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長野と新潟の「からす踊り」

昨年「新潟県の名水」の取材で十日町市に行った際、取材先の中手集落で「からす踊り」についての話をきいた。「限界集落」の中手集落では、すでにからす踊りを踊るイベントはなくなってしまったというのだが、からす踊りがどんな踊りかわからない、学生と私は、うまく反応できなかった。

ちょっと検索してみると、十日町・津南あたりから長野県の北信、飯山のあたりに広がっていた踊りのようで、いろいろ動画が出てくる。おそらくある程度の共通フォーマットはあるものの、基本的には集落ごとの独自のスタイルがあるという。それをその時々の「歌い手」がアレンジして笑いをとったりして、夜祭りでみんなで盛り上がっていたものなのだろう。

現在の映像を見ると、集落ごとに独自のからす踊りを維持するのはもう難しくなっていて、もう少し広域での「盆踊り」として行われるようになっているようだ。また同時に、かつての「出会い」の場であったお祭りも、高齢化や若者のライフスタイルの変化もあって、若い人たちのためのイベントになっているようには見えない。

津南町内の盆踊りに踊られる。長野県北部から新潟県南部に分布し、歌い手と踊り手に分かれ、歌い手を中心として踊り手が輪になって踊る。歌は、歌詞が繋がっており、熟練した歌い手による歌は、途切れることがなく、かつては一晩中踊り明かしたという。

抑留生活から復帰して、弘前高校の校長をつとめた「ダモイ」こと小田桐孫一先生について

1月の弘前高校同窓会新潟支部の会合で、同窓会副会長から支部に贈呈されたのが、小田桐孫一先生の肉声テープのCD。同窓会メンバーは普段からよく会っているわけではないので、私のところにまわってきて耳にすることはなさそうだが、音源の一部は、すでに東奥日報によって、YouTubeで公開されている。

弘前高校、弘前実業高校の名物校長で今も伝説的な存在として語り継がれている小田桐孫一(まごいち)さん(1911~82年)の式辞など、肉声を録音したオープンリールテープが残されていたことが23日までに分かった。教え子たちに惜しみない情熱と愛情を注いだ小田桐さんの人となりをしのばせる、戦後の青森県教育史上でも貴重な音声が残されていたことを両校の関係者らは大きな喜びや驚きとともに受け止めている。
http://www.toonippo.co.jp/

今回の同窓会で配られた、小田桐孫一先生のプロフィールは、あらためて興味深かった。「ダモイ」というあだ名(ロシア語で「帰国」という意味。抑留者がもっとも強く記憶しているロシア語の言葉ということだろう)を、本人がどう思っていたのかはわからないが、それもまた、今となってはさまざまに想像をかきたてる。

文藝春秋の記者を1944年3月までつとめたあと、旧制弘前中学に勤務していたところ、応召したのだという。支部の先輩いわく、文藝春秋時代にも中国に渡り、紙の調達のための活動をしていたという(ここは伝聞情報なので、もう少し検証が必要)。対米開戦の旗を振ったとされる文春をやめて、郷里に戻ったところで応召し、終戦後4年間抑留生活(カザフスタンで抑留されていたという)を送るという経歴には、いろいろな「行間」を想像させるが、私の持つ限られた情報ではそこには迫ることができない。

先日亡くなった作家の長部日出雄さんは、弘前高校時代哲学研究クラブで、小田桐先生の影響を強く受けたと語っている。長部さんの著書から、ひょっとしたら小田桐先生のことがもう少しわかるのかもしれない。

家で食べたチャークイティオ

【マラッカ生活】チャークイティオをたのめばオッチャホイが食べられる

(新潟日報モアに2015年5月21日に寄稿したものです)

マレーシアに来て一ヶ月。マレーシアのローカルフードをいろいろ食べていますが、とりわけ「きしめん」のような麺には、注意をはらって過ごしています。

新発田のシンガポール食堂に、オッチャホイというメニューがあるのをご存知でしょうか。創業者がシンガポールで働いていた時代の料理を再現したもので、「きしめん」のような麺を使った焼きそばです。新発田市民には「ローカルフード」として親しまれています。このルーツにたどりつきたいという思いが、私を「きしめん」のような麺へと向かわせているわけです。

オッチャホイ

上の写真が、オッチャホイです。

マレーシアとシンガポールは陸続き。1965年に、マレーシアから追い出される形でシンガポールが独立、先に亡くなったリー・クアンユー首相(当時)が、涙を流して国民に独立を伝えたという話は、非常に有名です。

マレーシアでもシンガポールでも、この「きしめん」風の麺は、「Kuey teow」(クイティオ、クワイティオ)と呼ばれています(うまく発音できないのですが)。クイティオを焼きそば風に炒めもの「チャークイティオ」といい、この名前で売っているものはだいたいオッチャホイの味。店によってもちょっとずつ味は違いますし、「ノーチリ」といえば辛くないものも作ってくれますが、基本的にちょっとだけ辛い味付け(で、チリが別添えになっているので、足りない人は辛みを足します)になっていて、これもオッチャホイと同じです。

家で食べたチャークイティオ
家で食べたチャークイティオ

上は、4月に家に持ち帰って食べたクイティオ。居候先で買ってきてもらったものなので、どこのお店のものかはわかりません。

イオンフードコートのチャークイティオ
イオンフードコートのチャークイティオ

二枚目はマラッカイオンのフードコート内で食べたチャークイティオ。色としてはこちらのほうがオッチャホイに近いですね。

オッチャホイにも汁オッチャホイという、スープに入ったものがありますが、クイティオにも汁物があります。というよりは、麺類がいろいろあり、麺料理を頼むとどの麺がいいかという話になります。イエローミー、ビーフン、クイティオ、ヒーキャオなどがあるなかで、きしめんのごとく一番太いのがクイティオです。

ワンタンミースープ
ワンタンミースープ

上はマラッカ市内の十二間珈琲店というお店(珈琲店というカテゴリーで麺などの食べ物を出している店が多いです)で食べたもの。「汁クイティオ」という名前ではなく、「汁ワンタンミー」。ワンタンミーは、つまりワンタンメンで、「スープ」か「ドライ」を選択し、ドライだといわゆるオッチャホイの状態のものに、汁ワンタンが付きます。だいたいワンタンミーというと、細い麺を使うのですが、この店の場合には、太い麺を選べました。

「オッチャホイ」という名前で理解してくれる人は、シンガポールでもマレーシアでも、今のところ現れていませんが、この「チャークイティオ」が「オッチャホイ」と同じものと考えて間違いないでしょう。ただクイティオ自体は麺の種類の名称なので、オッチャホイという料理名とはやや意味合いが異なります。チャークイティオは「炒めクイティオ」と言っているのであって、それ以外のさまざまな麺料理にも、クイティオは用いられています。

さて結局、「オッチャホイ」という名前がどこから生まれてきたのか。マレーシアに来る前からの疑問が、解消したわけではありません。「オッチャホイ」に類する名前の麺料理が別にあるのかどうか。その答えにたどりつける気はしませんが、何かわかったら、また報告したいと思います。

The better beer festival 2017

クアラルンプールでクラフトビールイベントが中止に:マレーシアにおける「不寛容」の現れ方

2017年10月、マレーシア・クアラルンプールで予定されていた「ビール祭り」が、中止になったというニュースが流れてきました。

純粋なイスラム国家を目指す野党・全マレーシア・イスラム党(PAS)が最近、「世界からクアラルンプールがアジア最大のみだらな中心地と見なされる状況をこれ以上放置できない」と中止への圧力を強めていた。

日本語の記事では触れられていませんが、このイベントは、「The Better Beer Festival」のことです。2012年に小さくスタートしたこのイベントですが、今年は日本を含む世界各国の43のブルワリーから250種類のビールが出品される予定とアナウンスされていました。

日本からは「よなよなビール」で知られるヤッホーブルーイングが、参加予定だったようです。

The Better Beer Festival 2017

Better Beer Festival, Malaysia’s Biggest Craft Beer Event, Back In October

クラフトビールイベントは、日本でも全国各地で開催され、この数年でかなり規模を拡大しています。もちろんアルコールのイベントを開催すれば、酔っ払った来場者がある程度出てきてしまうのはやむをえないところ。筆者の暮らす新潟県でも、毎年3月に「にいがた酒の陣」という日本酒のイベントが行われます。普段コンベンションセンターとして使われている大ホールで、多くの人たちが日本酒を楽しんでいるのですが、終盤にはホールの床に座り込み、横になる人の姿も見られます。

新潟淡麗 にいがた酒の陣2017

「にいがた酒の陣」は、「コンベンションセンターで酔っ払う」という意味では「異例」ですが、いちおう酔っぱらいだけをホールに封じ込めている形になるので、通りがかった人の気分を害することはほとんどありません。しかしビールイベントの場合には、開放空間が好まれ、それゆえに通りがかった人で、「酔っぱらい」を見て不快になる人もいるかもしれません。埼玉県で行われている、「けやきひろばビール祭り」は、屋外部分でビールを飲む形になっているようです(行ったことがないので違っていたらごめんなさい)し、新潟市内で行われている「新潟クラフトビールの陣」も、アーケード街で行われていますから、いずれも、「酔っぱらい」の姿は目に触れることになりそうです。

日本でもこうした懸念がないわけではないのですが、そもそも日本人は公の場所での飲酒に大らかだと言っていいでしょう。特に夏に屋外で、それも札幌大通公園のように開放的な空間で、ビールを飲むのは、風物詩として受け入れられています(少なくとも、批判的な世論が湧き上がってはいません)。

マレーシアの場合、イスラム教徒の保守的な勢力の声が、時に高まり、アルコールに対する強い拒否反応が出てきます。マレーシアの中でも、地方、とりわけマレー半島東海岸の地域は保守的とされていて、以前泊まったクアンタンのホテルでは、レストランの中でも屋内ではアルコールを提供できないと言われたことがあります。他の地方でも、たとえばマラッカ州では、イスラム教徒の多い地域ではコンビニでのアルコール販売を禁止しようという動きが出てくることがあります。

マラッカ州、マレー住民多数エリアでの酒類販売禁止へ | マレーシアニュース | マレーシアナビ!

スーパーでも、アルコールの販売にイスラム教徒が関わらないよう、豚肉を販売する「ノンハラル」コーナーの隣に売り場が置かれていたり、その売場も早い時間に閉店したり、しかし、ビールだけは例外で、通常のレジで会計ができたり、地域やお店によって、配慮の仕方が少しずつ違いました。

首都クアラルンプールはこうした地域差の中では、もっとも大らかで、街中のひと目につくところで、アルコールを飲んでいる人を割と見かけましたが、やはり「保守派」の人達からすると、眉をひそめる状況だったということでしょう。今回の会場は、The Square Publikaという、ショッピングモールに付属する屋外イベント会場のようなので、イスラム教徒の目にもつきやすいというのはたしかでしょう。

マレーシアなりの「不寛容」さが時に今回のように強くあらわれ、非ムスリムは我慢を強いられます。せっかく盛り上がってきた「クラフトビール文化」が、こうして座礁してしまうのは、おそらく主催者としてはとても残念だろうと思いますが、盛り上がってきて、6000人もの参加が見込めるイベントになったからこそ、反発も生まれたということなのだと思います。

社会の「不寛容さ」の現れ方は、国・地域によってさまざま。マレーシアは、マレー系、中国系、インド系を中心とする「多民族共存」の中で、互いの不満がときに強く現れます。アルコールを扱うような、許容可能な「ぎりぎり」の部分の仕事をする人たちは、非常に気を使うと思います。イスラム教徒優位の中で「多様性」をどう保証していくのか、マレーシアの人たちが時に直面するこうした課題は、日本の「多様性」問題とは前提が違う部分もある一方、私たちにも「多様性」や「寛容」のあり方について、示唆を与えているようにも感じます。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

高井瑛子さん、坂元楓さん、2人の敬和卒業生が新潟の主要番組に登場

2017年4月から、敬和学園大学卒業生2人が、新潟の主要番組に登場した。登場したのは、2013年卒業の高井瑛子さんと2016年卒業の坂元楓さん。2人とも在学中からテレビにレポーターとして出演し、経験を積み上げていて、満を持してというところもある。

高井瑛子さんは、UX新潟テレビ21の土曜朝の番組「まるどりっ!」に出演。やまだみつるさんの人気コーナー「旅してちょーない」の5代目パートナーとなった。

まるどりっ! » 2017年4月1日放送 400万円つぎこんだ宝の山 ~長岡市~

高井瑛子さん

高井さんは大学卒業後、岩手朝日テレビのアナウンサーとして、岩手県で活躍。新潟のテレビ番組で見ることはほとんどなかったが、高校野球地方予選の番組を担当するなど、人気アナウンサーとして活躍していた。4年間の岩手での経験をへて、地元新潟に戻ってきた。「旅ちょ」1回目から「大食いキャラ」ぶりを発揮していたよう。「旅ちょ」も長らく続けてきて、ネタ切れになりかねないところがあるように思うが、やまだ・高井の新コンビで、新潟県の町から新たな話題を提供してほしい。

坂元楓さんは、NHK新潟放送局の「新潟ニュース610」に出演。4/3に外からのレポーターとして登場したようだ。今後キャスターとして登場するものと思われる。

NHK新潟放送局 | アナウンサー・キャスター | 坂元 楓 (さかもと かえで)

坂元楓さん

坂元さんは、大学卒業後、湯沢町の第54代ミス駒子として活動しながら、民放局の番組に出演していた。情報セキュリティワークショップ in 越後湯沢で、越後湯沢から新潟に戻ってきた新幹線で、ばったり会ったこともある。あきらめずに粘り強くがんばったことで、ローカルニュースの「大役」の座をつかんだ。NHKのニュースキャスターは、原稿読みを含めて、言葉遣いの正確さを、かなり厳しい目で見られている。これまでの経験を活かして、がんばってほしい。

卒業生二人の活躍について、自分がとりたてて何かをしたわけではなく、幾つかの授業を担当しただけだが、大学の情報メディア教育を担当するものとして、素直にうれしい。女子アナの任期は短いのだが、二人にはまずは今の場所で活躍し、そのまま息の長い活動を続けていってほしい。

ちなみに在学中に2人共、Keiwa Lunchに出演してくれたことがある。今となっては本人には「黒歴史」かもしれない(そうでないことを願っている)が、検索して見に来ている人がいるのだろう、どちらの動画も、Keiwa Lunchのアーカイブとしては、それなりの再生回数になっている。

Keiwa Lunch – Keiwa Lunch:毎週水曜日のお昼休み、敬和学園大学の学食から放送中

新潟観光を欧米テイストでまとめた映像「What to do in Yahiko Village | Niigata, Japan」

数年前まで、新潟のコンテンツをYoutubeで探しても、女子高生のスカートの短さを伝えるものやアルビレックス新潟のゴールシーンぐらいしかなかった。今はだいぶコンテンツが増えてきたが、海外からの観光客が増える中で、ようやく新潟の動画も英語で出てきたよう。

「What to do in Yahiko Village | Niigata, Japan」は、コンセプトが特別な番組ではなく、東京から上越新幹線に乗ってきて、弥彦、燕三条、寺泊をめぐる旅映像。日本人がつくるのとは違う欧米テイストの仕上がりで、カメラワークもすばらしい。

Learn about and explore what to see and do in the hidden gem of Yahiko Village in Niigata Prefecture, Japan. Completely worthwhile btw!
LET ME KNOW: If you went to Yahiko, what are you most interested to see/do??

Finally!!!! someone pays me to make a travel video! Thank you Yahiko Village for inviting me to your wonderful town and sponsoring this video!

Hebrew subs by: Ira chan!!! – https://www.youtube.com/watch?v=6BwOj8F0PSs

More info on Yahiko:
-https://www.odigo.travel/neighborhoods/577b2c4769702d0edf1f0000
-http://www.japan-guide.com/community/mfedley/report-1649
-http://www.e-yahiko.com/english-welcome

Subscribe to everyone on the trip:
Mao: https://www.youtube.com/channel/UCflli65jykYa6D0AU8JSuGA
R&J: https://www.youtube.com/user/MyHusbandisJapanese
Mimei: https://www.youtube.com/user/mimei
Joey: https://www.youtube.com/user/TheAn1meMan
Kasia: https://www.youtube.com/user/TheUwagaPies
Chris: https://www.youtube.com/user/okanochris
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1964年の新聞の存在感を感じさせる「地震のなかの新潟日報」

新潟市立中央図書館で発見した、1965年発行の本「地震のなかの新潟日報」。Amazonでは古書としても購入できない。最初のところを少しだけ読んでみた。

目次
序文
– 新聞はこうして続けられた
– 原始との戦いー震災当日の本社
– 本社の被害は?ー同四支社
– 読者への使命感ー震災二日目
– 紙面不足に泣くー震災三日目
– 製作、ほぼ軌道へー同四日目
– 県紙の主導性ー二十日以後の活動
– 孤立と戦うー下越八支局の動き
– 焦燥に暮れる日々ー同上、中越十二支局
– 評価と教訓
編集後記

1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震の際に、新潟日報がどのように新聞を発行したかを淡々と報告している。この地震では、新潟市内は液状化で大きな被害が発生、建物の多くも倒壊している。信濃川沿いの集合住宅が倒れている様子、できたばかりの昭和大橋が崩れている様子が、よく紹介される。また、昭和石油新潟製油所から発生した火災で、黒煙がもうもうとまいあがる様子もまたよく知られている。火災の黒煙が市内全域を多い、煙と油のにおいにつつまれたという。

新潟日報では、「電力、電話、交通の途絶、活字のウマは倒れ、ガス、水道さえ出ない」という状況の中で、被災者に最新のニュースを届けるべく奮闘したという。地震発生直後、正面玄関に集まった社員を前にして、社長がPRカーの上から「いかなる困難をも克服して新聞を発行すべきであり、それが新聞に課せられた最高の使命」と述べた後、中野取締役が「天災地変に際してこそ新聞発行の意義は重大である。人心安定、秩序維持の役割りを果たすものは新聞をおいてないではないか。」と呼びかけている。

現在においても新聞社の人々は「人心安定、秩序維持の役割りを果たすものは新聞をおいてない」と思っているかもしれないが、実際のところ、今は「人身安定、秩序維持」に寄与するものは他にもたくさんあり、「人心安定」にはまずは新聞だと思っている人は多くないだろう。もちろん、「人身安定、秩序維持」を不安定にする情報も多数あるので、マスメディアがきちんと検証した情報を送り出すことが大事ではある。新潟地震でも、さまざまな流言飛語が飛び交っていたところ、それを新聞が打ち消したということはあるようだ。その意味では今も昔も、マスメディアが果たすべき役割りは本質的には変わらない。ただ当時の新潟日報の人々が負っていた責任というのは、今とは比べ物にならないほど、大きなものだったといってよいだろう。当時の新聞の社会的存在感の大きさを感じさせるフレーズであった。

当日のラジオがどのように実況していたか、録音した人がアップしているが、ここでは、以下の毎日映画社が掲載しているニュース映像を紹介しておく。

6月16日午後1時2分、新潟沖を中心とするマグニチュード7.5の大地震が発生。液状化現象で県営アパートや昭和大橋が壊れ、昭和石油新潟製油所のタンクが爆発し、燃え続けるなど、壊滅的な被害を与えた。※ナレーションでは「マグニチュード(M)7.7」とありますが、その後「M7.5」と発表されました。

新潟出身の漫画家が埼玉をおちょくるマンガ「翔んで埼玉」

新潟出身の漫画家魔夜峰央さんが、1986年に描いたマンガ「翔んで埼玉」が話題だという。埼玉の大学でも授業を担当している自分としても、ぜひネタとして(?)勉強しておこうと思い、早速買って読んでみた。爆笑しながらあっという間に読んでしまった。

新潟出身の漫画家魔夜峰央さんが、1986年に描いたマンガ「翔んで埼玉」が話題だという。埼玉の大学でも授業を担当している自分としても、ぜひネタとして(?)勉強しておこうと思い、早速買って読んでみた。爆笑しながらあっという間に読んでしまった。

表紙には「埼玉県民にはそこらへんの草でも食わせておけ!」とかなり過激。ほかにも「サイタマラリヤ」「埼玉狩り」など、いや「架空」とはいいながら、これ大丈夫か?という表現が満載だ。昨今の世論は、こういう「笑い」を許さないような気がするのだが、「80年代に描かれたもの」ということでセーフということか。

実はこの復刻版が発売になる前に、ネット上でこの作品が話題になり、中古価格が跳ね上がっていたのだそう。

舞台となっている埼玉もノリノリ(?)のようで、新所沢パルコでは、「翔んで埼玉祭」を開催する。

渋谷パルコに『翔んで埼玉』の巨大看板が出現!「新所沢パルコ」から異例のオファーで、大規模コラボレーションが実現!|株式会社 宝島社のプレスリリース

 また、埼玉県の所沢市、行田市、飯能市の3市長から応援コメントをいただいたほか、上田知事からは「悪名は無名に勝る」といったコメントを寄せられるなど、県内自治体も歓迎ムードに沸いています。さらには、「一緒に新所沢を盛り上げてほしい」との新所沢パルコからのオファーを受け、異例のコラボレーションが実現。“翔んで埼玉祭”と銘打ち、2016年4月28日~5月8日の期間、コラボレーションしたポスターや看板、交通広告、新聞広告の実施、渋谷パルコpart.1 横にも巨大看板が出現するほか、魔夜さんのトークショー&サイン会などのイベントを開催するなど、県民の懐の深さを表しています。

内容は「差別された埼玉県民の逆襲」とでもいうべきもので、逆襲が成功したのか失敗したのかなど、話は完結していないのだが、まあ完結することが重要な内容ではない。80年代の世論の中にあった、「ネタとしての埼玉」を徹底してギャグにしているところがポイントで、それは今でも多くの人達に共有されているところなのだろう。同様に茨城もさらに「下層」の人々として描かれている。ただ当時はほとんど話題にならずに終わった作品なのだそうで、こういうニッチなものが爆発させるには、ソーシャルメディアの口コミが必要だったということなのだろう。

ところで魔夜峰央さんは、新潟出身の漫画家の代表格の一人。漫画の街を自称する新潟市としては、ぜひ新潟も話題にして欲しいところなのだけど、さて、埼玉同様に新潟をおちょくるような内容を描くことはあるのだろうか。新潟については、以下の記事で言及されている。

魔夜峰央さんが語る『翔んで埼玉』未完の本当の理由 〈dot.〉|dot.ドット 朝日新聞出版

――ご出身の新潟県はおちょくっていませんが、どんな県民性を感じていますか?

新潟はとにかく一年中曇っているんですよ。雲一つない青空というのは、所沢に引っ越して生まれて初めて見たような気がします。新潟は大きくてすてきな都市ですが、一年中暗い感じなので、やはり県民性も若干重いんじゃないかなと思いますね。だから下手に新潟をおちょくったりしたら、どわぁ~ん、じゅわぁ~ん、とね……。決してガーガー文句は言わないでしょうけれど、黙って五寸くぎでわら人形を打ってくるんじゃないかと思います(笑)

自分も新潟に来て10年近くたち、学生をはじめ、「ガーガー文句は言わない」人たちと長らく付き合ってきたので、おそらくその間にいくつもの「五寸くぎをわら人形」に打たれてきたのではないか。そんな気分になった。

ともあれ当時、首都圏の中でのおちょくり合いは、たしかに東京発メデイアにはあふれていたが、首都圏の外にある自分たちは、そういうものとは全く関係ないところにいた。こうした首都圏の中でのからかいを遥かに超えた田舎で生活している中では、たとえば青森の人々だと、吉幾三の「おら東京さ行くだ」にあらわれているように、田舎っぷりをむしろ自虐的にアピールしているようなところもあった(あるいは、そのようなアピールする一部勢力を、苦々しく思っている青森県民もいたかもしれない)。

よく作品の中を見ると、一箇所だけ「新潟県人はいいのか」というくだりがあるほか、巻末のコラムでは「裏日本随一の大都会、新潟」という表現が出てきている。「首都圏の中でのおちょくりあいをギャグ化する新潟県人」というおかしさを、魔夜さん自身も感じていたようにも読める。

トンネルを抜けた先にある「裏日本随一の大都会」も、首都圏とは異なる異質な「惑星」として、作品になりそうだが、「どわぁ~ん、じゅわぁ~ん」な体質なので、おそろしくておちょくれないかもしれない。

マレーシアの信号は一方向だけ青に

マレーシアにきて2ヶ月弱。車をレンタルしてから1ヶ月が経った。
この間に起きたことはいろいろあるが、日本にいるときに比べれば、全体的にペースは遅い。外国での生活の中で起きるさまざまなトラブル、あるいは時間的コストがなければ、ブログネタには事欠かない。

車については、マレーシア人も含めて、みんなが口をそろえて「あぶない」という。実際マレーシア人の運転は荒いのだけど、ウインカーを使わない車程度であれば、新潟でも出くわすので、そんなに驚きはしない。公然と信号を無視する車やバイクには驚くが、害が自分には及ばない限りはとりあえずよしとする(モラルに潔癖なタイプの人は、こういうところでストレスがたまるかもしれない)。

「なるほど」と思ったのは、信号のシステム。おそらくマラッカだけではないと思うのだが、大きな交差点の信号の多くが、一方向ずつ青になる。したがって通常の交差点の場合、4方向から車が来るので、4回に1回が青ということになる。

このやり方のメリットは、右折が楽ということ。対向車線から車はこないので、つねに右折が可能ということになる(実際には直進のみ可能という信号もあるので、すべてではない)。日本でも、対向車線が赤になって、青信号かつ右折可能の矢印信号が出ることもある(我が家では「積極的に右」)が、多くの信号がこの方式をとっているわけだ。チャレンジングな運転をするマレーシアのドライバーには、この方が安全ということになるかもしれない。

ただしデメリットとしては渋滞を誘発しやすいということ。今借りている車にはカーナビ(マレーシアではGPSとよばれている)がついていないので、Wazeというアプリを使っているのだが、このアプリがたびたび「渋滞してる?」という質問をしてくる(ユーザのフィードバックで渋滞情報をアップデートしている)。どの程度を渋滞といえばいいのかわからないぐらい、「一方向ずつ」の交差点では、いつも長時間の待機を余儀なくされる。もちろん週末などの渋滞しやすい時間帯の場合には、さらに待ち時間が長期化し、ずるずると到着予定時間が遅くなっていく。

最初は「右折車両との事故が減っていいかも」と思ったのだけど、最近は日本の方式のほうがイライラしなくていいのではないかという気もしてきた。どちらにしても焦りは禁物。心にゆとりをもって、マレーシアでも運転したいと思う。

信号のことは、こちらのページにも書いてあった。

その2:道路上の危険な人々 :Kura-kura net

2015年度前期はマレーシア・マルチメディア大学に滞在します

昨日成田から日本を出国、マレーシア・マラッカにやってきた。
2015年前期は在外研究期間となり、マルチメディア大学(MMU)法学部の客員教授として、数カ月間活動することになった。大学の授業を含めて、日本での様々な活動からは一旦離脱することとなり、各方面にご迷惑をお掛けしますが、マレーシアからでも参加可能なものは、出来る限り穴をあけずに活動したいと思います。

マルチメディア大学は、2002年から2003年にかけて、JICAのプロジェクトで滞在した大学だが、今回は本部のあるサイバージャヤではなく、マラッカキャンパスでの滞在となる。MMUの近くに分譲中のマンションが、「MMU至近」というような広告を出していて、この街でのMMUの存在感はかなり大きいように思う。今日聞いた話では、マラッカキャンパスができたころは大学周辺の開発はあまり進んでいなかったが、今はたくさんのお店が周辺にできているという。今日連れて行ってもらった飲茶の店も、大学の近くにあった。

古都マラッカは観光地として知られているが、住んでいる日本人は多くないようで、日本人向けの生活情報は多くない。KLまで車で行くのはそんなに大変ではなさそうだが、KLの治安がちょっと不安なところもあり、むしろ「地方」のマラッカのほうが、その点ではアドバンテージがあるかもしれない。都市のサイズとしても新潟に近く、生活環境は整っているけれども大都会とはいえないという。新潟から来た自分にはちょうどよいかもしれない。

しばらく止まっていたこのブログだが、新潟日報モアやYahoo!個人と使い分けつつ、割とパーソナルな話題を、こちらで書いていこうと思う。

しばらくは生活環境を整えるための活動が続く予定。

写真はマラッカのイオンで見かけた「築地直送」中島水産の寿司。当面家においてくださっている先生の息子さんが、サーモン好きということで、サーモンづくしのメニューになっているが、他の寿司もスーパーの寿司としてはそんなに悪くはなさそうだった。