タグ別アーカイブ: 家族

弟をあやすために即興で歌っていたカセットテープ(1975年)が切れていた

1975年3月、父と弟と3人で留守番をすることとなり、生後間もない弟をあやすため、創作歌を延々と歌っているワタクシの音声が入ったカセットを、実家で見つけた。
残念ながらオリジナルのこのカセットは切れてしまっていたが、ダビングしたカセットは残っていて、データは無事。父が分解して、オリジナルのカセットもつなげたが、まあ音質がそう変わるわけでもない。ただ、このカセットは何度も家族できいていたので、この筐体自体に意味があると言えなくもない。

歌詞には、「白鳥」「悪魔」「アルバイト」「ヨット」など、4歳児とは思えないワードがいろいろ入っている。当時住んでいた家の近くに白鳥が飛来していて、川で高校ボート部が練習していて(とっさにボートが出てこないので、ヨットになった)、悪魔の話は教会で聞いたのだろう。「アルバイト」だけがよくわからない。当時の記憶はほとんどないはずなのだが、このテープを聞きながら、当時の状況についても、家族で何度も話していたので、なんとなく記憶が残っているような気持ちになってはいる。

子どもが即興で歌うという面白さのほかに、もう一つこのテープには意味があって、祖母の肉声が記録されている。母方の祖母が、母とともに帰宅し、そこで父と息子の子守は終わるのだけど、終わる前にしゃべっているところが少し録音されていた。10年ほどのちに、祖母は他界するのだが、母の姉弟からすれば、このテープは別の意味で重要な記録となった。

このカセットテープは、別の音源が入っていたテープを上書きして録音したようで、「マルタ島の砂」「イエスタデイ」という曲名が書いてある。「マルタ島の砂」というのは、初めてきいたが、ハーブ・アルパートの70年代のヒット曲のようだ。

自分が溜め込んでいたカセットテープは、引っ越しを繰り返すうちに捨ててしまって、ほとんど残っていないのだが、家族の記録として実家に残っているカセットテープは、そろそろデジタル化すべきかと思い、少し調べてみたが、実は3000円ぐらいの簡易な機器が売られていることがわかった。3000円程度で、USBメモリにデータ化した音源を吐き出せるのであれば、いいのではないか。

モッツァレラ星人につられてつい口ずさんでしまう「モッツァレラさき歌」

この数ヶ月、ムスメを中心に我が家で流行っている、東京ハイジというユニットの、オリジナル作品。今回は、明治の「さいておいしいモッツァレラ」のCMソング(といってもテレビでは流れず、Youtube上なのだろう)。チーズを「さいて食べる」というのは、そんなに新しいという気もしないのだけど、映像を見ているうちにだんだんハマってきて、すぐにムスメとスーパーに行って買ってきてしまった。

4月15日に公開されてまだ1週間だが、再生回数は3万回を超えている。さほど記事などで紹介されているようには思えないが、着実に再生数がのびているのは、うちのような子育て中の家庭に、東京ハイジが広く支持されているからだろう。

東京ハイジの一人ササキトモコさんが、この作品ができるまでを記事で紹介している。

ごらトモ 明治の「さいておいしいモッツァレラ」さき歌誕生!

この製品がパッケージで提案している「さき方」の一つとして、「モッツァレラ星人」があり、これをメインに据えて作品にすることになったのだそう。東京ハイジが提案して作られた「さき方」ではないよう。最初はたんなるチーズスティックなのだが、これが「モッツァレラ星人」になったあとから、映像はエスカレート。「ミラーボールにゴーゴーダンサー」「怪しいキノコなコスモパニック」といった展開になっていく。「精神攻撃をしかけるタイプの宇宙人」なのだそう。たしかに精神攻撃に負けて、繰り返し再生しようとするムスメとともにだんだんモッツァレラの歌が頭のなかから離れなくなり、昨日はじめて見たにも関わらず、このチーズを買ってきてしまった。

これまでムスメはチーズをほとんど食べなかったのだけど、歌の力に見事にやられた結果、昨晩はチーズを一本、楽しく完食した。実はスーパーで並んでいる他のモッツァレラチーズと比較すると、ちょっと高めの価格設定。1パック4本なので、調子に乗って家族で「さきまくる」と、すぐになくなってしまうので注意が必要だ。

明治 さいておいしいモッツァレラ
価格:248円(税込、送料別)

食べ放題

豪華だけどあっさり切り上げるラマダンビュッフェ

長いと思っていたラマダンも、今週で終わり。マレーシアはハリラヤ休暇に入る。すでに先週あたりから、ハリラヤと歌詞の入った歌をきくようになった。たまたま、歌の流れているエリアに行っただけかもしれないが。

前回の記事でも書いたのだが、ラマダン期間中、ホテルは夜のラマダンビュッフェの豪華さを競いあう。普段のメニューよりもさらにサービスしておいしい料理がならぶということのよう。

イスラム教徒でないと、なんとなく行きにくいが、別に誰でも参加できるとはきいていた。ちょっと気後れしている間に、ラマダンも終盤に入り、一部ホテルではラマダンビュッフェの期間が終わるところも出てきたので、家族と相談して思い切っていってみることにした。

ラマダンビュッフェ

といっても、思い立ったのは当日。いくつかのホテルに断られたが、マラッカ市内中心部の有名ホテルの1つ、エクアトリアルホテルの予約がとれた。大人1人88リンギット(3000円程度)なので、決して安くはない。でもそれだけの金額を出すので、よく写真に出てくる羊の丸焼きもあるだろうし、ラム料理も充実していて、羊肉ファンの妻も満足するだろう。ラマダンビュッフェの値段は結構ピンキリで、安いところだと30数リンギット、つまり1000円程度で食べられるものもあるのだが、それはホテルの格によるものなのか、食事の種類が少ないのか、量が少ないのか。ちょっと遅れて行ったら何もなかったとか、あるいは開始早々の争奪戦が激しいといった事態は、小さい子どもを連れて歩く家族の戦闘力では対応不可能なので、まあ安全策を取ったところ。

ラマダン中の人々の行動は、日暮れ前に食事を用意し、日暮れとともに食事を始めるというもの。おそらくラマダンビュッフェの場合にも、同じような行動をとるとするならば、早めに会場についた場合、一緒に「おあづけ」状態になるということになる。でもみんな一緒に食べ始めるわけだから、あまり遅れてもよくない。なにしろ戦闘力が低い。というわけで、7時23分の日没を目指してホテルに向かったのだけど、途中の渋滞もあって、結局ホテルについたら7時半を過ぎてしまった。

ラマダンビュッフェのにぎわい

ホテルに到着すると、会場は満席、すでに食事は始まっていた。7時23分になったところで、みんな「よーいドン」というのか「いただきます」というのか、お祈りをするのか、興味があったのだが、それはわからずじまい。会場内では、マレーソングのグループが演奏を始めていて、たまたまその近くの席に案内してもらった。マレー独特の曲調の歌が演奏されたが、多くの曲にはやはり「ハリラヤ」のフレーズが入っていた。お正月ソングとかクリスマスソングのようなイメージでとらえたらいいのだろうか。

マレーソングの演奏

鶏肉と羊肉を使った肉料理のほか、魚料理(刺し身はない)もあり、ミーゴレンのような麺料理もあり、とにかくいろいろ食べ放題。羊の丸焼きもあった。ただマレー料理なので、豚肉はもちろんなく、その他中華風とか和風とか、味のバラエティは、日本人から見たら少ない。ともあれ、昼間食事を我慢している皆さんは、断食=禁欲という一般的なイメージとは異なり、夜になったら食欲を解放して、かなりの勢いで食べていた。しかし食べ方は平和的なので、戦闘力の低い我が家も、だいたいひと通りの料理をチェックして、食べたいものはすべて食べることができた。

羊肉

食べ放題

テーブルの上には、デーツというナツメの実が置かれていた。ラマダンの場合、いきなりがっついて食べないで、最初にこれを食べてから食事を始めるとされているようだが、皆さんがちゃんとその通りにしているかは、遅れて到着したので確認できなかった。

デーツ

ドリンクはもちろんノンアルコール。屋台にあるような派手な色のついたドリンクが並んでいた。その他コーヒー・紅茶はあり、ロンガンドリンクのような中華(?)なものもあった。いずれにしても、ビールもワインもアルコールは飲み放題、という、日本人のビュッフェとは大きく異なる。

カラフルなジュース

お客さんは8割方マレー系の人たちかなという気がしたが、自分たちの他にも異教徒のグループはいたし、マレー系と非マレー系がまじっているグループもあったように思う。

なによりの特徴は、みんな早く帰るということ。ラマダン期間中は、日没から日の出までの間しか食事ができないので、ムスリムの人たちは朝も早く起きなければならない。したがって、せっかくのラマンビュッフェも、そんなにゆっくりはしていられないのだろう。なんとなく消化には悪そうだが仕方があるまい。8時過ぎには席があきはじめ、8時半になると席を立つ人が増えた。子どもがなかなか食べてくれなくて難儀していた我が家が、ようやく帰ることにした21時には、もう1−2組しか、会場には残っていなかった。

ラマダンビュッフェ、ラマダン期間のマレーシアに来ることは今後まずないと思うので、マレーシアの風習の一つを知ることができたのはよかったと思う。羊肉に妻は満足していた。たしかにおいしかった。ただ、今度はお酒も飲めるところで、料理も楽しみたい、というのが、うちの家族の正直な感想だ。

Pharrell Williams 「HAPPY」徳島版:阿波踊りが見事にフィット

Pharrell Williamsの「HAPPY」のリップダブ。AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」までのブームは、日本では起こらないと思うけれど、逆にこちらのほうが高品質な映像が多いという印象だ。

今日見たのは徳島バージョン。阿波踊りの映像を「Happy」に合わせている。

阿波踊りの練習風景、お店の前や河原で阿波踊りを練習する家族などが出てきて、徳島人の日常の中に阿波踊りが深く浸透しているのだなという印象を持つ。もちろん本番のお祭りの映像は、見事に息のあったパフォーマンス。この夏は徳島に行ってみようか、という気持ちにさせられる。

面白いのが、阿波踊りのオリジナル音声は一切出てこないのに、曲と映像が見事にマッチしていること。今回のリップダブに合わせて撮影したものではなく、過去に撮影した阿波踊り関連の映像を使っているのだろうけど、全く違和感がない。

阿波踊りとマッチしすぎ!徳島バージョンの『Happy』が最高♪ | ダンス動画まとめ ダンスストリーム(Dance Stream)

弘前さくらまつり開幕:「お城と桜」の定番風景は、今年をのがすと、しばらく見ることができなくなる?

私の故郷である青森県弘前市の春のイベントといえば、GWが見頃となる弘前さくらまつり。今年も4月23日に開幕しています。

毎年開花の時期がいつになるか注目されるのですが、今年は28日が満開だそうで、期待通りGW前半が見頃になりそうです。かつて毎年のようにGWに満開を迎えていた弘前公園の桜ですが、昨今は温暖化の影響で開花が早まっていて、例年私が帰省するGW後半には「葉桜」になっていることもあります。市の関係者はあの手この手で開花時期を遅らせているという話も、よく聞きます。

弘前市には、「お城と桜とりんごの街」というキャッチフレーズがあります。りんごの産地である津軽地方ですので、りんごは当然に街のシンボルですが、それと同等に弘前城とその周りに咲く桜が、街を象徴する要素になっているわけです。石垣の上に立つ弘前城天守閣をバックに、桜が咲き誇る様子を、赤い下乗橋の上(やその近く)で写真に撮るというのが、市民にも観光客にも定番になっているように思います。

実はこの定番シーン、来年からしばらく見ることができなくなります。石垣の大規模修理が必要になったため、天守閣を移動させて、10年かけて大掛かりな修理を行うのだそう。

弘前城は2007年からの市の調査で、天守閣の石垣が東に約1メートル張り出していることが判明。崩落の恐れがあるため、市は約100年ぶりとなる大規模修理を実施することを決めた。
 市によると、修理は秋からで、重機を搬入するために内堀の一部を埋め立てる。石垣を積み直すため、天守閣も来年のまつり後に移動する。
 土台を持ち上げ、レールで動かす曳屋(ひきや)と呼ばれる方法を使う。本丸の北西方向に約70メートル移すため、有名な下乗橋の撮影ポイントからは写らなくなる。
 天守閣を移した後は約3000個の石を隙間なく積み直す。天守閣が元の位置に戻るのは5年後、工事全体の終了は10年後を見込んでいるという。

弘前さくらまつり開幕 今秋から石垣改修工事でしばしの別れ | 河北新報オンラインニュース

どのように工事が行われていくかは、こちらの動画でごらんになることができます。

弘前公園はその名もズバリ「城が動く」というウェブページを作っています。

弘前城石垣修理事業「城が動く」 | 弘前公園総合情報

元の風景に戻って写真が撮れるのは10年後。自分自身や家族が10年後どうなっているのかなあと思うと、今年はぜひ家族でこの場所で写真を撮っておいて、10年後にまた同じ構図で撮りたいものだなと、個人的には思っています(実際には混み合っていて、この場所で、家族揃っての撮影はなかなか難しい?)。「弘前の桜」を見たいという方は、ぜひ今年弘前までおいでになるとよろしいかと。修復前の弘前城の、はらみのある石垣を桜とともに見たいという、「石垣ファン」の皆さんにも、オススメできます。

もちろん弘前公園には、他にも桜が美しく映えるシーンがたくさんあります。来年以降も弘前までおいでいただく価値は十分ありますので、その点はご心配なく。

Hirosaki Sakura Festival 20110503

この情報は、私の弘前高校同期の友人のブログ「nonvlog from nonvey」の記事から得たものです。

弘前城と桜のコラボはしばらく見納めです!!

(Yahoo!個人掲載記事を転載)

中頓別町議が、村上春樹作品に「マジレス」

村上春樹さんの作品をめぐって、急に注目を浴びた中頓別町。自分が2000年代前半を過ごした稚内が属する、宗谷総合振興局管内(旧宗谷支庁管内)の町なので、大変懐かしい。

#かつて「管内」という言葉(支庁の管轄地域を基準にして地域について話すときの言葉?)を聞いて、よく意味がわからなかったが、今でも使われているのだろうか。

村上春樹さん、中頓別町議からの質問状に回答

作家の村上春樹さんが月刊誌「文芸春秋」(昨年12月号)で発表した短編小説「ドライブ・マイ・カー」をめぐり、北海道中頓別町の町議6人が、町への誤解を招く表現があるとして、出版元の文芸春秋に真意を問う質問状を送った問題で、村上さんは7日、文芸春秋を通じて見解を発表した。村上さんは、北海道への親近感を込めて作品を書いたが、単行本化の際に別の名前に変えることを検討しているという。質問状は7日付で送付されたが、文芸春秋はまだ受け取っていない。

小説では、中頓別町出身の女性が車窓から火のついたたばこを外に投げ捨て、主人公が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と思う場面が描かれていた。

宗谷

地図を見ていただくとわかるが、中頓別は宗谷の中では南側にあり、稚内から100キロ以上離れている。100キロというのは、稚内感覚ではそんなに遠くはないのだが。
ゼミ合宿を、ピンネシリオートキャンプ場で行い、敏音知(これでピンネシリと読む)岳にも登ったこともあった。大きな商業施設はほとんどないが、オホーツク海から少し内陸に入った場所にあって、鍾乳洞があり、砂金採りもできる、静かないい町だった記憶がある。

キャンプ | 中頓別町

個人的には、タバコの車からのポイ捨てを、中頓別でよく見かけたということはない。しかし北海道全般で、窓から投げ捨てはもちろんのこと、扉を開けて灰皿の中にたまった吸い殻を外に捨てる人を、何度も見たことがある。北海道に限らず、人口密度が低い場所では、他人の目が気にならない場所で、こうしたモラルの低い行動が一定割合で見られるということだろう。こうした一般的な状況認識が、たまたま耳に残っていた中頓別という地名と結びついて、今回のようなシーンとして登場しても、さほど違和感はない。しかも今回問題となっている、「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」部分は、登場人物の推測にすぎない。

しかし中頓別の一部町議は、これが許せないということで、質問状を送りつけるといういわば「マジレス」を行った(厳密にいうと、レスではないか)。町の評判を著しく害するということなのだろうか。自分だったら作品から消してもらうよりは、せっかく著名作家が「中頓別」を登場させてくれたので、これをネタにして、「実際には喫煙率が低い」とか、あとなんだろう、街の知名度をあげるような使い方をさせてもらう。いやひょっとすると、この「質問状」自体が、町の知名度をあげるための「炎上マーケティング」のような、高等戦術なのだろうか。

自分自身は作品を読んでいないが、小説の中身まで踏み込んで、このような批判をすることは、正直「無粋」だと思う。フィクションの中での取り扱われ方について、町議のような公共的立場にある人が介入するというのは、正直やり過ぎだろう。
しかし「無粋」だろうと「マジレス」だろうと、町の評判は守りたいというのが、質問状を出した人たちの気持ちなのかもしれない。ソーシャルメディアは、世間にたくさんあるこの手の「無粋さ」を可視化した。子連れの家族に舌打ちする大人の無粋さも可視化されたし、「子育てに冷たい社会」んついての議論の中でも、さまざまな「無粋」な意見が可視化された。静かな町中頓別の人たちは、ここまで大事にするつもりもなかったのかもしれないが、結果的に「無粋さ」をさらすことになった。評判はあまり守られなかったような気がするが、(少なくとも短期的には)知名度はあがったかもしれない。

ちなみに、中頓別の隣には、クッチャロ湖で知られる浜頓別町があり、頓別川という川が流れている。「トンベツ」というのは、アイヌ語の「ト・ウン・ペツ」から来ており、「沼に行く川」という意味になるようだ。

中頓別町トップページ | 中頓別町

浜頓別町ホームページトップページ

子どもを授かる幸せと責任:タマホームの「1more Baby応援団」

タマホームの「1 more Baby応援団」というキャンペーン。「ふたりめ」を生むことを推奨、とまではいってないけれど、その意義を考えようという提案だろう。

140131-0005

1 more Baby応援団

「家族会議」の動画は、ドラマなのだけれど、それぞれが自分の家族のことに重ねて、さまざまな思いを抱くであろう映像であった。子どもがいるいないにかかわらず、それぞれの立場で、心に響くものがあるはず。

自分の場合には、世間とは周回遅れで子どもを授かり、数ヶ月が経ったところ。

長女が生まれました | ICHINOHE Blog

この動画に出てくる子どものように、娘はまだ主張してくれない。そうではあるけれども、このまま娘をひとりっ子で育てていくことが、彼女の人生に何をもたらしていくのか、いろいろ思うところがあるわけで、その思いにこの動画は、うまくシンクロしてきた。

一方、自分自身の兄弟姉妹は、4人でにぎやかであった。むしろずっとうるさかった。両親は自分が生まれてから、下の妹が大学を卒業するまで、36年間、子育てをしていたことになる。その歴史は、青森県内各地に刻まれていて、一つの家だけにあるわけではないけれども、今両親が住む家にはやはり、いろいろなものが残っている(自分自身は今の実家には住んでいないので、妹達とはちょっと事情が違うのだが)。

弟がこの世を去って、まもなく7年になる。弟はいつまでも若いおじさんとして、娘や甥っ子に写真で存在しつづける。彼が上京するまでの歴史もまた、弘前の家に蓄積されている。今は静かに父と母が二人で暮らす家には、兄弟姉妹がそれぞれの時代を過ごし、いろんな手をわずらわせた歴史が、たしかに詰まっている。映像の後半には、それも重なった。

子を育てることへの価値観は、人によりさまざまだ。子どもに恵まれなかった人もいるし、子どもを望まない人もいるだろう。それぞれの事情や心の内は、なかなかうかがえるものではない。自分自身、これまでは、「自分のことで精一杯」と考え、子どもを持つことにあまり積極的ではなかった。その自分の気持も、周りの人たちにはわかりにくく、立ち入りにくいものであったと思う(にもかかわらず、ほんのちょっと入ってきてくださった何人かの方の言葉で、娘を迎えた今があるような気がしている)。今も「自分のことで精一杯」なのは変わらないが、余裕のなさを抱えながらも、何とかエネルギーを子どもに振り向けて、この4ヶ月、充実した時間を過ごしている。一方、自分の子どものことを話す時、聞いている相手にはどんな風に響くのか、子どもがいることがはっきりわかっている人以外が相手の場合には、いつもちょっと気になる。立ち入り方は、いつも難しい。

実家の母は新潟で孫に対面して、「おめぐみ」という言葉を使った。娘はまだ何もしゃべらないけれども、無力な父と母をある意味励ましてくれる、まさに「おめぐみ」なのだろう。「おめぐみ」としてやってきた子どもは、やがて自らの意思を持って独立していく。それまでの時間を、ともに充実した時間を過ごせるよう、責任感を持ちつつも、おだやかに過ごしていこうと思う。

いろいろな大学の学生と接することは大事だと感じた4ヶ月:埼玉工大、立正大での非常勤1年目終了

先週末で2013年度後期が終了。敬和は現在試験が行われているが、これが終われば春休みとなる。個人的には今期から、金曜日埼玉での非常勤をお受けしたこともあり、一週間の授業数はトータル9コマ、非常にいそがしく、このブログもほとんど書けなかったし、新潟日報モアの「新潟ソーシャル時評」も滞ってしまった。

金曜日は朝8:24の新幹線で移動し、高崎を経由して深谷市の埼玉工業大学で「国際法」を1コマ、その後熊谷市の立正大学に移動して午後、「メディアと法」を1コマ担当した。何もなければそのまま熊谷から新幹線で新潟に戻り、あれば、そのまま東京に出て一泊するという生活となった。

このお話をお引き受けした後で妻の妊娠がわかり、ある程度予想はしていたのだが、子供が生まれてすぐの慌ただしさと、授業コマが増えた慌ただしさが、一緒にやってきた4ヶ月であった(埼玉での最初の授業が終わり、その翌日に娘が生まれた)。週末にもさまざまな仕事が入ることが多く、出産後の大変な時期、家族には迷惑をかけたと思う。他にもいろいろなプロジェクトで手が回らず、一緒に仕事をしていた皆さんにもご迷惑をおかけしたであろう。

埼玉工業大学人間社会学部での「国際法」は、久しぶりの担当科目。国際法学会には長らく顔を出しておらず、学会の顔ぶれもかなり入れ替わり、院生の頃若手中心の研究会などで見かけた人たちが、すでに主流となりつつある。今回は、こうした研究者の皆さんの書いたテキストを読み直すよい機会となった。日本の抱える領土問題に注目が集まり、サイバー戦の話題も飛び交い、シリアの化学兵器、南スーダンのPKOでの日韓のやりとりなど、関連するニュースもかなりあって、それらをずいぶんととりあげて、学生たちには興味を持ってもらえたのではないかと思う。埼玉工業大学のある岡部駅周辺には、本当にねぎ畑がひろがっていて、「あまちゃん」で松岡茉優が演じていた入間しおりの「ねぎ衣装」を思い出した。

立正大学での「メディアと法」は、敬和の「情報法2」でやっている内容とシンクロさせて進めたが、立正の学生は法学部生なので少しレベルアップさせてみた。こちらでも、ウェブ関連、メディア関連の各種ニュースをとりあげて、それらの話題をとりあげながら授業を進めた。メールをくれる学生の反応を見ると、法学部の授業の中では、割と身近で親しみの持てる内容だと評価してくれたようだ。マイナー科目なので、受講者数は少ないと思っていたのが、200人以上の受講者がいて、やりがいのある授業であった。ただ、これからの採点活動は大変になりそうだ。

両大学とも、ウェブを利用して教材のやりとりや小テストなどができる仕組みが整っていて、ああこれなら学生とのやりとりも簡単だなと思い、それぞれのシステムの違いにとまどいながらもいろいろ試して見たのだが、実はこれらのシステムは、思ったほど使われていないようだった。「メールで提出でいいですか?」とか「慣れてないので紙でレポート提出していいですか?」といった、反応が学生から出るようになり、帰りに大量の紙レポートを学生に押し付けられるようにもなった。Twitterを使っている人はハッシュタグでいろいろ書いてくれてもいいですよ、といったのが、これも反応は少なかった。よく知らない非常勤の教員が相手だし、さほど反応はないだろうとは思っていたが、そういう警戒感だけが唯一の原因ではないようにも見えた。オンラインと大学教育をつなげていくというのは、大学が体制を作るだけではなく、教員と学生のスキルと意識がついてくるところまで持っていかなければならず、どこでも結構苦労しているんだなというのが、なんとなくわかった。

それぞれの大学の学生達の基礎学力や対人能力については、もちろん個人差もあるのだけれども、やはりそれぞれの学校のカラーがある。また大学自体への帰属意識やプライドの有無も、行き帰りのバスで飛び交う会話からなんとなく想像がついた。総じて言うならば、北埼玉の学生たちは、都心の大学に通う学生たちと、やはりちょっと違い、素朴さの残る関東の学生だ。同じ素朴でも、新潟ローカルの学生たちともまたちょっと違う、独特の雰囲気がある。

98年に、明星大学の青梅キャンパスに非常勤講師に行ったのが、自分の大学教員としてのキャリアの始まりだった。早稲田大学の学生像しかほとんど知らなかった自分には、明星の学生たちの考えていることや人生観なども、かなり新鮮で、勉強になった。それがその後の地方での大学教員生活にも、生かされているといえるかもしれない。

大学教員が本務校だけで授業を持っていると、授業でも学務でも、その中で完結し、新しいアイデアは出てこない。あるいは新しいアイデアも、社会一般の文脈と本務校の文脈をすりあわせて、最善な形で実施するということがなかなかできなくなるのではないか。久しぶりに「フル規格」の非常勤をやってみて、自分や自分の本務校の、客観的な立ち位置を確認するよい機会を得られたように思う。学期中も、両大学の取り組みを見ながらいろいろ気づきがあったし、両大学の学生たちからもいろいろ感じるところがあり、これらは敬和での教育の改善にもつなげていけるように思う。

機会を与えてくださった両大学の関係者の皆さんには、あらためて感謝の気持を記しておきたい。

長女の生後100日写真をStudio Roopで撮ってもらった

昨年マタニティフォトを撮っていただいたStudio Roopで、娘の生後100日の写真を撮っていただいた。Studio Roopは新潟美少女図鑑を撮影しているPhotographerのチーム。雑誌などの撮影のほか、各種の家族写真にも対応してくれる(妻が出産した竹山病院にも、写真が展示されていて、撮影プランなども提供されているが、うちは全くそれとは関係なく、独自にお願いした)。

studio Roop blog

100日目はちょうど年末だったので、年があけて1週間ほど過ぎてからの撮影となった。今回はStudio Roop代表のCoziさんに撮影していただいた。どうもありがとうございました。

Studio Roopは入居していた古町のビルが老朽化して移転、鳥屋野のビッグスワンやエコスタジアムの近くにある、Roop Villageというカフェ施設に併設する新しい拠点で、撮影していただいた。ペレットストーブがあったり、前回同様非常に気の利いたおしゃれなスペースで、しかしゆっくりくつろぎながら撮影してもらうことができた。

赤ちゃんが泣かないように、おもちゃを用意したり、手順を踏んだ撮影にも工夫が凝らされていたこともあり、娘はほとんど泣くことなく、かなり笑ってよい写真を撮っていただけたと思う。娘は娘で、外に出かけている時には、あまり泣かない傾向があり、今回に至っては、シャッター音が鳴り出すと、カメラの方を見て、時折笑うように努めているように見えた(あくまで見えただけですが)。

もちろん我々夫婦と一緒に3人で撮影したり、マタニティフォトの続編っぽいカットを撮ったり、撮影自体も非常に楽しかった。Coziさんに撮っていただいたものは、近日送られてくる予定。こちらではとりあえず、私が撮った写真を何枚か載せておきたい。

長女が生まれました | ICHINOHE Blog

屠畜という営みを素直に受け止められる映画「ある精肉店のはなし」

先週末、埼玉での授業が終わった後、東中野へ移動、ポレポレ東中野で「ある精肉店のはなし」を見てきた。上京して最初に住んだのが新宿区の落合斎場の近くで、東中野駅から10分位だった。新宿駅に出るのによく使ったこの駅近くには、24時間営業のモスバーガーが山手線沿いにあり、よく夜中に勉強するのに使ったし、食事もしたし、オウム真理教の選挙運動にも遭遇した。しかし今はもう、今の東中野駅前には、当時を思わせるものはほとんど残っていなかった(山手通りを渡った先の商店街には、まだ何か残っているような気もしたけれど、当時あまり行った記憶がない)。

ある精肉店のはなし

映画は大阪府貝塚市の精肉店「肉の北出」を描いたドキュメンタリー。親の代から肉屋を営む北出兄弟とその家族の実像に迫ったものだ。北出さんは、単に肉を売っているだけではなく、自ら牛を飼育し、これを近所の屠畜場で処理して一頭まるごと食肉として売っている。この昔からの一連の営みは、市営の食肉処理場の閉鎖に伴い、途絶えることになった。最後の屠畜が行われる日の様子も、映像に収められている。

牛が屠殺されるシーンも、それらが肉になっていくシーンもすべて出てくる映画で、最初はかなり「構えて」見に行ったのだが、実際の印象は全く違っていた。「牛を割る」という行為は、昔から被差別部落の人々の仕事とされ、それ以外の人々は、「屠った動物の肉を食べている」という感覚を、どこかで隠して生きてきた。現在はYoutubeでも屠畜の現場は映像として流れていて、「流れ作業」で動物が殺されるシーンが、多数紹介されている。その多くは「流れ作業」で動物が殺されていくことへの批判的な意味合いが込められているのだが、この映画の映像を見るとあきらかに違う印象を持つ(少なくとも自分にとってはそうだった)。人間が生きていく上で避けては通れない、他の生き物の「いのちをいただく」という行為に対して、避けることなくきちんと向きあおうという気持ちにさせられた。そう思わせてくれたのは、長らく向き合ってきた屠畜や精肉店の営みについての北出家の皆さんの語り口、あるいは、その気持を見事に映像にのせることに成功したこの作品の力ということになるのだろう。

以下のインタビュー映像の中で、纐纈あや監督が「上映後、お肉を食べたくなったいうお客さんがいてうれしかった」と語っている。自分自身も、食肉を嫌悪するような気持ちは全く起こらず、むしろおいしい焼肉屋でも行きたい気分になった(内臓の処理過程を見て、ホルモン焼きも食べたくなったぐらいだ)。肉好きを自称する皆さんに、むしろ見てもらいたい映画だ。

映画は被差別部落、部落解放運動の話も、避けることなく切り込んでいる。青森生まれで、(実はなかったわけではないのだが)あまり馴染みのなかった自分にとって、部落差別問題はどのように触れていいのかもよくわからない問題なのだが、結婚において問題が起きていないのかとか、この地域の祭りで太鼓を使わないのは藩から禁じられていたという説があるなど、具体的な表現がいくつか出てきて、なんともいえないざわざわとした気持ちにさせられた。ネットでなんでもわかるこの時代に、お店・家族まるごと映画に登場するということが、どれぐらいの覚悟を要するのかは、想像するしかない。ひょっとすると、部落解放運動に長らく関わってきた北出兄弟だからこそ、その意義を受け止めて、あえて登場したということなのかもしれない。また部落差別をめぐる現状もまた、いろいろ変化しているということもあるように感じた。とはいえ、この点もまた、映像では「からっと」描いていて、むしろ部落差別の現状について、少し勉強してみようかなという気持ちにさせられた。

今後の上映日程はこちらに。東京、大阪が現在上映中で、今後名古屋、神戸、福岡、京都、札幌、広島、長野、静岡まで決まっているようだ。新潟でもシネ・ウインドでの上映を期待したいところ。

上映劇場情報 – ある精肉店のはなし

こちらに貝塚での屠畜を見学した時の様子が、ブログで紹介されていた。
貝塚市の屠場に行ってきました。