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PC接続も定額制に 携帯各社が検討 料金トラブル防止 – CNET Japan

地味な話題、というか、携帯電話会社が知らないふりをしていたような気もするが、早く実現してほしい。イーモバイルのサービス開始が影響しているのだろうか。

リンク: PC接続も定額制に 携帯各社が検討 料金トラブル防止 – CNET Japan.

NTTドコモなど携帯電話各社が、携帯をパソコンにつないでインターネットに接続した場合の料金を「定額制」にするサービスの導入を検討している。各社
は、公式携帯サイト内のパケット通信が使い放題の定額料金プランをすでに設けているが、パソコン接続のデータ通信料金は対象外。このため、「数時間の使用
で多額の料金を請求された」といった苦情が全国の消費生活センターなどに寄せられており、料金をめぐるトラブルを未然に防ぐ狙いから、パソコン接続向け定
額サービスを新設する。

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BOOK OF DAYS | SPIRAL LIFE・吉原家の130年 映像作品上映会at BOOK OF DAYS

新発田の老舗写真館所蔵の写真群を、映像化した作品が上映されるそうだ。なかなか面白そう。

リンク: BOOK OF DAYS | SPIRAL LIFE・吉原家の130年 映像作品上映会at BOOK OF DAYS.

SPIRAL LIFE・吉原家の130年 映像作品上映会at BOOK OF DAYS

■日時 4月21日(土) 会場19:00~ 開演19:30~ 
■入場料 300円            
■会場 BOOK OF DAYS 
新潟市中央区古町通2番町669-2 ダイアパレス古町1F
TEL:025-223-9577

どちらかというと、銀座で開催中のこの写真展のほうで、自分のペースでゆっくり見たいような気もするが。
リンク: EMON PHOTO GALLERY -: Exhibition.

Rimo

はてなのYoutube連携サービスは、結局「はてなテレビ」はやめて、「Rimo」になったようだ。

リンク: ITmedia News:YouTubeをテレビで“ダラ見” はてな、Wii対応の動画サービス (1/2).
リンク: 機能変更、お知らせなど – はてなの日記 – ネットの人気動画を抽出、エンドレスに再生「Rimo(リィモ)」リリース.

今日は大阪に来ていてWiiが手元にないが、Firefoxで動かしてみた。一応4ジャンルに分けてあるのだが、出てくる映像はランダムだ。テレビを録画したコンテンツが多いのだが、どうしてこの映像がピックアップされたのかは、普段テレビを見てないとわからないものも多いような気がする。

IT Mediaの解説によると、

YouTubeで「Japanese」をクリックすると表示される日本語対応動画から、人気の高いものを抽出し、エンドレスに自動再生していく仕組みだ。
チャンネルは1~4の4つで、それぞれ、YouTubeの4つの動画カテゴリーに対応している。1が「Music」(音楽)、2が「Comedy」(コメ
ディー)、3が「Arts&Animation」(アート&アニメ)、4が「Pets&Animals」(ペット&アニマル)だ。

いずれにしても、テレビのコンテンツばかり。オリジナル作品はほとんど出てこない。著作権法上の問題がないなのは、4チャンネルだけということになりそうだ。

いずれオリジナル作品の比重が増えてくるのかもしれないが、このチャンネル構成では、難しいかも。テレビコンテンツばかり出てくるようなチャンネル構成は、「はてなのサービス」としてこれでいいのか?という気もする。

Flickr: Views: xxとFavorites: xx

札大の三上先生のブログ「 三上のブログ – バベルの塔:アメリカの友人からの薦め.」を読んで、再度日本語の壁について考えているのだが、自分自身もFlickrを完全に使いこなしているとはいえないのが正直なところ。三上先生の記述から考えることも色々あるのだが、それはまたの機会にして、とりあえず今回はFlickr話。

使い勝手とか盛り上がりとか総合的に見たら、どうみてもLivedoor PicsよりFlickrが上なのだが。そもそもFlickr自体が、「使ってみたら結構ハマる」類のサービスなので、先行して使ってみたからといって、その面白さを人に100%伝えられない。それに輪をかけて、英語だというだけで逃げ出したくなる人には、どうやってオススメしても心を打つまでにいたらないわけだ。

#同じような障壁をあっさり越えさせて、みんなにテレビ映像を探し回るようにせしめたYoutubeは、そういう意味でも「破壊的」だ。

さて10月に始めた僕のFlickr活動もそろそろ3ヶ月。そんなにどんどん新しいネタが出せるわけでもないのだが、日々街角で新しいネタを探しまわる一方、「そろそろ一眼レフ買おうかなあ、でも高いなあ」とヨドバシ新潟を物色したりもしている。

Flickrの中で新しく見つけたGroup活動が「Views: xx」と「Favorites: xx」。Groupというのはさまざまなテーマごとのコミュニティで、掲示板としての機能と、そのグループに関連した写真をプールする機能を持っている。同じようなテーマで写真を撮っている人たちが、お互いの写真を見て、評価しあったり出来るようなコミュニティ機能がある。最近その中に「Views: 50」とか「Favorites: 10」といったグループがあることを発見した。

Flickrにアップされて公開された写真には、「何人が見たか」というViewsや「何人がお気に入りに入れたか」というFavoritesといった情報が残る。FavoritesはFlickrの中の機能だ。IEとは関係ない、念のため。このほかにInterestingという謎の指標もあるというのは以前にも書いたが、これらそれぞれの指標により、自分がアップした写真はソートして、上位200枚を表示できるようになっている。

で、つまり、「Views: 50」というグループは、「50人以上が見た写真のグループ」、「Favorites: 10」というグループは」、「10人以上がお気に入りに入れた写真のグループ」なわけだ。
Viewsのグループには、25、50、75、100、200、300、400、500、600、700、800、900、1000、1250、1500、1750、2000、3000、4000、5000、10000までがある。Favoritesも同様だが、話をViewsに絞ろう。アップした写真へのアクセスが25viewsを突破したら、「Views: 25」グループに、50を超えたら「Views: 50」グループに、徐々に「出世」していく。「出世」といっても、自分で新しいグループに投稿しているだけなのだが。
Photo

実は次のグループへの「出世」は、Flickrの中ではGraduation(卒業)と表記されている。各グループには、卒業を目前に控えた写真(残り5views以内で次のグループに投稿できるようになるもの)を投稿する「Ready to Say GoodBye」と次のグループに写る前に「卒業写真」を残していく「Graduation」、という二つの掲示板がある。「Ready to Say GoodBye」に投稿していくと、そのうち誰かが開いてくれて「卒業」し、めでたく次のグループに移行する、という流れだ。

Flickrを写真置き場として使うならば、Livedoor Picsより優れているのは、容量制限をとっぱらえるということだけ。「写真を通じたソーシャルネットワーキング機能を備えている」という趣旨が見えてくるところまで使い込まないと、たしかにわざわざ英語のサービスを使うメリットは見えてこないかもしれない。

ちなみに僕の素人写真で参加できるのは、せいぜい「Views: 100」まで。「Views: 25」とか「Views: 50」ぐらいを、ちまちまといじっている。

豪控訴裁判所、無許可MP3ファイルへのリンクを掲載したサイトに違法判決 – CNET Japan

豪州でも注目される判決が出た。

リンク: 豪控訴裁判所、無許可MP3ファイルへのリンクを掲載したサイトに違法判決 – CNET Japan.

すでに閉鎖されたこのMP3s4free.net、僕は見たことがなかったので、この記事で想像するしかないのだが、ユーザがMP3ファイルを自分のサーバに置いて、MP3s4free.netからその置き場所へのリンクを自ら張ることができる、あるいは、どこかで提供されているファイルにリンクを張ることができる、というものだろう。恐らくは後者の利用形態が多かったのではないかと思うが。で、そのような利用形態を明らかに意図して作成されたサイトの、運営者が、「リンクはユーザがはったものだし、リンク自体は別のサイトを指し示しているだけだ」と主張したが、認められなかった、ということになる。

 クイーンズラン ド州に住む
Cooper氏は、MP3s4free.netでは同氏の管理なしにユーザーが「自発的に」リンクを追加できたため、違法な複製行為を防げなかったと主張
した。Cooper氏は自身のサイトをGoogleの検索エンジンになぞらえ、どちらもユーザーに別のサイトを示すための仕組みだと主張した。しかし、1
人の裁判官は、Googleは音楽ファイルのダウンロードだけを意図したものではないという理由などから、この類比は「(主張の)役に立たない」と判断し
た。裁判官の意見ではまた、検索大手のGoogleでさえ望むものすべてに自由にリンクできるわけではない、と指摘している。

 さらに、著作権で保護されたファイルへのアクセス制限について、制限するようサイトを設計できたにもかかわらず、Cooper氏は制限しないことを「故意に選択」したことにより、著作権侵害での有罪判決を言い渡されることになったと、裁判官たちは説明している。

記事だけにもとづいてやたらに論評するのは差し控えるべきだと思うが。裁判所が重視しているのが、「Googleは音楽ファイルのダウンロードだけを意図したものではない」けれども、MP3s4free.netはもっぱらダウンロード先へのリンク提供を意図している、という点、つまり運営の意図・目的であるとすると。最近、ソーシャルブックマーク(あるいはブログも含めて)は、次第に音楽や映像に対するリンク機能の強化に努めている。おそらくこれはこうしたコンテンツへの需要の高まりにもとづいてのことであろう。それらはYoutubeのような、映像コンテンツ投稿に特化したものではなく、そうではない形であるからこそ気軽に、リンク機能を提供しているようにも見える。

豪州の上の判例に従うと、「もっぱら他人の著作物をダウンロードさせることを目的とするサイト」となりかねないサイトは、そこらじゅうにある。

少なくとも日本法では、ダウンロード行為そのものは合法であるが、アップロードする側の公衆送信権の侵害を、サイト運営者が「幇助」してしまう可能性は、先日小倉先生がITMediaで指摘されていたところである。

インタビュー:池田信夫氏(3)通信と放送の未来:阿部重夫編集長ブログ:FACTA online

池田信夫氏インタビューの続き。

リンク: インタビュー:池田信夫氏(3)通信と放送の未来:阿部重夫編集長ブログ:FACTA online.

池田 ニュースやスポーツのように一度に何百万人が見るものや、災害情報などリアルタイム性が必要とされるものは、1対多の通信としてずっと残るでしょう。

一方、放送局側が録画して作ったものを視聴者がリアルタイムで見る必要はないわけです。例えば、NHKの番組の約90%は録画です。長期的に見れ
ば、番組も本や雑誌と同じように、欲しいときに取りに行くオンデマンドが当たり前になる。そうなれば通信と放送を区別することに意味がなくなります。

これは全くその通り。それ以上のことを「放送」というぜいたく品でやる必要はない、といえば、ない。バラエティをぜいたく品でやらなくてもいいだろうといったら、「いやそうはいっても、ぼうっとバラエティ番組でも見たいってときもあるじゃない?」という声が出そうだ。が、それもHDで録画したものを見ればいいし、それならブロードバンドで安上がりに流してもいいのだろう。

ただ制作費をどこからひねり出すか。結局テレビCMというのも、「テレビCMは効果がある」という幻想に成り立っていたのだすれば、その幻想がコンテンツを作り出す原資だったわけだ。徐々にそれが消えていったとき。。。まあバラエティの代わりにFoodies TVを見ることになっても、僕はあまり困らないけど。。タレント以外に困る人はいるかなあ。

速報性はないけどもう少し公共性の高い番組「NHK特集」とか『わが愛しのキャンディーズ』みたいな番組は、どうなるのか。恐らく一斉放送で、ブログでわっと噂になる(キャンディーズはかなり話題になっていた)というような現象は、だんだんなくなって、どちらかというと、WOWOWのジェーミーオリバーのように、じわじわといくケースが増えるということか。いずれにせよ、「紅白」を筆頭とする「はい、国民の皆さん、テレビの前に集まって」という番組の流し方は、なくなってもあまり困らなさそうだし、実際になくなってしまっている。

いまのテレビ画質の映像をオンデマンドで見るには、DSL(電話線を使った高速デジタルデータ通信)では難しいし、何百万人が一斉にオンデマンドで
接続しても耐えられるサーバはありません。パイプの部分は光ファイバーになれば何とかなりますが、サーバがボトルネックになってしまう。

また、事業者側から見ても、IPを使って快適な映像配信サービスを行うには、利用者数に比例した設備増強が必要でコストの負担が重い。事業者曰く、
テキスト主体のサービスとはコスト構造が異なるのだそうです。USENの「GyaO」がインフラコストに苦しんでいることがその証左でしょう。

仮に今後もムーアの法則どおりに半導体技術が進歩しても、日本全国の視聴者がオンデマンドで映像を見られるようになるまでは、5年から10年は掛かるかもしれません。

この視点は、僕の中で欠けている部分なのだが「テキスト主体のサービスとはコスト構造が異なる」というあたりが、きちんと世の中に出てきてもらえると、理解しやすい。大学で学生たちと話していても、Bittorrentについてはあまり学生たちは知らない。が、恐らくこのボトルネックの解消に、BittorrentもLooc(というかGrid?)も少なからず関係しているのだろう。

『わが愛しのキャンディーズ』

RSSリーダーの「キーワード」に入れてみたところ、案の定、そこそこ話題になってるようだ。
『わが愛しのキャンディーズ』という番組、帰宅してテレビをつけたら番宣をやっていたので、ついつい見てしまった。
NHKはもちろんのこと、テレビ局は、ニュースと並んで、こういう「加工」を中心とした仕事に力を入れていくべきだろう。Youtubeに断片的に映像が載ることはあるかもしれないが、当時を知らない世代にとって、このように「まとめ」てもらうのは、「プロの仕事」として尊敬できるというものだ。

ところで、今流れている解散コンサートは昭和53年だから、、、1978年。それから、28年の年月が流れている。途中に出てきたキャンディーズファンの全国組織、「全キャン連」の皆さんも、全国各地のコンサートにバイト代をつぎ込んで「追っかけ」に行っていた人も、もう50がらみになっているわけだ。伊藤蘭も田中好子は、その後もテレビで見ているので、まあそれほど違和感は感じない(それもまた不思議ではある)。一方で、仕事関係で会った偉い人が、「実は私昔全キャン連で。。」とカミングアウトしたら、どうにもリアクションが取れなさそうだ。

まあでも僕らの世代も、すでに下の世代にそのように思われているのかもしれない。

ときどきラジオで70年代のフォークソングが聞こえてくるときにも同じ事を感じるのだが、キャンディーズの歌も、よくよく聴いてみると含蓄がある歌詞のものがある。子供の頃に意味も分からずに聞いて、そのまま断片的な「うろ覚え」になっていたものが、あらためて聞いてみると「なるほど、そういう意味だったか」と、理解できるようになる、ということだろう。

3ゼミの抗争と構想

ネパールの話、まだ書ききってないのだけど。
新学期が始まり、土曜日に新入生向けアッセンブリが行われた。
1年生向けのゼミの説明会も開催され、いつもの通り、一見堅そうな我がゼミの客入りはイマイチ。午後になって、学生自治会主催のゼミごとのプレゼン。詳細はPapu’s-Blogに書かれているが、なかなか盛り上がったように感じた。あれで1年生が疲れてなければもっとよかったのだけど。
一戸ゼミは勉強の話はそこそこに、「理想のキャンパスライフを実現する一戸ゼミ」というテーマでプレゼンを行った。
「稚内で合コンはないでしょう」
「いや一戸ゼミにはあります!。。。」
というアプローチだ。稚内という特殊な環境にあって、楽しく学んでいる集団もいるんだよということを、うまく伝えてくれたように思う。
このシナリオはすでに、丸安、岩本の二つのゼミには漏れていて、先に発表したこの二つのゼミからいろいろと愛情のこもった言及をいただいたが、そこでシナリオを一部修正した一戸ゼミの二人のプレゼンターはよくがんばり、見事なアドリブを披露した。二人も着実に成長しているなあと、ユーミーと二人、目を細めた。
「理想のキャンパスライフ」の映像化には、そこまでしなくても、という声もあり、ユーミーの卒業生の言葉とアプローチが同じだという声もあり。しかし、僕の立場から見ると、今回の取組には上級生にとってもそれなりの意義があった。そこには「右も左もわからない」新入生という聴衆がいた。彼らはきっと大学生活に関する何らかのイメージを持っているはずだ。そしてそれはおそらく、この数日を過ごした稚内にはないものを含んでいる。自分たち自身そういう経験をしてきた学生たちが、聴衆がおそらく考えていること感じているであろうことを想像して、それにさおさす形で自分たちのことを紹介した。このプロセスに意味があるのだ。もちろん、研究内容を学生の立場から伝えるというのは、教員が説明するのとは別の意義があるだろう。でも、1年生は疲れていた。すでに一度教員から説明があった。学生は教員の影響を少なからず受けているから、多少視点が違うにせよ、説明はどうしても重複する。それから、研究内容をきいたときの1年生にとっての印象もある。
マーケティングにおけるポジショニングと表現手段の選択を考えて、今回のアプローチが選択されたわけだ。「小さな世界の小さな出来事」には違いないけれど、こういう小さな積み重ねから、学生たちが大きく飛躍して言ってくれればと思う。
丸安、岩本、一戸の「抗争」は、アッセンブリ後のワッフルデーで「手打ち」が行われ、今週からはかねてから計画されていた3ゼミ合同研究会がスタートする。お互いがお互いのやっていることを認め合い、高めあえる研究会に育っていってほしいものだ。

ユーミーの「卒業生の言葉」

今年の卒業式が終わった。「決意表明」の通り、ユーミーの「卒業生の言葉」は見事に大ヒット。丸山学長や来賓の稚内市長まで笑わせることができた。単に笑わせるだけでなく、彼女が4年間取り組んできたマルチな活動や卒業生みんなが共有できるエピソードを織り交ぜて、「泣ける」内容でもあった。なにより、「心の128単位」をはじめ「くさいセリフ」をちりばめたスピーチが、一戸ゼミの5年間の歴史を象徴していた。うれしかった。貴重な映像資料が残っているので、近日どこかで公開したい。帰省していた在校生たちにも、ぜひ見てほしい。
彼女の言うとおり、このスピーチは彼女の大学生活4年間の集大成であった。卒業研究ではなく、スピーチが集大成となってしまうところがまた、一戸ゼミらしい。「何を学ぶかじゃない。誰と学ぶかだ。」。ソフトウェア研究が主流を占める学部で傍流にある自分たちを、半ば自虐的に形容したこの言葉。そういいながら、なぜかIT産業で働くことになってしまった現在のOBが、2001年ごろに言い出したものだ。最初は笑ってやりすごしていたけれども、今にして思えば、その通りだった。ゼミという集団が、18歳で大人ばかりの1426研究室をノックした彼女を、ここまでの「大女優」に育て上げたのだと思う。
決して僕が彼女を育てたとは思わない。
彼女が入学した頃、僕はまだ駆け出し教員で、正直右も左もわからないような状態だった。慣れない土地での生活に、まだ僕自身が不安を抱えていたかもしれない。ほとんど僕と同世代の社会人入学軍団が、勝手にゼミを「仕切り」はじめていたので、僕がやったことといえば彼らの暴走を適宜止める程度で(止めてないと非難されたこともあったが)あったように思う。しかしその結果、かえって集団はまとまり、自律的な集団として、次第に力を発揮していくようになった。
こうした地盤ができた頃に入学してきたのが、彼女たちである。一風変わった「大人集団」が多くの18歳の子供たちに敬遠される中、札幌の同じ高校を卒業した元気な三人組が、「体験入学でカレーを一緒に食べた」先生のゼミを、のぞきに来てくれた。そのうちの一人がユーミーだった。こういうと彼女のその後の努力を認めていないことになるが、そのときから彼女の成長は約束されていたのかもしれない。彼女たちは、上の世代の「いいところ」を吸収してくれた。もともと彼女の中にあったチャレンジ精神を、大人たちと接する中でさらに発展させ、後輩たちに伝えてくれた。ここでも僕は、「そうだそうだ」とうなづくだけだった。唯一上の世代と違うのは、彼女はよく勉強し、成果を残したことか。
いつも笑顔を絶やさずに、常に笑いを追い求め、楽しく語りあい、互いの成長を確かめ合う。この雰囲気の中で、下の世代の学生たちも、徐々に育ってきている。
結局、僕自身の成果というより、最初に礎を作ってくれた先輩たちの力が、ユーミーの成長をもたらしたのだ。というわけで、これなかったOBの皆さんも、ぜひ彼女の「卒業生の言葉」を見てください。皆さんのおかげで、ユーミーは立派に成長しました。そして、その姿を見ながら、結局僕もゼミの学生たちに育てられてきたんだと再確認しました。
来年から一戸ゼミは、他分野とのコラボレーションに挑戦する予定だ(この道筋作りにも、ユーミーが一役買っている)。
「ゼミが人を育てる」という一戸ゼミの伝統は、徐々に他のゼミにも伝染していくことだろう。一方研究面でも、他流試合の中でもまれて、これまで以上にすばらしい成果が生み出されていくことだろう。緩やかな連携の中で、これまでの専門の壁を取っ払い、「人を育てる」すばらしい集団がさらに拡大・発展していってほしい。
そういう構想がまとまりつつある中、偶然にも彼女の力が最後の大舞台で発揮され、卒業生たちの心に、たくさんの勇気と思い出を与えた。
大きな波がやってくる「前兆」だと思いたい。

一戸ゼミの総合研究を総括

「卒論」の報告会が8日に行われた。
「お披露目」が終わったので、一戸ゼミの学生についてだけ、率直な感想。
<総論>
少なくとも「社会」領域において、一戸ゼミメンバーは、「情報メディア」への適合性という点で、今年も比較的意欲的な取り組みをしてくれた。でも、看板だけ意欲的というものも多かった。
「情報メディア」の定義はやりようによって相当広くなるのだけど、ここにいう「適合性」は、情報ネットワーク社会に関わる新たな問題領域に切り込もうとする意識、という程度の趣旨で理解してほしい。「入り口」論争をやるつもりはない。新しい現象の表面にとらわれることなく、その本質を見よ、という主張がその対極にあるとすれば(対極にあるとは思わないけど)、それはそれで否定はしない。たぶんその通りではある。しかし少なくとも学生たちには、それを新しい技術にキャッチアップしない・できないことの免罪符にしてほしくない。新しい技術に常に貪欲に取り組みながら、単に技術トレンドに流されることなく、表層にとらわれない視点で研究に取りくめということであれば、まったくもって歓迎である。
<個別評>
主査として評定会議の際には心ならずも擁護してしまった面がある(良くない愛情表現だと思う)のだけど、もう会議は終わった。
ここではあえて歯に絹を着せず、率直に書こう。点数はつけない。コメントのみ。
S.Y 「P2P(ピアトゥピア)と音楽著作物」
P2Pでの音楽ファイルの流通と、DRM利用の合法的音楽配信ネットワークを通じた音楽ファイルの流通を、対比的にとらえ、P2Pをめぐる日米の判例における議論を交えながら、ネットワーク上での音楽利用についての妥当な解決策、妥当なビジネスモデルを探ろうという、ありがちであるが壮大なテーマであった。しかし、判例研究ですでに息が切れてしまった。また、興味があるといって始めた割には、実は実際のサービスの実態もあまり知らなかったので、そこで立ち止まってしまった。「え、こんなことできるんだ!」と立ち止まって楽しんでしまったということか。
入り口までたどり着いたところで終わってしまい、残念ながら僕が想定していた枠組みにすら到達してくれなかった。
前期の勉強会にまじめに来ていれば、問題の本質をつかむのに、これほど苦労することはなかったので、結局「さぼり」のつけだと思う。
途中で自動車業界への就職が決まったことも、かえって悪いほうに作用したかもしれないね。ただでさえいすに座っているのが苦手なのに、当面関わらない業界の話になってしまったので、さらにいすに座れなくなったということか。
Y.M「公衆電話の必要性」
「必要性」という言葉を最終的にタイトルに使った。これに代替すべき言葉が見つからなかったということが、この研究の破綻を象徴している。公衆電話に関する利用可能な資料が少なく、苦労したと思う。本来なら事業者や事業者団体へのヒアリングを行う必要があったと思うが、稚内にいたままでは難しかったし、休み期間でそれを実行するには、準備があまりにも不足していた。
民間セクターが採算性を維持しながら、公衆電話を設置し続けるのは難しい状況がどんどん近づいているはず。しかし公共的なサービスとしてこれを維持していこうという議論はあまり盛り上がっていない。公衆電話は、「あまねく公平」に提供されるべきユニバーサルサービスとして位置づけられるのかどうか、だとすればその根拠はどこにあるのか、またそのためのコストは誰がどのような形で負担するのか。残念ながら、説得力のある具体的な提言はなかった。でも、8日のプレゼンでは、大きな改善があったので、安心した。
「公衆電話」という、比較的「ローテク」なテーマを選んだのは、おそらく、わりと身近にあってわかりやすく、それでいて「情報に絡んだ」研究ができるという判断があったのではないかと思う(ちがったらごめん)。しかし実際には、身近ではない問題に引きずりこまれて、苦しんでいるように感じた。
N.I.「人々の移動と社会への帰属における考察」
自分が指導しておいてなんだけど、残念ながら「許した」としかいいようがない。タイトルの言葉遣いからしてよくわからない。当初「海外移住」という「なんじゃそりゃ?」系のテーマでスタートしたのだが、最終的には中高年の「ロングステイ」を支えるサービスの充実を、国際電話の「ローミング」から類推して検討するということになった(という報告は受けていなかったが、いつのまにかそうなっていた)。結果的には、「海外に行っても、あらゆるサービスがなんでもワンストップショッピングで利用できるようになればいいのに」という空想的な内容になってしまった。で、その趣旨は、タイトルからはまったく読み取れない。この構想の先に「国民総背番号制」ならぬ「世界共通背番号制」があるという点を、僕からもプレゼンの際の聴衆からも指摘されたが、質問の趣旨すら理解していたとは思えない。また、主権国家の分立という現在の国際関係が、このような「空想」だけで変わるわけがないにもかかわらず、ひたすら「ロングステイの増加」という日本国内の事情だけを根拠に「べき論」で突っ走っても、まったく説得力がない。自分の空想が実現できない要因を、詳細に検討するのであれば、まだ評価する余地はあったのだけど。
これも「情報メディアに絡める」ために試行錯誤した末の破綻だと思う。せつない。
S.H「映像権利管理団体の設立について~市民メディアとしての映像制作を巡る現状から~」
自身の経験とゼミでの勉強を接続して、意欲的な提言としてまとめたと思う。「本当にこういう組織が必要な背景があるのか?」という指摘がずいぶんあり、それに適切に答えられなかった。本当は質問も妥当ではないのだけど、権利管理団体の動きや、権利処理が必要になる背景を十分に理解し、内外の動きを整理してあれば、十分その質問には答えられたはず。あのやりとりは、間接的に準備不足を露呈させた。
論文前半では、「市民がビデオカメラを持ち、発信するようになった」という現象を説明していたが、個人的にはあれほどの記述はいらなかったと思う。それだったら、既存メディアの権利処理のプロセスとの対比を、詳細に検討した上で明確にしたほうがよかったと思う。
それと、団体の設立を「提案」するのであれば、どうしたら持続可能な団体となるのか。その点に明確な答えるべきだった。どう考えてもJASRACのような大きな団体にはなりえないのであるから、それとは異なるにしても、どのようにしたら存続させることができるか、「提案」というからにはそこまで踏み込むべきだろう。
T.K「宗谷黒牛の発展を目指して~マーケティングの観点を通して~」
「マーケティングの観点」を学んでいるうちに終わってしまった感がある。「宗谷黒牛」という商品の属性が、分析を難しくしていたと思うが、出発点が「宗谷黒牛」であって「マーケティング」ではなかっただから、それは仕方がないし、提案した僕の責任だと思う。一方で、「お前は宗谷黒牛の何を知っているのか?」という声にたえられなかったのは意外だった。もっと早く「マーケティング」の勉強は終わって、「適用」のためのヒアリングに時間を割くべきだった。それをリードできなかったという意味では、僕の責任も感じる。
一番残念だったのは、最終的な「メディア戦略」の部分で、結局具体的な提言が弱かったということ。そこで、発信されるべき「コンテンツ」の理念型を示すことができれば、もっとよかった。そこまでいかないにしても、もう少し具体的に、たとえば雑誌ならばどのような雑誌に、どのような内容と形態で掲載するのかという、具体的な戦術に踏み込むことができれば、相当面白かったはず。
蛇足ながら、こういう制作を伴うものをすべてを「表現」というカテゴリーに押し込めてしまったところに、三系構想の失敗がある。教員の「専門性」という言葉が妥当する領域があるとは思うが、実際には「啓蒙」と「スケジュール管理」と「相談役」をやることになる研究が多いのだから、むしろ教員の「専門性」が優秀な学生の「系」にとらわれない取り組みに及ぼす影響に、もっと目を向けないと。学生は勝手にそういう垣根を越えて、勝手にやるべし。あ、評価の話がどっかにいっちゃいました。
Y.N「キャッシュに関する著作権法上の問題-『一時的蓄積』概念を中心に」
とにかくはじめるのが遅かった。4年間コツコツ著作権を学び、それなりの知識の蓄積があったので、インプット、アウトプットともに、これまで見てきた学生の中で、もっともスムーズであった。しかし、スタートが遅かったために、論点整理の後の展開について、じっくり議論して、説得力ある結論を出すまでにいたらなかった。しかし「専門性」を標榜する自分でもそういうことを感じるわけで、なんら卑下する必要はない。学部生の論文としては非常にいい論文になったと思う。むしろ「専門性」を標榜しながら、同じような経験があって、共感してしまう自分が、もっと反省すべきなのだろう。
外国法制を参照したことはいいのだけど、「ハーモナイゼーション」を当たり前の前提としてしまったのは、少し配慮が足りなかったか。たしかに政府が持ち出す「ハーモナイゼーション」は、都合よく外国法制を引き合いに出すときの方便に用いられることが多く、今回の論文もたしかにそういう「都合のよさ」が見られる。ただ、今回の論文はインターネット上で用いられるキャッシュ技術がもたらす問題に焦点を当てており、独自法制がイノベーションを不当に妨げる要因だとすれば、「ハーモナイゼーション」といわずとも、外国法制を参照して考えるべき課題なのであって、あまり立ち止まって考えすぎるのも現実的ではないだろう。
それと学際的関心、とりわけ開発に取り組む学生たちの関心にこたえたかどうか。この点は、無難ではあるが必ずしも明快とはいえない論点整理の部分はもちろんのこと、具体的な技術動向に即した研究になれば、さらに良かった。CRICの論文賞には、ぜひ加筆修正の上、チャレンジしてほしい。