タグ別アーカイブ: 情報メディア

敬和学園大学関係者のためのソーシャルWEBガイド

今年に入って、SNSやソーシャル系の各種サービスを敬和関係者のために作ってみたり、参加してみたりしているのだが、利用が盛り上がっている傾向はみられないので、一度まとめてみようと思う。教職員、学生の皆さんも、気軽に参加してみたらいいと思う。というよりも、使ってみないと、以下に書いてあることの意味もわからないような気がす
る。

1.mixi
敬和でももっとも利用者が多いSNSサービスはmixi敬和学園大学のコミュニティ
も、以前卒業生が運営してくれていたものが消えてしまったのだが、最近現役の学生の手によって復活している。まだ参加者は少ないけれども、誰でも参加できるコミュニティだ。mixiはライトユーザもたくさん参加しているので、そういう人たちとの接点として利用しているが、コミュはあまり使いやすいとはいえないので、個人的にはあんまり見ていない。

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(教育)にITをどう使うか

2005/2/28
「この世は弁証法でできている」
は、どうやらゆきみ先生がユーミーの疑問に答えたもののようだ。
情報教育を狭い「コンピュータの使い方」という考えから解き放って、ツールとして、教科教育やその他教育のあらゆる場面に応用することから考えようということだろう。「応用」っていうのは誤解を生むかもしれない。教育という目的を側面支援するものが「情報」なり「IT」であり、それによって教育のすべての領域が活性化されると。
そうなると、やっぱり情報教員も「側面支援」っていう今の位置づけから抜けられなくなるのかな。でも考えようによっては、情報教員は学校での教育プロセス全体を見渡して、必要な技術を導入したり、生徒の適応力(使えるようにする)を高めるという役割も担っているともいえる。
ここでの内容は、「教育」である必要はなくて、たいていのジャンルのことに共通するだろう。技術的先進性と、それを利用したときの効果とか、インタフェースをどう改良するかという問題は、だいたい別の次元の話になる。そしてどうも技術者はそういうことを瑣末な事柄として軽視する傾向がある(ように思う)。
一方自ら開発する技術を持たない利用者は、本質的に技術の奴隷になってしまう。もちろん現れた技術を評価して、受け入れたり受け入れなかったりという選択はできるのだが、たとえば「こんなコミュニケーションツールがあったらいいなあ」と夢想したところで、それが実現できるかどうかは開発者しだいなのだ。だから、開発されたものを試してみるところからスタートするしかないし、あるいはそういう「奴隷」状態に反発を感じる人は、もはや新しいものに食いついてみようという好奇心すら失ってしまう。
そろそろそういうコンプレックスから卒業したほうがいいと思うのだけど、なかなかそうならないから、いつまでたっても表計算を教えてごまかす「なんちゃって」情報教育がはびこるのであろう。教員サイドのコミュニケーションがうまくいっているならば、情報教員を中核にしながら、「もしこういう技術があって、それに教員・生徒・学生が対応可能だったら、こんなことができるのに」という夢想談義ができるし、そこから先いろんな可能性が広がりそうではある(やらないんだろうなあ)。やらない雰囲気もなんとなくわかる。
情報教員は少なくとも、新たな技術を利用することについて、鋭いアンテナとキャッチした情報への好奇心を持ち続けられる人でなければならない。ルーティンに釘付けにされるようでは、やがて「表計算でいいですよ、うちは」という人になってしまう。そういう意味では、「教育教育教育」と唱えてやまない情報メディア学部の教職履修者は、「情報」がもたらすものについて、もうちょっとまじめに考えたほうがいいし、まじめに考えたならば、もうちょっと卒業研究の方向性も変わってくると思うけどなあ。
もちろんこれは「情報」の側から考えていった場合の考え方で、「教育」それ自体にさまざまな別の課題があることもわかっているけど、ここは教育学部じゃないし、それでは教育学部出身者と勝負できないんじゃないかなと思う。
さて前々から学生から言われていること。教職履修者に今のカリキュラムは難しすぎるという話だ。この指摘にはいつも考えさせられる。たしかに技術者になるための教育を教員になりたい人が受ける必要はなくて、もう少しユーザの視点で適応力を高めたほうがいいように思う。が、それも程度問題だ。僕もそうだけど、結局「技術の奴隷」になってしまうと、どうしても発想がそれに制約されてしまう。耳元で悪魔がささやく「表計算でいいじゃん」という言葉に負けてしまうのだ。必要なものを自ら調達して、一つの学校での「情報」を組み立てていくためには、「目利き」の力ぐらいは必要だろう。「奴隷」ではなく「目利き」になるためには、どの程度のことをやったらいいのか。答えはない。

成都からの来客

三度訪中し、話し合いを続けてきた成都信息工程学院の周定文院長と李超軟件学院長が来日した。明日稚内に入り、大学で最終調整。18日「情報メディアフォーラム」で交流協定調印式が行われる予定。包括的な協力関係構築の一環として、まずは2006年4月から、20-25名の成都信息卒業生が稚内北星学園大学に編入する。
情報メディアフォーラム in Sapporo::相互交流協定締結式
優秀なITエンジニアの育成が、稚内北星学園大学の果たすべき役割だ。オフショア開発の広まりに合わせる形で、このような発表ができるにいたったことは、非常にうれしいことだ。
稚内行きの飛行機が無事降りてくれればいいのだけど。
フォーラムでは、一戸がこの協定の背景や取組みの全体像について(数分間で)説明する予定。「中国人留学生」というキーワードは、どうも変な風に受け取られがちなので、注意深く、しかし大胆に、関係者の皆さんへの感謝を込めながら(それと四川料理の「麻ラー」な味にも思いをはせながら)、誤解を招かないお話をしたい。

情報メディアフォーラム in Sapporo::セッション4「情報発信『Hokkaido Style』-地域からの情報発信とIT」企画趣旨

今週の土曜、大学主催の「情報メディアフォーラム」で、1セッション司会をやることになった。私の専門と直接には関係ないのだが、「いいだしっぺ」の提案者が司会をするという、よくある話だ。
情報メディアフォーラム in Sapporo::セッション4「情報発信『Hokkaido Style』-地域からの情報発信とIT」企画趣旨
パネラーの皆さんとやり取りをしているが、内容には大いに期待が持てる。
地域ごとの多様性を反映させながら、全体として「北海道ブランド」を発信するという、なかなか複雑なことを、北海道はやらなきゃいけない。しかし、コンテンツを担う人々の動きはともかく、一般の人々の認識はきわめて低いのではないか、というのが僕の仮説。
「北海道ブランド」の発信に、海外番組配信を通じて取り組んできたテレビ局。
稚内、札幌、それぞれの文脈で情報発信に取り組むNPO。
次世代の「発信者」を育てる高等学校放送部。
それぞれの立場は違うし、個々の皆さんが「北海道」を強く意識しているかどうかは定かではない。おそらく必ずしもそうではないだろう。でもこれらの動きが全体として、トータルな「北海道情報」を作り出していることはまちがいないと思う。
土曜日の午後、札幌在住でお時間のある方はぜひご参加ください。

一戸ゼミの総合研究を総括

「卒論」の報告会が8日に行われた。
「お披露目」が終わったので、一戸ゼミの学生についてだけ、率直な感想。
<総論>
少なくとも「社会」領域において、一戸ゼミメンバーは、「情報メディア」への適合性という点で、今年も比較的意欲的な取り組みをしてくれた。でも、看板だけ意欲的というものも多かった。
「情報メディア」の定義はやりようによって相当広くなるのだけど、ここにいう「適合性」は、情報ネットワーク社会に関わる新たな問題領域に切り込もうとする意識、という程度の趣旨で理解してほしい。「入り口」論争をやるつもりはない。新しい現象の表面にとらわれることなく、その本質を見よ、という主張がその対極にあるとすれば(対極にあるとは思わないけど)、それはそれで否定はしない。たぶんその通りではある。しかし少なくとも学生たちには、それを新しい技術にキャッチアップしない・できないことの免罪符にしてほしくない。新しい技術に常に貪欲に取り組みながら、単に技術トレンドに流されることなく、表層にとらわれない視点で研究に取りくめということであれば、まったくもって歓迎である。
<個別評>
主査として評定会議の際には心ならずも擁護してしまった面がある(良くない愛情表現だと思う)のだけど、もう会議は終わった。
ここではあえて歯に絹を着せず、率直に書こう。点数はつけない。コメントのみ。
S.Y 「P2P(ピアトゥピア)と音楽著作物」
P2Pでの音楽ファイルの流通と、DRM利用の合法的音楽配信ネットワークを通じた音楽ファイルの流通を、対比的にとらえ、P2Pをめぐる日米の判例における議論を交えながら、ネットワーク上での音楽利用についての妥当な解決策、妥当なビジネスモデルを探ろうという、ありがちであるが壮大なテーマであった。しかし、判例研究ですでに息が切れてしまった。また、興味があるといって始めた割には、実は実際のサービスの実態もあまり知らなかったので、そこで立ち止まってしまった。「え、こんなことできるんだ!」と立ち止まって楽しんでしまったということか。
入り口までたどり着いたところで終わってしまい、残念ながら僕が想定していた枠組みにすら到達してくれなかった。
前期の勉強会にまじめに来ていれば、問題の本質をつかむのに、これほど苦労することはなかったので、結局「さぼり」のつけだと思う。
途中で自動車業界への就職が決まったことも、かえって悪いほうに作用したかもしれないね。ただでさえいすに座っているのが苦手なのに、当面関わらない業界の話になってしまったので、さらにいすに座れなくなったということか。
Y.M「公衆電話の必要性」
「必要性」という言葉を最終的にタイトルに使った。これに代替すべき言葉が見つからなかったということが、この研究の破綻を象徴している。公衆電話に関する利用可能な資料が少なく、苦労したと思う。本来なら事業者や事業者団体へのヒアリングを行う必要があったと思うが、稚内にいたままでは難しかったし、休み期間でそれを実行するには、準備があまりにも不足していた。
民間セクターが採算性を維持しながら、公衆電話を設置し続けるのは難しい状況がどんどん近づいているはず。しかし公共的なサービスとしてこれを維持していこうという議論はあまり盛り上がっていない。公衆電話は、「あまねく公平」に提供されるべきユニバーサルサービスとして位置づけられるのかどうか、だとすればその根拠はどこにあるのか、またそのためのコストは誰がどのような形で負担するのか。残念ながら、説得力のある具体的な提言はなかった。でも、8日のプレゼンでは、大きな改善があったので、安心した。
「公衆電話」という、比較的「ローテク」なテーマを選んだのは、おそらく、わりと身近にあってわかりやすく、それでいて「情報に絡んだ」研究ができるという判断があったのではないかと思う(ちがったらごめん)。しかし実際には、身近ではない問題に引きずりこまれて、苦しんでいるように感じた。
N.I.「人々の移動と社会への帰属における考察」
自分が指導しておいてなんだけど、残念ながら「許した」としかいいようがない。タイトルの言葉遣いからしてよくわからない。当初「海外移住」という「なんじゃそりゃ?」系のテーマでスタートしたのだが、最終的には中高年の「ロングステイ」を支えるサービスの充実を、国際電話の「ローミング」から類推して検討するということになった(という報告は受けていなかったが、いつのまにかそうなっていた)。結果的には、「海外に行っても、あらゆるサービスがなんでもワンストップショッピングで利用できるようになればいいのに」という空想的な内容になってしまった。で、その趣旨は、タイトルからはまったく読み取れない。この構想の先に「国民総背番号制」ならぬ「世界共通背番号制」があるという点を、僕からもプレゼンの際の聴衆からも指摘されたが、質問の趣旨すら理解していたとは思えない。また、主権国家の分立という現在の国際関係が、このような「空想」だけで変わるわけがないにもかかわらず、ひたすら「ロングステイの増加」という日本国内の事情だけを根拠に「べき論」で突っ走っても、まったく説得力がない。自分の空想が実現できない要因を、詳細に検討するのであれば、まだ評価する余地はあったのだけど。
これも「情報メディアに絡める」ために試行錯誤した末の破綻だと思う。せつない。
S.H「映像権利管理団体の設立について~市民メディアとしての映像制作を巡る現状から~」
自身の経験とゼミでの勉強を接続して、意欲的な提言としてまとめたと思う。「本当にこういう組織が必要な背景があるのか?」という指摘がずいぶんあり、それに適切に答えられなかった。本当は質問も妥当ではないのだけど、権利管理団体の動きや、権利処理が必要になる背景を十分に理解し、内外の動きを整理してあれば、十分その質問には答えられたはず。あのやりとりは、間接的に準備不足を露呈させた。
論文前半では、「市民がビデオカメラを持ち、発信するようになった」という現象を説明していたが、個人的にはあれほどの記述はいらなかったと思う。それだったら、既存メディアの権利処理のプロセスとの対比を、詳細に検討した上で明確にしたほうがよかったと思う。
それと、団体の設立を「提案」するのであれば、どうしたら持続可能な団体となるのか。その点に明確な答えるべきだった。どう考えてもJASRACのような大きな団体にはなりえないのであるから、それとは異なるにしても、どのようにしたら存続させることができるか、「提案」というからにはそこまで踏み込むべきだろう。
T.K「宗谷黒牛の発展を目指して~マーケティングの観点を通して~」
「マーケティングの観点」を学んでいるうちに終わってしまった感がある。「宗谷黒牛」という商品の属性が、分析を難しくしていたと思うが、出発点が「宗谷黒牛」であって「マーケティング」ではなかっただから、それは仕方がないし、提案した僕の責任だと思う。一方で、「お前は宗谷黒牛の何を知っているのか?」という声にたえられなかったのは意外だった。もっと早く「マーケティング」の勉強は終わって、「適用」のためのヒアリングに時間を割くべきだった。それをリードできなかったという意味では、僕の責任も感じる。
一番残念だったのは、最終的な「メディア戦略」の部分で、結局具体的な提言が弱かったということ。そこで、発信されるべき「コンテンツ」の理念型を示すことができれば、もっとよかった。そこまでいかないにしても、もう少し具体的に、たとえば雑誌ならばどのような雑誌に、どのような内容と形態で掲載するのかという、具体的な戦術に踏み込むことができれば、相当面白かったはず。
蛇足ながら、こういう制作を伴うものをすべてを「表現」というカテゴリーに押し込めてしまったところに、三系構想の失敗がある。教員の「専門性」という言葉が妥当する領域があるとは思うが、実際には「啓蒙」と「スケジュール管理」と「相談役」をやることになる研究が多いのだから、むしろ教員の「専門性」が優秀な学生の「系」にとらわれない取り組みに及ぼす影響に、もっと目を向けないと。学生は勝手にそういう垣根を越えて、勝手にやるべし。あ、評価の話がどっかにいっちゃいました。
Y.N「キャッシュに関する著作権法上の問題-『一時的蓄積』概念を中心に」
とにかくはじめるのが遅かった。4年間コツコツ著作権を学び、それなりの知識の蓄積があったので、インプット、アウトプットともに、これまで見てきた学生の中で、もっともスムーズであった。しかし、スタートが遅かったために、論点整理の後の展開について、じっくり議論して、説得力ある結論を出すまでにいたらなかった。しかし「専門性」を標榜する自分でもそういうことを感じるわけで、なんら卑下する必要はない。学部生の論文としては非常にいい論文になったと思う。むしろ「専門性」を標榜しながら、同じような経験があって、共感してしまう自分が、もっと反省すべきなのだろう。
外国法制を参照したことはいいのだけど、「ハーモナイゼーション」を当たり前の前提としてしまったのは、少し配慮が足りなかったか。たしかに政府が持ち出す「ハーモナイゼーション」は、都合よく外国法制を引き合いに出すときの方便に用いられることが多く、今回の論文もたしかにそういう「都合のよさ」が見られる。ただ、今回の論文はインターネット上で用いられるキャッシュ技術がもたらす問題に焦点を当てており、独自法制がイノベーションを不当に妨げる要因だとすれば、「ハーモナイゼーション」といわずとも、外国法制を参照して考えるべき課題なのであって、あまり立ち止まって考えすぎるのも現実的ではないだろう。
それと学際的関心、とりわけ開発に取り組む学生たちの関心にこたえたかどうか。この点は、無難ではあるが必ずしも明快とはいえない論点整理の部分はもちろんのこと、具体的な技術動向に即した研究になれば、さらに良かった。CRICの論文賞には、ぜひ加筆修正の上、チャレンジしてほしい。

「メディアと社会」総合研究

稚内北星学園大学では、4年次必修で「総合研究」という科目がおかれている。ようするに、「卒論」なのだけど、「メディアとソフトウェア」分野ではプログラミングなどの成果物、「メディアと表現」分野では、作られた作品が主たる評価の対象となるので、こういう名前になっている。でも、「卒業研究」の略語である「卒研」という言葉も使われていたりして、あまり一貫性がない。
僕の所属する「メディアと社会」分野でも、さまざまな成果物の形式を排除していないものの、これまで「論文」以外の成果物は出てきていない。
僕は、分野ごとに分かれる成果発表の形式にも不満があるし、そもそも4年生になっていきなりこんな大仰な取り組みをさせることにも、毎年違和感を感じている。「分野ごとに」というやり方は、すでに下の学年ではカリキュラムが改正されたけど。。。
と、この話を書き始めると、だんだん過激になってしまうのでこの辺でやめておこう。。。
明日は朝から、「メディアと社会」の発表会だ。
僕のゼミからも、6人が登壇する。お楽しみに。。。(といっていい)?
毎年4年目になって「社会」に流れてくる学生たちの中には、学部教育の内容とは全然関係ない「なんじゃそりゃ?」というテーマを設定する学生がいる。そういう学生たちが必ずいうのは、「情報と関連付けないとだめなんですか?」という言葉。僕は「そうだ」と答えるけれども、そうなった時点で、実はもはや手遅れだ。
要するに学部教育で学びとって、興味を持ったことが何もないのだ。3年間行われてきた授業を相互に関連付けて理解し、その中で自分なりの考えを深めてきたならば、およそそんなに外れないところでテーマを見つけ出すはずなのに。それらは、僕らが行ってきた教育内容を映し出す「鏡」なのだろうなあ。
ちなみに僕も大学3年のときに西洋法史のゼミで、なぜかマックス・ウェーバーを読み、法学部の王道である法解釈学に疑念を持った経験があるので、そういう学生たちの気持ちはなんとなくわかる。でも、これだけ間口の広い「情報メディア」学部で、それでもあえて「このテーマでいいのか?」と思わせるテーマでの「異種格闘技」戦を選んだのならば、それなりに理論武装をして、「そこまでいうなら仕方がない」とみんなに言わせてほしい。