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北海道新聞が撮影した、最北の激戦地占守島の映像

1945年8月9日、ソ連が南樺太・千島列島および満州国・朝鮮半島北部に侵攻したという話は、わりとよく知られているところだが、玉音放送が流れて「終戦」を迎えた8月15日以降、国境付近でどのような戦闘が行われ、どのように停戦に至ったのかは、(歴史好きの人を除けば)あまり知られていないように思う。もちろん、各地からの民間人の引き揚げが、非常に困難であったことは知られているのだが、戦いがすんなり終わらず、15日以降の戦闘で命を落とした兵士も多かったというのは、歴史の中のマイナーな事項として、あまり注目されていないように思う。

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Photo by VIOLA travel s.r.o.

占守島は北千島の最北、根室から1200キロ離れた島だ。この島には、8月17日にソ連軍が侵攻し、日本軍との間で数日間死闘が繰り広げられた。すでに玉音放送が流れた後の戦いで、多くの命が犠牲となったが、結果、ソ連が考えていた北海道への進行が食い止められたという説もあるほどだ。

この占守島と隣のパラシムル島(幌筵島)を、この夏北海道新聞の記者が訪ねた映像が、Youtubeにアップされている。

中編で記者は、クルバトワ岬(国端崎)を訪問、日本軍の戦車がそのまま残っているところを撮影している。この島の住民は岬の灯台守だけ。隣のパラシムル島も、かつて柏原であった街に、2600人が暮らしているだけだという。戦後何も開発せずこうやって放置しておくならば、侵攻してくる必要はあったのかと(誰にかわからないが)問い詰めたい気分になるほどだが、それこそ、北千島は足がかりで、そこからさらに南下するつもりがあったということなのだろう。

戦前多くの日本人兵士が戦って散っていった「最前線」の場所は、いろいろな理由で、容易に訪ねて行くことはできないところが多い。おそらk,北千島に普通の日本人が訪ねて行くのも難しいのだと思うが、ぜひ一度カメラを持って行ってみたいとも思った。

映像を見て非常に興味がわいたので、大野芳「8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記」(新潮文庫)を買ってきた。生き残った人々を丹念に訪ね歩き、証言が食い違っているひところも検証しながら、実際何が起こったのかを丁寧に探っている。