸念があります。実際新青森開業の際にも、「函館まで延伸する前に、『通過駅』にならないよう自力をつけなければ」という話がでていたように記憶しています。はたして「自力」はついたといえるのか。青森出身者としては、実は正直、この点も心もとないです。

「北斗」は「函館」にくっついて名前が表示されることにより、存在を認知される可能性があるでしょう。北斗市については、ずーしーほっきーのイメージはありますが、そのほかは特に強く記憶に残っているものはありません。しかし駅の利用者はそれなりに見込まれるわけですから、これでも十分な宣伝効果があるのではないかと思います。

かたや「今別」はどうか。これは非常に苦しいところです。青森県今別町は、日本創成会議が先日発表した、全国市区町村別「20~39歳女性」の将来推計人口によると、2050年の「20~39歳女性」は、2010年の数との比較で-88.2%となる町です。人口も1200人台まで落ち込むと予想されています。あくまで予想といえば予想ですが、今別はつまり、圧倒的な「過疎」の町です。この今別を救済するいわば「起爆剤」として、「奥津軽」に「いまべつ」をくっつけるという案が提案され、採用されたということになります。地元が要望する気持ちは痛いほどわかりますが、この名前だけで、駅の乗降客が増えるとは考えにくいです。

ところでこれらの決定の経緯に、一般の利用者の利益はどれぐらい考慮されているのでしょうか。一般の利用者は、(鉄道ファンでもなければ)現時点でこれらの駅にさほどの関心はないので、どうしても「地元」の声が強まります。しかし長い駅名は、利用者にとってのメリットは少ないです。

上越新幹線では、「燕三条駅」がその典型でしょう。隣接する燕市と三条市、どちらの駅名にするかなかなか決まらず、結局2つ合わせた駅名になったと聞いています。「燕」が先か「三条」が先かが争われ、「燕」が先になったけれども、駅長室は三条市になったというような話を聞いたことがありますが、正確なところはわかりません。つまりそれぐらい、駅名をめぐる争いは激しかった。しかし今はどうでしょうか。実は燕市、三条市というそれぞれの存在よりも、圧倒的に「燕三条」という地名が存在感を得ています。他県の方の中には、燕市と三条市ではなく、燕三条市として認識している人もいるのではないでしょうか?

「奥津軽」という切り口はこれまで認識されてこなかったもので、青森の中でも津軽半島の北部には、津軽海峡をのぞんだ雄大な自然があるのではないかという、印象を持たせてくれます。そこに「いまべつ」をつけるかどうかは、正直利用者にとってはどちらでもよかったのではないかと思います。今別町にとっては、短期的に町の知名度があがるという効果がありそうですが、それだけでは乗降客は増えないと思います。むしろ「奥津軽」としてのブランドをどう築いていって、新青森でもなく新函館北斗でもないこの駅を、どうやって利用してもらうかを考えることが大事ではないかと思います。

さもなくば、新函館北斗駅に向かう乗客に、「誰もいないのになんで止まるんだろうなあ。政治駅だよな。」といわれる存在になってしまうことでしょう。

(Yahoo!ニュース個人より転載)

新潟にあるスナック「青森」

西堀通りのビルの6Fにあるスナック青森。以前から車で通るたびに気になっていて、月例の「喜ぐちの日」で集まった際にも、あそこはどんな店なんだろうという話題が出ていた。

先月、弘前高等学校の鏡ヶ岡同窓会新潟支部の会合があり、先輩たちにその「青森」に連れて行っていただいた。青森市出身のママが一人で切り盛りする、典型的なスナックであった。フロアに一台カラオケがあった。そんなに高いお店ではなく、ちょっと立ち寄って帰る店としても利用できるのではないか。

ママと青森の話はしていないが、新潟のマイノリティである青森県民が、ひっそりと集まっている場所なのかも、という印象を持った。

西堀通、1Fに「Pulp Fiction」というお店が目印になる。
青森 – 新潟市中央区/居酒屋・バー・スナック:マピオン電話帳

つながるMap

弘前の大学生たちのプロジェクト「いしてまい」のメンバーに会ってきた

1月2日、弘前市内で、市内の大学生たちのプロジェクト「いしてまい」について、弘前大学の大学生、丹藤さんに話をうかがった。正月のまっただ中、1月2日にもかかわらず、時間を作ってくれてどうもありがとうございました。丹藤さんは大変しっかりした、適切に言葉を選んで話をする学生さんで、楽しい時間を過ごすことができました。

いしてまい

いしてまい (isitemai)さんはTwitterを使っています

「いしてまい」は、学園都市ひろさき高等教育コンソーシアムという市内の大学のコンソーシアムを母体に、これに参加する弘前大学、弘前学院大学、東北女子大学、東北女子短期大学、弘前医療福祉大学、放送大学青森学習センターの6大学から、学生たちが自主的に集まった「学生委員会」で、弘前の活性化のための取り組みをしている。昨秋に新聞記事を見て興味をもったので、Twitterを通じて、年末年始だけれどももし時間をいただけるならばお話をうかがいたいと連絡をしてみたところ、丹藤さんが快諾してくださった。

いしてまい丹藤さん

「いしてまい」は平成22年発足で、実はすでに4年目。丹藤さんは2012年度、大学2年の時から参加したということなので、「いしてまい」という名前が決まった瞬間には立ち会っていない。「いしてまい」は「良すぎて仕方がない」という津軽弁。弘前が地元の自分だが、最初名前を字で見た時には、実は最初意味がわからず、頭のなかで「石手舞」などと字をあてがっていた。メンバーの構成は、弘前大学3人、弘前学院大学6人、弘前医療福祉大学10人、東北女子大学2人、東北女子短期大学2人(というのが、丹藤さんの記憶に基づいて教えてもらった数字。放送大学青森学習センターからは、まだ参加者がいないそうだ。まあそうだろう)。弘前学院大学や弘前医療福祉大学からの参加が多いのは、おそらく先生からの呼びかけがうまく機能しているということだろう。弘前大学のように大きな大学だと連絡が行き届きにくいし、大学の中のコミュニティで自足してしまうということもありそうだ。

昨年度は「6大学合同文化祭」を中心市街地の土手町で開催、よさこい、ファッションショーなどのステージイベントと模擬店を出した。また、弘前市内各地区のお店について、市民の皆さんからの情報を元に取材し、冊子にまとめた「つながるMAP」を発行している。今年度は、弘前ねぷたへの「参加」をテーマに、ねぷたの製作過程から取材をし、最終的にねぷたの運行にも参加したそうだ。ブログやTwitterでの情報発信にも取り組んでいるが、コンテンツを制作して外部に公開するということよりも、実際に人に会って交流するということに力を入れているという印象を持った。

つながるMapつながるMap

活動の話をいろいろ聞いていくうちに一つの疑問がわいた。弘前という街は、文化的にも優れたものがたくさんあり、観光都市としての人気もあるのだけれど、ひょっとして市内のお店についても学生の皆さんは普段あまり行かないし、弘前ねぷたにもあんまり参加していないということだろうか?丹藤さんと話してみた限りでは、その通りのようだった。「いしてまい」に参加している学生の多くは、弘前市外の出身者。弘前市内の出身者で、こうした活動に目を向ける学生は少ないそう。一般的にも、学生たちが市内中心部で遊ぶことはあまりなく、五所川原市のショッピングモール「エルム」をはじめ、ドン・キホーテ、さくらのなどの郊外型の店舗に行っているようだ。新潟の学生たちがイオンに行くのと同じような現象と考えれば、さほど不思議ではないのだが、弘前という街は自分にとって、田舎だけどちょっとセンスのある街というイメージだったので、若者たちは放っておくと弘前の街中には出てこないという現象が起きているというのは、ちょっと意外であった。たしかに自分が高校時代を過ごした80年代後半からすでに20年以上が過ぎたわけだし、当時と違って、今はネットもありアニメなどのコンテンツのパワーも強いわけで、「ローカル」に目を向ける若者はなかなか増えていかないのだろう。ただそれは「きっかけ」がないからともいえる。「いしてまい」のような活動に参加した学生の皆さんは、これを通じて地域のことを再発見、再評価しているに違いない。参加しているメンバーは非常に良い機会を得ているように感じたし、それ自体は地域にとって大きな前進なのだということがよくわかった。

丹藤さんは3年生なので、これから就職活動がスタート。弘前での就職を希望しているそう。もちろん地元就職がそんなに簡単ではないこともよくわかっている。でも何とか地域のために働きたいと思うようになったという。1年間活動してきて、このように思える学生が少なくとも一人は出てきたわけで、これだけでもプロジェクトは大きな成果をあげているといってよいだろう。よい進路を見つけてほしいものだ。

最後に地域社会の現状をどう見ているか、聞いてみた。土手町の「シャッター通り」の空き店舗率は、最近改善されつつあるそうで、まだまだ「伸びしろ」がある。弘前は他の地域に比べると、いろんな催しなどで地域を盛り上げようという行動力のある人が多くいて、活力がある。「いしてまい」の活動を通じて、弘前のこうした「熱い人達」と知り合うことができ、確信を得たという様子であった。

今回は残念ながら、弘前大学以外の学生の皆さんにはお話をうかがえなかった。私立大学のメンバーの感じ方は、もともと大学のコミュニティが大きい弘前大学の学生とは、また違うような気がする。ぜひまたの機会にお話をうかがってみたいと思う。

一戸ゼミ青森旅行「のへぷた」で、青森ねぶたと弘前ねぷたに行ってきた


8/2-4の日程で、4年ゼミの学生たちと青森へ行ってきた。昨年は香港から友人を迎えて帰省したが、今回は学生たちと。弘前ねぷたと青森ねぶた、両方を見るという豪華なコースとなった。直前で女子2名のうち1名がいけなくなったが、急遽2年の女子学生が参加してくれた。

週末撮影した2012年の弘前ねぷた | ICHINOHE Blog

昨年の佐渡合宿の略称は「のへさど」だったが、今年の青森旅行は「のへぷた」というタイトルで実施された。

平成生まれの学生たちと佐渡合宿へ行ってきた #のへさど | ICHINOHE Blog

学生たちは2日と4日、それぞれに青春18きっぷで移動、自分は特急いなほとつがるを乗り継いで、学生たちを追いかけた。往路では秋田で合流、1時間ほど、秋田市内を歩いた。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

学生たちの泊まる宿は、1ヶ月ぐらい前になって探し始めたので、絶望的な状況だったが、Facebook経由でいろいろお力を貸していただいて、弘前市内でなんとか7人分の宿泊場所を確保することができた。2日の弘前ねぷたは一戸時計店前にて。

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

この日参加したネプタは少なめで、21時ぐらいには終わってしまったが、はじめて見る学生たちにはちょうどよかったようだ。6月に弘前市役所で講演したときに、お話を聞いてくださった方々や宿の予約でお世話になった方ともお話しできたので、個人的にもとても楽しい時間であった。

弘前市役所で講演させていただきました:「津軽弁なまり」への切り替えは難しい | ICHINOHE Blog

2日目の日中は弘前市内を回り、その後青森へ。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

各地に出展している「チリンチリンアイス」こと、りんご味のシャーベットが人気だった。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

本当は三内丸山遺跡に行こうかどうしようかという話になっていたのだが、青森ねぶたの混雑が予想できなかったため、あきらめて早めに青森市内へ。

青森ねぶたは観戦場所を探して、市内の歩道にレジャーシートをしいて、椅子席の後ろで鑑賞するつもりだったが、学生たちが前の椅子席を管理する方といつの間にか仲良くなり、「新潟から来ているのであれば、空いている席に座っていいですよ」という許可をいただいた。結局ほぼ全員が椅子に座って見ることができた。どうもありがとうございました。

実は旅行に行く前の段階で、学生たちには、ハネトとして参加することもできると説明したのだが、衣装レンタルの値段をきいて、誰も参加するとはいわなかった。結局祭りを見ているうちに、「跳ねたくなった」とみんな言いはじめ、帰り道で、ちょっと真似して跳ねてみていた。だから言ったのに。

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

青森ねぶたは10年以上きていなかったので、規模感が想像つかなくなっていた。正直なところ、頭のなかではもう少し大規模なお祭りであった。いや弘前に比べたら大規模なのだけど、もっと圧倒的に大きいという印象があったのだが。自分自身の年齢や環境変化がこのギャップを生んでいると思うが、青森ねぶた自体も、少子高齢化の影響で変化しているようだ。今年は久しぶりにハネトの現象に歯止めがかかった、という記事が新聞に出ていた。それでも若い人たちの数は、弘前よりも圧倒的に多かった。

20時台の電車で弘前に戻ったが、若い人たちがかなり乗っていて、混み合っていた。弘前含めて、近隣の街の若者を、青森ねぶたは引きつけているのは間違いない。21時以降はもっと混んでいただろう。

今回は電車も学生たちとは一緒に乗らず、夜も自分だけ実家に帰ったので、宿でも学生たちと一緒に過ごしていないのだが、学生たちは学生たちで長い時間を一緒に過ごして、かなり仲良くなったようだ。歴史や文化に対する関心はあまり高いとはいえない学生たちは、実は沿線の地名もあまり知らなかったようだし、ねぶた・ねぷたの題材についても、たぶんあまり関心がなかったのではないかと思う(ゲームに出てくる人物を除く)。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ただそんな彼らでも、青森のねぶた祭りを体験し、しかも青森・弘前の両方を見る経験をすることができた。これから学生たちの多くは、卒業後も新潟で暮らすことになるし、新潟で働き始めれば、青森まで旅行に行くのは容易ではない。ましてねぶたの時期となればなおさらだ。今回見たことが、さらに成長していった彼ら・彼女らの血となり肉となって、いつか役に立ってくれたらと思うし、まずそれ以前に、大学卒業前に、また一つ思い出ができただけでも十分な成果としたい。

突発的な企画にお力添えいただいた皆さん、青森滞在中学生たちに親切にしていただいた皆さん、どうもありがとうございました。

一戸ゼミ青森ゼミ旅行 201308 / ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04 – a set on Flickr

【写真】のへぷた!ゼミのみんなで弘前ねぷた祭り、青森ねぶた祭りに行ってきたよ!【11枚】 | まるりわーどぷれす

高校野球青森大会で、母校弘前高校が準優勝:優勝した弘前学院聖愛は初優勝

今日行われた、第95回全国高校野球青森県大会決勝は、弘前の高校同士の対戦。自分の母校である弘前高校と弘前学院聖愛高校が対戦した。どちらも勝てば初優勝。弘前高校はかつて選抜大会に出場したことがあるが、聖愛高校は初めての甲子園ということになる。白熱するゲーム展開(といっても新潟ではテレビ中継がないので、もっぱらTWitterで見ていただけだが)だったが、7回に勝ち越した聖愛高校が勝利した。

弘 前|102 000 000|3
聖 愛|120 000 10×|4

聖愛高校は、2年連続の決勝進出で、ついに優勝を勝ち取った(2年連続ということは、最近知った)。聖愛高校は、弘前の歴史あるキリスト教学校で、もともとは女子校であった。2000年に共学化し、その後野球部が創部して、10数年で甲子園にたどり着いた。今回は八戸学院光星(元光星学院)、青森山田という、青森県の強豪私立を破っての堂々の優勝だ。
前任校稚内北星時代には、サマースクールに来てくださる先生がいた縁もあり、何度か聖愛高校にうかがったことがある。共学化に踏み切ったところで、新しいイメージ作りに取り組んでいる様子が、非常に印象的だった。同じ学校法人が設置している弘前学院大学との関係を明確にするため、「弘前学院聖愛」と弘前学院という名前をつけるようになったようだ。

弘前高校は、弘前では進学校なのだが、たしか昭和40年代に一度、選抜大会に出場している。「文武両道」をうたっているので、野球部も上位に勝ち進んでいた時代はあり、自分が青森にいたころにはまだ新聞で、「古豪」というキャッチフレーズが使われていたのだが、今回はほんとうに久しぶりの上位進出。ノーシードから勝ち上がり、決勝までのぼりつめた。久しぶりの母校の活躍は、県内の卒業生はもちろん、自分のような県外の卒業生の耳にも、ソーシャルメディアを通じて、広く届いた。

弘前高校は7月の学校祭「弘高祭」の前夜祭で、クラスごとに作ったねぷたを街中で運行する「弘高ねぷた」を行なっている。ねぷた自体をクラスごとに作るので、7月はみんなこの作業に集中する(ので、3年生もこの時期、あんまり受験勉強をしない。というか、できない)。この校内が盛り上がる時期に、野球部は毎年、県予選を迎える。みんなが盛り上がる「弘高ねぷた」にもあまり参加できず、ストイックに野球に取り組んでいるのが、弘前高校野球部ということになる。そう考えると、40年近く、なかなかチャンスをめぐってこなかったストイック集団には、なんとか甲子園にたどりついてほしかったというところ。実際、こうした歴史を積み上げた野球部OBの興奮はかなりのものだっただろう。

試合終了後

ただ、弘前高校平川投手の試合後のコメントには、負けた悔しさはあるものの、ある種の充実感は感じられる。

弘前初出場まであと1歩で涙/青森大会 – 高校野球ニュース : nikkansports.com

それでも今大会全6試合に登板し、この日も125球を投げきった平川は「青森は私学が甲子園に出ることが決まりきった感じになっていた。県立高がここまでやれることを示せて良かった」と充実感をにじませた。

青森県は長らく、高校野球の弱い地域で、かつて三沢高校が甲子園で準優勝して以後は、長らく低迷時代が続いていた。「あの三沢高校以来の悲願の初勝利を目指して」というフレーズがよく使われていた。その後、青森山田、光星学院の二校が積極的な選手の勧誘もあって、頭角をあらわし、県大会優勝の常連校となっただけではなく、今や甲子園でも常に上位をうかがう強豪校と目されるまでになった。県外から積極的に選手を受け入れる一部の私立高校が力をつけてきて、しのぎを削るようになると、もはやその他の私立高校や、まして公立高校が甲子園に行ける可能性はほとんどなくなっていった。こういう経緯の中で、弘前高校などに対しても、まだちょっとだけ可能性があるかのような「古豪」という言葉を使うようなことも、おそらくなくなっていたのではないかと思う。

また、青森山田は青森市、八戸学院光星は八戸市の学校なので、長らく弘前市の学校にもチャンスはめぐってこなかった。弘前の高校が夏の甲子園に出場したのは、96年の弘前実が最後で、それ以後は青森山田、八戸学院光星が代表を争う時代が続いてきた(何回か八戸工大一が出場している)。以下の様なTweetがたくさんRTされるわけだ。今回の決勝、弘前市内数カ所では、パブリックビューイングも行われたそうだ。

聖愛高校のキャプテンは一戸選手。二本柱のピッチャーの一人でもあり、クリーンナップの一角でもあり、チームの大黒柱のようだ。別に親戚ではないのだが、ぜひとも活躍してほしい。

ひょっとして弘前高校が勝ったら、どうにかして甲子園に見に行きたいと思っていたが、その心配はなくなった。聖愛高校の活躍を、新潟で応援しようと思う。

北海道放送室谷香菜子アナの完全津軽弁番組「香菜子のなまらないと」

昨晩動画検索をしていてたまたま見つけたHBC、北海道放送のラジオ番組。実は2011年から続いている番組なのだが、北海道のみの放送なので、新潟県民が知るはずもなく、全く気がついていなかった。青森県民も、あんまり気づいてないような気がする。現在は、毎週水曜の17:10-17:20の10分番組。

香菜子のなまらないと

なまらないと

室谷アナは青森県出身、明の星高校、青森公立大学の卒業なので、完璧な津軽弁を話す。しかし普段の仕事では標準語で話しつつ、この番組の時だけ、完全に津軽弁に切り替えるようだ。津軽弁話者ならばわかるのだが、単純にちょっと「なまっている」という状態ではなく、津軽弁独特の細やかな表現をきちんと使いつつ、しかも、道民が聴いてもなんとなく意味がわかる程度に押さえている(と思う)。

内容は通常のトーク番組だが、番組宛のメールも、すべて津軽弁に「変換」しているらしく、すべてが津軽弁に満たされている。現在のスポンサーは津軽海峡フェリーで、この提供読みも津軽弁で行われるという徹底ぶりだ。単に「ネタ」として津軽弁が話されているというわけではなく、「津軽弁番組」としての完成度も非常に高いと感じた。

北海道放送はTBS系列のラジオ・テレビ兼営局。青森で同様の兼営局であるRAB青森放送は系列が異なるので、RABラジオでこの番組を放送することはなさそうだ(ラジオの場合はこの辺柔軟なようなが気もするけど)。というよりも、青森で津軽弁で番組をやっても、普通の番組なのであまりウケないかもしれない。

香菜子の今日はどんな一日かな~♪

先日弘前市役所で講演に呼んでいただいた際、津軽弁なまりで話そうとしたができなかっただけに、彼女の見事な切り替えぶりに、ただただ敬服するばかりだ。

弘前市役所で講演させていただきました:「津軽弁なまり」への切り替えは難しい | ICHINOHE Blog

弘前市役所で講演させていただきました:「津軽弁なまり」への切り替えは難しい

6/21、弘前市役所で、職員の皆さん向けの「ソーシャルメディア活用術」に関する講演をさせていただいた。お招きいただきどうもありがとうございました。

弘前市役所で講演 #hirosaki #aomori

内容は昨今の公式アカウントや公務員の情報を発信をめぐる話を中心に、安全かつ有効なソーシャルメディアの利用に関するもの。市職員の皆さんは、いつも批判の矢面に立たされることがあり、ともすれば、表に出たがらない傾向にあるし、周りで出て行こうとする人の足を引っ張る、津軽の「足ふぱり」(足引っ張り)の文化もある。また、実際不用意な発言が、全国で炎上騒ぎを起こしているのもたしか。しかしながらそれでもなお、「なかのひと」のユーモアあるTweetがヒットした例はいくつもあるわけで、広報担当者は当然、それを狙った日々研究を積み重ねているはずだ。「足ふぱり」をやめて、矢面になって、目立つことを恐れずに奮闘する広報担当者たちを、励まし応援してほしいという話をした。

講演後弘前市のFacebookを担当されている方とお話しした。私が「外向けによくできている」といってしまった「弘前市」というFacebookページは実は「市民向け」で、「外向け」のページは「弘前市観光プロモーション」というページなのだろう。失礼いたしました。実は私が想定している「市民向け」というのは、もっと具体的な行政サービスに関する情報も出ているものであったので、どちらかというと、弘前市民に向けた文化的な話題などを取り扱う「弘前市」のアプローチとは、ちょっと想定している内容が違っていたというのが、いいわけ。しかも実は、LINE@もスタートされていることを知った(ちょうど当日)。これは市役所の皆さんも知らなかったようなので周知したほうがよさそう。なぜ見つからなかったかというと、これも「弘前市観光プロモーション」となっているからだったよう。

弘前市
弘前市シティプロモーション

年末年始など、数日弘前に滞在すると、しゃべりは完全に津軽弁になってしまい、そのまま新潟に戻って「津軽弁なまり」で授業をやりかけてしまうのだが、今回の講演では「津軽弁なまり」ができなかった。「津軽弁なまり」というのは、今回考えた造語だが、津軽の人がしゃべる標準語のこと。普段使っている津軽弁が、他の地方では解読不可能なことをみんな知っているので、津軽地方の人は、他の地方の人とは標準語で話している(つもり)。しかし津軽地方の独特のイントネーションからは、なかなか抜け出せないので、標準語でしゃべっていても、「ああ、この人津軽人かな?」というのがわかるぐらい、独特のイントネーションが残る。これが「津軽弁なまり」だ。おそらく役所などで、少し公的にお話するような場面でも、ある種の青森流「標準語」として使われているはずだ。昨日はこれで話してみようと思ったのだが、すぐにやろうと思ってできるものではない。

終わった後、今回の企画に関わってくれた高校同期の友人と久しぶりにお話しすることができた。弘前市で働いているいろんなメンバーの活躍を聞きながら、ようやく自分たちの世代が中堅の屋台骨を支えて、弘前市が動き始めているんだなと感じた。とはいえ、新幹線のコースから外れ、産業振興も厳しく、観光以外に活路を見出しにくいというのが辛いところだが。弘前の観光については、「ヒトは来るけど金は落ちない」という構造の話になった。まあたしかにインフラ、施設面では、弘前は弱く、お金を使うようなところはあまりない。しかし都会の人が青森までやってきて、お金をたくさん払いたいものがそんなにあるとは思えないし、たとえあるとしても、大きなハコモノで大人数で均質に消費するものではないような気がする。観光客ひとりひとりが自分で選択して、特別な何かを見つけて帰ることができるような「仕組み」が大事かもしれない。そう考えると、アップルパイ企画はなかなかよいのかも(とても全部は食べられないだろうけど)。もちろんこの「私のすすめる弘前」はソーシャルで広がる。弘前市は、それだけの多様な文化が眠っている深みのある街だし、潜在性はある。

アップルパイが食べられるお店|公益社団法人 弘前観光コンベンション協会

派手に消費するのは、中華圏の観光客なので、それはそれで、別に考えるべき課題だろう。残念ながら新潟も、「派手な消費」への受け入れ体制は弱いといわれる。青森県もまた、その点では不利な立場にある。ただしどこかのタイミングで、「画一的ではない、特別な日本」への関心は高まるはずなので、そこまでは我慢して、受け入れ体制を整えていくことは大事だし、先に進んでいる台湾や香港から、どれぐらい人を呼べるかというアプローチで、考えてみるのはよいかもしれない。

地元での仕事は、とてもやりがいのある、楽しい仕事であることがわかった。「津軽弁なまり」については、今後徐々に改善していきたいと考えており、もし私でお役に立てるお仕事があれば、ぜひお声掛け下さい。

弘前市制作の短編映画『りんごのうかの少女』、予告編を公開

弘前のご当地アイドルりんご娘のメンバーが主演する短編映画「りんごのうかの少女」の予告編が、Facebookページで公開されていた。

短編映画『りんごのうかの少女』作品概要

「地元ならではの視点で弘前の魅力を伝えることができる映像作品を制作することで、具体的な弘前のイメージを人々に伝え、弘前PR活動の一層の促進と魅力発信に繋げる」ことを目的に弘前市役所若手職員による職員提案型の政策研究事業の一環として制作された短編映画。

映画そのものは2012年10月に「公開」されているが、現在は、弘前市広聴広報課からDVDを貸し出している。市内及び近郊に限るそうなので、新潟在住の自分が全編を見るのは難しそうだ。おそらく、少しずつ全国各地での上映を狙っているのではないかと思うが、短編映画という性格からも、苦労しているのではないかと思う。映画製作の趣旨目的からすれば、ストリーミング方式で無料でネット上映をするなどの方法をとったほうが、「弘前PR活動の一層の促進と魅力発信」にはなったように思う。

予告編を見る限りでは、「弘前PR活動の一層の促進と魅力発信」とはいいつつも、青森県の若者をとりまくリアルな現実に迫っているようで、決して「青森っていいよね!」という広報一色のドラマにはなっていない。その一方で、りんご畑の中を走る軽トラとか、岩木山とか、地元の風景を美しく切り取ることには成功しているようだ。

ひょっとすると、「PR活動や魅力発信」というよりも、地元の人達が誇りに思える弘前を映像化したということにこそ、この短編映画のもっとも重要な意義があるのかもしれない。市民が口コミで広げながら、市内各地で上映会を繰り返していくことができれば、たとえ観光PRとしてはあまり効果的ではなかったとしても、この映画を制作したかいがあったということになるのではないか。

弘前市製作 短編映画『りんごのうかの少女』

青森空港の除雪作業が素早すぎて話題に

後藤清安 (みほこ)さんが撮影した、青森空港の除雪作業の動画が、どうやら話題になっているようだ。

たしかにすばらしいチームプレーで、みるみるうちに除雪が進んでいくのだが、青森並みに雪が降る空港は北海道にもたくさんあるだろうし、他の地域の動画も見てみたいものだ。稚内空港の除雪風景も随分見たような気はするのだが、、、記憶に無い。

青森駅前にスターバックスがオープンし高校生が行列

青森駅の駅ビルラビナがリニューアル、青森市初のスターバックスがオープンした。

駅ビル「ラビナ」改装オープン : 青森 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

青森市柳川のJR青森駅ビル「ラビナ」が2日、リニューアルオープンした。新たなテナントに首都圏のブランド服飾店や米国コーヒーチェーン「スターバックス」など8店舗をそろえ、若い女性客の取り込みに力を入れる。

青森県内他地域に店舗はあるものの、青森市へのお目見えは初ということで、女子高生が行列を作ったというのが話題になっている。

青森駅ビルのスタバに女子高生150人が行列 エラいことになっている

自分が高校生だった頃の青森には、コンビニはサークルKのみ、マクドナルドや牛丼やもなく、都会のありふれたチェーン店が、ほとんど何もなかった。それに比べれば現在の状況はましだと思うが、だとしても、なにごとも都会からずっと遅れてしまう状況は、あまり変わっていないのだろう。今にして思えば、ジャンクフードを食べずに育つことができてかえってよかったのだが、当時の自分の気持ちを思うと、女子高生たちがスタバに行列を作る気持ちはよくわかる。

ただ掲示板で他地域の人が、「いまさらスタバにならぶ青森人」を馬鹿にする言動を見ると、「ちょっと前まで東京の人たちだって、他国ではありふれたサービスであった、日本初進出のドーナツチェーンに行列していたでしょう?」と申し上げたい気持ちになる。

ご当地タンブラーはこんな感じの「ねぶた」になるようだ。ELM店はたちねぶたデザインなのだろうか?