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家で食べたチャークイティオ

【マラッカ生活】チャークイティオをたのめばオッチャホイが食べられる

(新潟日報モアに2015年5月21日に寄稿したものです)

マレーシアに来て一ヶ月。マレーシアのローカルフードをいろいろ食べていますが、とりわけ「きしめん」のような麺には、注意をはらって過ごしています。

新発田のシンガポール食堂に、オッチャホイというメニューがあるのをご存知でしょうか。創業者がシンガポールで働いていた時代の料理を再現したもので、「きしめん」のような麺を使った焼きそばです。新発田市民には「ローカルフード」として親しまれています。このルーツにたどりつきたいという思いが、私を「きしめん」のような麺へと向かわせているわけです。

オッチャホイ

上の写真が、オッチャホイです。

マレーシアとシンガポールは陸続き。1965年に、マレーシアから追い出される形でシンガポールが独立、先に亡くなったリー・クアンユー首相(当時)が、涙を流して国民に独立を伝えたという話は、非常に有名です。

マレーシアでもシンガポールでも、この「きしめん」風の麺は、「Kuey teow」(クイティオ、クワイティオ)と呼ばれています(うまく発音できないのですが)。クイティオを焼きそば風に炒めもの「チャークイティオ」といい、この名前で売っているものはだいたいオッチャホイの味。店によってもちょっとずつ味は違いますし、「ノーチリ」といえば辛くないものも作ってくれますが、基本的にちょっとだけ辛い味付け(で、チリが別添えになっているので、足りない人は辛みを足します)になっていて、これもオッチャホイと同じです。

家で食べたチャークイティオ
家で食べたチャークイティオ

上は、4月に家に持ち帰って食べたクイティオ。居候先で買ってきてもらったものなので、どこのお店のものかはわかりません。

イオンフードコートのチャークイティオ
イオンフードコートのチャークイティオ

二枚目はマラッカイオンのフードコート内で食べたチャークイティオ。色としてはこちらのほうがオッチャホイに近いですね。

オッチャホイにも汁オッチャホイという、スープに入ったものがありますが、クイティオにも汁物があります。というよりは、麺類がいろいろあり、麺料理を頼むとどの麺がいいかという話になります。イエローミー、ビーフン、クイティオ、ヒーキャオなどがあるなかで、きしめんのごとく一番太いのがクイティオです。

ワンタンミースープ
ワンタンミースープ

上はマラッカ市内の十二間珈琲店というお店(珈琲店というカテゴリーで麺などの食べ物を出している店が多いです)で食べたもの。「汁クイティオ」という名前ではなく、「汁ワンタンミー」。ワンタンミーは、つまりワンタンメンで、「スープ」か「ドライ」を選択し、ドライだといわゆるオッチャホイの状態のものに、汁ワンタンが付きます。だいたいワンタンミーというと、細い麺を使うのですが、この店の場合には、太い麺を選べました。

「オッチャホイ」という名前で理解してくれる人は、シンガポールでもマレーシアでも、今のところ現れていませんが、この「チャークイティオ」が「オッチャホイ」と同じものと考えて間違いないでしょう。ただクイティオ自体は麺の種類の名称なので、オッチャホイという料理名とはやや意味合いが異なります。チャークイティオは「炒めクイティオ」と言っているのであって、それ以外のさまざまな麺料理にも、クイティオは用いられています。

さて結局、「オッチャホイ」という名前がどこから生まれてきたのか。マレーシアに来る前からの疑問が、解消したわけではありません。「オッチャホイ」に類する名前の麺料理が別にあるのかどうか。その答えにたどりつける気はしませんが、何かわかったら、また報告したいと思います。

1964年の新聞の存在感を感じさせる「地震のなかの新潟日報」

新潟市立中央図書館で発見した、1965年発行の本「地震のなかの新潟日報」。Amazonでは古書としても購入できない。最初のところを少しだけ読んでみた。

目次
序文
– 新聞はこうして続けられた
– 原始との戦いー震災当日の本社
– 本社の被害は?ー同四支社
– 読者への使命感ー震災二日目
– 紙面不足に泣くー震災三日目
– 製作、ほぼ軌道へー同四日目
– 県紙の主導性ー二十日以後の活動
– 孤立と戦うー下越八支局の動き
– 焦燥に暮れる日々ー同上、中越十二支局
– 評価と教訓
編集後記

1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震の際に、新潟日報がどのように新聞を発行したかを淡々と報告している。この地震では、新潟市内は液状化で大きな被害が発生、建物の多くも倒壊している。信濃川沿いの集合住宅が倒れている様子、できたばかりの昭和大橋が崩れている様子が、よく紹介される。また、昭和石油新潟製油所から発生した火災で、黒煙がもうもうとまいあがる様子もまたよく知られている。火災の黒煙が市内全域を多い、煙と油のにおいにつつまれたという。

新潟日報では、「電力、電話、交通の途絶、活字のウマは倒れ、ガス、水道さえ出ない」という状況の中で、被災者に最新のニュースを届けるべく奮闘したという。地震発生直後、正面玄関に集まった社員を前にして、社長がPRカーの上から「いかなる困難をも克服して新聞を発行すべきであり、それが新聞に課せられた最高の使命」と述べた後、中野取締役が「天災地変に際してこそ新聞発行の意義は重大である。人心安定、秩序維持の役割りを果たすものは新聞をおいてないではないか。」と呼びかけている。

現在においても新聞社の人々は「人心安定、秩序維持の役割りを果たすものは新聞をおいてない」と思っているかもしれないが、実際のところ、今は「人身安定、秩序維持」に寄与するものは他にもたくさんあり、「人心安定」にはまずは新聞だと思っている人は多くないだろう。もちろん、「人身安定、秩序維持」を不安定にする情報も多数あるので、マスメディアがきちんと検証した情報を送り出すことが大事ではある。新潟地震でも、さまざまな流言飛語が飛び交っていたところ、それを新聞が打ち消したということはあるようだ。その意味では今も昔も、マスメディアが果たすべき役割りは本質的には変わらない。ただ当時の新潟日報の人々が負っていた責任というのは、今とは比べ物にならないほど、大きなものだったといってよいだろう。当時の新聞の社会的存在感の大きさを感じさせるフレーズであった。

当日のラジオがどのように実況していたか、録音した人がアップしているが、ここでは、以下の毎日映画社が掲載しているニュース映像を紹介しておく。

6月16日午後1時2分、新潟沖を中心とするマグニチュード7.5の大地震が発生。液状化現象で県営アパートや昭和大橋が壊れ、昭和石油新潟製油所のタンクが爆発し、燃え続けるなど、壊滅的な被害を与えた。※ナレーションでは「マグニチュード(M)7.7」とありますが、その後「M7.5」と発表されました。

2015年度前期はマレーシア・マルチメディア大学に滞在します

昨日成田から日本を出国、マレーシア・マラッカにやってきた。
2015年前期は在外研究期間となり、マルチメディア大学(MMU)法学部の客員教授として、数カ月間活動することになった。大学の授業を含めて、日本での様々な活動からは一旦離脱することとなり、各方面にご迷惑をお掛けしますが、マレーシアからでも参加可能なものは、出来る限り穴をあけずに活動したいと思います。

マルチメディア大学は、2002年から2003年にかけて、JICAのプロジェクトで滞在した大学だが、今回は本部のあるサイバージャヤではなく、マラッカキャンパスでの滞在となる。MMUの近くに分譲中のマンションが、「MMU至近」というような広告を出していて、この街でのMMUの存在感はかなり大きいように思う。今日聞いた話では、マラッカキャンパスができたころは大学周辺の開発はあまり進んでいなかったが、今はたくさんのお店が周辺にできているという。今日連れて行ってもらった飲茶の店も、大学の近くにあった。

古都マラッカは観光地として知られているが、住んでいる日本人は多くないようで、日本人向けの生活情報は多くない。KLまで車で行くのはそんなに大変ではなさそうだが、KLの治安がちょっと不安なところもあり、むしろ「地方」のマラッカのほうが、その点ではアドバンテージがあるかもしれない。都市のサイズとしても新潟に近く、生活環境は整っているけれども大都会とはいえないという。新潟から来た自分にはちょうどよいかもしれない。

しばらく止まっていたこのブログだが、新潟日報モアやYahoo!個人と使い分けつつ、割とパーソナルな話題を、こちらで書いていこうと思う。

しばらくは生活環境を整えるための活動が続く予定。

写真はマラッカのイオンで見かけた「築地直送」中島水産の寿司。当面家においてくださっている先生の息子さんが、サーモン好きということで、サーモンづくしのメニューになっているが、他の寿司もスーパーの寿司としてはそんなに悪くはなさそうだった。

ネット選挙運動関連で取材協力などまとめ

11月に衆議院が解散、それからあっという間に選挙が始まり、14日に結果が出た。今回は「ネット選挙運動」が解禁されて初めての衆院選ということだったが、昨年の参院選同様、盛り上がりは今ひとつ。選ぶ方もネット選挙運動なるものに何ら期待していないし、建設的な使い方をするつもりがなく、選ばれる方もまた、ネットユーザにうまくリーチする手法がわからず、また余計なことを言って炎上させるぐらいなら、寝た子を起こさないほうがよいという思惑もある。

とはいえ、まじめに「対話」をしている人を評価したいと思い、新潟日報モアでは、「新潟ソーシャルメディア選挙」というサブタイトルをつけて、候補者の情報発信について、いろいろ論評する活動をしてみた。どれぐらい話題になったのかはよくわからないが、新潟2区の鷲尾さんのところからは、終盤で連絡をいただいたので、一応関係者には見てもらえたのかもしれない。

カテゴリ:選挙|ソーシャル編集委員 一戸信哉「新潟ソーシャル時評」|モアブログ|新潟日報モア

新潟日報の紙版の取材も受けた。11/30の朝刊に、ネット選挙特集でコメントが掲載された。

ネット選挙 県内陣営歓迎、戸惑い|政治・行政|新潟県内のニュース|新潟日報モア

手法確立なお途上

 一戸信哉・敬和学園大人文学部准教授(新潟日報ソーシャル編集委員)の話

 衆院選では初めてインターネットを使った選挙運動が解禁となるが、まだ手法が確立されていない印象を受ける。前回の参院選では、共産党がネットをうまく使い、東京で無党派層を取り込んだ。各党が候補者をどれだけサポートできるかがテーマとなるだろう。

 公職選挙法では政治活動と選挙運動は区別されているが、実質的にSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上では、連続している状態だ。以前からSNSを活用している人は、選挙に向けてスムーズに使いこなせているが、選挙のために始めた人は試行錯誤している。

その他、テレビでは新潟放送BSN(2014/11/28放映)、テレビ新潟TeNY(2014/12/11放映)のインタビューを受けた。BSNの番組では、3年ゼミにも取材にきていただき、学生たちと候補者のソーシャルメディア利用について見ていった上で、学生たちにもコメントをしてもらった。こちらの学生のコメントも、関係者には好評だったよう。

写真に眠る街の記憶と現代を生きる学生をつなぐ:「写真の町シバタ」プロジェクト

8/11、新潟県新発田市にて、「写真の町シバタ」プロジェクトの活動に、敬和学園大学の学生たちと参加してきました。このプロジェクトについては、以前に新潟日報モアのブログでとりあげたことがあるのですが、具体的な活動に参加するのは私も初めてです。

写真の町シバタ
「写真の町シバタ」:新発田の歴史と未来を「写真」で引き出す|ソーシャル編集委員 一戸信哉「新潟ソーシャル時評」|モアブログ|新潟日報モア

このプロジェクトでは、商店街の皆さんに古いアルバムに眠る写真から、城下町新発田の歴史や人々の記憶を掘り起こしています。

店頭展示の風景

商店街の方からとっておきの一枚を選んでいただき、これを引き伸ばしてきれいに額装し、店先に展示してもらうという活動のうち、今回は最初の写真の選定作業に学生たちが参加、その様子を映像取材させてもらいました(後日Youtubeで公開するほか、プロジェクトの紹介映像としても利用される予定です)。

竹内旅館

竹内旅館でお話
[[image:image02|center|竹内旅館でお話]]

出演してくれた学生メンバーは全員新発田出身なのですが、これまで商店街との接点は少なかったようです。これも地方都市新発田が抱える現実でしょう。とはいえ、学生たちにとっては、自分の住む新発田市の街の人々に出会い、写真を通じてその歴史を知るなど、さまざまな発見をする機会となったかと思います。

田中時計店
田中時計店で写真選び

学生たちは10−20代。プロジェクトのメンバーや自分は30−40代。訪問先でアルバムを引っ張りだしてくれる人は、若い方もいるのですが、写真自体は明らかに60代以上の人々のもの。この世代間ギャップを埋めるのはつくづく大変だなと感じました。写真で語られている内容を理解するには、新発田のまちなかで暮らしている人たちが共有しているコンテキストを理解する必要があり、世代間ギャップも超える必要があります。プロジェクトに関わっている、私と同世代のメンバーが、「翻訳」をしてくれる場面もあり、同世代の役割の重要性も非常に感じました。

新発田市は城下町であり、その後も軍都として栄えた歴史があります。こうした街にはさまざまな歴史的な記録、繁栄の記録が残っています。残念ながらそれをそのまま取り戻すのは非常に困難ですが、今を生きる学生たちが、新発田が繁栄していた時代を知り、それを別の形で継承していくために、写真を通じてバトンを受け取ることはできるような気はします。若者のライフスタイルと記録の中に残っている「繁栄」の間にある、ギャップは大きいのですが、豊かな文化があったということを知ること、さらにはその時代を知る人達とつながることで、学生たちの地元新発田に対する見方を、少しは変化させられたのではないかという気がします。

撮影の最後には、ちょうどお盆前ということで、市内で開催されていた、お盆前の伝統的な市「花市」を見学。これまた新発田出身の学生たちにとって、全員初めての「花市」体験となりました。さらに「花市」に出ていたちんどん屋についても、「あれは何ですか?」と学生たちにきかれて、説明することに。なるほど、自分ももう10数年とちんどん屋をみた記憶がなかったわけで、学生たちが知らないのも無理ないのかもしれません。

花市
ちんどん屋

実は私も最近まで、この新発田の「花市」のことは知りませんでした。かつては花屋などの露天が道を埋め尽くしていたようですが、今はポツポツと間が空き、静かなローカルイベントになっていますが、これはこれでよい雰囲気の、風情あるイベントでした。タイの郊外で見かけた観光化されていないナイトマーケットを思い出しました。ここにはまだ、写真だけでなく、現実のイベントとして残っている、街の記憶がありました。

花市/にいがた観光ナビ

写真に眠る街の記憶と現代を生きる学生をつなぎ、その先に何があるのか。実はまだよく見えないのですが、古い写真を媒介にして、地域の人々が世代を超えてつながることはできるのではないか。充実感あふれる学生たちの表情から、少し期待感を持ちました。

【追記】当日の様子をまとめた短い動画をYoutubeにアップしています。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

新潟ソーシャル時評:Newsナビ参加の敬和生が、日本新聞協会のウェブサイトの「特派員」に

(2014年06月27日新潟日報モア「新潟ソーシャル時評」から転載。)

今月から、日本新聞協会のウェブサイト「よんどく!」で、新潟日報の記事を紹介する「特派員」として、Ustream番組「敬和×日報『Newsナビ』」のメンバーが参加させてもらうことになりました。

「古町芸妓薫風舞う 新人お披露目会 初の県外出身者も」HAPPY NEWS | 新聞には気づく、感じる、考えるがいっぱい。日本全国、新聞から見つけたHAPPY NEWS募集中!!

最初の回では、6月9日の番組で紹介した「古町芸妓薫風舞う 新人お披露目会 初の県外出身者も」について、NewsナビMCの小池まどかさんが紹介しています。

Ustream配信に向けて、学生たちはニュースに対する関心を深め、準備をするよう、これまでも取り組んできました。今後は「よんどく!」にコメントするというアウトプットも磨いていって、読者の皆さんに新しい独自の視点を提供できるようになって欲しいです。

「地元」に残った学生とローカルニュースのいい関係?:敬和×日報「Newsナビ」から考える(一戸信哉) – 個人 – Yahoo!ニュース

敬和×日報「Newsナビ」

新潟ソーシャル時評:地域おこし協力隊が定住したくなる街はどうしたら生まれるのか?

(2014年4月4日新潟日報モア「「新潟ソーシャル時評」」から転載。)

十日町市で「地域おこし協力隊」としての任期を終えた人たちが、全員十日町市に定住することになったそうです。

地域おこし協力隊全員定住・十日町|地域|新潟県内のニュース|新潟日報モア

「3月末まで十日町市の地域おこし協力隊員を務めた4人全員が、市内に定住することになった。4人は31日、関口芳史市長にこれまでの活動を報告するとともに、今後の生活や仕事への抱負を語った。」

「地域おこし協力隊」については、昨年Newsナビの配信で津南町秋山郷に出かけた時に初めて知ったのですが、そのときにも、十日町がかなり積極的に取り組んでいることは聞いていました。今回も含めて、19人の協力隊経験者のうち、13人が定住することになったそうで、かなりの実績といってよいでしょう。

「地域おこし協力隊」が入っていく地域は、中山間地域など、生活環境が厳しいエリアが多いわけで、自然に若者が増えていく可能性は高くないはずです。しかしその中で、これだけ高い確率で、定住する方がでてきたというのは、非常に驚異的なことのようにも見えます。今回の4人の方は、いずれも協力隊時代に取り組んだ活動をもとに、十日町で仕事を続けるということのようです。記事には出ていませんが、関わった地元の皆さんからのさまざまな支援があったのかもしれません。

もちろん、定住することだけがこの取り組みのゴールではないでしょう。生活環境の厳しい地方で協力隊として活動した人々が、その後都会に戻って、地域の応援団として活動してくれるということも、重要なことでしょう。しかし活動した地域に残りたいと思ってもらえる人が多ければ多いほど、十日町市の将来について、人々はますます、明るい希望をいだくことができるでしょう。

Facebookで調べてみたところ、元隊員の一人高木千歩さんが開くという飲食店の情報が少し出てきました。今度十日町市に出かけた際に、訪ねてみたいと思います。

十日町市ではなく、津南町からの配信でしたが、昨年、津南町秋山郷の「地域おこし協力隊」について、敬和×日報「Newsナビ」でとりあげました。アーカイブはこちらです。

新潟ソーシャル時評:湯沢の南雲純子さんが佐渡の観光戦略官に

(2014年4月4日新潟日報モア「「新潟ソーシャル時評」」から転載。)

2日の新潟日報朝刊に、佐渡の非常勤特別職として、観光戦略官と広報戦略官に辞令交付があったという記事が出ていました。

観光戦略官と広報戦略官の採用内定者が決まりました(2014年1月 募集分)[佐渡市ホームページ]

私の知人であり、湯沢町で「湯沢日和」というブログを続けていた南雲純子さんが、観光戦略官に就任されました。

今回の非常勤特別職の募集は、私の周りでは結構話題でした。観光も広報のいずれも、佐渡に興味のある人にとっては、チャレンジしてみたくなるポストでした。ただ、今仕事を持っている人が兼業としてやるには、佐渡との往来が大変かなという印象でも有りました。南雲さんもおそらく、佐渡と湯沢を行ったり来たりで仕事をされるのだと思います。

南雲さんはプロフィールにある通り、リクルートの立場で旅行の仕事をされていて、その一環でブログも使われていたのだと認識しています。また、地元のメンバーとUstream番組もやっていた時期がありました。非常にスマートに、小さな町の魅力を伝えてくださる方ですので、未開拓の魅力があふれている佐渡では、大きな力を発揮してくれるのではないかと思います。

逆に佐渡の人達からすれば、「よそもの」が何をしてくれるのか、お手並み拝見というところもあるでしょう。ちょうど新潟ソーシャルメディアクラブでも、「佐渡」の企画を考えようと思っていたところです。一緒に何か企画してみたい、そういう気分になりました。

南雲さんは、すでに「佐渡旅(sadotabi)」というブログをスタートされています。

佐渡旅(sadotabi)

新潟ソーシャル時評:「紙の日報忘れたけれどもモアがあるから大丈夫」は実現できる?:新潟日報モアのリニューアル

(2014年4月1日新潟日報モア「「新潟ソーシャル時評」」から転載。)

4/1から、新潟日報モアがリニューアル、「デジタル紙面ビューア」が登場しました。

デジタル紙面ビューアー|新潟日報モア

「パソコンではもちろんのこと、専用アプリ(無料)を使用することで、スマートフォンやタブレットでも日報やその他の紙面が閲覧いただけます。」

今まで新聞の中身をウェブに変換して表示していた新潟日報モアですが、PC・スマホ・タブレットで、新聞紙面それ自体を表示できるようになったことになります。テキストでの表示も可能ですし、検索もできます。「先週たしか新発田のアスパラの記事が出ていたと思うんだけど」というときにも便利です。見つけた記事のスクラップも可能です。

新潟日報モアは、新聞購読者向けサービスである一方で、読者であることを確認するために画面から改めて「登録」を求めており、正直言って参入障壁が非常に高くなっています。新聞読者の多くはITになじみのない人が多いという相性の悪さもあり、読者サービスといいながら、読者向けサービスとして成立させるのが難しい状況があるように思います。ただしそこは中身との相関もあるでしょう。高いハードルを乗り越えてもぜひ登録したい、というぐらいサービスが充実していれば、どうにか登録しようという読者も増えるはずです。

2月の読者満足度調査特集で私は、「紙の新聞を忘れたけどモアがあるから大丈夫という存在を目指すべき」というコメントをしました。今回の「デジタル紙面ビューア」は、「紙の日報忘れたけれどもモアがあるから大丈夫」に向けて、重要な一歩を踏み出したのではないかと思います。さらに望むならば、対象を地方面以外にも広げてほしいということでしょうか。地方面と「ふむふむ」以外にも、日報ならではの記事はあります。「紙の日報忘れたけれどもモアがあるから大丈夫」といえるには、そこまでぜひ実現してほしいと思います。

「デジタル紙面ビューア」では、写真をクリックすると動画が再生できるようにもなりました。これまで写真を撮るだけだった取材シーンで、動画も必ず撮ることになるのでしょうか。記者の皆さんがしばらく苦労することになりそうですが、これもまた、新しい新聞の読み方として期待したいところで、モアの登録者が増える可能性を秘めているように思います。

このほか、各地方で配布されている「assh」も同時にデジタル化され、地域にかかわりなく読めるようになりました。新潟日報の外付けの「フリーペーパー」的なポジションにある「assh」の、波及力も増すことでしょう。

公開前夜の3/31に、UST番組「敬和×日報『Newsナビ』」でも、新潟日報モアのリニューアルをとりあげました。先行してリリースされた、先生の異動すいすい検索についても紹介しています(モア始まって以来の大きな反響があったとか)。
 

敬和×日報「Newsナビ」(Facebookページ)

「新聞×ネット」は、年々変化を続けており、新潟日報モアのような「購読者限定サービス」としてのコンテンツが増えつつありますが、ソーシャルメディア上での情報流通は、この制限とどうしても衝突します。新潟日報モアもまた、ビジネスの論理を追求し過ぎると、ネットでの存在感が低下するというジレンマの中、さまざまな試行錯誤が続いています。しかし新潟のニュースを発信する存在として、新潟日報は非常に大きな存在です。今回大きな変化への一歩を進めて新潟日報モア。さらなる変化が実現されるのかどうか、注目していきたいと思います。

新潟ソーシャル時評:老獪な新潟人が新潟を救う

(2014年03月31日新潟日報モア「新潟ソーシャル時評」から転載。)

3月31日朝刊にて、連載「再考原子力」の企画。田中角栄氏の秘書官を長らく務めた小長啓一氏をインタビュー、電源三法が原発立地に果たした役割などを聞いています。聞き手は論説編集委員の横井裕さん。

[再考原子力 新潟からの告発]田中角栄氏の元秘書官・小長氏に聞く|社会|新潟県内のニュース|新潟日報モア

オイルショックで電力需給が逼迫し、原子力政策の推進が「まったなし」の状況に陥った結果、立地市町村から歩み寄りを引き出すために交付金を分配するための制度を設ける必要があったと、小長さんは説明しています。どのように立地市町村が受け入れに向かっていったのか、「自分で受け入れたのではないのか」という声もあるでしょうが、電力需給が逼迫している状況を改善することは「国策」としても非常に重視されており、地方は交付金と引き換えに、この状況に貢献する道を選んだとも言えます。

しかしこうした「貢献」が都会で顧みられることはなく、立地市町村のことを消費地の人々は、忘れていったということでしょう。「電気は見えないから」というのが小長さんの説明です。

最後のやりとりが非常に興味深いです。

-立地を急ぐあまり、安全性が置き去りにされたのではないでしょうか。

「決して安全性を無視していたわけではないが、東京電力福島第1原発事故を目の当たりにすると、当時は安全神話に埋没していたと思う。原発誘致を進めていた町長さんの言葉を思い出す。『電力会社の若手社員の安全に関する説明に“お任せ”の気持ちだった。一流大学を出て米国で技術研修を積み、しかも立地地域に住んで通勤するというので自分も納得しました』と。その辺が実態だったのではないか」

「安全神話に安易に乗っかった地元が悪い」、そこまでは言っていないかもしれませんが、文面から見る限り「愚鈍な地元住民たちが安易に受け入れた」というニュアンスも感じます。名指しされた「地元」は怒るかもしれません。しかし「都会」からやってきた「エリート」の「専門家」にお任せしてしまうというのは、原発立地だけではなく、さまざまな事柄について、しばしば見られる現象です。

この対極にあるのが「よそものは出て行け」という排除の空気でしょうか。「よそもの わかもの ばかもの」が地域を変えるとよく言われますが、そのような変化を望まない人々が、外部からの善意の指摘を無視することも多いです。対極ではあるのですが、「お任せ」と「排除」の合わせ技で、「お任せ」しているふりをしていつの間にか「排除」するという現象もあります。

ともあれ、大きな「国策」を背負って、周到にお膳立てをされてしまうと、しかもそこに目先の利益があるならばなおさら、地域住民はついつい「お任せ」の姿勢になってしまうことが多いように思います。専門家と協調しながら、自分たちの利益を守り、地域を発展させられる老獪な人がどれぐらいいるのか。それが地域力になるのかもしれません。私自身は、役に立つ誠実な「よそもの」あるいは「ばかもの」と評価されるように、また、学生の中から老獪な新潟人を一人でも生み出せるように、教育の場所で努力していきたいと思います。