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CGTN

南京事件80周年報道と山本武「一兵士の従軍記録」

2017年12月13日は、南京大虐殺から80年。中国の英語チャンネル「CGTN」でも、南京大虐殺特集が組まれていて、南京事件当時の現地の様子を映像に記録したジョン・マギー氏の孫が登場したほか、南京大虐殺が起きた背景に関する専門家へのインタビューなどが放映されていた。

ジョン・マギー – Wikipedia

日本では、「習近平氏は、自ら演説しなかった」という点に着目、日中関係に配慮したのではないかという憶測/分析が流れた。

習主席、出席も演説せず=南京事件80年、対日配慮か-中国:時事ドットコム

日本人の動きについては、あまり記事をみなかった(もっとも当日の日本メディアをちゃんとチェックしていないのだが。)が、中日新聞が、福井県から南京での法要(仏教式なので、おそらく政府主催のものとは別)に参加した男性のことを報じている。

南京大虐殺、現地法要に福井の男性参列:福井:中日新聞(CHUNICHI Web)

1937(昭和12)年の南京大虐殺から80年の13日、父親が南京攻略戦に従軍した元鯖江歩兵第三六連隊兵士だった福井市の男性が、中国・南京で営まれた平和法要に参列した。日中韓の僧侶と共に追悼した男性は「これで許してもらえるとは思わない。これからも戦争をするなという父の言葉を伝えなければ」と話した。

山本富士夫さんの父、山本武さんは、南京事件の際にも従軍しており、そのときの記録を自費出版しているそう。

調べてみると、山本武「一兵士の従軍記録」という本で、自費出版であることもあり、入手は困難なようだ。福井県立図書館、福井市立図書館には所蔵されている。

山本武の「陣中日記」を読みたい。県立図書館や福井市立図書館で読めるとインターネットに書いてあった。 | レファレンス協同データベース

このほか、おそらくほぼ同じ内容の「翻刻版」として、隼田嘉彦「山本武の『陣中日記』」が、福井大学教育学部紀要に掲載されている。

CiNii 論文 –  山本武の「陣中日記」-上-

高井瑛子さん、坂元楓さん、2人の敬和卒業生が新潟の主要番組に登場

2017年4月から、敬和学園大学卒業生2人が、新潟の主要番組に登場した。登場したのは、2013年卒業の高井瑛子さんと2016年卒業の坂元楓さん。2人とも在学中からテレビにレポーターとして出演し、経験を積み上げていて、満を持してというところもある。

高井瑛子さんは、UX新潟テレビ21の土曜朝の番組「まるどりっ!」に出演。やまだみつるさんの人気コーナー「旅してちょーない」の5代目パートナーとなった。

まるどりっ! » 2017年4月1日放送 400万円つぎこんだ宝の山 ~長岡市~

高井瑛子さん

高井さんは大学卒業後、岩手朝日テレビのアナウンサーとして、岩手県で活躍。新潟のテレビ番組で見ることはほとんどなかったが、高校野球地方予選の番組を担当するなど、人気アナウンサーとして活躍していた。4年間の岩手での経験をへて、地元新潟に戻ってきた。「旅ちょ」1回目から「大食いキャラ」ぶりを発揮していたよう。「旅ちょ」も長らく続けてきて、ネタ切れになりかねないところがあるように思うが、やまだ・高井の新コンビで、新潟県の町から新たな話題を提供してほしい。

坂元楓さんは、NHK新潟放送局の「新潟ニュース610」に出演。4/3に外からのレポーターとして登場したようだ。今後キャスターとして登場するものと思われる。

NHK新潟放送局 | アナウンサー・キャスター | 坂元 楓 (さかもと かえで)

坂元楓さん

坂元さんは、大学卒業後、湯沢町の第54代ミス駒子として活動しながら、民放局の番組に出演していた。情報セキュリティワークショップ in 越後湯沢で、越後湯沢から新潟に戻ってきた新幹線で、ばったり会ったこともある。あきらめずに粘り強くがんばったことで、ローカルニュースの「大役」の座をつかんだ。NHKのニュースキャスターは、原稿読みを含めて、言葉遣いの正確さを、かなり厳しい目で見られている。これまでの経験を活かして、がんばってほしい。

卒業生二人の活躍について、自分がとりたてて何かをしたわけではなく、幾つかの授業を担当しただけだが、大学の情報メディア教育を担当するものとして、素直にうれしい。女子アナの任期は短いのだが、二人にはまずは今の場所で活躍し、そのまま息の長い活動を続けていってほしい。

ちなみに在学中に2人共、Keiwa Lunchに出演してくれたことがある。今となっては本人には「黒歴史」かもしれない(そうでないことを願っている)が、検索して見に来ている人がいるのだろう、どちらの動画も、Keiwa Lunchのアーカイブとしては、それなりの再生回数になっている。

Keiwa Lunch – Keiwa Lunch:毎週水曜日のお昼休み、敬和学園大学の学食から放送中

VICEが朝鮮大学校の「リアル」に迫る映像を公開

Webサイト「Vice」が、小平市にある朝鮮大学校を取材した映像が、Youtubeで公開されている。学生たちが大学で学ぶ様子、寮生活、事務局長による学内紹介、保護者インタビューなどで構成されており、大学関係者にデリケートなところをインタビューするような内容ではないものの、大学の中の日常という意味では、飾らない「リアル」に迫っているように思えた。

全編朝鮮語で作られていて、Youtubeの字幕機能で日本語で理解できるのだが、冒頭に登場する学生たちの朝鮮語は、どことなく外国語として話しているように聞こえた。彼女たちはまずまちがいなく、日本語を全く問題なく話せるし、おそらく日本語のほうがうまいのであろう。

日朝関係はまだまだ雪解けとはいいがたいし、外交上の課題は多い。朝鮮大学校に対しても、批判的意見、攻撃的意見が、いろいろあるのはわかっている。こうした批判的な立場から、この映像それ自体が、ある種のプロパガンダだという意見(Viceは利用されているという意見)もあるだろう。

学生たちは大学の「民族教育」により、通常の日本人や日本の大学で学ぶ在日の人達よりも、母国に対する親近感を持つだろう。しかし一方で、彼ら彼女らが学んでいるのは日本であり、おそらく日本語で生活する時間もかなり長いであろうから、当然、母国に対する客観的な見方、複雑な思いがあるはず。ひょっとすると、それはあまり口に出さない(出しにくい)ものかもしれないが。

両国の境界線上で揺らいでいる人たちと、日本社会はこの先どのようにつきあっていくべきなのか。というよりは、排外主義の人たちがいろいろ言っているけれども、もうすでに彼ら彼女らは日本社会の中に入っているともいえる。
その「すでに入っている」という感覚が、全面朝鮮語で撮影されたこの映像からはからずも感じられて、非常に興味深いものを感じた。

超絶文教地区小平市鷹の台 (2) 朝鮮大学校 – 東京DEEP案内

敬和学園大学のUST番組「Keiwa Lunch」、新メンバーを加えて5年目がスタート

一戸ゼミを中心に実施しているお昼休みにUstream番組「Keiwa Lunch」、2014年度に入り、新メンバーで配信を再開した。今週は最初なので、新MCを交えて7人の写真を撮る予定だったが、2人が欠席、5人での写真となった。

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新メンバーの1人目。前列右側の中島綾子さんは英語文化コミュニケーション学科の学生。「歯茎は恋の落とし穴」というキャッチフレーズを発表していた。国際ダンスサークルのメンバーでもあり、学科は違うのだけど、よく話をしていた学生。Keiwa Lunchには一度出演したことがあるほか、敬和×日報「Newsナビ」にも、一度ピンチヒッターで出演してもらった。

新メンバーもう一人は、後列右側の大倉菜穂好さん。共生社会学科の学生。共生社会学科と自分の接点はあまりないのだけど、3月に卒業したメンバーとしては、まるりさんが共生社会学科であった。というわけで、大倉さんがまるりさんの後を継ぐ形となった。

この2人を含めてKeiwa Lunchは7名、Newsナビは5名をMCとして、配信を行うことになった。後継者をどうするかかなり悩んでいたのだが、いい形に収まった。今後もよいしゃべり手を発掘して、番組に参加してもらおうと思う。

配信側は代替わりでかなり手薄になり、どうしたものかと思っていたが、今週は2−3年生がかなり参加してくれた。もちろん、基本的な設営作業などを単独でできるようになったわけではないので、みんなまだまだ訓練が必要。ともあれ、いい番組を作っていくチームはできそうなので、大いに期待したい。

ウェブカムとPCだけの装備で、とりあえず配信してみるといって始めた2010年4月から、丸4年が過ぎている。最初の時の記事が出てきた。

3年ゼミの学生と昼休みUSTを始めた「Keiwa Lunch #1」 | ICHINOHE Blog

当時に比べれば、参加する学生たちの主体性も向上したし、準備にかける手間も増えた。しかし番組としての完成度をもっとあげていくことにより、学生の成長の機会にしたいと思うし、学内外での認知度ももっと向上させ、「Keiwa Lunchをやっていたら就職には困らない」と、名実ともに言われるようにしたいところだ。

番組は今年も毎週水曜日の12:30スタート。ゲストに出たい/出したい、という要望もお待ちしております。

USTREAM: keiwa-lunch: . 教育

敬和学園大学の教職課程は、「教員採用×新潟」を目指す学生の堅実な選択肢になるか

敬和学園大学カレッジレポート78号が発行された。表紙はまるりさんが卒業式で答辞を読むシーン。

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巻頭特集では、教職課程の座談会が掲載されている。敬和には、英語と社会(地歴、公民)の教職課程が設置されている。
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自分の担当する科目は教職必修になっているものの、上級学年になってからの関わりは薄い(いや、「デジタル教科書」時代が近づく今、非常に大事だと個人的には思っているのだが)。というのも、教職課程から路線変更した学生がゼミに来ることはあるのだが、教員免許取得までがんばっている学生は、うちのゼミに来ることはほとんどないからだ(別に教職志望者を門前払いしているわけではない)。

ともあれ、教職課程でがんばっている学生たちは、着実に実績を積み上げている。昨年度は公立学校で3名、私立に1名が現役で合格。大規模校に比べるといかにも人数は少ない。しかし少人数の私立大学としては、非常に高い確率で狭き門を突破してくれたということになる。記事を見ると、これまでにも45人が採用になっているそうだ。

教員採用は、教育学部の実績がよいのは当然だし、より一般的にも、地元国公立で、過去にもたくさんの採用者が出ているところが、採用に近いと判断されがちだ。そういう中では、敬和の採用実績はささやかなものに見えるだろう(実際には、各地域の公立学校の倍率や最終合格者数を見れば、そんなにささやかなわけではない)。しかし、新潟県の私立大学として、現在の受験上のポジションに鑑みるならば、入学後学生たちがいかに努力しているか、また、教職員がそれをいかに指導し支えているかが、想像してもらえるのではないかと思う。「教員採用×新潟」を目指す受験生にとって、敬和は堅実な選択肢だといっていいぐらい、今春の卒業生たちはがんばってくれた。

「受験エリート」とはいえなくとも、大学で自らの実力を伸ばし、生徒たちの心に寄りそえる、人間味あふれる教員になってほしい。指導にあたっている教職課程担当の同僚は、おそらくそのような気持ちで、指導や環境づくりに取り組んでいるはず。その努力に敬意を表する意味も含めて、あまり貢献できていない教員として、手前味噌の記事を書いてみた。皆さんが実際にどのように感じられるかは、近くウェブでも公開されるカレッジレポート78号で確認していただけたらと思う。

小さな大学の小さな教職課程で学ぶということ – 敬和学園大学 新潟県新発田市にあるリベラル・アーツ大学

新潟ソーシャル時評:老獪な新潟人が新潟を救う

(2014年03月31日新潟日報モア「新潟ソーシャル時評」から転載。)

3月31日朝刊にて、連載「再考原子力」の企画。田中角栄氏の秘書官を長らく務めた小長啓一氏をインタビュー、電源三法が原発立地に果たした役割などを聞いています。聞き手は論説編集委員の横井裕さん。

[再考原子力 新潟からの告発]田中角栄氏の元秘書官・小長氏に聞く|社会|新潟県内のニュース|新潟日報モア

オイルショックで電力需給が逼迫し、原子力政策の推進が「まったなし」の状況に陥った結果、立地市町村から歩み寄りを引き出すために交付金を分配するための制度を設ける必要があったと、小長さんは説明しています。どのように立地市町村が受け入れに向かっていったのか、「自分で受け入れたのではないのか」という声もあるでしょうが、電力需給が逼迫している状況を改善することは「国策」としても非常に重視されており、地方は交付金と引き換えに、この状況に貢献する道を選んだとも言えます。

しかしこうした「貢献」が都会で顧みられることはなく、立地市町村のことを消費地の人々は、忘れていったということでしょう。「電気は見えないから」というのが小長さんの説明です。

最後のやりとりが非常に興味深いです。

-立地を急ぐあまり、安全性が置き去りにされたのではないでしょうか。

「決して安全性を無視していたわけではないが、東京電力福島第1原発事故を目の当たりにすると、当時は安全神話に埋没していたと思う。原発誘致を進めていた町長さんの言葉を思い出す。『電力会社の若手社員の安全に関する説明に“お任せ”の気持ちだった。一流大学を出て米国で技術研修を積み、しかも立地地域に住んで通勤するというので自分も納得しました』と。その辺が実態だったのではないか」

「安全神話に安易に乗っかった地元が悪い」、そこまでは言っていないかもしれませんが、文面から見る限り「愚鈍な地元住民たちが安易に受け入れた」というニュアンスも感じます。名指しされた「地元」は怒るかもしれません。しかし「都会」からやってきた「エリート」の「専門家」にお任せしてしまうというのは、原発立地だけではなく、さまざまな事柄について、しばしば見られる現象です。

この対極にあるのが「よそものは出て行け」という排除の空気でしょうか。「よそもの わかもの ばかもの」が地域を変えるとよく言われますが、そのような変化を望まない人々が、外部からの善意の指摘を無視することも多いです。対極ではあるのですが、「お任せ」と「排除」の合わせ技で、「お任せ」しているふりをしていつの間にか「排除」するという現象もあります。

ともあれ、大きな「国策」を背負って、周到にお膳立てをされてしまうと、しかもそこに目先の利益があるならばなおさら、地域住民はついつい「お任せ」の姿勢になってしまうことが多いように思います。専門家と協調しながら、自分たちの利益を守り、地域を発展させられる老獪な人がどれぐらいいるのか。それが地域力になるのかもしれません。私自身は、役に立つ誠実な「よそもの」あるいは「ばかもの」と評価されるように、また、学生の中から老獪な新潟人を一人でも生み出せるように、教育の場所で努力していきたいと思います。

「シェア」はその価値がわかりにくくもろい存在:「プライバシー」との両立

今学期の最後、いくつかの授業で「シェアとプライバシーの両立」について、自分の考えを書いてもらった。こんな内容で出題し、解説もした上で、少し時間をかけて回答してもらった。

TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアは、多くの情報が公開で共有、シェアされることで、メディアとしてのパワーを拡大してきました。「アラブの春」のような政治運動でも、不正を暴く「Wikileaks」のような仕組みでも、こうした「シェア」の力が働いています。しかしその一方で、止められない拡散力は、Twitterでの「炎上」や「リベンジポルノ」などの副作用をもたらし、SnapchatやLINEのような、はじめから限定されたサービスにも、支持が集まり始めています。これから人々は、プライバシーを守りながら「シェア」を続けていくのかどうか。「シェア」のある社会を続けていくにはどうしたらいいのか。皆さんの考えを書いてください。

(Wikileaksの拡散にはマスメディアの存在も関わっているので、「シェア」の力と言い切っていいのかは、実は若干迷ったところもあるのだが、それはさておき。)

学生にとって、SNSとプライバシーの問題は自分の身近に起きうる問題で、「炎上」も「リベンジポルノ」も、すぐそこに転がっていそうな話。なのでこちらについてはだいたい回答があり、気をつけなければとか、キャリアがもっと規制すべきではとか、そういう意見が必ず書いてある。

かたや、ソーシャルメディアの「シェア」がもたらす積極的意義については、さらっと触れている程度で、実感を持って語られているものは、ほとんど見当たらない。やはりあんまり実感がないのだろう。

普段はたわいもない日常が語られているだけに見えても、必要な情報が瞬時に人づてにやってくる、というソーシャルメディアの意義は、なかなかわかってもらえない。受け取った情報を「評価」し、それをさらに「シェア」するというのは、社会的に意義はあるのだが、どちらかというと面倒くさい作業だ。答えだけ欲しがっている人には、面倒なことなのだ。せいぜい、食べログや価格コムなど、自分の生活上の利益に直結したところでしか、この感覚は動かないということなのかもしれない。

いまや「ソーシャルは危険だ」話がおおはやり。かくいう自分も、その手の原稿依頼や講演依頼をいくつも受け取っている。もちろん「炎上」などをめぐって、事態の深刻さは増しており、これはこれで必要な仕事だとは認識している。問題はこの論調をどこまで強めていくか。これは誰にもコントロール出来ない。特に「私は使ったことがない」という人たちは、聞きかじって理解した範囲の知識で危険性を語るので、当然「シェア」の積極的な意義とのバランスは意識されない(なくなっても自分たちにはなんの悪影響もない、と思っている)。かたやユーザの側も、「俺のTLには社会的に有用な情報なんてない」と自嘲することもあり、「シェア」の意義はあまり意識されない。

ソーシャル危険論が、リテラシー教育によって賢いネットユーザを作ることと放棄させ、SNSを地下に潜らせるだけの結果になれば、いつのまにか「ソーシャルメディアは愚民の使うもの」という評価が確立し、「シェア」の可能性はついえて、「ソーシャルメディアは死んだ」ということになるのだろうか。

SnapchatやLINEの流行は、その点新しい動きの現れといえなくもない。プライベートなメッセージのやりとりと、FacebookやTwitterなど、よりオープンな場所での情報のシェアが区別され、これがより人間の身体性に近いものとして確立していけば、案外技術がこの「棲み分け」問題をうまく解決してくれるのかもしれない。

いろいろな大学の学生と接することは大事だと感じた4ヶ月:埼玉工大、立正大での非常勤1年目終了

先週末で2013年度後期が終了。敬和は現在試験が行われているが、これが終われば春休みとなる。個人的には今期から、金曜日埼玉での非常勤をお受けしたこともあり、一週間の授業数はトータル9コマ、非常にいそがしく、このブログもほとんど書けなかったし、新潟日報モアの「新潟ソーシャル時評」も滞ってしまった。

金曜日は朝8:24の新幹線で移動し、高崎を経由して深谷市の埼玉工業大学で「国際法」を1コマ、その後熊谷市の立正大学に移動して午後、「メディアと法」を1コマ担当した。何もなければそのまま熊谷から新幹線で新潟に戻り、あれば、そのまま東京に出て一泊するという生活となった。

このお話をお引き受けした後で妻の妊娠がわかり、ある程度予想はしていたのだが、子供が生まれてすぐの慌ただしさと、授業コマが増えた慌ただしさが、一緒にやってきた4ヶ月であった(埼玉での最初の授業が終わり、その翌日に娘が生まれた)。週末にもさまざまな仕事が入ることが多く、出産後の大変な時期、家族には迷惑をかけたと思う。他にもいろいろなプロジェクトで手が回らず、一緒に仕事をしていた皆さんにもご迷惑をおかけしたであろう。

埼玉工業大学人間社会学部での「国際法」は、久しぶりの担当科目。国際法学会には長らく顔を出しておらず、学会の顔ぶれもかなり入れ替わり、院生の頃若手中心の研究会などで見かけた人たちが、すでに主流となりつつある。今回は、こうした研究者の皆さんの書いたテキストを読み直すよい機会となった。日本の抱える領土問題に注目が集まり、サイバー戦の話題も飛び交い、シリアの化学兵器、南スーダンのPKOでの日韓のやりとりなど、関連するニュースもかなりあって、それらをずいぶんととりあげて、学生たちには興味を持ってもらえたのではないかと思う。埼玉工業大学のある岡部駅周辺には、本当にねぎ畑がひろがっていて、「あまちゃん」で松岡茉優が演じていた入間しおりの「ねぎ衣装」を思い出した。

立正大学での「メディアと法」は、敬和の「情報法2」でやっている内容とシンクロさせて進めたが、立正の学生は法学部生なので少しレベルアップさせてみた。こちらでも、ウェブ関連、メディア関連の各種ニュースをとりあげて、それらの話題をとりあげながら授業を進めた。メールをくれる学生の反応を見ると、法学部の授業の中では、割と身近で親しみの持てる内容だと評価してくれたようだ。マイナー科目なので、受講者数は少ないと思っていたのが、200人以上の受講者がいて、やりがいのある授業であった。ただ、これからの採点活動は大変になりそうだ。

両大学とも、ウェブを利用して教材のやりとりや小テストなどができる仕組みが整っていて、ああこれなら学生とのやりとりも簡単だなと思い、それぞれのシステムの違いにとまどいながらもいろいろ試して見たのだが、実はこれらのシステムは、思ったほど使われていないようだった。「メールで提出でいいですか?」とか「慣れてないので紙でレポート提出していいですか?」といった、反応が学生から出るようになり、帰りに大量の紙レポートを学生に押し付けられるようにもなった。Twitterを使っている人はハッシュタグでいろいろ書いてくれてもいいですよ、といったのが、これも反応は少なかった。よく知らない非常勤の教員が相手だし、さほど反応はないだろうとは思っていたが、そういう警戒感だけが唯一の原因ではないようにも見えた。オンラインと大学教育をつなげていくというのは、大学が体制を作るだけではなく、教員と学生のスキルと意識がついてくるところまで持っていかなければならず、どこでも結構苦労しているんだなというのが、なんとなくわかった。

それぞれの大学の学生達の基礎学力や対人能力については、もちろん個人差もあるのだけれども、やはりそれぞれの学校のカラーがある。また大学自体への帰属意識やプライドの有無も、行き帰りのバスで飛び交う会話からなんとなく想像がついた。総じて言うならば、北埼玉の学生たちは、都心の大学に通う学生たちと、やはりちょっと違い、素朴さの残る関東の学生だ。同じ素朴でも、新潟ローカルの学生たちともまたちょっと違う、独特の雰囲気がある。

98年に、明星大学の青梅キャンパスに非常勤講師に行ったのが、自分の大学教員としてのキャリアの始まりだった。早稲田大学の学生像しかほとんど知らなかった自分には、明星の学生たちの考えていることや人生観なども、かなり新鮮で、勉強になった。それがその後の地方での大学教員生活にも、生かされているといえるかもしれない。

大学教員が本務校だけで授業を持っていると、授業でも学務でも、その中で完結し、新しいアイデアは出てこない。あるいは新しいアイデアも、社会一般の文脈と本務校の文脈をすりあわせて、最善な形で実施するということがなかなかできなくなるのではないか。久しぶりに「フル規格」の非常勤をやってみて、自分や自分の本務校の、客観的な立ち位置を確認するよい機会を得られたように思う。学期中も、両大学の取り組みを見ながらいろいろ気づきがあったし、両大学の学生たちからもいろいろ感じるところがあり、これらは敬和での教育の改善にもつなげていけるように思う。

機会を与えてくださった両大学の関係者の皆さんには、あらためて感謝の気持を記しておきたい。

つながるMap

弘前の大学生たちのプロジェクト「いしてまい」のメンバーに会ってきた

1月2日、弘前市内で、市内の大学生たちのプロジェクト「いしてまい」について、弘前大学の大学生、丹藤さんに話をうかがった。正月のまっただ中、1月2日にもかかわらず、時間を作ってくれてどうもありがとうございました。丹藤さんは大変しっかりした、適切に言葉を選んで話をする学生さんで、楽しい時間を過ごすことができました。

いしてまい

いしてまい (isitemai)さんはTwitterを使っています

「いしてまい」は、学園都市ひろさき高等教育コンソーシアムという市内の大学のコンソーシアムを母体に、これに参加する弘前大学、弘前学院大学、東北女子大学、東北女子短期大学、弘前医療福祉大学、放送大学青森学習センターの6大学から、学生たちが自主的に集まった「学生委員会」で、弘前の活性化のための取り組みをしている。昨秋に新聞記事を見て興味をもったので、Twitterを通じて、年末年始だけれどももし時間をいただけるならばお話をうかがいたいと連絡をしてみたところ、丹藤さんが快諾してくださった。

いしてまい丹藤さん

「いしてまい」は平成22年発足で、実はすでに4年目。丹藤さんは2012年度、大学2年の時から参加したということなので、「いしてまい」という名前が決まった瞬間には立ち会っていない。「いしてまい」は「良すぎて仕方がない」という津軽弁。弘前が地元の自分だが、最初名前を字で見た時には、実は最初意味がわからず、頭のなかで「石手舞」などと字をあてがっていた。メンバーの構成は、弘前大学3人、弘前学院大学6人、弘前医療福祉大学10人、東北女子大学2人、東北女子短期大学2人(というのが、丹藤さんの記憶に基づいて教えてもらった数字。放送大学青森学習センターからは、まだ参加者がいないそうだ。まあそうだろう)。弘前学院大学や弘前医療福祉大学からの参加が多いのは、おそらく先生からの呼びかけがうまく機能しているということだろう。弘前大学のように大きな大学だと連絡が行き届きにくいし、大学の中のコミュニティで自足してしまうということもありそうだ。

昨年度は「6大学合同文化祭」を中心市街地の土手町で開催、よさこい、ファッションショーなどのステージイベントと模擬店を出した。また、弘前市内各地区のお店について、市民の皆さんからの情報を元に取材し、冊子にまとめた「つながるMAP」を発行している。今年度は、弘前ねぷたへの「参加」をテーマに、ねぷたの製作過程から取材をし、最終的にねぷたの運行にも参加したそうだ。ブログやTwitterでの情報発信にも取り組んでいるが、コンテンツを制作して外部に公開するということよりも、実際に人に会って交流するということに力を入れているという印象を持った。

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活動の話をいろいろ聞いていくうちに一つの疑問がわいた。弘前という街は、文化的にも優れたものがたくさんあり、観光都市としての人気もあるのだけれど、ひょっとして市内のお店についても学生の皆さんは普段あまり行かないし、弘前ねぷたにもあんまり参加していないということだろうか?丹藤さんと話してみた限りでは、その通りのようだった。「いしてまい」に参加している学生の多くは、弘前市外の出身者。弘前市内の出身者で、こうした活動に目を向ける学生は少ないそう。一般的にも、学生たちが市内中心部で遊ぶことはあまりなく、五所川原市のショッピングモール「エルム」をはじめ、ドン・キホーテ、さくらのなどの郊外型の店舗に行っているようだ。新潟の学生たちがイオンに行くのと同じような現象と考えれば、さほど不思議ではないのだが、弘前という街は自分にとって、田舎だけどちょっとセンスのある街というイメージだったので、若者たちは放っておくと弘前の街中には出てこないという現象が起きているというのは、ちょっと意外であった。たしかに自分が高校時代を過ごした80年代後半からすでに20年以上が過ぎたわけだし、当時と違って、今はネットもありアニメなどのコンテンツのパワーも強いわけで、「ローカル」に目を向ける若者はなかなか増えていかないのだろう。ただそれは「きっかけ」がないからともいえる。「いしてまい」のような活動に参加した学生の皆さんは、これを通じて地域のことを再発見、再評価しているに違いない。参加しているメンバーは非常に良い機会を得ているように感じたし、それ自体は地域にとって大きな前進なのだということがよくわかった。

丹藤さんは3年生なので、これから就職活動がスタート。弘前での就職を希望しているそう。もちろん地元就職がそんなに簡単ではないこともよくわかっている。でも何とか地域のために働きたいと思うようになったという。1年間活動してきて、このように思える学生が少なくとも一人は出てきたわけで、これだけでもプロジェクトは大きな成果をあげているといってよいだろう。よい進路を見つけてほしいものだ。

最後に地域社会の現状をどう見ているか、聞いてみた。土手町の「シャッター通り」の空き店舗率は、最近改善されつつあるそうで、まだまだ「伸びしろ」がある。弘前は他の地域に比べると、いろんな催しなどで地域を盛り上げようという行動力のある人が多くいて、活力がある。「いしてまい」の活動を通じて、弘前のこうした「熱い人達」と知り合うことができ、確信を得たという様子であった。

今回は残念ながら、弘前大学以外の学生の皆さんにはお話をうかがえなかった。私立大学のメンバーの感じ方は、もともと大学のコミュニティが大きい弘前大学の学生とは、また違うような気がする。ぜひまたの機会にお話をうかがってみたいと思う。

台湾の「日本語世代」の人生に迫るドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」

「台湾アイデンティティー」、新潟シネ・ウインドでの上映最終日に、見てきた。冒頭のシーンは、数年前に訪れた、阿里山の風景から始まった。奮起湖駅で買った弁当の味が思い出されたが、もちろんこの映画は「旅番組」や「グルメ番組」ではなく、日本統治下をいきた「日本語世代」の人生を描いたドキュメンタリー。派手さはないが、とてもよい映画であった。

台湾アイデンティティー

ドキュメンタリー映画『台湾アイデンティティー』

1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの半世紀、日本の統治下にあった台湾で日本語教育を受けた「日本語世代」といわれる老人たち。本作は舞台を台湾、ジャカルタ、そして横浜へ移しながら、市井の老人たちの人生に寄り添います。日本の敗戦で「日本人になれなかった」と言う人、台湾に帰れなかった人、シベリア抑留のおかげで二二八事件に巻き込まれずに済んだと笑う人、白色テロによって父親を奪われた人、青春の8年間を監獄で過ごさねばならなかった人、「本当の民主主義とは」を子供たちに伝え続けた人。第二次世界大戦、二二八事件、白色テロという歴史のうねりによって人生を歩み直さなくてはならなかった彼らが自らの体験を語るとき、私たちに問いかけることとはーー。

台湾は食べ物がおいしい、台湾は「親日」。若い世代を中心に、多くの日本人の台湾に関する認識はそこまでだろう。あるいは、多少歴史の知識があったとしても、台湾のことを語ると中台関係の影響もあり、イデオロギー的な要素が入りがち。興味があっても語りにくいというところもある。

しかし映画に出てくる、台湾の「日本語世代」の生の声に耳を傾けてみると、日本の文脈での「右」とか「左」という立場からは、この問題は見えてこないように思う。台湾の「日本語世代」が、日本統治のことを悪く言わないのは、その後の白色テロの時代がひどかったからともいえるし、事情はもっと複雑なのだ。監督の酒井充子さんは、インタビューでこんなことを言っている。

INTERVIEW 『台湾アイデンティティー』監督に訊く、台湾の「日本語世代」と考える日台関係  « WIRED.jp

──取材を通して日本に対する恨み言は聞かれませんでしたか?

それが言わない、だから切ないんです。「日本人になれなかった」という彼は、日本時代を批判する視線をもち合わせていないんです。「日本人になりたかった」自分のまま、ずっと戦後を生きてきました。当時の日本による教育が純粋培養的に保たれているんです。そこが本当に切ないですね。ただし、日本がよかったわけではないんです。「日本時代のほうがよかった」と、思わなければならない時代があったということです。

──日本では東日本大震災後の、台湾からの大規模な義援金などの影響もあり、台湾を「親日」とくくる見方があります。中国や韓国との関係が悪化しているいま、相対的に台湾をもち上げている印象を受けます。

日本人はわきまえてほしいです。台湾に生まれた彼らが、なぜインドネシアや日本にいるのかを、考えてほしいのです。それは日本抜きには考えられないこと。わたしは日本人に、台湾という国を中国や韓国と比較せずに見てもらいたいのです。

台湾には日本統治時代があり、あの時代を背負って生きてきた人たちが、いまも住んでいます。「何となく親日な感じがする」ではなく、日本統治時代があって、台湾のいまがあるのです。日本人にはそれを知ったうえで台湾と向き合ってほしい。そう切に願います。

映画の中で、李登輝さんがかつて語った「台湾人に生まれた悲哀」というフレーズが出てきた。結局台湾人は、いまだに自分たちの政府や国を持つことができなかったということなのだが、その「悲哀」というフレーズの意味は、この世代の「生き様」をきいてみると、非常によく分かる。台湾独立派としての立場を鮮明にする人、独立運動に当初から懐疑的だった人、残留日本兵としてインドネシア独立のために戦った人、それぞれの人生に「悲哀」が反映されていた。
一方、現実に報道されている、台湾独立の是非という「大文字言葉」の文脈では、高齢の台湾人たちのこの「気持ち」はよく見えない。さらに中国の人たちと話してみると、彼らは「一つの中国」を当然の事として考えているので、政治的な文脈を離れて、こうした台湾の人々の独自のアイデンティティーを、理解するのは難しいように感じる。

日中国交正常化以後、台湾問題に日本政府は関与しない立場にあるし、メディアでも台湾の歴史が語られることは少ない。しかしこの映画は、難しい政治的文脈を離れて、まずは激動の時代を「日本語世代」の人生を振り返り、何が起きたのか、人々はどう生きたのかを知ることを可能にしている。日本人が今後の台湾との関係(あるいは台湾の人々との付き合い方)を考える、非常に貴重なドキュメンタリー映像と言えるだろう。

酒井さんの前作「台湾人生」は、すでにDVD化されているので、今度見てみようと思う。