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ネット選挙運動関連で取材協力などまとめ

11月に衆議院が解散、それからあっという間に選挙が始まり、14日に結果が出た。今回は「ネット選挙運動」が解禁されて初めての衆院選ということだったが、昨年の参院選同様、盛り上がりは今ひとつ。選ぶ方もネット選挙運動なるものに何ら期待していないし、建設的な使い方をするつもりがなく、選ばれる方もまた、ネットユーザにうまくリーチする手法がわからず、また余計なことを言って炎上させるぐらいなら、寝た子を起こさないほうがよいという思惑もある。

とはいえ、まじめに「対話」をしている人を評価したいと思い、新潟日報モアでは、「新潟ソーシャルメディア選挙」というサブタイトルをつけて、候補者の情報発信について、いろいろ論評する活動をしてみた。どれぐらい話題になったのかはよくわからないが、新潟2区の鷲尾さんのところからは、終盤で連絡をいただいたので、一応関係者には見てもらえたのかもしれない。

カテゴリ:選挙|ソーシャル編集委員 一戸信哉「新潟ソーシャル時評」|モアブログ|新潟日報モア

新潟日報の紙版の取材も受けた。11/30の朝刊に、ネット選挙特集でコメントが掲載された。

ネット選挙 県内陣営歓迎、戸惑い|政治・行政|新潟県内のニュース|新潟日報モア

手法確立なお途上

 一戸信哉・敬和学園大人文学部准教授(新潟日報ソーシャル編集委員)の話

 衆院選では初めてインターネットを使った選挙運動が解禁となるが、まだ手法が確立されていない印象を受ける。前回の参院選では、共産党がネットをうまく使い、東京で無党派層を取り込んだ。各党が候補者をどれだけサポートできるかがテーマとなるだろう。

 公職選挙法では政治活動と選挙運動は区別されているが、実質的にSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上では、連続している状態だ。以前からSNSを活用している人は、選挙に向けてスムーズに使いこなせているが、選挙のために始めた人は試行錯誤している。

その他、テレビでは新潟放送BSN(2014/11/28放映)、テレビ新潟TeNY(2014/12/11放映)のインタビューを受けた。BSNの番組では、3年ゼミにも取材にきていただき、学生たちと候補者のソーシャルメディア利用について見ていった上で、学生たちにもコメントをしてもらった。こちらの学生のコメントも、関係者には好評だったよう。

検閲を避けて潜る中国のソーシャルメディア、炎上を恐れて退潮する日本のソーシャルメディア

中国版Twitterと呼ばれている微博(weibo、ウェイボー)が、 米ナスダック市場に上場しました。ロイターは、微博自身による米ナスダックへの「デビュー」とならんで、微博の著名ユーザであって懲役8カ月の刑で服役していたチャールズ・シュー氏が釈放されたという、もう一つの「デビュー」について報じています。

2つの出来事のタイミングは偶然の一致に過ぎないが、上海に拠点を置く微博にとっての根本的な試練を浮き彫りにした。すなわち、中国で驚異的なマイクロブログの伸びによって発展を遂げた微博が、国際的なソーシャルメディア企業の一員として定着できるかどうかだ。

焦点:米上場の「微博」、中国政府の検閲への対応が課題 (ロイター) – Yahoo!ニュース BUSINESS

FacebookもTwitterも、株式市場に上場して「表舞台」出てくる段階では、すでにユーザ数の伸びも「踊り場」に差し掛かっていたという印象ですが、今回の微博も中国での盛り上がりのピークは過ぎていたという見方があります。

過去1年間はネット上で影響力を持つ評論家の身柄拘束が相次ぎ、そのおかげで微博のユーザー数が減少した可能性があるとする調査結果も出ている。

英テレグラフ紙と上海の華東師範大学が1月に発表した調査によると、政府がコンテンツ投稿の際に実名の表示をユーザーに義務付けたことを受けて、微博の投稿数は2012年のピークに比べ70%も減少したという。

焦点:米上場の「微博」、中国政府の検閲への対応が課題 (ロイター) – Yahoo!ニュース BUSINESS

FacebookやTwitterは、中国からのアクセスが制限されていることはよく知られています。情報流通をコントロールしたい中国政府にとって、政権の安定をゆるがすような発言が、コントロール不可能な状態で流通することは、なんとしても避けなければならないということでしょう。一方、微博はTwitterに類するサービスでありながら、中国国内でのアクセスが認められ、成長してきました。微博は中国政府によるコントロールが及びやすい中国国内の事業者です。実際政府を批判する発言が削除されることもあります。チャールズ・シュー氏のように買春の罪で起訴されるようなケースでも、これまでの微博での発言がチェックされていたと見られているようです。

中国政府は、コントロールしやすいはずの国内事業者微博での投稿ですら、手を焼いているということでしょう。反政府的な発言、少数民族問題などにとどまらず、鉄道事故などでの政府対応への批判や公務員の汚職の告発などもあるようです。今回、ユーザの投稿数が激減した背景には、動画投稿に対する実名登録の義務付けなど政府による規制強化の影響があると見られています(とはいうものの、アクティブユーザはむしろ増加していると、微博側は発表しています)。

微博を去ったユーザはどこに行ったのか。受け皿になっているのはメッセージングサービスの微信(ウィチャット)です。私も先月の中国出張を契機に、出張先のカウンターパートとのやりとりに、このサービスを使ってみることにしました。微信は、日本のユーザに普及しているLINEの中国版というべきサービスで、世界的には、Facebookに買収されたWhatsAppをあわせて、世界を三分しているメッセージングサービスの一つです。「三分」とはいうものの、微信の場合には圧倒的に中国、LINEも日本での強さが際立っている状態です。メッセージングサービスですので、LINE同様に友人同士の閉じたコミュニケーションに使うのが一般的ですが、「モーメンツ」という、LINEでいう「タイムライン」のような機能があり、これがFacebookのタイムラインのような、近況を広く友達に伝えるためのツールになっています。

日本がLINE、中国が微信と、サービスこそ違いますが、全公開のソーシャルメディアから友達間の閉じたコミュニケーションに閉じ始めている点では、共通した傾向が見て取れます。欧米でもWhatsAppが普及してきていますので、ひょっとすると全世界的に、「ソーシャル疲れ」が出ているのかもしれません(日本の場合には、閉じているLINEが、閉じているがゆえにいじめの温床になったりもするわけですが)。オープンなソーシャルメディアの「退潮傾向」は、世界的な流れというべきなのかもしれません。

ただし中国の場合には、政府からの検閲をまぬがれて情報を交換しようという人々の欲求があり、そのために使われるサービスが微信に移りつつあるという側面があるでしょう。その証拠に中国政府は、本来プライベートであるはずの微信でのメッセージのやり取りまで、監視しているという報道も出ています。

WeChat(微信)を使うと、中国国外のユーザも当局の検閲下に – THE BRIDGE

日本の場合には、Twitterでのうっかり発言で炎上し「私刑」を受けるという現象があり、これもまた、メッセージングサービスに人々が移行している原因の一つではあるように思いますが、政府による「検閲」を恐れてメッセージングサービスに移行するという人は皆無でしょう。しかし、モラルに反することを書くのはけしからんといわれるのと、社会秩序を乱すことを書くのはけしからんといわれるのは、同一線上にあるようにも思います。「けしからん」というのが権力なのか社会全体なのかという点はもちろん大きな違いなのですが。「けしからん」と社会から糾弾される個人を、完膚なきまでに叩き潰そうとする「炎上」現象に対し、何らかのセーフティネットが用意できないという点では、日本もあまり褒められた現状にはありません。

また、日本のメッセージングサービスも、青少年保護の観点で、監視への圧力が高まっているように見えます。つまり青少年への犯罪行為につながるメッセージングサービスでのやりとりを、事業者側がきちんと監視する必要があるのではないかという議論です。実際、ソーシャルゲーム上でのやりとりについては、実質的なチェックが行われています。これもまた、中国と日本で、違う観点ながらパラレルに起きている現象です。青少年保護のために一定の仕組みが必要であるにしても、それが受忍できない個人の権利侵害につながっていかないよう、注意が必要です。

これから微博というサービスは、株式市場でもきちんと評価を受けるよう「オープン」で「自由」なプラットフォームであることを強調するでしょうし、株式市場もまたそれを厳しくチェックするでしょう。日本人としては、中国のサービスに対して向けられる厳しい視線を横目で見ながら、日本の言論空間の自由さをあらためて噛みしめるところもあるでしょう。とはいうものの、中国の現象を見ながら、日本もまた襟を正して、日本のネット言論空間を検証していくべきだとも感じます。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

中頓別町議が、村上春樹作品に「マジレス」

村上春樹さんの作品をめぐって、急に注目を浴びた中頓別町。自分が2000年代前半を過ごした稚内が属する、宗谷総合振興局管内(旧宗谷支庁管内)の町なので、大変懐かしい。

#かつて「管内」という言葉(支庁の管轄地域を基準にして地域について話すときの言葉?)を聞いて、よく意味がわからなかったが、今でも使われているのだろうか。

村上春樹さん、中頓別町議からの質問状に回答

作家の村上春樹さんが月刊誌「文芸春秋」(昨年12月号)で発表した短編小説「ドライブ・マイ・カー」をめぐり、北海道中頓別町の町議6人が、町への誤解を招く表現があるとして、出版元の文芸春秋に真意を問う質問状を送った問題で、村上さんは7日、文芸春秋を通じて見解を発表した。村上さんは、北海道への親近感を込めて作品を書いたが、単行本化の際に別の名前に変えることを検討しているという。質問状は7日付で送付されたが、文芸春秋はまだ受け取っていない。

小説では、中頓別町出身の女性が車窓から火のついたたばこを外に投げ捨て、主人公が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と思う場面が描かれていた。

宗谷

地図を見ていただくとわかるが、中頓別は宗谷の中では南側にあり、稚内から100キロ以上離れている。100キロというのは、稚内感覚ではそんなに遠くはないのだが。
ゼミ合宿を、ピンネシリオートキャンプ場で行い、敏音知(これでピンネシリと読む)岳にも登ったこともあった。大きな商業施設はほとんどないが、オホーツク海から少し内陸に入った場所にあって、鍾乳洞があり、砂金採りもできる、静かないい町だった記憶がある。

キャンプ | 中頓別町

個人的には、タバコの車からのポイ捨てを、中頓別でよく見かけたということはない。しかし北海道全般で、窓から投げ捨てはもちろんのこと、扉を開けて灰皿の中にたまった吸い殻を外に捨てる人を、何度も見たことがある。北海道に限らず、人口密度が低い場所では、他人の目が気にならない場所で、こうしたモラルの低い行動が一定割合で見られるということだろう。こうした一般的な状況認識が、たまたま耳に残っていた中頓別という地名と結びついて、今回のようなシーンとして登場しても、さほど違和感はない。しかも今回問題となっている、「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」部分は、登場人物の推測にすぎない。

しかし中頓別の一部町議は、これが許せないということで、質問状を送りつけるといういわば「マジレス」を行った(厳密にいうと、レスではないか)。町の評判を著しく害するということなのだろうか。自分だったら作品から消してもらうよりは、せっかく著名作家が「中頓別」を登場させてくれたので、これをネタにして、「実際には喫煙率が低い」とか、あとなんだろう、街の知名度をあげるような使い方をさせてもらう。いやひょっとすると、この「質問状」自体が、町の知名度をあげるための「炎上マーケティング」のような、高等戦術なのだろうか。

自分自身は作品を読んでいないが、小説の中身まで踏み込んで、このような批判をすることは、正直「無粋」だと思う。フィクションの中での取り扱われ方について、町議のような公共的立場にある人が介入するというのは、正直やり過ぎだろう。
しかし「無粋」だろうと「マジレス」だろうと、町の評判は守りたいというのが、質問状を出した人たちの気持ちなのかもしれない。ソーシャルメディアは、世間にたくさんあるこの手の「無粋さ」を可視化した。子連れの家族に舌打ちする大人の無粋さも可視化されたし、「子育てに冷たい社会」んついての議論の中でも、さまざまな「無粋」な意見が可視化された。静かな町中頓別の人たちは、ここまで大事にするつもりもなかったのかもしれないが、結果的に「無粋さ」をさらすことになった。評判はあまり守られなかったような気がするが、(少なくとも短期的には)知名度はあがったかもしれない。

ちなみに、中頓別の隣には、クッチャロ湖で知られる浜頓別町があり、頓別川という川が流れている。「トンベツ」というのは、アイヌ語の「ト・ウン・ペツ」から来ており、「沼に行く川」という意味になるようだ。

中頓別町トップページ | 中頓別町

浜頓別町ホームページトップページ

「シェア」はその価値がわかりにくくもろい存在:「プライバシー」との両立

今学期の最後、いくつかの授業で「シェアとプライバシーの両立」について、自分の考えを書いてもらった。こんな内容で出題し、解説もした上で、少し時間をかけて回答してもらった。

TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアは、多くの情報が公開で共有、シェアされることで、メディアとしてのパワーを拡大してきました。「アラブの春」のような政治運動でも、不正を暴く「Wikileaks」のような仕組みでも、こうした「シェア」の力が働いています。しかしその一方で、止められない拡散力は、Twitterでの「炎上」や「リベンジポルノ」などの副作用をもたらし、SnapchatやLINEのような、はじめから限定されたサービスにも、支持が集まり始めています。これから人々は、プライバシーを守りながら「シェア」を続けていくのかどうか。「シェア」のある社会を続けていくにはどうしたらいいのか。皆さんの考えを書いてください。

(Wikileaksの拡散にはマスメディアの存在も関わっているので、「シェア」の力と言い切っていいのかは、実は若干迷ったところもあるのだが、それはさておき。)

学生にとって、SNSとプライバシーの問題は自分の身近に起きうる問題で、「炎上」も「リベンジポルノ」も、すぐそこに転がっていそうな話。なのでこちらについてはだいたい回答があり、気をつけなければとか、キャリアがもっと規制すべきではとか、そういう意見が必ず書いてある。

かたや、ソーシャルメディアの「シェア」がもたらす積極的意義については、さらっと触れている程度で、実感を持って語られているものは、ほとんど見当たらない。やはりあんまり実感がないのだろう。

普段はたわいもない日常が語られているだけに見えても、必要な情報が瞬時に人づてにやってくる、というソーシャルメディアの意義は、なかなかわかってもらえない。受け取った情報を「評価」し、それをさらに「シェア」するというのは、社会的に意義はあるのだが、どちらかというと面倒くさい作業だ。答えだけ欲しがっている人には、面倒なことなのだ。せいぜい、食べログや価格コムなど、自分の生活上の利益に直結したところでしか、この感覚は動かないということなのかもしれない。

いまや「ソーシャルは危険だ」話がおおはやり。かくいう自分も、その手の原稿依頼や講演依頼をいくつも受け取っている。もちろん「炎上」などをめぐって、事態の深刻さは増しており、これはこれで必要な仕事だとは認識している。問題はこの論調をどこまで強めていくか。これは誰にもコントロール出来ない。特に「私は使ったことがない」という人たちは、聞きかじって理解した範囲の知識で危険性を語るので、当然「シェア」の積極的な意義とのバランスは意識されない(なくなっても自分たちにはなんの悪影響もない、と思っている)。かたやユーザの側も、「俺のTLには社会的に有用な情報なんてない」と自嘲することもあり、「シェア」の意義はあまり意識されない。

ソーシャル危険論が、リテラシー教育によって賢いネットユーザを作ることと放棄させ、SNSを地下に潜らせるだけの結果になれば、いつのまにか「ソーシャルメディアは愚民の使うもの」という評価が確立し、「シェア」の可能性はついえて、「ソーシャルメディアは死んだ」ということになるのだろうか。

SnapchatやLINEの流行は、その点新しい動きの現れといえなくもない。プライベートなメッセージのやりとりと、FacebookやTwitterなど、よりオープンな場所での情報のシェアが区別され、これがより人間の身体性に近いものとして確立していけば、案外技術がこの「棲み分け」問題をうまく解決してくれるのかもしれない。

敬和学園大学のソーシャルメディア、まだまだ伸びしろはある

敬和学園大学のFacebookページがようやく500いいねに到達した。

国際ダンスサークル 20130824

敬和学園大学 / Keiwa College

早くから取り組んだ割にはようやく、というところだろう。すでに万に達している大学公式Facebookページも結構ある。とはいえ、同窓会組織も弱い小規模校としては、これでも精一杯というところではないか。担当者がコツコツと努力した成果であり、今後も大学をオープンにする仕掛けとして、ますますの発信力強化を期待したい。

ともあれ、500いいねを超えたところで、あえてシビアに、敬和の情報流通のサイクルを見てみよう。
率直に言って、敬和学園大学Facebookページは、もう少し「がんばれる」はず。それには、取材力や発信力をアップすることが大事だ。広報の発信力も鈍化しているところもあり、マンネリを打破するとともに、瞬発力を持ってすばやく適切な言葉を投げかける力や、ここぞとばかりにヒット作を生み出す力をさらに磨いていきたいところだ。

一方、広報だけに頼らず、教職員がそれぞれの持ち場で「広報活動」をすることも大事だ(これは自分が教職員研修にもっと取り組むべきなんだろうと思う)。ベースに教職員それぞれの発信があり、広報部門がちゃんとそれを適切に拾い上げて(スルーするものはスルーして)いけば、より戦略的な広報が可能になるはず。おそらく現場の発信力強化は、多くの組織で共通に抱えている課題だろうが、大学も小規模の敬和のような組織では同じ。あんまり広報部門に頼らず、各部門が問題意識を持って情報発信をしてほしいと思う。

また小さな大学では特に、学生や卒業生の支持、情報発信も大事になる。学生からの情報発信というと、近頃は「炎上」の火種として警戒する向きもある(実際警戒しなければらないところはあるのだが)。しかし、学生団体の活動を「可視化」することは、小規模校で手応えを感じられていない学生たちが、外部と接触し、自信を持つためのきっかけにもなる。大学はこれを支援して、よい発信内容は広報がきちんと拾い上げる。また情報の流通においても、大学広報が「大声で叫ぶ」だけでなく、学生・卒業生がシェア、いいね、RTで広げていく、というサイクルも大事になる。特に、このサイクルをさらに加速させたいところだ。

私が顧問をしている国際ダンスサークルは、最近、がんばってFacebookページを更新している。

国際ダンスサークル

国際ダンスサークル 20130824

これは良い傾向だろう。また、Ustream番組「Keiwa Lunch」では、MCたちが学生の活動を紹介したり、ゲストが自分たちの活動について紹介している。

Keiwa Lunch 20130710

もちろん稚拙さはあるのだが、こうした訓練を通じて学生たちは、内輪受けではない情報発信の仕方について意識を高め、スキルを身につけているように思う。学問的に意義ある話をするわけではないのだが、過不足ない情報を含んだ話をして、なおかつ相手をひきつける話をするという能力を、こうした経験の中で、学生たちは培っている。最近Keiwa Lunchに出ている学生たちが、ラジオできちんと話しているのを見て、つくづくこのことを感じている。

敬和は勉強の出来る学校とは見られていないと、嘆く(あるいはあきらめる、あるいはいいわけにする)学生もいる。しかし学生にとってその現象は、自分を写す鏡でもある。適切に相手に伝わる言葉を発していれば、自分に対する見方も変わるし、学校に対する評価も少しずつ変わる(言動によって学校に対する評価が変わるというのは、もちろん自分たち教員も同じだ)。小さい学校なので、一人の行動が大学への評価を大きく上げもするし下げもする。敬和と自分をセットで否定された経験を持つ人もいると思うが、自分の働きで敬和の評価を上げている人もいる。少なくとも、Keiwa Lunchを含めて、自分と一緒に動いてくれているメンバーは、その多くが、「一人の行動で学校の評価を上げている」人たちだと思う。この学生たちは、自らの評価を高め、大学の評価も高め、大げさに言えば、大学の歴史を作っているともいえる(もちろんもう少し補強してあげたいところはあるのだが)。

教職員も学生も、みんなが表現力、発信力を磨くこと。さらに傾聴し、共感する力を高めること。これらをソーシャルメディア等で、表現し、多くの人と有意義なつながりを持つこと。ひとりひとりのこうした「つながり」の積み上げの上に、よいコミュニティ、よい大学は作られていくはずだ。コミュニティの力を体現し、さらに「つながり」を強化する仕組みとして、「敬和のソーシャルメディア」をさらに発展させていきたい。

弘前市役所で講演させていただきました:「津軽弁なまり」への切り替えは難しい

6/21、弘前市役所で、職員の皆さん向けの「ソーシャルメディア活用術」に関する講演をさせていただいた。お招きいただきどうもありがとうございました。

弘前市役所で講演 #hirosaki #aomori

内容は昨今の公式アカウントや公務員の情報を発信をめぐる話を中心に、安全かつ有効なソーシャルメディアの利用に関するもの。市職員の皆さんは、いつも批判の矢面に立たされることがあり、ともすれば、表に出たがらない傾向にあるし、周りで出て行こうとする人の足を引っ張る、津軽の「足ふぱり」(足引っ張り)の文化もある。また、実際不用意な発言が、全国で炎上騒ぎを起こしているのもたしか。しかしながらそれでもなお、「なかのひと」のユーモアあるTweetがヒットした例はいくつもあるわけで、広報担当者は当然、それを狙った日々研究を積み重ねているはずだ。「足ふぱり」をやめて、矢面になって、目立つことを恐れずに奮闘する広報担当者たちを、励まし応援してほしいという話をした。

講演後弘前市のFacebookを担当されている方とお話しした。私が「外向けによくできている」といってしまった「弘前市」というFacebookページは実は「市民向け」で、「外向け」のページは「弘前市観光プロモーション」というページなのだろう。失礼いたしました。実は私が想定している「市民向け」というのは、もっと具体的な行政サービスに関する情報も出ているものであったので、どちらかというと、弘前市民に向けた文化的な話題などを取り扱う「弘前市」のアプローチとは、ちょっと想定している内容が違っていたというのが、いいわけ。しかも実は、LINE@もスタートされていることを知った(ちょうど当日)。これは市役所の皆さんも知らなかったようなので周知したほうがよさそう。なぜ見つからなかったかというと、これも「弘前市観光プロモーション」となっているからだったよう。

弘前市
弘前市シティプロモーション

年末年始など、数日弘前に滞在すると、しゃべりは完全に津軽弁になってしまい、そのまま新潟に戻って「津軽弁なまり」で授業をやりかけてしまうのだが、今回の講演では「津軽弁なまり」ができなかった。「津軽弁なまり」というのは、今回考えた造語だが、津軽の人がしゃべる標準語のこと。普段使っている津軽弁が、他の地方では解読不可能なことをみんな知っているので、津軽地方の人は、他の地方の人とは標準語で話している(つもり)。しかし津軽地方の独特のイントネーションからは、なかなか抜け出せないので、標準語でしゃべっていても、「ああ、この人津軽人かな?」というのがわかるぐらい、独特のイントネーションが残る。これが「津軽弁なまり」だ。おそらく役所などで、少し公的にお話するような場面でも、ある種の青森流「標準語」として使われているはずだ。昨日はこれで話してみようと思ったのだが、すぐにやろうと思ってできるものではない。

終わった後、今回の企画に関わってくれた高校同期の友人と久しぶりにお話しすることができた。弘前市で働いているいろんなメンバーの活躍を聞きながら、ようやく自分たちの世代が中堅の屋台骨を支えて、弘前市が動き始めているんだなと感じた。とはいえ、新幹線のコースから外れ、産業振興も厳しく、観光以外に活路を見出しにくいというのが辛いところだが。弘前の観光については、「ヒトは来るけど金は落ちない」という構造の話になった。まあたしかにインフラ、施設面では、弘前は弱く、お金を使うようなところはあまりない。しかし都会の人が青森までやってきて、お金をたくさん払いたいものがそんなにあるとは思えないし、たとえあるとしても、大きなハコモノで大人数で均質に消費するものではないような気がする。観光客ひとりひとりが自分で選択して、特別な何かを見つけて帰ることができるような「仕組み」が大事かもしれない。そう考えると、アップルパイ企画はなかなかよいのかも(とても全部は食べられないだろうけど)。もちろんこの「私のすすめる弘前」はソーシャルで広がる。弘前市は、それだけの多様な文化が眠っている深みのある街だし、潜在性はある。

アップルパイが食べられるお店|公益社団法人 弘前観光コンベンション協会

派手に消費するのは、中華圏の観光客なので、それはそれで、別に考えるべき課題だろう。残念ながら新潟も、「派手な消費」への受け入れ体制は弱いといわれる。青森県もまた、その点では不利な立場にある。ただしどこかのタイミングで、「画一的ではない、特別な日本」への関心は高まるはずなので、そこまでは我慢して、受け入れ体制を整えていくことは大事だし、先に進んでいる台湾や香港から、どれぐらい人を呼べるかというアプローチで、考えてみるのはよいかもしれない。

地元での仕事は、とてもやりがいのある、楽しい仕事であることがわかった。「津軽弁なまり」については、今後徐々に改善していきたいと考えており、もし私でお役に立てるお仕事があれば、ぜひお声掛け下さい。

対話しない公式アカウントは必要か:新潟県のSNS運用指針作成から

読売新聞によると、新潟県がSNS運用指針を作成するという。

Narazawa Shrine Festival, Iiyama, Nagano

新潟県、SNS運用指針作成へ…「炎上」防ぐ : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

新潟県は、部局や県職員がインターネット上のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を使用する際の運用指針を作成する。組織として発信内容に責任を持つのが狙いで、今夏中にも庁内に周知徹底する。

 指針には、▽発信は庁内の部や課が主体となって行う▽発信内容は部や課で決める――ことなどが盛り込まれる予定で、県職員の勝手な運用や不用意な発信によってネット上のツイッターやフェイスブック(FB)などに批判が殺到する「炎上」や、県のイメージ低下などを未然に防ぐ。

はっきりとは書いていないが、文脈からすると、いわゆる「公式アカウント」「公式Facebookページ」の運用に関することのようだ。復興庁職員のTweet問題から、個人の発信を規制するという話になっていないのであれば、ひとまずは安心。しかし炎上を防ぐという観点からは、個人アカウントの動きも気になるだろう。

さて「公式」についてだが、「県職員の勝手な運用や不用意な発信」を防ぐため、「発信は庁内の部や課が主体となって行う」「発信内容は部や課で決める」といった指針を定めるようだ。たしかに担当者が1人で、本人の独断に全てをゆだねてしまうのはリスクが有るとは思う。ただ、それもまた、実効性があるかどうかはなんともいえない。というのも、情熱を持って、同じテンションでソーシャルメディアに取り組める人が、それぞれの部署に複数もいるとは、考えにくいからだ。もしそういう人が複数名用意できるのであれば、もっと利用が進んでいるような気もする。

ともあれ、「発信内容は部や課で決める」というのは、書き込む内容をすべて、部や課の単位で事前承認するということを意味するのだろうか?おそらく報道発表のようなものは、こうした形になっているのかもしれないが、TwitterやFacebookのようなメディアでもそれをやるのだろうか。やれないことはないだろうが、そこまで規制してしまうと、そもそもやる意味が薄れるように思う。過去に外務省のアカウントが、フィンランド大使館とうまく対話ができず、実はいちいち上司の許可が必要だったという話題があった。

朝日新聞デジタル:つぶやき交流、質問ごとに上司の許可 外務省、2問で完 – 政治

対話できないのであれば、通常のウェブページとあまり違いはないので、無理にソーシャルメディアを活用する必要はないのだが、対話するのであれば、いちいち「部や課で決め」てはいられない。ここに公式ソーシャルメディアの難しさがあるとは思うのだが、この問題を組織としてクリアする気がなく、「すべて組織的に決定してから発言する」というのでは、うまく運用することは難しいだろう。対話をしない公式アカウントは、よっぽどありがたい情報を提供してくれるのでなければ、決して支持されないと思う。現場に任せつつ統制も怠らない、という、絶妙なバランスを、きちんと考えるべきだ。Facebookページであれば、いちいち全部のコメントにはこたえないが、よいコメントにはいいねをおすとか、簡単なものには担当者が「電話応対」と同じようにどんどん答えていくというぐらいは、必要になるだろう。もちろん難しい問題については、組織的に対応できるようにしたほうがよい(組織内の調整をメールでやるのでは間に合わないので、即時性のあるメッセージングサービスやチャットは必要になるように思うが、、、ダメなんだろうなあ)。

おそらくこれは記者が想像して補完したのだと思うが、以下の様な記述もある。

ただ、今年5月、県村上地域振興局が山形県境の山「日本国にほんこく」(555メートル)の登頂者に記念の「日本国征服証明書」の発行を企画したところ、ネット上で「不適切だ」などと批判が広まり、同局が「登頂証明書」に急きょ名称変更するなど、ネット上では思わぬ批判が一気に広がる恐れがある。

この件を、村上地域振興局がソーシャルメディアで拡散したのかどうかは知らないが、これは「不用意な発言」の問題ではなく、「日本国征服証明書」の発行するという「企画」に対して向けられた批判だろう。こうした批判をうけないために、「発信内容は部や課で決める」というのであれば、批判されそうなことをソーシャルメディアでは発表しない、ということになってしまう。実際にはこの件は、ネット上ならばそんなに反対は強まらないような気がするので、ネットに拡散したほうがよかったのかもしれない。電話で批判するような人が出てきても、Facebookだとまた違う反応があったりして、担当者はむしろ励まされることもあるだろう。

個人的には、ソーシャルメディアの運用をコントロールするといっても限界があると思っている。最終的には組織の中で出来る限り信頼出来る対話力のある人を配置し、ある程度のチェックが働くようにした上で、運用していくよりほかないだろう。

新潟日報モア「新潟ソーシャル時評」:公務員は個人の立場をTweetしてはいけないのか?

復興庁の参事官の「暴言Tweet」問題について、新潟日報モアに記事を書いた。新潟日報本紙では、衆議院議員長島忠美さんのコメントもとって、批判モード一色だが、自分からはちょっと違う立場のことを書いた。

公務員は個人の立場をTweetしてはいけないのか?|ソーシャル編集委員 一戸信哉「新潟ソーシャル時評」|モアブログ|新潟日報モア(登録者限定)

今回はこうした態度が「炎上」の原因になりましたが、ビデオの中で、人々が彼に要求している「決断」というのは、事なかれ主義の担当者ではなく、粘り強く「上」とやりあえる彼のような人物でなければ、実行できないようにも思います。このプロセスにおいて、心情を吐露することに問題がないわけではないのですが、可視化の要素が官僚機構に入り込むことで、プラスの効果も期待出来ます(少なくとも官僚の仕事の仕方は変わるはずです)。

BC

新潟アルビレックスBCの選手の皆さんを対象にソーシャルメディア利用講座

3/14、プロ野球独立リーグ、新潟アルビレックスBCの選手の皆さんを対象に、ソーシャルメディアの利用講座を行なってきた。広報手段として、TwitterやFacebookを積極的に利用しているアルビBCだが、一方で各選手もSNSを利用するようになってきている。今回は、「炎上」の危険を回避しつつ、選手とファンのより親密なコミュニケーションを目指そうという趣旨で、広報担当の和泉さん(敬和学園大学卒業生)から、お声かけをいただいた。

BC

珍しく「怖い話」を多めにしたが、出来る限りバランスをとりながら、「親しみやすい」チームになるようお話をしたつもりだ。

今シーズンから監督になったギャオス内藤さんにも、講演後ご挨拶することができた。ヤクルト時代にテレビで見ていたのと同様、元気な方であった。

せっかくご縁ができたので、今シーズンはエコスタジアムに試合を見に行きたいと思う。

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ

写真共有プロジェクト「Keiwastagram」、地域活性化型クラウドファンディングFaavoで支援を求めています

昨年から始めた、敬和学園大学の写真共有プロジェクト「Keiwastagram」を、クラウドファンディングのFaavoに応募、運営資金の支援を募ることにした。先週から公開されている。

目標額は15万円。すでにご支援いただいた皆さん、どうもありがとうございます。少額でもよいので、ぜひたくさんの方にご支援いただければと思っています。よろしくお願いします。

新潟の将来を支える学生たちに元気を「Keiwastagram」 – FAAVO 新潟

Keiwastagramは、スマートフォンアプリInstagramを使って、ハッシュタグ「#keiwa」をつけた写真の投稿を呼びかけて、それらを共有しようというプロジェクトだ。

[youtube]http://youtu.be/lQu0rTCkoN0[/youtube]

ソーシャルメディアが人々の生活を「可視化」する、というと、Twitterで不用意な発言をして炎上するというような、ネガティブな側面ばかりが注目されがちだ。しかし一方で、地方での大学生たちの日常のような、なかなか世の中から注目されないが、実は面白いことがたくさん転がっている事柄について、新たな可能性をもたらすのも、ソーシャルメディアであるはずだ。なにげない大学での日常を、Instagramで共有することで、またさらに、それらをハッシュタグでつなぎあわせてみることで、学生たちは新たな価値を見出すことができる。実際すでに、優秀作品の多くは、InstagramやFacebookなどで、多くの人々の目に触れており、サークルの活動や大学の行事での学生たちのいきいきした姿に、たくさんの「いいね」がついていることに、学生たちは気づき始めている。

昨年12月に、2012年の写真をまとめた映像は、それなりに反響をいただいた。単なる日常の写真投稿をつなげただけで、こんな価値が生まれるのかと、少なくない学生が、気付いてくれたのではないかと思う。

[youtube]http://youtu.be/qLf2OW_ulFg[/youtube]

自分たちの今の日常が、自分たちの思い出の記録としてだけでなく、また同時代を生きる新潟にゆかりある人々と共有する価値ある瞬間となるどうかどうか、もしそのように自覚されるならば、首都圏の大学生とは別の形で、新潟での大学生活に誇りを持ってもらえるのではないか。Keiwastagramは、大学生をエンカレッジする、新しい取り組みのつもりだ。

今のところ、月間賞(といっても投稿数が少ないので2ヶ月に1回程度)の表彰と優秀作品のポスター化を行なってきたが、これだけでも結構なコストがかかる。できればこれからは、これらの写真をパネルにして展示したり、ギャザリングイベントなどを開催したいと思っている。これらを大学に支援してもらって実施することも可能だが、それよりも、クラウドファンディングでこの取り組みを理解してもらい、支援されることで、写真を通じたつながりが社会との関係にも広がり、学生たちがソーシャルメディアを通じた人々とのつながりを実感してくれるようになるはずだ。

15万円という目標額は、決して低くはない。客観的にみても、このプロジェクトの公共性を多くの人々に理解してもらうのは、なかなか難しいように思う。自分としては大いに公共性があると思っているのだが。新潟の若者たちにソーシャルメディアのポジティブな側面を理解させる価値を理解していただける方、ぜひご支援いただけたらと思う。