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立教学院佐藤忠男チャプレン長の祈祷動画


青森に帰省していることとは全く関係ないのだが、なぜか実家でネット検索をしていたところ、立教大学佐藤忠男チャプレン長の、祈祷動画が出てきた。

Source: rikkyo.ac.jp via Shinya on Pinterest

佐藤忠男さんは日本聖公会東北教区で長らく司祭をつとめられ、弘前昇天教会の勤務も長かった。最終的には東北教区の主教として、仙台で活躍された。退職後は弘前に居を構えられ、暮らしていた。一度ご自宅におじゃましたこともある。2007年に弟が亡くなったあとにも、とても励みになるお話をしていただいた。お話にはいつも含蓄があった。

その後母校の立教から請われる形でチャプレン長となっている。年齢を重ねてから東京でのお仕事というので、いろいろご苦労もあったと思うが、そろそろ任期も終わる頃ではないかと思う。春には弘前でお会いできるだろうか。

今年の4月に新入生に向けて書かれたメッセージも、イマドキの大学生にはやや難しいかもしれないけれど、よいお話であった。

チャプレン長メッセージ | 立教大学

ロックサンに試食会に行ったら結婚祝賀サプライズパーティだった

昨日、新メニューの試食会があるというので、新潟古町のロックサンにうかがったのだが、実は行ってみたら自分たちの結婚を祝うパーティだった。本当にびっくりした。

実行委員長あいさつ。企画、どうもありがとうございます。

 

新潟駅に行く途中に、店長から「準備に手間取っているので7時半ちょうどに来てほしい」という連絡をもらった。新メニューの準備だから大変なんだなと思う一方、別に早く着いて待っているのでも全く問題ないのだが、となんとなく変な気がしたのだが、この段階でも何も疑いを持っていなかった。

妻は職場から直接向かっていたので、バラバラの到着になりそうだったが、新潟駅で追いつけそうだったので、連絡をとりあって、一緒にバスに乗ることにした(ここで合流していなければ、計画は破綻していた)。古町まで着くもまだ時間が早いので、少しぶらぶらと散歩して、お店に。お店の前には携帯で話している女性がいて、「あー、この人も招待者で、時間調整しているのかな?」と思った。全くハズレ。

中に入ったらクラッカーと「おめでとう」の嵐。すぐにティアラとプラスチックの大きなボータイをつけられた。よく見ると、NSMCや湯沢WSに関係した、学生や卒業生たちの姿もあり、「あー、これは大きな極秘プロジェクトだったな」と、状況を悟った。就職したばかりの卒業生たちは、まだ職場にもなれない中、無理をして出てきてくれた。本当にどうもありがとう。

何人もの方から、「二人のおかげで、こんなにたくさんの人達とつながることができた」と言っていただいた。たしかに、自分がというよりも、新潟ソーシャルメディアクラブ(NSMC)が、新潟のアーリーアダプタたちをつなげて、コミュニティを定着させてきたんだなと、あらためて理解した。

準備期間がどれくらいあったのかわからないが、Facebookグループがかなり盛り上がったと聞いた。まさかロックサンを貸しきるほどの人が、自分たちのことを祝うために集まってくれるとは。プレゼン、ゲーム等もたくさん用意されていて、とても楽しいイベントだった。準備にもかなり時間がかかっただろうと思う。

二人のイラストを、ささきとしさんに描いていただいた。としさんは越後線を擬人化したイラストを描いてくれた人だが、本来は結婚式などで使う似顔絵を描くのが本業だ。実は弘前での結婚式にあわせて描いてもらおうかなとも思ったのだけど、思いついたのが間際だったし、あきらめたという経緯があった。今回のパーティにあわせて、寝る時間を削って用意してくれた。その他にもたくさんのプレゼントをいただいた。皆さん本当にどうもありがとうございます。

Bottle

平日夜にもかかわらず、たくさんの方々に囲まれて、あらためて結婚を祝ってもらった。かなり前に入籍していたので、こそばゆいところもあるのだけど、入籍時にはまだ形ができていなかった新潟のコミュニティが、この2年半で形となり、そのコミュニティの皆さんから、改めて祝っていただく形となった。今後ともどうぞよろしくお願いします。

完全なサプライズパーティだったので、予想外に帰りが遅くなり、今朝は眠い目をこすりながらの東京への移動となった。

shinyai's wedding

弘前昇天教会で聖婚式

4月14日、実家のある弘前の、弘前昇天教会で、聖婚式を行なってきた。青森聖アンデレ教会の八戸功司祭が司式をして下さり、弘前昇天教会に常駐する聖職候補生佐々木康一郎さんや教会の皆さんに多大なご支援をいただいた結果、素晴らしい式となった。新潟ではすでに2年以上夫婦で活動し、初めから二人セットでお付き合いいただいている方も多いのだが、改めて、自分たちの立ち位置を確認して歩み出す、良い機会になりました。どうもありがとうございました。

shinyai's wedding

妻の着たドレスは、妹たちと同様に、母が作ってくれた。二人共実家で着替えて一緒に車に乗り、そのまま教会に移動した。

式は家族、親戚、お手伝い下さった教会の関係者だけで行ったのだが、指輪を作ってくれた友人、Karen JewelのKarenが香港から指輪を運んできてくれて、そのまま参加してくれた(なので、弘前にいる間、会話の半分ぐらいは英語だった)。カタカナ以外は読めるので、礼拝の流れにはついていけたそうだ。

Our Rings

当日の午前中に突如、Facebookに「報告」を書き込んだところ、大量の「いいね」とコメントをいただいた。こちらもまた、どうもありがとうございます。

弟がこの教会で式を行ったのが2004年で、自分の式が4人の兄弟姉妹で最後となったが、結局全員が弘前昇天教会で式を挙げることとなった。今回Karenが実家にも遊びに来てくれたので、父が過去の写真を取り出してきて、いろいろな話をした。Karenに質問を受けて気づいたが、両親も70年に弘前昇天教会で式を挙げているので、これでうちの家族全員が同じ教会で式を行った形になる。両親が結婚した時には、礼拝堂の隣に幼稚園があり、幼稚園のホールで、お茶会を行なっているが、礼拝堂はその時と基本的に変わっていない。祖父母も弘前昇天教会に連なっていたので、教会で何らかの式をあげたのかもしれない。祖父母や親族は、弘前の教会で葬送され、墓地に葬られている。弟の葬送式は東京で行ったが、彼は祖父母たちと同じく教会の墓地に葬られ、礼拝堂の中にも名前が刻まれている。家族それぞれの、教会との距離感は微妙に異なるのだけれども、弘前昇天教会がベースとなって、自分たちの人生の要所には、ずっと弘前の教会がある、ということになる。

弘前昇天教会は、昨今観光名所の一つとなり、よく観光客が見学に訪れている。その割にはKarenの乗ったタクシーは、教会の場所を知らず、だいぶ迷ってたどり着いたようで、必ずしも市民には認知されていないのかもしれないが。

Hirosaki Shoten Church, Hirosaki, Aomori / 弘前昇天教会(青森県弘前市)

えきねっと(JR東日本)|弘前昇天教会(青森県)

式の後は、妹たちの時と同じように、親族が各地から持ち寄ったお菓子でお茶会。妻が新潟から買っていった、中身がさまざまの笹団子は話題となった。特にあらめやきんぴら入の笹団子はしょっぱいので、その意外性が好評であったようだ。夕方は家族・親族等、さらに少人数でシェ・タテヤマに行き食事。弘前の洗練されたフランス料理店の一つで、なごやかな雰囲気の中で、皆さんと親しくお話ができた。

弘前市にあるフランス料理のレストラン『シェ・タテヤマ』|レストランウェディング/結婚式/デザート/カフェ

翌日15日は、Karenを連れて3人で弘前市内を観光。弘前城天守閣やねぷた村へ。弘前公園の桜はまだつぼみも膨らんでいない状態で、桜好きのKarenには申し訳なかったが、まあ次の機会にということで。自分たち夫婦は、GWにまた戻ってきて、ベストタイミングで桜を見ることができそうだ。

弘前城の天守閣からは、岩木山が頂上まではっきり見えた。前日父がKarenに自分の版画を披露していたが、多くの作品の背景にある岩木山が、弘前の人々にどれだけの存在感を示しているものなのか、よくわかってもらえただろう。

Mt. Iwaki

ねぷた村の中にも、久しぶりに入った。香港人から見ると、なんで青森の祭りに三国志や水滸伝の絵が出てくるのか、よくわからないようだった。たしかにその通りではある。しかし、竹森節堂が葛飾北斎の画風に習って、現在の三国志・水滸伝をベースとする弘前ねぷたの鏡絵の形態を確立したことも、ちゃんと説明されていた。他にも、こぎん、津軽塗、駒など、津軽地方の伝統工芸品が制作工程を含めて展示されていて、あらためてよい施設だと思った(残念ながら日曜日なのにお客さんは少なかった。オフシーズンはあんなもんなのか)。

津軽藩ねぷた村ホームページ

その後、東京に戻るKarenを見送りに新青森駅へ。1Fのお店を一通り見たが、新しいけれども、青森駅とさして変わらないサイズで、欲張らず身の丈にあったサイズといったところ。駅周辺の開発はまだまだこれから、なのだが、すぐに函館への延伸が見えているだけに、行く末がちょっと心配ではある。

その後日本海側を一路新潟へ。往路では見逃したが、帰りは鶴岡からあつみ温泉の間も、日本海東北自動車道を利用した。あつみ温泉ICの入口は、ちょっと奥まったところにあるので、気をつけていないとまた往路では見逃しそう。ともあれ、あつみ温泉も鶴岡市なのだが、鶴岡ーあつみ温泉の間もかなり距離があり、高速道路ができたことで30分ぐらい短縮された(ような気がする)。

弘前で昔の記憶を収集(2018年1月に大叔母の記憶を追記)

大叔母、「ちおば」こと一戸道の葬儀を終え、さきほど東京に来た。
いつも眼鏡をかけていた「ちおば」は、眼鏡を外していたことと、闘病中にかなり顔がやせてしまったので、とても小さく見えた。1925年に生まれ、幼稚園教諭を長くつとめてきた「ちおば」の歴史は、本人のメモに基づいて、越山司祭から紹介された。知らないことがいろいろあった。

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弟の結婚式

週末、弟の結婚式のため弘前に向かった。
金曜日の午前中の授業が終わった後出発し、夜8時半頃に室蘭到着。

乗船手続の後、室蘭の焼鳥店「一平」へ。ここは「流木」に教えてもらって以来、室蘭を通る度に通っているところなのだが、実は焼「鳥」というのは正確ではない。室蘭では「焼鳥」は豚肉が基本なのだそうで、一部鳥も混じっているが基本は豚肉である。ちなみに室蘭出身の流木さんは、鶏肉しか食べない。
いつも思うのだが、稚内の某焼き鳥屋はどうしてあそこまで焼きすぎてしまうのか。ちょっと血がしたたっていると、稚内の人は抗議してしまうのかもしれないが、ほどほどに焼く技術さえあれば、もう少しまともな焼鳥が稚内でも出せると思うのだけど。「一平」はとりたててすごい店という感じでもないのだが、その辺はきちんとしているので、地元客でいつもにぎわっている。室蘭でもできることは稚内でもできるだろう。もともと稚内では焼き鳥屋の競争があまりないのだから、多少の努力で稚内を代表する焼き鳥屋として君臨できると思うのだが。いや、競争がないからそういう努力が生まれないのか。

明朝フェリーは青森へ。7時過ぎに弘前到着。その後午前中に少し準備をして、15時から式という流れ。
太ってしまった私の体に、数年前に入手した礼服が、すでに悲鳴をあげていることが判明。ウェストがきついことはわかっていたのだが、すでに「尻割れ」寸前であることが母親に発見される。若干の補修工事を行い、今日は立ったり座ったりの動作を慎重に行うべきことが提案される。

結婚式については、この1年かなりの時間をかけてやり方について検討した結果、うちの一家が所属する弘前昇天教会で行われることとなった。弟の結婚相手は韓国の人なので、まず国際結婚一般に関する懸念があれこれ、その後ソウルと青森に暮らす両家のバランスを巡ってあれこれ、弘前を離れて以来教会に寄り付かない弟と教会委員をつとめるほど教会に深くかかわっている父との間での結婚式の定義をめぐることであれこれと、世間にありがちな結婚式をめぐるどたばたが一通りあった末のこの形である。甲斐性なしですっかり出遅れてしまった兄のために、弟には大変な苦労を強いたなあと思う。

結局先月ソウルで両家の顔合わせ(僕ら兄弟は行かないで、本人と両親だけがソウルへ)を行い、式は弘前で行うということになった。ソウルでの300人規模の披露宴(親の友達の友達みたいな人まで来るらしい)は行わなかった。興味本位で言うならば、そういうのにも参加してみたかったけど、まあやったらやったで大変なことになっていただろう。

弘前での式には、ソウルの両親は参加せず、インターネット中継を行った。
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司祭館から50メートルのケーブルをレンガ造りの教会の中まで引き込んで、無線で礼拝堂の中からストリーミング。MSN Messangerにカメラをつけてという段取りだったが、MSNがメンテナンスだったため、何か別のものをつかったようだ。聖婚式(結婚式)では、礼拝堂を縦に移動する場面があり、カメラをパソコンから制御できる範囲を超えてしまった。仕方がないので式の最中にあたふたとカメラを物理的に移動するなどして対応した。おかしかったのは、カメラの向こうにいるソウルの両親が、あまりに普通の格好でいたということ。茶の間に礼服で座っていたらそれはそれでおかしいのだが、こちら側から見て、向こう側があまりに日常的な姿で、しかもこちらとの通話に備えてヘッドセットをつけて参加している様は、それはそれで笑えた。こういう形態に誰もが慣れていないので、どちらにしてもおかしな光景だっただろう。

式の後は、教会の礼拝堂の後ろで簡単な「披露宴」(?)。といってもケーキとお茶だけのシンプルなものであった、
父が司会をして、立会人の佐藤主教からの二人の紹介やその他関係者の紹介などを行い、ケーキカットをするという流れ。ほんとかどうかは知らないが、欧米流には新郎新婦がケーキを食べさせあうというならわしがあるそうで、それも真似した(させられていた)。父は「金剛山なんたら」という韓国の歌を練習していて、座興として披露。ソウルにもほとんどタイムラグなく伝わったようで、画面の向こうから拍手をしているのが見えた。弘前の教会には、父と母が主体的に関わっているのだが、18で青森を離れた僕を含めた子供たちは、いつまでたっても一人前の働きをしない、「一戸さんちの子供たち」のままであり、上の世代の人たちと正直そんなに深いかかわりがない。そういうことも両親と弟の当初の方針の違いに現れたようにも思うが、思いのほか多くの人が土曜日の教会に集まってくれて、おそらく弟も驚いたに違いない。弟に「先を越された」形の僕には、「つぎはあなたの番ね」といった「お言葉」がちらほら。でも予想よりは少なかったかな。

夕方から、市内の翠明荘というところで、親族と遠方からの友人を招いて「食事会」。一度皆さんを車で送った後、僕と父は一旦自宅に戻り、タクシーで再度移動したのだが、その際に父が一言「内輪だけでやるといったけど、こうしてみると結局そういうわけにはいかなくなってるな」(津軽弁でいったものを翻訳した)。翠明荘は由緒ある建物を料亭にしたようで、庭園も立派なのだそうだが、すでに暗くなっていて庭園はほとんど見ることがなかった。カラオケとか詩吟とか、ありがちな趣味の悪い座興はなかったが、友人からの言葉もあったりして、たしかに「そういうわけにはいかない」食事会は、普通の披露宴と変わらないといえば変わらないのであった。僕には「乾杯の音頭」で出番が与えられた。うちの兄弟が歳が離れていて、父の転勤で住む場所も時々で変わったため、その時期・場所での経験や感じ方が違っていることを話した。その上で我が家の異文化体質に「韓国文化」がやってくることは、僕にとっては非常に歓迎すべきことであることを話した。自分たちのことだけを言いすぎたかなとも思ったが、僕が弟の「国際結婚」を肯定的にとらえているということを、正直に皆さんに伝えたかった。座は盛り上がり、弟の友達とも話ができた。

さらに二次会は通称「一戸家アネックス」、父のアトリエとなっているロフト部屋で行われた。父の兄弟と新婦のお姉さんの家族がやってきて、さらに宴会が続いた。父の兄弟もなかなか一堂に会する機会はなくなっているようで、久々にゆっくり話をしたような感じがした。結婚式や葬式は、参加者同士の再会の機会も提供するというのが、今回の弟のこじんまりした結婚式も、やはりそういう機能を果たしたと思う。僕は例によって、終盤の「ちょっといい話」の場面では寝てしまったようで、翌朝目覚めると布団の中にいた。いい加減にしてもらいたい。

翌朝午前中に出発。室蘭港20時着。日曜の夜だったが、札幌で卒業生たちが集まってくれた。予想通り、例の件が話題にのぼった。なぜか彼のことはみな気になるようだった。といっても、そろそろ「限界」に来ているような気もする。札幌で一泊。

母が体調を崩したことなど、いろいろ困難もあったが、弟の結婚式は無事終了した。弘前で結婚式をすることが決まって、両親がずいぶん積極的に奔走したことがわかった。それはなかなか本音を出さない両親が、今回の結婚式についてどう考えていたかを現すものであった。もたもたしている兄に代わって、すぱっと決断した弟が、面倒な役割を果たしてくれたということだろう。