タグ別アーカイブ: 結婚式

Niigata Photowalk 20091017

五頭温泉をめぐり、地ビールを楽しんだ第三回新潟フォトウォーク

先週土曜の10月17日、第三回の新潟フォトウォークを、阿賀野市の水原、五頭温泉郷で開催した。参加者は18名。東京からのZooomr組、新潟組ともに増え、過去最大の参加者数となった。ご参加の皆さん、おつかれさまでした。

リンク: Niigata Photowalk/新潟フォトウォーク 第三回:水原・五頭温泉郷 Suibara and Gozu Onsen : ATND.

Niigata Photowalk 20091017
 

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A Fake Chinese Singer

Rebecca and Tacwahの結婚式

18日土曜日に香港ペニンシュラホテルで行われた友人の結婚式に出席してきた。
その後日曜深夜発の羽田行に乗り、そのまま新幹線で新潟に移動して、月曜の授業に飛び込んだ。というわけで、新潟に戻るもお疲れ状態がつづき、しばらくブログの更新も止めてしまった。

今回結婚したのは、たびたびブログに登場するジュエリーデザイナーのKaren Leeの妹Rebecca。お相手のTacwahもずいぶん前からのお付き合いで、僕もよく知っている人。親戚や知人の皆さんのほとんども、Karenの結婚式の時に会っている人であった。

パーティでのお役目は、中国語の歌を歌うこと。僕がiPodから聞こえる曲を適当に歌い、それをきいてゲストの皆さんが元歌を当てるというものであった。衣装が中華風なのは、ドレスコードがそうだったから。

A Fake Chinese Singer


from shinyai

そのほか、いろいろ思うこともあったのだけれど、それらは写真を交えておいおい書いておこうと思う。

シックス・アパート、Voxにグループ機能やカスタムバナー機能を実装

VOXが機能拡張を発表した。

リンク: シックス・アパート、Voxにグループ機能やカスタムバナー機能を実装.

リンク: ITmedia News:シックス・アパート「Vox」にグループ機能.

Voxはエントリーごとに公開範囲を設定できるのが特徴。新機能では、複数人で作るグループごとに公開範囲を設定し、写真などを共有できるようにした。

 グループは「公開」「招待制公開」「プライベート」の3段階を設定可能。例えば結婚式で撮影した写真・ムービーを、プライベートグループを作成して出席者と共有するといったことが可能になる。

そういう需要はあるのかもしれないが、通常のブログ同じものを想定しつつ、「新しもの好き」で手を出した僕からみると、あんまり必要性を感じない方向に拡張が進んでいる。

「Blogは実はパブリックな存在なんだ」といっても、ほとんどの人はそんな覚悟のもとにものを書きたいわけじゃない。そこを素直に認めてしまおうというのが一つ。もう一つは、公開範囲が細かくコントロールされたブログの総体を、ある種のSNS的に機能させようという考え方だ。ということは、mixiに参加してみるのと同じ感覚で、voxのブログを始めてもらわないといけないわけだ。

「できること」があらかじめ決められたメニューの範囲でしかなく、自由にwidgetを引っ張り込むような拡張性が想定されていないが、そこが個人的には不満。優先順位が低いだけで、そのうちマニアックな機能もい追加されるんじゃないかと思うけど。

弟の結婚式

週末、弟の結婚式のため弘前に向かった。
金曜日の午前中の授業が終わった後出発し、夜8時半頃に室蘭到着。

乗船手続の後、室蘭の焼鳥店「一平」へ。ここは「流木」に教えてもらって以来、室蘭を通る度に通っているところなのだが、実は焼「鳥」というのは正確ではない。室蘭では「焼鳥」は豚肉が基本なのだそうで、一部鳥も混じっているが基本は豚肉である。ちなみに室蘭出身の流木さんは、鶏肉しか食べない。
いつも思うのだが、稚内の某焼き鳥屋はどうしてあそこまで焼きすぎてしまうのか。ちょっと血がしたたっていると、稚内の人は抗議してしまうのかもしれないが、ほどほどに焼く技術さえあれば、もう少しまともな焼鳥が稚内でも出せると思うのだけど。「一平」はとりたててすごい店という感じでもないのだが、その辺はきちんとしているので、地元客でいつもにぎわっている。室蘭でもできることは稚内でもできるだろう。もともと稚内では焼き鳥屋の競争があまりないのだから、多少の努力で稚内を代表する焼き鳥屋として君臨できると思うのだが。いや、競争がないからそういう努力が生まれないのか。

明朝フェリーは青森へ。7時過ぎに弘前到着。その後午前中に少し準備をして、15時から式という流れ。
太ってしまった私の体に、数年前に入手した礼服が、すでに悲鳴をあげていることが判明。ウェストがきついことはわかっていたのだが、すでに「尻割れ」寸前であることが母親に発見される。若干の補修工事を行い、今日は立ったり座ったりの動作を慎重に行うべきことが提案される。

結婚式については、この1年かなりの時間をかけてやり方について検討した結果、うちの一家が所属する弘前昇天教会で行われることとなった。弟の結婚相手は韓国の人なので、まず国際結婚一般に関する懸念があれこれ、その後ソウルと青森に暮らす両家のバランスを巡ってあれこれ、弘前を離れて以来教会に寄り付かない弟と教会委員をつとめるほど教会に深くかかわっている父との間での結婚式の定義をめぐることであれこれと、世間にありがちな結婚式をめぐるどたばたが一通りあった末のこの形である。甲斐性なしですっかり出遅れてしまった兄のために、弟には大変な苦労を強いたなあと思う。

結局先月ソウルで両家の顔合わせ(僕ら兄弟は行かないで、本人と両親だけがソウルへ)を行い、式は弘前で行うということになった。ソウルでの300人規模の披露宴(親の友達の友達みたいな人まで来るらしい)は行わなかった。興味本位で言うならば、そういうのにも参加してみたかったけど、まあやったらやったで大変なことになっていただろう。

弘前での式には、ソウルの両親は参加せず、インターネット中継を行った。
20041030_021.jpg
司祭館から50メートルのケーブルをレンガ造りの教会の中まで引き込んで、無線で礼拝堂の中からストリーミング。MSN Messangerにカメラをつけてという段取りだったが、MSNがメンテナンスだったため、何か別のものをつかったようだ。聖婚式(結婚式)では、礼拝堂を縦に移動する場面があり、カメラをパソコンから制御できる範囲を超えてしまった。仕方がないので式の最中にあたふたとカメラを物理的に移動するなどして対応した。おかしかったのは、カメラの向こうにいるソウルの両親が、あまりに普通の格好でいたということ。茶の間に礼服で座っていたらそれはそれでおかしいのだが、こちら側から見て、向こう側があまりに日常的な姿で、しかもこちらとの通話に備えてヘッドセットをつけて参加している様は、それはそれで笑えた。こういう形態に誰もが慣れていないので、どちらにしてもおかしな光景だっただろう。

式の後は、教会の礼拝堂の後ろで簡単な「披露宴」(?)。といってもケーキとお茶だけのシンプルなものであった、
父が司会をして、立会人の佐藤主教からの二人の紹介やその他関係者の紹介などを行い、ケーキカットをするという流れ。ほんとかどうかは知らないが、欧米流には新郎新婦がケーキを食べさせあうというならわしがあるそうで、それも真似した(させられていた)。父は「金剛山なんたら」という韓国の歌を練習していて、座興として披露。ソウルにもほとんどタイムラグなく伝わったようで、画面の向こうから拍手をしているのが見えた。弘前の教会には、父と母が主体的に関わっているのだが、18で青森を離れた僕を含めた子供たちは、いつまでたっても一人前の働きをしない、「一戸さんちの子供たち」のままであり、上の世代の人たちと正直そんなに深いかかわりがない。そういうことも両親と弟の当初の方針の違いに現れたようにも思うが、思いのほか多くの人が土曜日の教会に集まってくれて、おそらく弟も驚いたに違いない。弟に「先を越された」形の僕には、「つぎはあなたの番ね」といった「お言葉」がちらほら。でも予想よりは少なかったかな。

夕方から、市内の翠明荘というところで、親族と遠方からの友人を招いて「食事会」。一度皆さんを車で送った後、僕と父は一旦自宅に戻り、タクシーで再度移動したのだが、その際に父が一言「内輪だけでやるといったけど、こうしてみると結局そういうわけにはいかなくなってるな」(津軽弁でいったものを翻訳した)。翠明荘は由緒ある建物を料亭にしたようで、庭園も立派なのだそうだが、すでに暗くなっていて庭園はほとんど見ることがなかった。カラオケとか詩吟とか、ありがちな趣味の悪い座興はなかったが、友人からの言葉もあったりして、たしかに「そういうわけにはいかない」食事会は、普通の披露宴と変わらないといえば変わらないのであった。僕には「乾杯の音頭」で出番が与えられた。うちの兄弟が歳が離れていて、父の転勤で住む場所も時々で変わったため、その時期・場所での経験や感じ方が違っていることを話した。その上で我が家の異文化体質に「韓国文化」がやってくることは、僕にとっては非常に歓迎すべきことであることを話した。自分たちのことだけを言いすぎたかなとも思ったが、僕が弟の「国際結婚」を肯定的にとらえているということを、正直に皆さんに伝えたかった。座は盛り上がり、弟の友達とも話ができた。

さらに二次会は通称「一戸家アネックス」、父のアトリエとなっているロフト部屋で行われた。父の兄弟と新婦のお姉さんの家族がやってきて、さらに宴会が続いた。父の兄弟もなかなか一堂に会する機会はなくなっているようで、久々にゆっくり話をしたような感じがした。結婚式や葬式は、参加者同士の再会の機会も提供するというのが、今回の弟のこじんまりした結婚式も、やはりそういう機能を果たしたと思う。僕は例によって、終盤の「ちょっといい話」の場面では寝てしまったようで、翌朝目覚めると布団の中にいた。いい加減にしてもらいたい。

翌朝午前中に出発。室蘭港20時着。日曜の夜だったが、札幌で卒業生たちが集まってくれた。予想通り、例の件が話題にのぼった。なぜか彼のことはみな気になるようだった。といっても、そろそろ「限界」に来ているような気もする。札幌で一泊。

母が体調を崩したことなど、いろいろ困難もあったが、弟の結婚式は無事終了した。弘前で結婚式をすることが決まって、両親がずいぶん積極的に奔走したことがわかった。それはなかなか本音を出さない両親が、今回の結婚式についてどう考えていたかを現すものであった。もたもたしている兄に代わって、すぱっと決断した弟が、面倒な役割を果たしてくれたということだろう。