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新潟のことがよくわからない理由

青森や北海道のニュースは、時々刻々とわかるのに、新潟のニュースはあまりわかっていない僕。なぜか。新潟日報はRSSフィードをやってないようなのだ。Googleニュースは、新潟日報の記事を拾っているようにも見えるが。

なぜ地方紙の対応が分かれるのか。一年前の記事で、こんな記述を見つけた。
リンク: D4DRナレッジオピニオン:新聞社のRSSフィード.

結局それは新聞社の論理であって、読者はそんなことはもう気にせず、記事をばらばらに切り刻んで読み始めている。それはやだ、という主張を続けることは結構だが、それだったら他に行くといわれたらどうするつもりなのだろう。いや、今のところそういうことをいわれそうもないということなのかもしれない。僕は新潟のことが細かく分からなくても今のところあまり困っていないが、多くの新潟県民は、わからないと困るのだろうか?この辺は、デジタル化の中での、地方局の「存在意義」にも大きく関わる。ちなみに僕は、新潟ローカルのテレビ番組を、北海道ローカルとどうしても比較してしまうので、いつも悲しい気持ちになっている。

アメリカで紙の新聞の売り上げが激減し、一方でウェブ版が好調に推移しているという記事が、数日前に出ていた。それは感覚的にもよくわかる。そろそろ、日本の地方紙も、発想を改めたほうがいいのではないかという気がする。

バングラデシュで総選挙運営巡り暴動、19人死亡 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

日本の報道機関で、このバングラデシュの暴動を報じているのは、(Googleによると)今のところ、この読売の記事だけ。

リンク: バングラデシュで総選挙運営巡り暴動、19人死亡 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

ほか、ロイターとCNNも、日本語で報じているが。ダッカにはどこの新聞社・通信社も人を送ってないということだろうか?ダッカは空港までの道も閉鎖され、「陸の孤島」となっているそうだが、、、日本人のバングラデシュへの関心は、インドからの記事一本程度ということか。

# 訂正:時事が18:45に第一報を出していた。これもインドから。速さを競う報道機関の姿勢は僕には理解不能なのだが、一応名誉のため訂正。

もちろんアフリカへの関心はもっと低いと思うが、そういうメディア環境で日々暮らしているのだということを、僕らはもっと自覚しなければならないのだろう。ちなみにBBCは、24日から断続的にバングラデシュ情勢を報じている。

外務省の海外安全情報では、ダッカはまだ、「十分注意してください」となっている。

ブログが就職の「落とし穴」? ググられる学生たち : ITmediaニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

ブログが就職の「落とし穴」? ググられる学生たち : ITmediaニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

稚内というところは、プライバシーなるものを意識できないぐらい小さなコミュニティだったので、教員のプライバシーも学生のプライバシーも、ググるもなにも、コミュニティの中でかなりの程度共有されていたような気がする。

人知れず書かれたブログであっても、意図を持って調べればすぐに見つかるんだということは、学生だってわかっているはずだが、自分たちのコミュニティの外側にいる人たちに、こうやってググられる可能性があるんだということは、あんまり想定してないんだということだろう。ただ、教員も見ている、あるいは教員も見ている可能性が高いということを意識しながら、学生たちは大学のことを記述しているように思うので、そうだとすれば、就職のときに過去のログも見られちゃうかもなあ、と思っておけばいいだけではないのだろうか。

【追記】読売の配信ページは消えているので、元のITmediaの記事にあらためてリンク(2012年9月2日)。
ブログが就職の「落とし穴」? ググられる学生たち (1/2) – ITmedia ニュース

@nifty:NEWS@nifty:研修外国人、5年で8千人超失跡…労働力扱いに反発?(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:研修外国人、5年で8千人超失跡…労働力扱いに反発?(読売新聞).

研修ビザというのは、知れば知るほど不可解な制度だ。きつい仕事に従事する外国人労働者を求める民間事業者と、単純労働者の受入を渋り続ける入管の、妥協の産物のようなものだ。妥協のツケは労働者につけまわされる。それでも、現地通貨に直せばそこそこの賃金に見えるのだろう。この制度で日本に潜り込もうとする人は後を絶たない。

入管が外国人労働者の受入に消極的になる背景には、際限のない外国人の流入によって仕事をうばわれたり、治安の悪化を懸念する、国民の漠然たる意識があるということになるのだろう。

この記事を見て、研修に来ている人を、単純労働力として扱うなんて、と思う人もいるかもしれない。そこから失踪するなんて、なんて不真面目な外国人なんだと思う人もいるかもしれない。でもこの制度はもともとそのように利用されるべくして利用されているんだと思う。雇う側から見れば、研修という名目で安く人を使えるし、入管から見れば、単純「労働力」ではなく、この人たちは研修に来ているだけなんだから、ということで、大量流入へのある種の歯止めをかけられる(少なくともそのような体裁にはなる)ということになる。同床異夢の変な制度だということだろう。

本当に日本人が途上国に技術移転することが目的ならば、どうして日本人の労働力が足りない分野でばかり、研修生を受け入れるのだろうか?途上国の人には、農業・漁業の技術を学ばせればそれで十分だってことだろうか。

就労ビザは特殊な能力をもった人たちに、留学ビザは日本語がしゃべれるお金持ちに、研修ビザは誰でもいいよ、というのが日本の入国管理制度の原則のように思える。これは、「人間一生勉強だ」という、古くからの美徳を全く無視し、お金のない人には学ぶ機会を与える気がない。実際には、研修という美名の下に、単純労働力としているだけのことだ。それも用が済んだら帰せばいいという発想に立つ。そういう国に生きていながら、「国際交流」とか、「国際文化」とか、その手の美しいキーワードを、しかも日本語で語ることに、どれほどの意味があるのだろう。

Nepal: インドの動き

Yahoo!ニュース – 毎日新聞 – <インド>ネパールへ特使派遣 民主化へ国王説得か.」

インド政府がネパールの現状打開に向けて動き出したようだ。「特使は国王に面会して民主化勢力との妥協に応じるように説得するとみられる。」という記事。

インドとネパールの関係について、きちんと学んだことはないが、ネパールでの両国関係に対する評価は、必ずしも一様ではない。CATVの普及した市街地では、インドの映画・音楽チャンネルが一日中流れていて、音楽市場もインドに席巻されている。が、「こんな状態は望ましくない。ネパール語を話そう、ネパールの文化を大切にしよう。」という雰囲気もあり、ネパール音楽のチャンネルもCATVに存在している。でも局数が少ないせいか、すぐに同じ局の繰り返しになってしまう。

この話は、日本人にとっては、かつて日韓関係で語られた、「文化侵略」の話を想起させる。が、ネパール語とヒンズー語はかなり類似しているようで、実際の影響力はもっと強いようだ。

一方で政府間の関係は必ずしも芳しくなく、国王がインドとうまく付き合わないので、国民は電力供給をはじめとして、さまざまな不利益を受けている、ともいう。したがって、こういう話になると、人々はあまりインドのことを好きではないように感じる。

今回の事態に関して、インドがどのような思惑を持っているか、現時点で僕にはわからない。が、どんな思惑にせよ、国王に冷静に妥協のタイミングを与えるには、こうした大国の動きが重要になってくるように思う。今のところ、日本政府から表立った動きはないようだ。

追記。

Karan Singh to visit Kathmandu as special Indian envoy

こちらはネパールの記事。派遣されるインドからの特使は、ネパール王室と親密な関係にあること、すでにインド大使が日曜に国王と会っていて、反王制派との対話を行うよう説得を行ったこと、がわかった。大使だけでは説得されなかった、ということだろう。

@nifty:NEWS@nifty:「クール ビズ」…ノータイ、ノー上着の呼び名発表(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:「クール ビズ」…ノータイ、ノー上着の呼び名発表(読売新聞).
マレーシア、ネパール、インドネシア、スーツにこだわる人は少ないですね。ネクタイ、上着をあんまり着ない僕からいうのもなんだけど、環境問題もそうだけど、それ以外の労働生産性の低下などいろいろ損失も大きいですよね。稚内には、暑くて労働生産性が下がる日はほとんどないですけど。
「Cool Biz」というネーミングは公募されたものだそうで、定着するかどうかは別として、結構思い切ったものを選んだなという印象です。さんざんコストをかけてネーミングを考えたにもかかわらず、まったく定着しないというのは、予算の無駄遣いなのですが。こういうのは、ノリで思い切ったものを試してみることが大事じゃないかと思います。
「最北端は最先端」も、本部は以前「最北端」ですが、サテライトが走り出した今日、そろそろ思い切ったものを考えませんかねえ。

「稚内体言止め」

ゼミ生たかやなの「Doblog – Softなぶろぐ –」に「稚内体言止め」というカテゴリーが登場した。たぶん意味のわかる読者は少ないと思うので、親切にも背景説明。ちゃんと説明しながら書きなよ。
稚内市内に流通する地元紙に、市内のニュースを取り扱う「稚内プレス」と宗谷管内のニュースを取り扱う「日刊宗谷」がある。「プレス」はタブロイド版で、表裏一枚の日刊紙。「日刊宗谷」も、テレビ面を含めて計4面でこれも日刊紙。北海道新聞には、留萌・宗谷という地方面があるのだが、全国紙は「北海道」面がそれぞれ1,2ページあるだけなので、地元の稚内のニュースは、この地元2紙と道新だけが頼りということになる。それだけ影響力は大きい。
自分の属する小さなコミュニティの支配的メディアのことについて、あまり悪いこともかけない。慎重に言葉は選ばなければ成らないのだが、、、。大手新聞社のような整理部や校閲部がなく、そういう工程が明確に位置づけられていないのではないかと思う。
-誤字脱字が多い
-見出しレイアウトがわかりにくい
という点に加えて、とにかく体言止めや中途半端に終わる文が連発される。手元に新聞がないので具体例をあげにくいのだが、たとえば。
-観光客も雪祭りの盛況ぶりに驚いていた。
-観光客も雪祭りの盛況ぶりに驚いた様子。
-雪祭りの盛況に驚く観光客。
-雪祭りの盛況に観光客も「びっくり」。
-雪祭りの盛況ぶりに驚く観光客も。
一番目の文はあまり採用されず、「様子」「観光客」「びっくり」といった表現で閉じられる文がよく用いられる。「も」も結構好まれているように思う。Yahoo!のサイト紹介文にもよくあるけど。この手の表現は、大手紙でも「締め」の言葉などで用いられていることが多く、おそらく地元二紙もそれにならっているのではないかと思うのだが、あまりに連発されると、読み手はしらけてしまうのだ。紙面が限られているというのもこの表現が多用される原因かもしれないとは思う。しかし、最後に文を閉じる表現に困った結果として、「体言止め」で終わらせたと思われるようなケースも多い。
しかもこの手の表現法は、どうも感染力が強いようで、地元の人の書く文章にも、この二紙の表現手法にならった表現が見受けられる。新聞協会が「NIE」を提唱している中、子供たちの日本語がこのメディア環境によってどういう影響を受けるのか、心配ではある。
ちなみに青森の東奥日報では、「明鏡欄」という投書欄に、結構むちゃくちゃな内容、文体の投書が掲載されていて、一戸家ではよく話題にのぼっていた。テレビでアナウンサーが使う日本語のおかしさを、親が指摘することもよくあった。うちの親はちゃんとメディアリテラシー教育をやってたんだなあ。ありがとう。

中森明夫講演会と大学祭終了

大学祭が終了した。
今回は模擬店、企画ともに多数あり、全体としては大いにもりあがったといえるだろう。
自分の担当しているゼミでも、恒例のベルギーワッフルのほか、エッグタルトもメニューに加わり、過去最高の売り上げとなった。学生たちの協力関係も比較的うまくいった。
個人的には、中森明夫さんと「女性自身」編集部の田邉さんの講演会に力を注いだ。もともと通常の講義期間中に設定しようと思ったが、市民も集めようとして学園祭にぶつけた。結果的に見ればその作戦は失敗だった。学生はみな模擬店やその他企画にはりついていて、思うように集まらず、市民も意外と中森さんを知らなかったため、集客に苦労した。北海道新聞と地元紙もそれぞれ紙面でとりあげてくれたのだが、なにせ前日北海道開発局主催の大きなシンポジウムが、学園祭と連動して同じ場所で開催されたというのが大きかった。もちろん趣旨はぜんぜん違う企画なのだが、なにせ開発局は建設業界に絶大な力を持っており、前日のシンポには、建設業界の関係者、市長を初め稚内市の関係者などがやってきて大賑わいとなった。ただ「背広族」たちは、そこに「動員」されているだけなので、学園祭本体とのシナジー効果はまったく生まれることはなく、大学とおじさんたちとのギャップがかえって際立つ結果になったように思う。「背広族」が学園祭につきあわなければならない義理ももちろんないのだが、一方の学生も自分たちの企画で手一杯でシンポジウムにあまり参加しなかったし、もう少し両者が接点を持てるような仕掛けを作るべきだったなあと感じた。
中森さんと田邉さんのトークは、個人的には非常に面白かった。芸能エンタメ裏情報から雑誌メディアの将来まで、という幅広いテーマでお願いしたが、見事にバランスをとってくださった。「裏情報」は稚内の人には聞いたこともない遠くの世界の話だったと思うのだが、それでも食いつきはそんなに悪くなかったと思う。学内的に「あいつ下らんことを企画した」と思われないように配慮したのがよくなくて、むしろ自由に「裏情報」で突っ走ったほうが、結果的にはよかったかなという気もする。
一番大きかったのは、ゼミの学生たちへの影響であろう。これは良くも悪くも、ということになるだろうが、いずれにしてもメディア関係者との接点を持ち、付き合い方を覚えるというのはいいことだったと思う。そういう意味で、限定的ではあったが、中森講演会のほうが、学生たちとの接点が生まれてよかったと思う。当初は一戸が勝手に始めた企画であったことや、中森さんを今の世代はほとんど知らなかったこともあって、学生たちもあまり力を貸してくれなかったが、当日は表に裏に十二分に働いてくれた。
打ち上げは、模擬店打ち上げと講演会打ち上げを平行して行い、途中から講演会打ち上げに学生たちが合流するという形になった。学生たちは最初気後れしていたようなところもあったが、だんだん酔いもまわって、最後は三人の来客と交じり合っていろいろな話をしていた。酔っ払いすぎて何をしゃべったか覚えていない人も多いようだが。
マスコミ関係の人と飲んでいると、いつもその場のノリでとんでもない方向に話が発展していく。今回も、大学や稚内市の方向性について、常にポジティブにいろいろなアイディアが出続けた。たいていこの手の話は酒の場での盛り上がりで翌日消えてしまうような荒唐無稽なものなのだが、ごくまれに、荒唐無稽なはずなのに、そのまま現実化してしまうこともある。その辺のバランスを知っていると、適当に相槌を打ったり、話を広げたりしていくノリになるのだが、学生たちの反応はなかなか複雑だった。案外まじめに反感をもち「あんなのとんでもない」と言っているのもいたし、適当に話をあわせているのもいた。テーマが「おたく」「アニメ」のあり方みたいなところにあったこともあるかもしれない。
しかし本質はたぶん別のところにあると思う。マスメディアはノリで新しい流行を作り出す。それにさしたる根拠がないことは、当の関係者もよくわかっている。一方で、草の根から新しいムーブメントが生まれる、SNSのようなものも実際に存在している。マスメディアはそのときそのときノリで、虚像を作り出し、旬がすぎるとあっさり見捨ているのだから、草の根の活動がきちんと根付いていくことは大事なことである。しかし、稚内ではどうか。稚内の小さな取り組みや地道な草の根活動は、「いいことだね」と言われるに至っても、なかなか人々の生活に根付くことがないし、まして街の外の人間をひきつけるものに育っていかない。たとえばSNSは大都市圏では支持を得て、まだまだ人口比率から言ったらたいしたことはないけれども、人口を拡大再生産する仕組みができてきている。それはある程度の動きができた段階で、マスメディアが注目してきたらであろう。首都圏のメディアは多様であり、ノリがよく、新しい動きを察知して、勝手にどんどん話を大きくしていくのである。
しかし稚内では、地元メディアが少なく、中央メディアへのアクセス(発信のためのアクセス)もきわめて限定されている。だから地道にやっていることに陶酔・満足しがちなのだが、メディア対応がうまくいっていないからうまくいかないという面があることは、一応出発点として確認したほうがよい。GREE WAKHOKイベントがたいして話題を呼ばなかったのは、われわれのおかれた現状をあらわしているのだと思うが、もう少しやり方を考えれば話が広がっていく可能性がないわけではない。企画段階での「ノリ」を、もう少し大きな動きにしていくような何かが必要だったのだろう。
幸いにも、東京人は稚内に興味を持つ。それは地元から見れば偏見と思われるようなものもあるが、北海道イメージは最大限生かすべきであろう。今回のゲストの二人も、いろんなイメージを広げて東京に帰った。それらはここでちょっと盛り上がるだけで終わるものもある。しかし、やはりそういうところでうまく機会を捉えて、ノリを作り出していくようなセンスが、稚内人にも求められているし、学生たちもそうなっていってほしいと思う。
指導教員がノリがよすぎる・ノリがすぎるというのはよくわかったと思うのだが、それを反面教師にするよりは、いいとこどりでうまくやる学生たちとなっていってほしい。

「郷土愛」の弊害

かつて僕が高校生だった頃、青森の地元紙では、県内のどこの高校の誰がどの大学に合格したか、合格発表を受けてその情報が新聞に載った。早稲田大学に合格して自信満々だった僕は、ぜひ新聞に載せてほしかったが、早稲田は個人情報を新聞に流すようなことはなかった。今思えば当たり前のことだが、当時の個人情報に関する意識は、その程度だったのだろう。
その情報欄と同じものだったかどうか定かではないが、地元弘前大学や青森大学については、県内の高校だけでなく、全国のどこの高校から地元の大学に合格したかも掲載されていた。沖縄からも青森の大学に進学している人がいて、「こんな寒いところに沖縄からやってきて、生きていけるのかなあ。よく決心したなあ。」と思った。北大出身の母親は、「案外暑いのところの人の中には、雪が降る街がロマンティックだとあこがれる人もいるんだよ。」と言った。なるほどそうかもなあと思った。
月日は流れ、そんなのんきなことを言っていた僕は、青森よりさらに北の稚内にきて、「こんな寒いところにある大学」で仕事をしている。大学経営をめぐる環境の厳しさは、僕が子供の頃と比べるまでもない。厳しい環境にあって、「こんな寒いところにある大学」をどのようにプロモーションしていくのか。
1.こんな寒いところにあるけどすごい大学
2.寒いけど素敵な自然に囲まれた北海道の大学
3.寒いけど素敵な自然に囲まれた北海道にあって、なおかつすごい大学
むろん3が一番いいのだが、実は「素敵な自然に囲まれた」というのは、北海道の外には訴求できても、道内の人の心にはほとんど響かない。なにせ、札幌の人ですら、基本的にはみんな「自然に囲まれ」て暮らしているのである。そうするといきおい、力点は1の「すごい」の部分に置かれることになる。
市内某所では、現在大学に対する今後の支援内容について、議論が行われている。僕は議論の対象になっている組織の人間であるが、そこに参加している人間ではないし、それに影響を及ぼすつもりもない。ただ、個人的に思うことをささやかに書いているだけである。といっても、多少奥歯にものがはさまったような言い方になるかもしれない。
稚内という街が魅力的であることは、稚内北星学園大学の学生にとって望ましい状態であることはいうまでもない。理想はYale大学のあるNewheavenにあった。アメリカ北部にあるこの街も、NYから一時間程度であったが、小さな街であった。冬には結構雪も降るようだ。大学のキャンパスは街の中にあって、その周辺には学生向けの書店、コーヒーショップなどともに、大学付属の美術館、劇場などがあった。市民向けの商店街は別にあったのかもしれないが、少なくとも学生たちはほとんどそこで完結して生活しているようだった。よく考えてみると、なんでもそろう街という感じではなかったが、文化が生み出される雰囲気は漂っていた。ちょっと違うが、早稲田大学周辺の町並みにも、もう少し世俗的ながらそういう雰囲気は感じられる。
むろん理想は理想である。単科大学の稚内北星の規模で、学生だけを相手にした商売がそうそう簡単に成り立つとは思わない。しかし大学のある富岡地区をいかに発展させ、大学を中心とした街づくりをするのか、何か皆さん考えていただいたことはあるのでしょうか?富岡地区は勝手に住宅地として拡張を続けているが、そこにはトータルな街づくりプランが反映されているのでしょうか?
「一見さんお断り」の京都の町でも、外から来た大学生は大事にされる、とよくいう。本当のところはどうなのかわからないけれども、観光の街京都では、学生を長期滞在の「お客様」として、大事に扱うという所作動作ができているということではないのだろうか。観光リピーターキャンペーンをやっている稚内も、長期滞在の潜在的「観光大使」である学生たちに対して、同様のホスピタリティを発揮してなんら問題ないはずである。たとえ大学周辺を「大学城下町」として育てるのが無理であっても、じゃあ中心街に学生が集えるような交通手段は、十分に確保されているのでしょうか?みんな車ですよ。「イチオシWAK」という大学ウェブページ上の企画で、学生たちが市内の飲食店を取材しているのだが、どうも中央地区の飲食店に学生たちがあんまり出入りしていないようだ。交通手段がなかったらそうなるだろう。そんな大げさなことをやらなくたっていい。この小さな街で、毎年入ってくる大学生がいることの経済効果を考えてみたらどうだろうか。結構学生たちは、コンビニでものすごいポイントをためてますよ。コンビニ一人勝ちは、街の人も買っている当の学生も、あんまりうれしくないはず。
大学を街づくりにどのように位置づけるのかという問題が、今の議論には欠けている。といっても、市民講座のようなもので短期的な成果だけを求めると、企画した人だけが「やったような気」になるだけで、あんまり意味がないだろう。一番大きいのは街の人の意識と大学の意識のずれである。大学の企画する「高尚」な企画を今のところ市民は歓迎していないし、逆にあまりに世俗的な市民のニーズに大学がこたえる用意もない。「文化のにおい」が出てくるような街づくりがなければ、結局何も成果をもたらさない。といってもそんなに高尚なことじゃなくてもいい。学生が街に出て活動しやすくすること。端的にはこれだけだ。一部の興味ある学生や教員が、市民と交流するのではない。でもどこかの大学のように、地域対策で教員をみんなお祭りに強制参加させるのも意味がない。自然に人の交流が生まれるためには、小さな勉強会がいつもどこかで開かれていて、その情報がいろんなネットワークを通じて参加していない人にも流れていて、そこに対するアクセスが容易であること。まずその辺を側面支援することから始めたらいいのではないか。この面でも市民の大学へのアクセス手段が限られていることについて、もう少し考えがあったほうがいい。
今話題に出ている「カンフル剤」(地元の人は地元紙参照)はほとんど意味がないだろう。実態がどうあれ、「さいほくの街」というのは、外から見れば「住みたい街」の上位にくることは決してないところだ。谷村志穂にいわせれば「色のない街」である。この街が、上に見たような「大学を活かしたまちづくり」を展開するか、大都会に突然変異をしない限り、ほとんど意味がない。地元の人たちの「郷土愛」は、自分たちの街の客観的な立場を見る視点を曇らせている。たしかに稚内は外の人がイメージするほど大変なところではない。しかし外からどう見られているのか、よく考えてみれば、観光にせよ大学対策にせよ、「やったような気になる」だけの施策では、根本的な解決にはならないし、短期的にも大して効果を生まないだろう。「対策」の対象たる大学の側としては、そうした外枠での施策に抜本的な改善の兆しが見られないのであれば、自らの経営改善を第一に考えて、「街の魅力」よりも「大学の魅力」に頼らざるをえない。
たぶん解決策はある。ひとつの考え方は、ネットワーク。情報ネットワーク利用の質的向上と動機付けか。今の稚内市民には、街での生活にメリットある情報が、ネットワーク上に転がっていない。まずそうした情報の提供を促すために、民間セクター(具体的には市民のよくいく店)の情報をネットワークを通じて流し、なおかつネットワーク経由の情報にはありがたみがあるようにする。それと交通ネットワークの整備、それからこのネットワークは、観光客にとっても有益なものにすること。大学ではソーシャルネットワーキングが動き始めた。この動きは、市民のネットワーク作り、シームレスにつながる市民と大学のネットワーク作りに、確実に一役買うはずである。