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新潟のインド料理

東京の自宅の近くには、ナワブというすばらしいインドレストランがあった。ネパール人のゲストの評判も、一番良かった。

新潟にも、インドレストランはあるようだが、あまりいい話は聞かない。

今日、郊外のラーメン店麺屋空に行ったところ、近くに Mayaaというインドレストランがあり、結構車が止まっていた。インドとネパールの味を再現しているようなので、ネパール人がやってるのかもしれない。今度行ってみようと思う。

渋谷カンティプール

札幌の妹が上京してきたので、昨晩は4人兄弟姉妹のうち、上から3人と弟の奥さん、4人で集まった。新潟に移動した月曜日あたりから、店をどうするのか、メールが飛び交っていたが、結局昨今長兄の僕が探索中のネパール料理に挑戦ということになった。

それぞれの居場所を考慮して、最終的には、渋谷・恵比寿の3つのネパール料理店から、渋谷桜丘町の「カンティプール」を選択した。店内は、(意外にも?)女性客を中心にかなり込み合っていて、予約しておかなければ席がなかったかもしれない。ここもネパール料理なのに、「ダルバート」がない。やはり「ダルバート」、つまり「定食」状態にしてしまうと、客単価が下がるからだろうか。ご飯と他のおかずを頼んで混ぜちゃえばいいんだけど。

弟妹には、「チョエラ」という料理の発音がおかしかったようだ。どうも僕がふざけて、適当かつあてずっぽうに、変な音を発しているように聞こえたようだ。おそらく子供の頃、実家でやってたことを想起させるのであろう。弟の奥さんにはその面白さが通じてなかったもの。

ここでも料理人や店長に話しかけて情報収集。店長はネパール好きあるいは山好きが昂じてネパール料理店を始めたわけではなく、前の店を引き継いだときにネパール人の料理人ごと引き継いだので、ネパール料理店にしただけだといっていた。謙遜じゃないとすれば、それであの繁盛ぶりは大したものだ。

料理人のカマルさんは、「ナンの専門家」だそうだ。それは、ネパール料理の専門家ってことになるのだろうか?と思ったが、まあいいか。彼の勤めていたホテルはNarayaniというところで、ヒマラヤホテルの近くだそうだ。帰ってきて「歩き方」を見たら、地図上には載っていた。一部にはおなじみのPulchowk。

ネパール料理・インド料理

Gタムが上京して、3日ほど我が家を訪れた。
その間、うちの近くのネパール料理、インド料理の各店を訪問、どれもなかなかおいしい店であることがわかった。
1.Himalayan Moon Cafe
2.Nawab
3.ネパールのお座敷DINING tika
Himalayan Moon Cafeは、ネパール・インド料理の店。マネージャとおぼしき人は、シェルパ族の人だったので、おそらくネパール料理がメインなんだけど、インドも、っていう感じ。夜もディナーバイキングをやっていて、定額でいろいろネパールのおつまみを試すことができる。
Nawabはインド料理。パキスタン人のオーナーで、ネパール人がウェイターをしている。ここはネパール料理はなく、インド料理(パキスタン料理?)。ダルバートはやらないらしい。去年ネパールの学生たちを東京に連れてきたときにも、内田洋行さんにここの食事を用意していただいた。稚内でネパールの味から離れていた学生たちはほっとした顔をしていたのを覚えている。ランチも結構なボリュームであった。
tikaは東京駅八重洲口の繁華街にあり、なかなかいい立地なのだが、なにぶん看板がわかりにくかった。ここはカトマンズのツーリストエリアであるタメル地区でいうと、FullmoonとかLhasaのような、お座敷タイプの店。なんでネパール料理なのにお座敷?と思ったが、行ってみて意味がわかった。ここが一番ネパールっぽい雰囲気だった。ネパールのお酒も、エベレストビールだけじゃなく、ククリラム、ロキシ(品切れだったけど)、チャーが用意されていた。ちなみにエベレストビールなのに、日本のは瓶が小さい。ネパールでは大瓶がデフォルトなんだけど。
Gタムが一緒だったので、どこの店でも店員さんと親しく話をすることができ、気軽に一人でも立ち寄れそうだ。ちなみにどこへ行っても、ネパール人たちは出身地から会話を始めていた。そういえば、ネパールでは結構一般的な慣行のような気がする。

卒業生凱旋講演

ネパールから無事帰国。
公式レポートを書いたので、こちらに非公式レポートの残りを。
27日:朝目覚めると、2人のGタムが隣のエクストラベッド(シングル)を分け合って寝ていて、ちょっとびっくり。ネパール人にとっては普通の光景だそうだ。
インターネットカフェ(といってもPC2台しかなかった)で、配布資料の印刷。その後学長とともにタメールのタイ料理「インヤン」で昼食。普通に辛くしてくれっていったのに、日本のタイ料理店よりも甘いソムタムが出てきてがっかり。帰り道、後日訪問するMICに行っていたGタムが、MIC訪問中の哲学の先生を連れてきていたので合流。彼はノマド哲学者なのだそうで、中国語で本を出していた。奥さんは北京での元教え子。恐らく一回り以上年下だろう。この先生は、セメスターごとに中国やネパールを渡り歩いているようだ。たくましい。
一部印刷忘れなどもあって焦ったが、なんとかプレゼン会場のハイアットへ。この会合はComputer Association of Nepal(ネパールコンピュータ協会、CAN)のミーティングで、今回は「Wakkanai University」との共催ということになっていた。文部次官など政府関係者も集まり、かなりものものしい雰囲気。学長はゲスト代表ということで、政府関係者や司会と並んで、会場前方の「来賓席」へ。Gタムの緊張感が高まる。
WAKHOKの発表は三番目。まず学長から短いスピーチ。関係者への感謝と、大学の紹介、訪問の目的を述べた上で、詳細をWAKHOK初のネパール人留学生Gタムに譲ると締めくくった。その間、プロジェクタの接続がうまくいかず、一戸は壇上でドタバタ。結局CANのPCを借りてのプレゼンになった。
Gタムのプレゼンは、WAKHOKのIT教育の特徴とそこで行った自分の研究をメインにして、最後に協力内容について提案するもの。資料を英語で作成した上で、「みんなネパール人だし、ネパール語でいいでしょ」といってネパール語で発表した。学部卒業生の発表が、こうしたミーティングでどれだけ評価されるのか、彼自身もかなり不安げであったが、実際にはかなりウケた。「この研究で学長賞を受賞した」という部分については、大きな拍手が会場で沸きあがった。質問も多数(でもネパール語)。
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レセプションでは、名刺交換の嵐。学長、僕、ゴータム、3人がそれぞれに、多数の関係者に取り囲まれた。Japan Moneyに対する期待もあるのだろう(Moneyの面で僕らに期待されても困るのだが)。だが、それとは別に、多くのCollegeから、今までアメリカ留学をメインにしてのだけど、ぜひ日本にもチャネルを広げたいという趣旨の発言があった。それだけ門戸が閉ざされているということだと思う。
「世界の中の日本」という章が、子供のころ社会の教科書にあった。「国際社会の中で席にある役割を」とか「アジアのリーダーとして」とか、耳障りのいい言葉を聞くことも多い。しかしそんな美辞麗句通りに、事は進んでいない。実際には、ビザ取得には高いハードルが課されていて、相当に高い日本語能力、べらぼうに高い預金残高が求められる。結局日本は、日本語で暮らせるごくごく少数の裕福な外国人しか、助けるつもりがないのだ。それは言い方をかえると、日本人の生活空間に日本語以外の言語が多数のさばることを望まないということであり、単純労働の市場を外国人が荒らすことを望まないということであり、貧しい人たちが入ってきて治安を乱すことを望まないということでもあるだろう。そういう痛みを分かち合う「リーダー」になりたくはないということだ。えばってにこにこしていたいのだ。
レセプション終了後、ホテルへ。Gタムはこの日も、親戚の家に向かった。ホテルに戻った後、一人でタメルを散歩。すでに街は暗くなっていて、首都カトマンズは、弘前か稚内かというほど。ぐるっとまわってきてホテルに戻ると、敷地内のカジノだけにこうこうとネオンが輝いていて、中を覗くとギャンブラーたちの血の気が、フロアに充満していた。
(つづく)

ネパール2日目まで

カトマンズ三日目が終了した。
異変:携帯の電源が入らなくなった。こちらで携帯がつながらないと書いたが、さらに事態は悪化。帰国後のために充電したまま外出したのだが、帰ってきたら電源が入らない。こちらは電圧も不安定のようで、その関係かもしれない。帰国後修理しなければならないかも。
こちらは夜が早い。いまこちらの時間で11時半。薄暗い中をびびりながら、10時半過ぎにタメルという繁華街まで行ってみたが、ほとんどがクローズ。開いている一軒のバーに入ってみたが、11時半で閉まるという。これも治安維持のためなのか。享楽的な東南アジアとはまったく雰囲気が異なる。
食べ物は気がつくとダルバートという、カレー数種とおかずとごはんの入ったプレートを食べている。いろんな味のダルバートがあるようだが、あまり違いがわからない。昼間に入ったタイ料理は、いまいち。札幌の店のほうがまだいいかな。
WAKHOKを卒業したばかりで、今回の旅に同行しているGタムは、いきいきしている。3年ぶりの帰国で大変な歓迎ぶり。一族がみなカトマンズに戻ってきて、なかなか彼をホテルに帰してくれない。
25日:私立高校の校長先生を訪問。いろいろアドバイスをもらう。ネパールの大学の仕組みはなかなか複雑で、CollegeとUniversityが違うとか、Collegeにも二種類あるとか、そのほかにinstituteがあったり、いまだによくわからない。どうもこの先生はなかなかのやり手のようだ。学校の建物の上の階に住んでいる。
26日:朝早く目が覚めたので、一人で散歩。道に迷う。信号がなく、看板もなく、大きな建物もないので、非常に迷いやすい。ダルバート広場で「外国人は金を払え」といわれて、逆にこちらから道を聞く。親切に教えてくれた。Gタムの親戚の別のGタム(以下:Gタム2)が現れる。Gタム2も、Gタムの後を追ってWAKHOKにくる予定だったが、日本語力が追いつかず、断念した経緯がある。今はNGO活動に取り組んでいて、なかなか話してみると鋭い人だった。その後Gタム2が学んだ日本語学校の先生に会う。カトマンズでは数少ない日本人の先生。ネパールの日本語教育事情について非常に丁寧に教えてくれた。状況はなかなか難しい。日本語の先生の層は相当に薄く、日本人の有資格者は一桁。日本語検定3級程度のネパール人が日本語の先生をやっているケースもあるらしい。しかもネパール語と日本語は実は親和性があって、ネパール人は漢字を使わない会話体の習得が早い。「仕事で使う日本語」としてはこれで十分だという。大学留学に必要な2級相当の力をつけるために、ここからさらに漢字を勉強するというのは、いろいろな意味で相当ハードルが高い。だから英語で教えればいいんだよー。
午後は、モンキーテンプルに行った後、Gタムたっての希望で、彼の親戚のうちへ。ポカラから息子に会いに来た彼の両親や親戚に会った。お母さんが我々の額に赤いぽちっとした色を塗ってくれる。縁起物らしい。お兄さんからはネパールの帽子をいただく。そのままの格好でホテルに戻り、この日は前日の校長先生のところで夕食。校長先生は名刺にSingerと書いてあって、あちこちでコンサートもやっているようだった。さらに最近は自分でビデオをとってプレミアで編集するのにハマっていて、自分の旅行とか学校の行事を撮影して、なかなか凝った編集をしていた。まだまだ見せたいビデオがあるようだったが、翌日のプレゼンがあるので、我々は退散。そこからは、Gタムも交えて4人でプレゼンの用意。相談した結果、僕の出番はなくなったので、途中でダウン。二人のGタムは夜中まで格闘したようだった。
(つづく)

カトマンズ

23日の夕方に稚内を出て、25日ようやくカトマンズに到着した。
いろいろと、驚かされることばかり。
まず、ネパールでは携帯が使えない。反政府勢力を押さえ込むためだという噂だ。Vodafoneもドコモのローミングもどっちもだめ。僕のVodafoneには、ずっと「No Network」の表示。
ホテルからのインターネットも、部屋からのLANはほとんどだめ。ようやく見つけ出した、無線LANのあるここアンヌプリホテルは、固定IPをスタッフが振ってくれるという、昔懐かしいローテク型。
逆に二人の同行者がスターアライアンスのゴールド、プラチナメンバーだったことで、VIPパワーもずいぶんと見せつけられた。中部はもちろん、乗換えで泊まることになったバンコクでも、タイ航空のラウンジを利用できた。足の伸ばせるソファ、シャワー、マッサージと至れりつくせり。僕のブロンズは、ほとんど出る幕がなかった。
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これは今晩行った、ライブのあるレストラン。ネパール料理を食べる一方で、ライブを見て、場合によってはステージの前のスペースで踊ることもできる。

成都からの来客

三度訪中し、話し合いを続けてきた成都信息工程学院の周定文院長と李超軟件学院長が来日した。明日稚内に入り、大学で最終調整。18日「情報メディアフォーラム」で交流協定調印式が行われる予定。包括的な協力関係構築の一環として、まずは2006年4月から、20-25名の成都信息卒業生が稚内北星学園大学に編入する。
情報メディアフォーラム in Sapporo::相互交流協定締結式
優秀なITエンジニアの育成が、稚内北星学園大学の果たすべき役割だ。オフショア開発の広まりに合わせる形で、このような発表ができるにいたったことは、非常にうれしいことだ。
稚内行きの飛行機が無事降りてくれればいいのだけど。
フォーラムでは、一戸がこの協定の背景や取組みの全体像について(数分間で)説明する予定。「中国人留学生」というキーワードは、どうも変な風に受け取られがちなので、注意深く、しかし大胆に、関係者の皆さんへの感謝を込めながら(それと四川料理の「麻ラー」な味にも思いをはせながら)、誤解を招かないお話をしたい。

台頭する「冬ソナ」系韓国ファンと歌舞伎町の変容

95年に大学院入学時、韓国から留学してきた友人に連れて行かれた歌舞伎町のコリアタウンは、当時自分が歌舞伎町の奥座敷など知るはずもない貧乏学生だったということを差し引いたとしても、今とは比べ物にならないほど近寄りがたい独特の雰囲気が漂っていた。日本語のメニューなど用意されていない店も多かったし、連れて行かれた店も、たいてい一見さんが入れないようなスナックタイプの店舗だった。
2002年ワールドカップで韓国が日本を上回る成績でベスト4に進出したころ、すでに自国チームが敗退した日本人は、歌舞伎町で韓国人たちと韓国の応援をした。ワールドカップと前後して、韓国人街の店には、明確に日本人もターゲットにしたような店が増えた。以前の雑な価格設定の店は次第に姿を消し、少しずつ日本人OLグループにも利用しやすくなっていった。
今回の東京滞在は、ずっと歌舞伎町を拠点にし、久々に昼間のコリアタウンを歩いてみて驚いた。明らかに今までとは違う客層、つまり「冬ソナ」系と思しき40代以上の主婦層が、昼間のコリアタウンで韓国料理を食べている。昼間はあまり客のいない界隈で、ぽつぽつと入っているグループの大半が、日本人女性グループになった。肖像権・パブリシティ権にはまったく配慮されていない、ヨン様グッズが街にあふれ、食堂はもちろん、今までまったく日本人を相手にしていなかった韓国人向けの美容室も、店先に「韓流」グッズコーナーを設けている。
日本人の韓国に対するイメージは大幅に改善された。内閣府が行っている外交に関する世論調査でも、ここ数年で韓国の好感度はぐぐっと上がっている。ミーハーの力は、戦後50年、変わることがなかった日韓関係に、大きな改善をもたらした。もちろん、ミーハーの力が爆発するための素地ができてきていたということもあるけれども。
石原東京都知事の陣頭指揮により、不法残留外国人の歌舞伎町での一斉摘発が進んでいる、という。しかし実際問題なのは不法残留を行う外国人というよりも、「専門性のある外国人」だけを入国させるという、いまの入国政策にあるように思えて仕方がない。

成都の風景8

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回転寿司式火鍋。自由に具材を取って鍋に入れる。
鍋は紅白二つのスープに仕切られている。
赤いほうは唐辛子がたっぷり入っていて、むせるほど辛かった。
二色の火鍋はあちこちでトライしたが、赤いスープの辛さはさすが本場四川、であった。
たぶん成都で一番新しいおしゃれな店の一つなのだと思うが、学長と私の評価としては、「普通の四川料理のほうがいい」。二人とも基本的に辛さには強く、普通の日本人なら投げ出しそうな本場四川の猛烈な辛さにも平然としていたし、今回は冷静に複数の店の味を比較することもできた。
ちなみにそのとき店では、オリンピックのバレーボール女子「日本-中国」をテレビで放映していたが、その場にいた日本人の立場が危うくなるというようなことはなかった。バレーとサッカーではぜんぜん違うようだ。